幕間5:油断ならない男

 

 ――今や炎が吹き荒れる地獄と化した都市上層。

 それを高みから降り立ち見下ろしている者がいた。

 夜の色を固めたような黒い装束ドレス

 全てが等しく焼け落ちる熱風を浴びても尚、その姿は欠片ほども揺るがない。

 現在のこの大陸における絶対者。

 《大竜盟約》の礎たる七柱の大真竜。

 その一柱たる序列七位、《五龍大公》ゲマトリア。

 五本ある首の一本ですら盟約に属する殆どの真竜よりも強大だ。

 そんな彼女ですらも、眼下に広がる光景には微かな戦慄を覚えていた。

 荒ぶる炎の化身へと変じた《闘神》。

 それと相対した上に抗おうとする者達。

 その様を黒いゲマトリアは見ていた。

 

「まったく、予定外の事が次々と起こりますねぇ」

 

 皮肉とも冗談ともつかぬ口調で小さく呟く。

 ゲマトリアが立っているのは、未だ原型を残した高層建築ビルの屋上。

 それが無事なのは単に《闘神》から距離があったからに過ぎない。

 僅かでも炎熱を浴びれば脆くも焼け落ちる紙の楼閣。

 そんな場所であるにも関わらず、ゲマトリアは堂々と佇んでいた。

 彼女自身はその程度の炎は何の脅威でもないからだ。

 故に今は、この場の誰よりも高いこの視点を楽しんでいた。

 高い場所から低いモノを見下ろすのはゲマトリアが最も好むところだ。

 とはいえ、見えている光景は単純に面白がっていられる代物ではなかった。

 

「追い詰められた状況からの覚醒とか。

 《闘神》は面白い奴ではありましたけど、これは流石に驚きですよ。

 馬鹿には常識が通じないって事ですかねぇ?」

 

 笑う。《五龍大公》は笑っている。

 語るべき相手がいない以上、わざわざ言葉を口に出す必要はない。

 しかし自分の首を相手にしたお喋りに慣れてるせいか、彼女は独り言が多い。

 その辺りの自覚はないままにゲマトリアは笑い続ける。

 これが単なる喜劇コメディならば、単に面白がって笑うだけの話だ。

 けれどこれはそこまで簡単シンプルな話ではない。

 《闘神》の身に何が起こったのか。

 ゲマトリアにとって重要なのはその一点。

 今や大真竜の階梯に近付きつつある《闘神》をゲマトリアは見ていた。

 それに抗する人間にも興味が無いワケではない。

 むしろさっきまではそちらこそ本命だった。

 竜と化した《闘神》に勝った時はそれこそ拍手喝采だったのだが……。

 

「まぁ、これはもう無理でしょう」

 

 ただ事実をひとり呟く。

 変貌した《闘神》の力は、ゲマトリアでも首一本では難儀する程だ。

 それを人間如きが敵う道理はない。

 まだ燃え尽きて無いだけ奇跡の領域だ。

 放っておいても直ぐに力尽きるのは間違いない。

 間違いないが――。

 

「……とはいえ、それまでに都市の方が完全に崩壊しそうですねぇ」

 

 問題は其処だった。

 流石にそれは彼女にとって余り宜しい話ではない。

 ゲマトリアは己の望みの為なら、都市の一つや二つは必要な犠牲と考える。

 そう、犠牲とは必要な時に支払うべきものだ。

 都市も人間もゲマトリアからすれば等しく大事な資産だ。

 可能な限り浪費する事態は避けたい。

 本当ならば高みの見物を決め込みたかったが、こうなっては仕方がない。

 

「熱くなってるところ申し訳ないですけど。

 横槍突っ込んでさっさと終わらせるとしましょうか」

 

 それを無粋とはゲマトリアは考えない。

 むしろ無駄な手間を省くのだから感謝して欲しいぐらいだと。

 軽く考えながら、ゲマトリアは総身に魔力を漲らせる。

 空間を覆い尽くさんとする《闘神》の炎熱。

 それを押し返し、逆に呑み込む程の大真竜の神威。

 散歩でも出るような気軽な足取りで。

 大真竜ゲマトリアは燃える戦場へと足を踏み出す。

 

「――待て、ゲマトリア」

 

 正確には、踏み出そうとした直前。

 何者かの声が彼女の足を止めた。

 それが何者なのか、ゲマトリアは直ぐには分からなかった。

 自分の名を呼び捨てにする者など、上位たる他の大真竜以外には知らない。

 だがこの相手はそれらの者とは異なる。

 つまりは礼儀を知らぬ愚か者だ。

 ゲマトリアは視線だけを動かし、声の主の姿を捉える。

 いつの間に其処に立っていたのか。

 大真竜たるゲマトリアと同じ目線の高さに、一人の森人エルフの男がいた。

 知っている。この男が誰なのかをゲマトリアは知っていた。

 分からないのはコイツが何故、自分と同じ場所に立っているかだ。

 

「確かウィリアム、でしたか」

「大真竜が俺の名前を知っているのか。実に光栄な話だ」

「まぁちょっと記憶の片隅に引っ掛かっていた程度ですけどね」

 

 言葉を交わしながら、ゲマトリアはその眼でウィリアムを観察する。

 見た目からは、特に感じる事は何もない。

 危険の類も感じはしないが、それでゲマトリアは男を侮る事はしない。

 ゲマトリアが知るウィリアムという男は、あくまで断片的な情報から得た物だ。

 真竜サルガタナスが支配する領域に住む森人。

 怠惰な主人に代わり、事実上都市の運営を取り仕切っている。

 弓の腕前は凄まじく達人と言って良い。

 そして何より重要なのは、油断ならない男だという事。

 ゲマトリアはウィリアムの事を過小評価していない。

 今自分が知っている情報の全てが、目の前の男を余さず網羅してるとは考えない。

 それを踏まえた上でも、ウィリアムの行動は不可解だった。

 

「で、一体ボクに何の用ですか?

 まさかこの場で戦って足止めなんて、馬鹿な事は考えてませんよね?」

 

 何故、コイツは自分の前にわざわざ姿を現したのか。

 その理由がゲマトリアには分からなかった。

 一瞬、五本の首の一つを取りに来たのかとも考えた。

 下位の者が上位の者を隙を突いて暗殺する――それは実によくある話だ。

 下剋上を狙う者自体は真竜の中にもいる。

 そして盟約が真竜同士の争いを禁じている以上、暗殺者を仕立てるのも常道だ。

 ならばウィリアムは、あの怠惰なサルガタナスが送り込んだ刺客か?

 ――それは流石に無いだろうと、ゲマトリアは考える。

 あの怠け者はその日に食べる夕飯の献立メニューぐらいにしか興味がないはず。

 その結論が正しかった事を示すように、ウィリアムは静かに笑った。

 

「無論、そんな事はしないとも。

 第一、俺如きが大真竜に挑んでも無駄死にがオチだ。

 それぐらいは馬鹿でも分かる」

「ええ、それを聞けて安心しましたよ。

 それで? 貴方の目的は?」

「当然お前の足止めだ、ゲマトリア」

「ちゃんと会話して貰えませんかね??」

 

 ハッキリ言って戯言にしか聞こえない。

 揺るがぬ自信に満ちた態度も、それだけでは単なる欺瞞にしか思えなかった。

 ――或いは、大真竜とはいえ所詮は末席に過ぎないと侮っているのか。

 仮にそうだとしても、ゲマトリアは怒りを覚えなかった。

 その程度の事で怒っていたら切りが無い。

 大いなる《大竜盟約》、その礎に紛れ込んだ道化者。

 千年前の争いで必死に命乞いをし、勝利のお零れを貰った卑怯者。

 真竜の中で彼女をそのように侮る者が一定数いる事をゲマトリアは知っていた。

 故にそんな事は怒るに値しない。

 ただその無知の代償を力で以て支払わせるだけだ。

 この森人の男に対してもやるべき事は何も変わらない。

 言葉にはせず、ゲマトリアはその意思を実行するべく動く。

 より正確には動こうとしていた。

 しかしウィリアムはその機を読んでいたように口を開く。

 命乞いでも弁解でもなく、ただ一言。

 

「《 》」

 

 その名前を囁くように口にした。

 ピタリと。

 時でも止まったようにゲマトリアは凍り付く。

 大真竜の躊躇いを読み取り、ウィリアムは更に言葉を続けた。

 

「当然、その名前の意味は知っているな?

 偉大なる盟約の礎たる大真竜が一柱、《五龍大公》ゲマトリア。

 お前の序列は確か七位だったか?」

「……何故」

「何故、その名を俺が知っているか。想像はつくだろう?」

 

 言外に「それほど蒙昧ではあるまい」と煽りながら。

 ウィリアムは己の懐を探り、何かを取り出す。

 それは一振りの短刀だった。

 見る者が見れば直ぐに理解できる。

 その短刀がどれほどの魔力を秘めた業物であるのか。

 ゲマトリアが知る限り、そんなものを鍛えられるのはこの世にただ一柱。

 

「……ブリーデさんの手駒でしたか。

 ボクはてっきり、貴方はサルガタナスの部下だと思ってましたけど」

「サルガタナスなら死んだぞ。『俺達』が殺した」

 

 淡々と事実のみを語るウィリアム。

 今の言葉は予想外だったか、ゲマトリアはほんの少しだけ絶句する。

 ――仮にも真竜であるサルガタナスが死んだ?

 ――しかも今、この男は「俺達が殺した」と言わなかったか?

 頭の中で情報を掻き回しながら、ゲマトリアはウィリアムの様子を観察する。

 少なくとも、虚偽を言ったのならそれぐらいは察知できる。

 しかしウィリアムからは僅かな偽りの気配すらない。

 この男は真実だけを言葉にしている。

 

「……まさか、竜でない者が真竜を殺すなんて。

 まぁブリーデさんは森人とは縁がありますし、其処まで不思議ではないですけど。

 彼女が剣を授けたのなら、サルガタナスぐらいなら殺せるでしょうね」

「そんな余裕ぶっていて良いのか?

 この場で竜を殺した者は俺だけではないぞ」

「? それはどういう意味ですか?」

「言葉通りだ、大真竜。本物の竜殺しはあちらの方だ」

 

 そう言いながら、ウィリアムはある一点を指差す。

 炎を纏う恐るべき《闘神》――その暴威に剣と甲冑のみで挑む一人の人間。

 ゲマトリアはその者の名前を思い出していた。

 確かレックス、だったか。

 数秒先には燃え尽きると、そう考えていたはずの男だ。

 焼き尽くさんとする炎を剣で切り払うその勇姿。

 ウィリアムは其方に視線を向けながら、ほんの少しだけ笑みを見せた。

 言葉の意図を計りかねて戸惑うゲマトリア。

 更にウィリアムは言葉を続けた。

 

「俺の目当てはあの男、竜殺しであるレックスの監視だ。

 奴が一体何処まで辿り着けるのか。

 それを見定める為にも、今はお前の介入を見過ごす事はできん」

「此処で大人しく見ていろと? 自分が何言ってるか分かっていますか?」

「どの道、都市の崩壊そのものは不可避だ。

 覚醒した《闘神》か、真の竜殺しであるあの男か。

 そのどちらが勝つにしろな。

 ――お前の目的を考えるなら、これは逆に都合が良いのではないか?」

「ッ……!」

 

 背筋を走る戦慄に、ゲマトリアは僅かに身を震わせる。

 この男、一体何処まで知っている……!?

 戦争都市を運営している《五龍大公》の真意とその目的。

 誰にも明かした事はない、それは当然だ。

 しかし何もかもを秘密の暗幕に隠しておく事は出来ない。

 ゲマトリアはそれを重々承知していた。

 しかしまさか、それをあの最も弱い白蛇に看破されていたなんて……。

 

「(……いや、侮るな。確かにブリーデさんは竜としては最弱。

 《神匠》と讃えられるのはあくまで武器鍛冶の腕のみ。

 ――にも関わらず《古き王》の専横が罷り通った上古の時代。

 更には千年前の大戦すら生き延び、今や盟約の序列六位に座る傑物。

 侮って良い相手なワケがない)」

 

 決して軽んじているつもりはなかったが。

 無意識にも「個の力では勝っている」という過信が目を曇らせていたらしい。

 改めねばと、ゲマトリアは自身を戒める。

 同時に目の前に立つ男の評価もだ。

 ブリーデは侮り難いが、全てが彼女の意思で行われているとも思えない。

 ならばこの油断ならない森人の働きが大きいと判断する他ない。

 先程は、「竜殺しの男を見定める」などと語っていたが。

 

「どうにも、意図が読めませんね。それに一体どんな意味があると?

 第一、ただの人間が本気になった竜を殺すなんて……」

「俺も成し遂げはしたが、正攻法とはとても言い難い。

 それにサルガタナス程度の真竜、殺そうと思えば誰でも殺せる」

 

 いやそれは流石に言い過ぎでは?

 ゲマトリアは内心で思わず突っ込んだ。

 しかしウィリアムが余りに力強く断言する為、確かにそんな気もして来る。

 

「だが、あの男は違う。

 本当の意味で『竜を殺す』という難行を知るのは奴だけかもしれん。

 少なくとも俺は奴をそう評価している」

「…………成る程」

 

 何処までが戯言で何処までが真実なのか。

 少なくともゲマトリアには判断する材料が無かった。

 故に今は、その口車に乗るのも一興だろう。

 如何に手駒に過ぎぬとはいえ、ブリーデは序列上位の大真竜。

 彼女は基本的に寛容だが身内が傷つけられる事は許さない。

 ……であれば、此処で揉めるのは得策ではありませんね。

 都市一つと大真竜の怒り。

 天秤にかけて傾くのはどちらか、ゲマトリアの中では明白だった。

 

「……良いでしょう、この場は貴方の口車に乗せられる事にしますよ」

「感謝する、大公閣下」

「今更畏まられても気持ち悪いですねぇ。

 ――まぁ、只者じゃないとは思ってますが、流石に其処まで期待はしてませんよ」

 

 今の《闘神》に、人間の刃が届く筈も無い。

 もし、万が一にも届く事あれば――それはそれで素晴らしい事だ。

 都市一つを失うのは痛手だが、惜しくない結果が得られるかもしれない。

 ゲマトリアは改めてその戦いに意識を向ける。

 炎の中で繰り広げられる、人と竜の戦い。

 ウィリアムは心の動きを悟らせぬ静かな眼差しで。

 そして大真竜たる大公は、仄かな期待を宿す眼で見ていた。

 

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