第六章:あの月の夜から続く道

142話:炎の中の決闘

 

 燃え盛る炎を文字通りに斬り裂いて。

 現れたのは灰色の死神ドロシア

 姿が見えなかったが、このタイミングで襲って来るか。

 まだ距離は遠いが、テンション爆上げの《闘神》も迫りつつある。

 流石にちょっと厳しいな、これは……!

 そう思いながら、一先ずドロシアを迎え撃とうと剣を構える。

 いや、構えた瞬間。

 

「――此方はお任せを、レックス殿」

 

 テレサの方が割り込んで来た。

 ドロシアの眼も俺しか見ていなかったせいで僅かに反応が遅れる。

 その隙を突く形で、テレサの手が死神の右腕を掴んだ。

 

「ご武運を」

「あぁ、そっちもな」

 

 微笑むテレサに、俺は短く言葉を返す。

 直後、彼女とドロシアの姿は瞬くように消え失せた。

 テレサの《転移》の術式だ。

 自分とドロシアを何処か別の場所へと飛ばしたのだ。

 

「……あの子、大丈夫かしら」

「何とかするさ」

 

 俺に抱き着いたまま、アウローラが少し不安げな声で呟く。

 彼女が危惧する通りドロシアは強い。

 俺でも正面から殺り合ったら確実に勝つ自信はない程度には。

 同時にテレサの強さも分かっている。

 例え相手が死神でも、彼女ならきっと何とかするはずだ。

 それにこっちも他の心配をしていられる状況ではない。

 

『来るぞ、竜殺し』

「おう」

 

 剣から語り掛けてくるボレアスの声。

 それに頷きながら、俺は迫って来る炎の化身に目を向けた。

 ……やっぱりどう見ても、さっき倒した時よりも力が増している。

 相手は竜だ、死んだと思ったが死んでいなかった事まではまぁ分かる。

 しかしより強大化して復活したのはどういう理屈だ。

 アウローラもそれに関しては明らかに戸惑っているようだ。

 理屈は不明だが、現実として目の前で起きてる以上は仕方ない。

 

『■■■■――――ッ!!』

「っ……何……?」

 

 《闘神》が上げたのは、雑音ノイズに塗れた絶叫。

 それを耳にして、アウローラは困惑の色を滲ませる。

 雑音。それは間違いなく雑音だ。

 耳に入って来る音に意味を見出す事は出来ない。

 しかしその蟲の羽音に似た言葉は、過去に聞いた事があるような気がした。

 

『オオオォォオオオォォ――――ッ!!』

 

 再度の絶叫。

 今度は単なる雄叫びで、《闘神》は炎を纏って動く。

 むしろ今の《闘神》は炎そのもの。

 触れる全てを一瞬で燃やし尽くしながら、此方に真っ直ぐ向かって来る。

 言葉通り見上げる程の巨体だが、その速度は悪夢のように素早い。

 狂った遠近感のまま燃え盛る右腕が伸びてくる。

 正面から受けるのはどう考えても拙い。

 

「熱っ!?」

 

 強化された身体能力を全力で駆使して走る。

 《闘神》の手は溶けた飴細工に触れたように建造物や上層の床を抉り取った。

 その時点でかなり距離があるにも関わらず。

 まるで炎の中に飛び込んだかのような熱が全身を包んだ。

 さっき突っ込んだ際に施して貰った強力な耐火術式はもう途切れている。

 しかし鎧と事前に施した防御は未だに有効だ。

 にも拘らずこれだけの熱を感じるのか。

 

『ハハハハ、毎度の事ながら面倒な敵よなぁ!』

「そっちは楽しそうだなぁオイ」

『泣き言ぐらいなら聞いてやらんでもないぞ?

 まぁ我としては面白い見世物である事は否定し難いな』

「そんな事言ってる状況じゃないでしょ……!」

 

 何が其処まで面白いのかはちょっと分からないが。

 兎も角ボレアスの声は酷く楽しそうだ。

 いや、そこに享楽以外の感情も少しだけ混ざっているような気がする。

 それはアウローラの言葉を受けてほんの僅かに強まった。

 

『なぁ、長子殿よ』

「? 何よ」

『まさか気付いておらんのか?』

 

 ボレアスが口にしたのは確かめる為の問いかけ。

 言葉の意味が分からなかったのか、アウローラは一瞬沈黙する。

 その間も《闘神》は腕をこっちに伸ばし、触れる全てを炎に沈めていく。

 下手に近付くのも危険な以上、俺は兎に角逃げ回る。

 ホント、コイツをどうするか。

 

「気付いて無いかって……一体、何の話?」

『そうか。いや、それならそれで別に構わん。

 我としては少しぐらい憐れんでやっても良いが』

「ちょっと、一人で納得しないで頂戴よ。お前は何を言ってるの?」

『長子殿が気付いておらんのなら意味のない話だ。

 我の方から口にしても、一層哀れになるだけだからな』

「……ふーむ」

 

 とりあえず、ボレアスは何かに気付いたらしい。

 そしてアウローラはそれに気付いていない。

 俺の頭の中には、前に浴室でアウローラとした話が浮かんでいた。

 《闘神》が取り込んでいると思しき《古き王》の魂。

 ソイツはもしかしたら、アウローラに特別な感情を持っているのではないか、と。

 単なる推測であるし、真偽の程は分からない。

 何よりアウローラ本人がそんな風に思われる心当たりが無いのだ。

 だがもし俺の想像が的を得ているとしたら。

 

『■■■■ッ!! 俺は此処だ、俺は――いいや、「俺達」は、此処に……!!』

 

 届かない何かを叫び、暴れ狂う炎の化身。

 確かにボレアスが言う通り、外野が何を言っても哀れなだけだな。

 炎熱から逃れる為に走りながら、俺は剣の柄を強く握る。

 ちょっとは同情してやっても良かったが、流石に状況が状況だからな。

 

「とりあえず、あの暴れ回る迷惑男をどうするかだ。

 流石にさっきと同じ真似したら死ぬ気がする」

『別に勇ましく斬り込む分には我は止めんぞ?』

「煽るのは止めなさい馬鹿。

 ……とはいえ、生半可な攻撃魔法じゃ通りそうもないし」

 

 追ってくる《闘神》の姿を見ながら、アウローラは難しい顔で唸る。

 発する熱が凄まじすぎて、下手に突っ込むのはそれだけで自殺行為だ。

 ならば魔法なら通るかと言えば、あの熱量を突破できるかはかなり怪しい。

 ……ところで今さら気になったんだが。

 

「なぁ」

「ん? 何?」

『妙案でも思い付いたのか、竜殺しよ』

「いやそうじゃなくてな。

 アイツ、大分ヤバい高熱を常時垂れ流してるけど」

「ええ、それが?」

「平気か? この都市」

 

 主に床とかその辺の構造とか。

 言われて初めてアウローラもその可能性に気付いたようだった。

 彼女が「あっ」て顔をした直後、狙い澄ましたタイミングで都市全体が振動する。

 足下でメキメキと不吉な音が響き、デカい亀裂が広がって行く。

 燃え盛る《闘神》を中心に、崩壊は急速に進み始めた。

 

『ハハハハハ! いよいよ祭りじみて来たな!』

「いやこれはちょっとヤバくないか?」

 

 ボレアスさんは大変楽しそうで結構ですけど。

 度重なる戦闘による破壊と、更に強大化した《闘神》が発する炎熱。

 それによってとうとう都市の構造が限界を迎えたようだ。

 上層の床が抜けるだけならまだ良い……いやあんまり良くないか?

 兎も角、上層が完全に崩壊すれば中層以下も無事では済むまい。

 其処にはまだイーリスが留まっているはずだ。

 敏い彼女なら既に異変を感じて動いている可能性もあるにはある。

 正確な状況が分からない以上、こっちはこっちで何とかしたいところだ。

 

「アウローラ、何か良い感じの手立てはないか?」

「聞き方がふわっとし過ぎじゃないかしら」

『その手の知恵は長子殿に頼るのが正解だからな』

 

 実際にその通りなので特に反論はしなかった。

 アウローラは苦笑いを浮かべつつ、ちらりと《闘神》の方を見た。

 荒ぶる炎の化身は、先程と変わらずに叫び続ける。

 

『■■■■――ッ!! 其処にいるのならば、どうか応えてくれ!!

 俺は此処にいる! ようやく、この手はお前に届く!

 そうだ、俺は、「俺達」は、その為に……!!』

「……錯乱してるのかしらね、アレ」

「かもな」

 

 彼女の言葉には、今は不快感より不理解による困惑の方が強い。

 アウローラの眼にも戸惑いの色が浮かんでいた。

 そんな視線には気付かぬまま、《闘神》は崩れる上層を荒らし回る。

 上層の崩壊は目前まで迫っていた。

 余り時間が無いと、アウローラもその事実を呑み込む。

 

「……仕方ないわね。

 ちょっとどころでなく危険だから、出来ればやりたくないけど」

「何か手があるのか?」

「そうね。貴方は勿論、私にとっても命懸けになるわ」

 

 そう言って、アウローラは俺の手に触れる。

 剣の柄を握っている右手の方だ。

 指先は竜殺しの刃をなぞり、彼女は囁く声で俺に告げる。

 

「一時的にだけど、

 当たり前だけど全部じゃないからね。あくまで一部よ」

「……それは大丈夫な奴か?」

『大丈夫なワケはないな。

 以前、迷宮で魔力を分け与えたのとはまるで異なる。

 魂を注ぐとなれば、自分の身体を半分千切ると言っているも同然だ』

 

 即座にボレアスがその事実を口にする。

 うーん、思ったよりもずっとヤバそうな案件だった。

 しかしアウローラは余裕の笑みを見せる。

 背後から吹きつけてくる熱風と、足下に広がり続ける崩壊の兆し。

 それらを爽やかに無視スルーしながら、アウローラは笑っていた。

 

「大丈夫よ。繰り返すけど、目的はあくまで剣と貴方の強化。

 私の魂を剣に宿せば、今よりもずっと高い炎への耐性が得られるはず。

 竜は生半可な炎では焼かれない。

 あの《闘神》の炎がどれだけ凄まじくても、耐える事なら出来るわ」

『……この魔剣で切った竜の魂を、そのまま力として使えれば良かったがな』

 

 アウローラの言葉に続いて、ボレアスが静かな口調で言って来る。

 

『しかし現状、竜の魂より得た魔力の大半は別の用途に使われている。

 即ち、長子殿がお前に施した不完全な蘇生術式の完成。

 これが完全でない以上、今まで取り込んだ竜の力でお前をするのは難しい。

 純粋にお前と剣を強化するなら、確かに長子殿の自己犠牲は必要かもしれんな』

「……ふーむ」

 

 竜姉妹にそれぞれ色々説明されながら、俺は炎の中を走り続ける。

 腕に抱いたアウローラに視線を向けながら、俺は肝心な事を聞く事にした。

 

「ちゃんと戻れるんだな?」

「戻らないと、幾ら何でも貴方への負担が大きすぎるもの。

 これでも私、竜王の長子で《最強最古》なんですから」

「成る程なぁ」

 

 確かに、人間ひとりの器に入れるにはデカ過ぎる魂だ。

 剣の中には既にボレアスもいるしな。

 一度言葉が途切れると、アウローラは剣の刃をそっと手で握る。

 触れた肌からは薄く血が滲んでいる。

 銀色の刀身を朱に染めながら、彼女は切っ先を自分の方に引き寄せた。

 

「真に竜を殺せるのは、貴方だけ。

 竜を殺す剣、その王である貴方だけよ。レックス」

「期待には応えるさ」

「当然よね? 私が此処までするんだから」

 

 微笑むアウローラに俺も少し笑った。

 崩壊を続ける都市上層に、燃える炎が風と共に吹き荒れる。

 届かぬモノに手を伸ばすように。

 炎の化身は、今は《闘神》と呼ばれる誰かは叫んだ。

 

『■■■■-―――っ!!』

「うるさいわね。誰か知らないけど、そんなに呼ばずとも私は此処にいるわ」

 

 アウローラは笑いながらそう言って。

 俺の腕にぎゅっと抱き着いたまま、自らの手で剣を喉に押し当てた。

 その光景を《闘神》は見ていただろうか。

 赤い血が刃を伝い、それは直ぐに黄金色の炎へと変わった。

 腕の中にいたアウローラの姿も一時的に同じ色の炎に変化した。

 手にした剣から感じられる竜の鼓動。

 ボレアスの魂に加えてもう一つが輝きと共に宿る。

 それと同時に、これまでにない力の奔流が剣を通じて身体の内に流れ込む。

 燃え尽きて灰になったはずの魂が焼けつくような感覚。

 これならあの灼熱地獄だろうと何とかなりそうだ。

 が、当然良い事ばかりではない。

 

「これはキツいな……!」

 

 強すぎる力は、確実に身体を蝕んでいる。

 既に大分無茶をしていたのもあり、限界が近いのは明白だ。

 剣に宿るアウローラとボレアスもそれは感じ取っているようだった。

 

『急げよ竜殺し。

 馴染んでいる我だけならまだしも長子殿まで呑み込んでいる状態だからな。

 しくじれば内側から食い破られるぞ』

『ちょっと、私が自発的にやるみたいに言わないで頂戴……!

 戯言は置いとくとして、レックスはなるべく急いで!』

「分かってる」

 

 しくじれば死ぬのはいつもの事だ。

 流石にアウローラのせいで破裂して死ぬのは避けたいが。

 逃げる足を止め、改めて燃え盛る地獄と相対する。

 正気と狂気の境を無くした、ただ情念だけが激しく渦巻く炎の眼。

 俺はその視線を真っ向から受け止めた。

 睨み合いは一瞬のようで、永遠にも似た何かを感じる。

 ――他人同士はそう簡単には分かり合えない。

 何で聞いたかも不明瞭なありきたりな言葉。

 しかし今、俺と《闘神》……いや、今の《闘神》の内にいる何者か。

 両者は完全に相手の心を理解していた。

 

『死ね……!! 偉大な■■■■を惑わす下等生物が……!!』

「うるせぇ殺す」

 

 即ち、「」という明確な殺意。

 燃える炎と崩れていく都市。

 地獄に似た光景の中で、俺達の殺し合いが始まった。

 

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