437話:まだ、言っていない事


 硬い。

 刃から伝わってくる手応えは、一瞬ビックリするぐらいに硬かった。

 流石はアウローラと言うべきか。

 多分、今の姿は彼女の《竜体》なのだろう。

 以前見たモノとは大分違うが、そういう事もあるだろう。

 纏う鱗の強靭さは、竜殺しの剣でさえ容易くは断ち切れない。


「ハッ! 人間が、その程度――――ッ!?」


 けど、こっちもそれなり以上に死線は踏み越えてきた身だ。

 剣の柄を握り締め、全身に力を込める。

 踏ん張りようがない空中だとか、そんなのは関係ない。

 ――斬れる。

 絶対に斬れる。

 強く、ただ強くそう念じながら。

 俺は剣を押し込んだ。

 抵抗を感じたのは一瞬。

 恐ろしい強度の鱗を、魔剣の刃が斬り裂いた。

 翼の一枚が断たれ、アウローラは驚愕に目を見開く。


「貴様……!!」

「ま、こんぐらいはなぁ!」


 怒りに震える咆哮。

 笑って応えた瞬間、目の前に鋭い爪が迫る。

 とんでもない魔力を帯びてるのか、周りの大気が歪んで見えた。

 食らったら首から上が吹っ飛ぶ一撃を、首を捻って躱す。

 同時に、俺はその腕を空いた手で掴んだ。


「何っ……!?」

「とりあえず、下に行くか」


 言いながら、更に別の翼へと剣を打ち込む。

 空を飛んでるのに、バカ正直に羽根を使ってるワケではないだろう。

 ただ術式であれ、単純に魔力で身体を浮かせているのであれ。

 どちらにせよ、身体のどこかを力の基点にしてるのは間違いないはずだ。

 そしてこの場合、どの部位がそうであるのか。

 背中の翼を利用してる可能性が一番高い。


「チッ……!!」


 そして予想通り。

 二枚目の翼を切り裂くと、アウローラの身体が大きく揺れる。

 バランスを崩し、重力を思い出したみたいに勢い良く落下した。

 腕を掴んだままの俺も、それと一緒に落ちていく。

 降り注ぐ星に、散々破壊され尽くした地面。

 そこに二人して激突する、その直前。


「いつまで上に乗ってるつもりだ」


 身の毛もよだつ竜の唸り声。

 憤怒に燃える言葉が聞こえると、俺の身体を衝撃が襲う。

 掴んでいた手を、思いっきり振り払われたのだ。

 抵抗する余地など欠片もない。

 あっさりと払い落とされ、そのまま地面の上を派手に転がる。

 転がって、勢いには逆らわずに即立ち上がった。

 顔を上げると、もう目の前には極光の《吐息》が迫っていた。


「危なっ……!」


 視覚が光を認識したのと同時に、それを剣で打ち払う。

 刃が《吐息》を散らすと、小柄な影が勢い良く飛び込んできた。

 アウローラだ。

 動きやすいようにするためか、残った背中の翼は畳んでいる。

 長い尾を揺らし、小さな拳を強く握り固めて。


「――この距離で戦うのが、お前の望みだろう?

 あぁ不愉快まりないが、付き合ってやろうじゃないか」

「ッ――――!」


 放たれる拳打を、紙一重で回避する。

 そう、紙一重で回避してしまった。

 直撃せずとも、振るわれるのは竜の膂力だ。

 幾ら見た目が細く愛らしかろうが、アウローラの力は天地を引き裂く。

 拳に伴う衝撃波をモロに喰らった事で、俺はまた吹き飛ばされる。

 ボロボロの地面を転がり、そこに細長い尾が伸びてきた。



 実にシンプルな殺意だ。

 首を狙って落ちてくる尾の先端。

 それを、自分から更に地面を転がる事で避ける。

 尻尾の先端が、派手な音を立てて大地に亀裂を刻む。

 撒き散らされる土砂を浴びながらも、俺は素早く立ち上がった。

 剣を構えた時には、アウローラはもう目の前まで来ていた。


「空から星を落としてた時と違って、えらく情熱的だな……!」

「戯言はもう聞き飽きた!!」


 冗談を言ったら、真顔で返されてしまった。

 上を飛ばれながら、延々と《流星》を撃たれ続けるのは実際面倒だった。

 それとは真逆の接近戦。

 これはこれで、圧倒的な竜の身体能力は厄介極まりない。

 人間に近い形なのが嘘みたいに、振り回される力は天変地異も同然だ。

 爪が振り下ろされる。

 拳が打ち込まれる。

 尾が横薙ぎに払われる。

 全てが必殺で、例外なく地形を変える威力がある。

 古き竜、その中でも特に古い竜の王。

 その王としても別格であり、頂点に立っていた存在。

 今のアウローラの力は、そんな肩書にふさわしい恐るべきものだった。

 正直、今この瞬間も生きた心地がまるでしない。


「っ……何故……!」


 ホント、アウローラの一部が掠めそうになるだけで死が見える。

 今度は余波で吹き飛ばされんよう、気合いを入れちゃいるが。

 それでも爪が鎧の表面に触れただけで、ガリガリと嫌な音がするのだ。

 もし直撃したら、その部分が根こそぎ千切れかねない。


「何故だ、何故死なない……!?」


 怒り、戸惑い。

 竜の力を存分に振り回しながら。

 アウローラは、半ば独り言のように呟いた。

 一発でもまともに当たれば、それだけで勝負がつく。

 直撃はなくとも、振るわれる力の余波でも十分人が死ぬ。

 人間が、竜とまともに戦えるはずがない。

 それが理で、世の道理だ。

 誰よりもその原理を体現するアウローラは、だから敢えて接近戦に乗った。

 剣の届く間合いで戦おうと、弱い人間などすぐに死ぬ。

 彼女はそのように嘲るつもりだったはずだ。

 しかし。


「まぁ、このぐらいはな」


 さっきも口にした言葉を繰り返しながら、俺は笑った。

 ぶっちゃけ余裕なんざ欠片もない。

 掠ったら、その時点で終わりかねない死の嵐。

 ギリギリの綱渡りだ。

 踏み外せばあっさりと死ぬ。

 そんな状態でも、俺は余裕たっぷりに笑ってみせた。


「お前には、何度だって見せてるはずだぞ。

 昔のボレアスにだって、そうやって勝ったんだからな」

「そこで我の名前を出すのはやめろ、竜殺し」


 やや遠くから抗議の声が飛んで来たが、今はスルーで。

 アウローラの方は、目に見えて動揺した気配が滲んできた。


「っ……何度も……?」

「あぁ、そうだ」


 困惑に震える声。

 それでも、振り回される爪や尾の勢いは衰えない。

 吹き荒れる死の嵐、その渦中で踊り続ける。


「三千年前に一度死んで、それでお前に起こして貰って。

 ここまで何度も、俺たちは竜と戦って倒して来ただろう?」


 今も、イーリスによる干渉は続いているはず。

 忘れてしまっても、「アウローラ」は彼女の中から消えていない。

 刺激を与えれば、望む反応が返ってくる。

 それを証明するように、アウローラは苦しげに呻いた。


「ぐ……っ、やめろ……!」

「いいや。お前のために、皆頑張ってくれてるんだ」

「これ以上、私に、戯言を聞かせるな……!!」

「悪いが、そのお願いは聞けないな」

「死ね!!」


 真っ向から叩きつけられる殺意。

 それは、俺たちのことを忘れているから出てくる言葉だ。

 当然理解している。

 理解してはいるが、やっぱり言われるとなかなかショックではある。

 動揺でミスしたりはしないよう、努めて気は強く保つ。


「死ね、死ね死ね死ね、死ね……!!」


 叫ぶ声で、同じ文句を繰り返す。

 子供の癇癪のようで、振り回す暴力は大災害に等しい。

 できれば下がりたいが、下がったらまた距離を取っての《流星》攻撃が来る。

 そうなったら、また間合いを詰めるところからやり直しだ。

 流石に俺も、そればかりは避けたかった。


「不快だ、不愉快だ……!

 何故、お前の戯言はこんなにも私に響くっ!

 何がこんなにも私を惑わせるんだ……!!」

「…………」


 悲鳴に近い言葉だった。

 俺は、何と応えるべきかを少し迷った。

 混乱してるって事は、それだけ響いてるって事だ。

 イーリスの力は効果を上げてる。

 ただ、まだひと押し足りない。

 どうすれば、アウローラを戻す事ができるか。


「いいや、何も言うな、応えるな!

 お前が口にする言葉は、もう一つも聞きたくはないっ!!」

「ッ……!?」


 痛みが走り、呻き声が漏れる。

 夜の腕から射出される、星の礫。

 それが甲冑を軽く掠めていた。

 ゼロ距離からの射撃で、完全には避け損ねてしまった。

 衝撃が内臓を撹拌し、嘔吐感がせり上がる。

 が、それはぐっと呑み込む。

 ここで膝をついたら、それこそ一瞬で死ぬんだ。

 アウローラは変わらず爪を振り回しながら、更に星の礫を放ってくる。

 回避の難易度が爆上がりしたが、それを気合いで耐え抜く。


「無力に死ねよ……!

 お前の声を聞くのが不快だ!

 お前を見ていると、その血肉を食みたくて仕方が無くなる!

 それに酷い喜びを覚える、私自身も不愉快なのだっ!」

「……そりゃ、また」


 熱烈な愛の告白だと。

 俺はつい笑ってしまった。

 外界で別れる直前も、アウローラは夢中で俺を食べてたな。

 アレはやっぱり、本人的に大分我を失ってた感じか。


「…………」


 そこまで考えて、気付く。

 まだ、言っていない事があったな。

 果たして、そんなものでどうにかなるのか。

 ぶっちゃけ分からんが、試す価値はある気がする。

 ダメならダメで、その時はその時だ。

 剣の柄を握り直す。

 アウローラの攻撃は、激しさを増す一方だ。

 僅かな気の緩みが、そのまま死に繋がる状況で。

 兜越しではあるけど、俺は真っ直ぐにアウローラの目を見た。

 赤い瞳が微かに揺れる。


「……? 何を――」


 一言。

 俺は、言い忘れていた事を口にした。

 アウローラの反応は劇的だった。

 嵐が止まる。

 時ごと凍りついてしまったみたいに。

 両目を大きく見開いて、彼女は俺を凝視していた。

 唇が震え、漏れ出す声は酷く掠れている。


「き、さま」

「愛してる、アウローラ」

「ッ、やめろ!! そんな戯言を、私に向けるな!!」


 一歩、二歩と。

 アウローラは俺から離れようとする。

 俺は剣を片手にぶら下げて、離れた分だけ前に出る。

 拒絶の意思を示そうと、彼女は首を横に振るが。


「愛してる」

「やめろ……!!」

「お前は何度だって、俺に愛してると言ってくれた。

 俺も、お前のことを愛してる」

「やめろ、やめろと言っている……!!」

「愛してるんだ。

 ――だから、戻ってきてくれ。アウローラ」

「ッ――――……!!」


 構わずに繰り返す。

 その胸の内へと届くように、何度も重ねて。

 アウローラの瞳が揺れて、涙が滲む。

 間違いなく、届いている。

 俺の言葉はアウローラに、間違いなく届いている。

 なら、もうひと押しだ。

 そう思い、踏み出そうとした瞬間。


「おいレックス!

 アウローラの奴、逃げる気だぞ!!」

「……!」


 後方から飛んできたイーリスの警告。

 ほぼ同時に、アウローラの立っている空間がぐにゃりと歪んだ。

 《転移》の術式だ。


「逃がせばまた面倒になるぞ、竜殺し!」

「分かってる……!」


 焦るボレアスの声。

 俺も正直、予想してない事態に焦っていた。

 まさか逃げ出されるとは、ちょっと想定していなかった。

 歪む景色の向こう、アウローラの姿も消えつつある。

 術式の構築が若干遅いのは、術者が酷く動揺してるからか。

 当然だが、発動中の《転移》を妨害するような術に心得はない。

 ならばどうする?


「良し……!!」


 自分でも、何がヨシかは知らないが。

 躊躇してる暇はなかった。

 全力で地を蹴って、可能な限り手を伸ばす。

 発動した術式により、物質世界から切り離されつつあるアウローラに向かって。

 間に合えと、そう心の中で念じながら。


「ッ――――!?」


 声は聞こえない。

 ただ、驚く気配は伝わってくる。

 空間の歪みを超えて、俺の手は確かに届いていた。

 一瞬遅れて、《転移》は完全にその効果を発揮する。

 視界が黒く染まり、俺とアウローラは世界から完全に消失した。

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