第三章:《支配の宝冠》を砕け

438話:大陸最強の戦士


 拳が唸る。

 究極の一すら超える、極限のゼロ。

 凡そ生命が到達し得る唯一無二の領域。

 神にも等しい英雄の拳。

 それが今は、恐るべき邪悪の玩具と化していた。


『ハハハハハハハハハハハハ』


 《支配の宝冠》メトシェラ。

 大真竜ウラノスを拘束する鎧の姿のままで。

 女は腹の底から笑っていた。

 権能を付与した拳を放てば、大地が容易くめくれ上がる。

 物質はその形を保てず、空気は沸騰して生命の存在を許さない。

 偽りの夜空から、自在に星を落とす《最強最古》。

 彼女もまた恐るべき天変地異だが、メトシェラの方も負けてはいない。

 事実、ウィリアムたちは守りを優先して戦っていた。

 前に立つドロシアやゴーヴァンは、慎重に間合いを保ち続けている。

 ウィリアムはそもそも弓の射程から動いていない。

 それほどまでに、支配の女が振り回す力は致命的だった。

 直撃せずとも、その端に引っ掛けられただけで十分に死ぬ。

 だというのに。


「はァッ!!」


 退かず、臆さず。

 地獄の渦中でも平然と戦い続ける姿があった。

 テレサだ。

 彼女だけは、最初から拳の間合いで戦い続けている。

 手足の長さリーチに関しては、体格の問題でウラノスが有利。

 故にテレサは、自分の蹴りや拳を届かせるため相手の懐へと踏み込む。

 女性らしい、細い腕から放たれる拳打。

 それはコマ飛ばしのように、瞬間には竜の装甲を捉えていた。


『ッ……!?』


 衝撃。

 あり得ないと、メトシェラは笑う。

 ウラノスの肉体は、竜の要素を差し引いてもこの世で最強の武具だ。

 世界に選ばれたその五体は、金剛石にも勝る強靭さを持つ。

 その上から、更にメトシェラの力を凝縮した竜鱗の装甲で覆っている。

 まさに究極だ。

 どんな力、どんな武器であろうとも、《鋼の男》に傷の一つも付けられない。

 狂信に近いメトシェラの思考を、テレサは平然と殴り飛ばす。

 細腕からは想像もつかない一撃。

 それは間違いなく、装甲に打撃の痕跡を刻みつけた。

 骨身にすら響く威力。

 その正体に関しては、メトシェラも理解し始めていた。


『《転移》の座標を意図的に重ねた攻撃ですか!

 思った以上に器用な真似をしますね……!』

「あぁ、これぞ必殺の《短距離転移神拳ゴッドテレポートパンチ》……!」


 もし妹がこの場にいたら、全ての状況を無視して「ダセェ」とツッコんだだろう。

 それは兎も角。

 《転移》という大魔術を利用する関係上、転移拳は高速での連打はできない。

 だが、今のテレサは違った。

 神の力を得た事で、彼女の転移は「魔術」ではなく「権能」となった。

 世界を歪ませることで結果を得る、不自然な技術ではない。

 ただ「そうできる」という当然の権利として、テレサは力を行使する。

 故にテレサの打撃は、その全てに《転移》が使用されていた。

 ウラノスの拳を《転移》ですり抜けて回避。

 逆に、自分の拳は《転移》で座標を重ねる事で無理やり当てる。

 その戦い方は、《五大》であるメトシェラから見ても理不尽極まりないものだ。


『素晴らしい、これほどとは!

 私の支配した《鋼鉄の大英雄》こそ最強だと思っていましたが……!』

「そうだな、その男は確かに最強だろう……!」


 《転移》とほぼ同時に、拳が大気を砕く。

 紙一重だ。

 判断に要求される時間は、常に一秒以下。

 テレサは、その知覚能力も神威によって強化・拡大されている。

 そんな「神の眼」があるからこそ、ギリギリで反応することができる。

 それほどまでに、ウラノスの拳は隔絶していた。

 武の極致、とでも表現すべきか。

 小手先の技術ではなく、鍛錬によって神の権能にも並ぶ域に昇華されている。

 ――本来なら、私など遠く及ばないはずだ。

 むしろ、神の力を得た今でさえ大きく劣っている。

 最強だ、間違いなく。

 目の前の男は、大陸最強の戦士だ。

 或いは原初の竜殺しですら、その武勇には届かないかもしれない。

 その事実をテレサは認めていた――認めた上で。


「だが、。メトシェラとやら」

『――――』


 嘲るような笑いが、一瞬途切れた。

 拳を振るい、《転移》で攻撃を捌きながら。

 テレサは構わず言葉を続ける。


「お前はただ、その男が積み上げてきた成果を盗み取っただけ。

 それがどれだけ最強だろうと、使い手が違えば別だ。

 あぁお前自身は、完璧な支配で十全に使えてるつもりだろうがな……!」

『……本当に、面白いことを言う』


 笑う。

 敢えて挑発めいた言葉を口にするテレサに。

 支配の女は笑っていた。

 愉快で、不愉快だ。

 支配する側が、支配される側に嘲られた腹立たしさ。

 そして支配し甲斐のある獲物に出会うことができた喜び。

 相反する二つの感情を織り交ぜて、《支配の宝冠》は笑っていた。


『支配とは、奪うこと。

 ええ、貴女の言う通りではあるのでしょう。

 私は「彼」から奪っただけで、使いこなせているワケではない。

 随分と慣らした上で、私としては完璧なつもりですが。

 完全には届いていないと言われたら、否定は難しい』


 しかし、と。

 メトシェラの言葉から嘲りは消えない。


『しかし――それでも、

 十全に扱えずとも、《鋼鉄の大英雄》が最強である事実は変わらない。

 打撃は響くし、こちらの拳はまだ一人も砕いてはいない。

 私が思っている以上に、貴女たちは強い。

 けど、そちらに私を滅ぼす算段はありますか?』

「…………」


 テレサは応えない。

 今の拮抗は、極めて脆い薄氷の上でどうにか保たれているものだ。

 最前線で戦うテレサが、ウラノスが放つ拳の大半を引き受ける。

 その上で、他の三人が間合いを保ちながら攻撃を打ち込む。

 ドロシアの「技」に、ゴーヴァンの剛剣。

 ウィリアムの放つ矢も、こうしている間にも絶えずウラノスを捉えていた。

 無数の斬撃に、蒼い炎を帯びた剣閃。

 月光を灯した一矢に、《転移》の衝撃を一方的に押し付ける拳。

 どれもこれも、並の相手ならば必殺のはずだ。

 しかしその全てが、《鋼の男》の肉体にはほんの少ししか響かない。

 まるで、巨大な岩山の端を爪で削っている気分だった。


『無駄で、無意味で、心底愚かしい。

 足掻く貴女たちを、容易く踏みにじれない事が腹立たしい。

 そんな貴女たちを、思う様に蹂躙できる事が喜ばしい。

 ええ、私にとってはどちらも同じ事――』

「随分と饒舌だな、メトシェラ」


 言葉の矢は、その弓に番えたモノ以上に鋭い。

 意識が自分に向くのを感じたら、ウィリアムは口元の笑みを深くする。

 射撃の密度も上げながら、森人の男は笑っていた。


「ここまで思い通りにならなかったのは、お前にとっても初めてか?

 力でなく言葉で語ってる時点で、苛立ちを誤魔化しているのが見え見えだぞ」

『……そういう貴方も、また随分と饒舌なようですが?』

「俺はいつもこんなものだ」

「そうだね、コイツは大体こんな奴だよ」


 ドロシアは喉を鳴らす。

 踊るように剣を振るえば、その度に幾つもの斬撃が花開く。

 鉄を切り裂く刃も、ウラノスの装甲を多少引っ掻く程度に留まる。


「戦いに集中しているか、ドロシア」

「見ての通りだよ、ゴーヴァン。絶好調って奴さ」


 他より口数の少ないゴーヴァンは、黙々と剣を繰り出す。

 届かない。

 それは分かりきった答えだ。

 全霊を込めたはずの渾身の一撃さえ、ウラノスの肉体には届かない。

 メトシェラが施した、支配の鎖は断ち切れないと。

 そう理解した上で、《剣聖》の剣は諦めを拒絶する。

 既に何百という刃が重なり、数十という打撃が打ち込まれている。

 一切揺るがぬ《鋼鉄の大英雄》に、それでも彼らは挑んでいく。


『ふふっ』


 だからこそ、支配の女はその無謀を嘲笑う。

 勝機などないのだ。

 予想以上に手こずってはいるが、行き着く結果は覆らない。

 テレサと名乗った少女。

 彼女の介入とその奮戦は、メトシェラにはまさに異常事態イレギュラーだった。

 《支配の宝冠》にとっても未知の力。

 それにより薄氷の拮抗が生じたが、氷はいずれ割れるのだ。

 ならば、焦る必要さえない。

 鋼の肉体は壊せず、支配の鎖は傷一つない。

 無駄な抵抗をあしらいながら、ただ淡々とすり潰せば――。


『――――ッ!?』


 そんな甘い思考は、強制的に断ち切られた。

 背筋――今のメトシェラに、そう呼ぶべき部位は無いが。

 ウラノスの五感を通じて走った、本能的な警告。

 目の前で戦っている相手を一端無視して、メトシェラはその悪寒に従った。

 視界に映ったのは、黒い雷。

 自然では決してありえないはずの現象。

 恐るべき魔力が込められたソレは、死神の鎌の如く降り注ぐ。


『これは……!!』

「くたばりなさい、下郎ッ!!」


 メトシェラは知らない声だ。

 憤怒と憎悪で燃え滾る叫びは、雷にさらなる力を与える。

 背後から打ち込まれた黒い雷を、ウラノスは腕の装甲で受け止めた。

 これまでで一番の「痛み」。

 魂にすら届く攻撃がある事は、メトシェラも認識していた。

 ゴーヴァンが操る剣にも、その階梯の技はあった。

 ウィリアムの矢もそうであったし、どちらも多少の手傷で防御可能だった。

 脅威ではあったが、届いたとしても防げるならば問題はない。

 その考えが甘いことを、黒雷の一撃が文字通りメトシェラに焼き付ける。


「――こっちは囮ではないかと。

 そう言ったのはお前の方だったと思うがな、《支配の宝冠》。

 


 ウィリアムは笑っていた。

 黒雷で受けた予想外のダメージに、メトシェラの動きが一瞬止まる。

 それを、まるで予期していたように。

 鏃に月光を宿す矢を、森人は真っ直ぐに撃ち放つ。

 タイミングは完璧だった。

 ウラノスが硬直した瞬間を狙い撃つ、これ以上ない一矢だ。

 回避も防御も不可能――だが。


『そんなもの、届くと思いましたか!!』


 不可能をねじ伏せてこその英雄。

 その奇跡を支配する女は、嘲りと共に渾身の矢を叩き落とす。

 黒雷が受けた腕は、一部が大きく焼け焦げていた。

 大きな損傷ダメージではあるが、メトシェラの支配に揺らぎはない。

 魂さえ撃ち抜く矢も、当たらなければ意味など……。


「《分解》」


 ――そう、意味などないと思い込ませた。

 当たらない事を理解した上での、

 黒雷で受けた苦痛と、ウィリアムの矢。

 二つまでは対処できたが、三つ目となればどうか?

 再び走る悪寒に引っ張られる形で、メトシェラは見ていた。

 テレサの拳が、ウラノスの鳩尾みぞおち辺りに触れている。

 《転移》の打撃とは異なる、蒼白い光。

 万物を言葉通りに「分解」する攻撃魔法。

 それもまた、テレサの得た神の力によって強化されていた。


「慢心が過ぎたな。砕け散れ――!!」

『ッ――――――!?』


 光が炸裂する。

 これまでの行使とは比較にならない威力。

 超至近距離での発動だが、テレサ自身はそれを《転移》でいなす。

 刹那、知覚が物理的な世界から切り離される。

 突き出したままの右拳に残っているモノ。

 《分解》が目標を貫いた瞬間。

 何か硬いモノが砕ける感触を、テレサは確かに感じ取っていた。

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