439話:さようなら


 光が爆ぜる。

 《分解》は強靭な鱗をも砕いていた。

 その下にある、無敵の《鋼》である頑強な五体も。

 一部を抉られながら、メトシェラに支配されたウラノスは後方へと吹き飛んだ。


「っ……は……!」


 巨体が地に落ちるのを確認し、テレサは大きく息を吐き出した。

 追撃すべきだと心は逸る。

 が、焦って踏み込み過ぎるべきではない。

 過熱した思考を無理やり冷やす。

 それと同時に、乱れた呼吸をどうにか整えていく。

 最初の奇襲からここまで、攻防に費やした時間はそれほど長くはない。

 しかし消耗は大きく、魂まで疲弊したような感覚に襲われる。

 ……神の力も、まだ完全に扱えてるとは言い難いな。

 初陣にしては上々だろう。

 だが、相手は大真竜とそれを支配する邪竜。

 まだ音を上げるワケにはいかないし、神の力はより完璧に我が物にせねば。

 そう思考しながら、テレサは油断なく意識を前に向ける。

 ウラノス――いや、メトシェラの動きを決して見逃さぬように。


「ハハハハハっ! どうですか、これは流石にやったんじゃないんですかっ!?」

「うるさいわね、耳元で騒がないで……!」

『あんまはしゃぐと転ぶぞ』


 それはそれとして。

 木々の向こうから、妙に騒がしい気配が顔を出す。

 誰であるかは、当然テレサは把握していた。

 ドロシアは声の方を見ると、愉快そうに喉を鳴らして。


「やぁ、今のは助かったよ。イシュタルにゲマトリア。

 あと、そっちの猫さんもね?」

「気安いわよ、ドロシア。こっちは大真竜なんだけど?」

「ハハハ、いや申し訳ない。

 あんまり可愛い格好をしてるもんだから、ついね」

「怒るわよ……!?」

「まぁまぁ良いじゃないですかイシュタル!

 僕らが可愛いのはホントなんですからね!!」


 からかうような言葉に、イシュタルは声を荒げる。

 ゲマトリアは気にした様子もなく、むしろ機嫌良さげに笑った。

 二柱の大真竜。

 本来ならば、彼女らもまた天変地異を引き起こす程の存在だ。

 しかし、どちらも今は弱体化してしまっている。

 特にイシュタルは、得意技の黒雷など放てる状態ではないはずだった。


「今の私じゃ、魔力が足らないから仕方なくよ!

 そっちは単なる燃料タンクなんだから、大人しく黙ってなさい!」

『まーまー、そんな怒るなよ。あ、このまま寝てて良い?』

「だから頭の上で寝るのは止めて下さいって!」


 その問題を解決するために、他所から魔力を借りる。

 実にシンプルな解答だ。

 それを実行するために、イシュタルはゲマトリアと手を繋いでいた。

 ついでに、ゲマトリアの頭の上には猫――ヴリトラが乗っかっている。

 弱っていても、竜三匹分の魔力の合算。

 それにより、イシュタルは黒雷を撃ち込む事に成功したのだ。


「とりあえず、奇襲は上手く行ったようで何よりだな」

「かなり危うかったけどね」


 笑うウィリアムに、応えたのはブリーデだった。

 彼女は妹のマレウスと互いを支え合い、離れた木陰から顔を出す。


「テレサと小さくなったイシュタルがこっちに来た時は、何事かと思ったけど」

「ホントにね。でも、上手く行ったようで良かったわ」


 ブリーデの言葉に、マレウスは小さく笑ってみせる。

 ――テレサがイシュタルと共に、ウラノスの気配を追跡した直後。

 その時に、二人は先ずブリーデたちの方に合流していた。

 竜の弟妹たちは、仕掛けたウィリアムらとは離れて行動していた。

 彼女らと接触したその時に、この二手に分かれての奇襲作戦を考えたのだ。

 先ずはテレサがウィリアムたちに加勢し、イシュタルが竜たちの力を利用する。

 特に後者は、弱体化した現状では分の悪い賭けだった。

 それでも黒雷の発現に成功したのは、イシュタルの才覚あればこそ。

 しかし、当の本人はそれを誇ったりはしない。

 彼らにとってのは別にあり――その上で。

 戦いは、まだ終わっていないのだから。


『……油断、ですね』


 声。

 空気を震わせるのではなく、思念に直接届く音。

 《支配の宝冠》たるメトシェラ。

 当然、彼女は未だに健在だ。


「下衆め、ウラノスを解放しなさい」

『それはできない相談ですね、奇跡の姫君』


 唸るイシュタルに、メトシェラは嘲りを含んだ声で応じる。

 半神半竜の彼女を揶揄するように言いながら、その気配が膨れ上がる。

 既に、十分過ぎるほどの規模だった力の質量。

 それが更に増している事実に対し、その場に戦慄が走る。

 戦いは、まだ終わっていない。


『油断も慢心も、していないつもりでしたが。

 ええ、認めましょう。

 あなた方を侮りすぎてしまった。

 我が英雄を支配した以上、この身は無敵だと誤解した』

「ブリーデ、もう少し下がっていろ」

「言われなくとも下がらせて貰うわよ……!」


 ウィリアムの警告。

 それを受け、白蛇の鍛冶師はより離れた場所に引っ込む。

 その手で妹のマレウスを引っ張りながら。

 メトシェラはそれには構わない。

 元より、《最強最古》の逆鱗に触れるような真似をする気もなかった。

 それよりも、今は目の前の方が重要だ。


『――此処からは、私も事にしましょう。

 あなた方は支配すべき家畜ではない。

 駆逐しなければならない、目障りな敵と認めますよ』


 笑う声は冷たく、同時に芯に燃える怒りで酷く熱い。

 立ち上がったメトシェラ。

 テレサが砕いた装甲の一部は、既に再生を果たしていた。

 再生はしているが、完全に損傷ダメージが消えたワケではない。

 ただ、メトシェラ自身が語った通り。

 感じられる力の規模は、さっきよりも遥かに大きい。

 先程までは遊び――もっと言えば、支配したウラノスの慣らしだったはず。

 それを止めて、今は本気で目の前の敵を殺す気になった。

 変化は分かりやすく、だからこそテレサも笑みを浮かべて応じる。


「笑わせてくれるな、メトシェラ。本気で戦うだと?

 そんな真似、生まれてこの方一度もした事などないクセに」

「ハッ! お前もなかなか言うじゃないか」


 辛辣なテレサの言葉に、ウィリアムが大きく声を上げた。

 彼女の言う事に、一語一句まで同意だと頷く。


「余裕綽々で屠るつもりが、上手く行かなかったからキレただけだ。

 勿体ぶった言い回しで、御大層なことを言ってるようだがな。

 要するに、格下相手に大人気なくブチギレてるだけだ」

『お前もすげー言うなぁ』


 ドン引きしつつも、猫も少しだけ笑っていた。

 そして、メトシェラは。


『――


 言葉は無視して、己の《支配》を口にした。

 直後に、その通りの事が起こった。


「後ろに下がれ!!」


 自ら言った通りの行動を起こし、ゴーヴァンが警告を叫んだ。

 ウラノス――メトシェラを中心に、周囲の空間が「消失」していく。

 あらゆる物質が、《支配》の力によって不可視の塵にまで分解されていた。

 地面も、草木も、大気さえも。

 そして当然、《支配》に捕まれば竜や人間も例外ではない。

 ゴーヴァンとウィリアム、そしてドロシア。

 ドロシアはたまたま近かったため、少女二人と猫もついでに抱えていた。


「ちょっ……!?」

「はいはい、緊急事態だから文句は言いっこ無しで!」


 反射的に文句を言いかけるイシュタル。

 気にせず、ドロシアは広がる《支配》の波から遠ざかる。

 範囲は広いが、幸い速度はそれほどでもない。

 避ける分には容易だが、それは当然メトシェラも分かっている。

 こっちの連携を乱すため、敢えて大振りな攻撃を仕掛けたのだろう。

 次に来るのは、各個撃破を狙った超速攻の白兵戦。

 一人でも潰されたなら、それだけ此処からの戦いが厳しくなる。

 だから。


「はァ――!!」


 テレサは退かなかった。

 全てを呑み込む《支配》の力。

 物質を塵へと変えていく波の中に、彼女はいた。

 衣服の一部はボロボロと崩れているが、身体の方に目立った損傷はない。

 ――《支配》の力を、受ける直前に《転移》でいなしたか。

 メトシェラはテレサの様子を観察し、そう判断した。

 消滅の波動は、文字通り「波」のように全周囲に放っていた。

 最初に触れる波さえすり抜ければ、後には力の「余波」が残るのみ。

 ならば確かに、《転移》で一時的に世界から消失すれば回避は可能だ。

 打ち込まれる拳、蹴り。

 それらを装甲で受け止め、衝撃は鋼の五体で吸収する。

 ――素晴らしい。

 本当に、腹立たしいほどに素晴らしい。

 怒りと賞賛の両方が、心の底から湧き上がってくる。


『ハハハハハハハハハ――!!』


 笑いながら、メトシェラもまたウラノスの肉体を操作する。

 繰り出される拳打。

 そこに込められた威圧は、これまでとは比較にならない。

 人間の知覚速度を完全に振り切った拳を、回避することはできない。

 防御も無意味であり、掠っただけで人が死ぬ。

 そんな超常の攻撃を、テレサは《転移》ですり抜ける。

 一秒を切り刻むように連続する打撃。

 それを全く同じペースで、テレサは世界から消失する。

 当たらない。当てさせない。

 回避も防御もできない攻撃を、神の力で強引に避け続ける。

 消失し、再出現する際にはウラノスの身体と座標をほんの少し重ねた。

 打ち込まれる《転移》の打撃は、しかしメトシェラには届かない。


『流石に、こう何度も見せられれば慣れもしますよ!』

「っ……!」


 メトシェラというより、それはウラノスの戦闘感覚が為せる技だ。

 本人の意識や自我は封じても、肉体に染み付いた経験は機能している。

 必殺の《転移》の拳だが、今はほぼ完全に防御が成立していた。


「テレサっ!!」

『邪魔をしないで貰いましょうか!!』


 鋭い声でウィリアムが名を呼ぶ。

 放たれた矢は、《支配》の声によって全て塵に変わった。

 死角を縫う一矢も、他の矢の影に隠れた射撃も全て無意味に。

 メトシェラはあっさりと横槍を叩き潰してみせた。


「…………」


 ドロシアは動かない。

 死線ならば喜んで踏み込む剣魔が、今は沈黙を保っている。

 戦いが激しすぎるために、二の足を踏んでいるのか。

 メトシェラはそう判断して、向かって来ない者は気にも留めない。

 ゴーヴァンもまた、義理の娘の後方で構えたままの様子だ。

 こちらの方も、放っても大きな問題はないだろう。

 故に、注意の一部は別の方へと振り分けた。

 大気を焼き切りながら、黒い雷の槍が襲ってくる。

 三柱の竜による合作。

 魂を焼く雷は、平常時のイシュタルが放つのに近い威力を有していた。

 あくまで、《竜体》になっていない状態のモノだが。


『無駄なこと』


 故に、メトシェラはそれをあっさりと《支配》の力で打ち消した。

 肉体で防御すれば痛手だが、触れずに落とせば何の問題もない。

 今放てる渾身の一撃。

 それを簡単に防がれて、イシュタルは奥歯を鳴らす。


「ゲマトリア、もっと出力を上げなさい!」

「既にまぁまぁ限界なんですけどね!?」

『ねむい』


 威力そのものは、まともに受ければ脅威だ。

 しかし連射することはできず、奇襲でない限りはそう恐ろしくない。

 戦闘の範囲から避難しているブリーデたちは論外だ。

 であれば、やはり。


『私の宿敵は、今や貴女だけのようだ……!』

「――――ッ!」


 《支配の宝冠》は、改めてテレサに意識を集中させた。

 彼女の奮戦は凄まじいものだった。

 力の差を考えれば、善戦などという言葉では足りないほどの偉業だ。


『しかし、消耗はやはり重たいようですね!』


 何百回と繰り返された《転移》。

 メトシェラにさえダメージを与えた《分解》。

 加えて、最強の戦士を相手に一歩も退かずに白兵戦を挑み続けた代償。

 それが軽いはずもない。

 テレサが疲弊している事は、メトシェラは看破していた。

 限界が近い事も、また。


『貴女は良く戦った、テレサ。

 本音を言うなら、貴女を完全な状態で支配したいですが――』


 《転移》が乱れる。

 完璧であったはずのタイミングが、僅かにズレた。

 そうなってしまったら、どうなるか。


『それが困難なほどに、貴女は強い。

 ――ですから、この一撃を敬意の表れとしましょう』


 メトシェラは笑った。

 テレサは何も応えない。

 その瞬間を、他の誰も阻む事はできなかった。


『さようなら、テレサ』


 支配された大真竜ウラノス。

 その肉体が軋むほどの、全身全霊の一撃。

 古き竜の王すら耐え切れず、砕ける他ない鋼の拳。

 それが今、テレサの身体を貫いていた。

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