440話:諦めの時


 ――仕留めた。

 メトシェラはそう確信していた。

 自らが誇る《支配》の権能。

 「触れたモノは死ぬ」という、これ以上なくシンプルかつ致命の力。

 それを帯びたウラノスの最強の拳。

 例え相手が《最強最古》であれ、直撃すれば無事では済まない。

 間違いなく断言できる一撃だった。

 事実として、当たっていればテレサに抗う術はなかった。

 力の差は隔絶しており、彼女自身には防ぐ手段は存在しない。

 そう、


「――残念だったな」

『ッ……!?』


 笑う声。

 拳で貫いて、仕留めたと思ったはずの相手。

 テレサは生きていた。

 最強であるはずの拳は、彼女を貫いてなどいなかった。

 ほんの僅か手前。

 薄皮一枚程度のところで、ウラノスの拳は停止していた。

 《支配》の権能を纏う、最強であるはずの拳が。

 何か、キラキラと煌めく光に阻まれる形で。


『何故……!?』

「はァッ!!」


 理解不能な事態に、《支配の宝冠》は動揺する。

 そのため動きを止めたウラノスの腕に、テレサの拳打が突き刺さった。

 当たると同時に、《分解》の蒼光が弾ける。

 装甲の一部が剥がされ、鋼の血肉が派手に抉られる。

 ――メトシェラは知らなかった。

 古き竜である彼女でも、大陸の外については殆ど知識がない。

 《人界》に君臨する神々についても。

 当然、彼らがその身に纏う《光輪ハイロゥ》という権能についても。

 テレサと戦い始めてから、メトシェラが抱いていた疑問。

 ウラノスの拳は当たらずとも、《支配》の権能は度々影響を与えていたはず。

 にも関わらず、テレサは傷を受ける様子もなかった。

 その答えこそが《光輪》。

 邪悪なる者、《造物主》の力が色濃い者から受ける影響を遮断する。

 ――ウラノスの拳は通る可能性はあるが、メトシェラの権能なら防げるはず。

 最初からテレサはそう考えた上で、無理をしてでも攻撃を回避し続けた。

 決定的な瞬間。

 「獲物を仕留めた」と、相手がそう確信した時。

 そこで最高の奇襲を決めるための賭け。

 その結果は、見ての通りだ。


「何か狙ってる気はしてたけど――」


 半ば砕かれたウラノスの右腕。

 動揺から抜け出せていないメトシェラは、反射的に一歩下がろうとする。

 そんな隙を見逃すほど、剣魔は甘い相手ではなかった。


「まさか、ホントにここまでやらかすとはね……!!」


 機を待っていたドロシア。

 彼女は一気に間合いを詰めて、その剣を踊らせる。

 虚空を走る無数の斬撃。

 それらの切っ先全てを、テレサが抉った傷口へと集中させる。

 《五大》である強靭な鱗の鎧も、鍛え抜かれた鋼の肉体も。

 破壊された傷ならば強度など無関係だ。


『ぁ、ぐッ……!?』


 痛み。

 《分解》付きの拳打と、ドロシアの「技」。

 二つの攻撃により、右腕とそれを覆う装甲の一部は完全に破壊された。

 かつてない程の苦痛が、《支配の宝冠》の魂に響いてくる。

 怯んだメトシェラに対して、さらなる追撃が襲いかかる。


「ほら、気合い入れて搾り出しなさい!

 そっちの猫も、サボったらヒゲ全部引っこ抜くから!!」

「ああぁああ復活のためにせっせと溜め込んでた魔力まで容赦なく毟られるー!!」

『そろそろゲロ吐きそう』


 イシュタルがかざした右手。

 そこから黒い雷が渦を巻き、固めた「砲弾」となって放たれる。

 回避できるタイミングではなく、メトシェラは咄嗟に左の腕を構えた。

 魂を焼く雷は、竜の装甲を容赦なく焼いていく。

 ゲマトリアとヴリトラ、彼ら二柱の魔力も殆ど搾り取った上での渾身の黒雷。

 喰らった部分は容赦なく焼け焦げる。

 更に。


「覚悟せよ、《支配の宝冠》!!」


 雷がまだ消えていない状態で、ゴーヴァンが突撃したのだ。

 この先は続かずとも構わないと。

 そう覚悟した上での一閃。

 蒼い炎を纏う大剣が、焼けた左腕の装甲を捉えた。

 切り裂く。

 恐らく《剣聖》の生涯において、最高と呼べるほどの一刀だ。

 イシュタルの黒雷で削られた装甲で、耐えられる道理などなかった。


『馬鹿な、こんな事……!!』

「油断が過ぎたな、支配の女」


 その声を、音として認識する前に。

 メトシェラは、不意に現れた力の気配に意識を引き寄せられる。

 森人の男、ウィリアム。

 今の彼は、その手に弓を持ってはいなかった。

 蒼白い月の光。

 淡い輝きを宿した一振りの大剣。

 先ほど、ブリーデが下がる前に密かに受け渡された刃。

 最初の“森の王”の魂を宿した月の爪。

 その存在もまた、メトシェラは知らなかった。

 知らないと確信していたからこそ、ウィリアムもこの瞬間まで伏せていた切り札。


「予告通り、ここで仕留めさせて貰おう」

『ッ――――!!』


 振り下ろされる剣。

 距離は遠く、明らかに刃の届く間合いではない。

 だが、ウィリアムはそれが「届く」と知っていた。

 遠きモノを近くの如くに斬る技。

 数多のモノを一つの如くに斬る技。

 そして、形なきモノを形あるモノの如くに斬る技。

 三つの“森の王”の御技。

 ブリーデの大剣の力によってそれらを束ね、擬似的に再現された「奥義」。

 切っ先から放たれるのは必滅の月光。

 それは容赦なく、ウラノスの胴体を深々と斬り裂いた。

 本来であれば、丸ごと消滅してもおかしくない威力のはずだが。


「チッ、硬いか……!」

『舐める、な――私は、《支配の宝冠》だ……!!』


 対象の物理的強度を無視する究極の斬撃。

 しかしメトシェラは、それを魂の強度で防いでいた。

 が、当然それも完全ではない。

 胴体を覆っていた装甲も、かなりの部分が今の一撃で削られている。

 今のメトシェラの魂の総体と本質は、ウラノスが纏っている鎧の方にある。

 それが削られれば、その分メトシェラの力は弱まっていく。

 両方の腕と胴体。

 今の攻防で、もう半分近い装甲が砕かれた状態だ。


「メトシェラ!!」


 攻撃は終わらない。

 圧倒的に不利な戦況から、ようやく掴み取った勝機だ。

 故にテレサは止まらない。

 憧れる戦士が、地獄の如き戦場でいつもそうしているように。

 彼女もまた、躊躇うことなく死線へと踏み込む。

 《転移》を絡めた拳。

 空間を押し退ける衝撃が、操られているウラノスの巨体を揺らす。

 追撃を仕掛けようとしたところで、反撃とばかりに相手の拳が唸りを上げる。

 明らかに速度は落ちている。

 だが、消耗を抱えているのはテレサも同じ。

 回避のための《転移》も間に合わず、彼女は拳をその腕で受け止めて。


「ッ……!!」


 予想以上の威力に身体が傾ぐ。

 ――皮肉にも、その拳には大した力が宿っていなかった。

 先ほどと違って、メトシェラの《支配》の権能も纏っていない一撃。

 それ故に《光輪》は機能せず、拳はテレサの身体を捉えたのだ。

 殆ど手打ちに近い攻撃だが、それでも酷く響いてくる。

 テレサは改めて、目の前の相手が凄まじい英雄である事を知った。


「そら、テレサ! 仕留める瞬間まで気を抜かない!」

「お前に言われるまでもない……っ!」


 逆に追撃を打ち込まれそうなところに、ドロシアの剣が割って入った。

 傷を狙った斬撃だが、それはまだ無事な装甲で止められてしまう。

 メトシェラが操作したのか、ウラノスの内にある戦士の本能がそうしたか。

 判然としないが、未だに《支配の宝冠》は健在だった。


「笑い声が聞こえなくなったじゃない、メトシェラ……!

 とうとう喋る余裕もなくなったの!?」

『…………』


 挑発めいた言葉と共に、イシュタルは黒雷を投げ放つ。

 タンクであるゲマトリアと猫、そのどちらも既に限界が近い。

 そのため、雷の威力は格段に目減りしている。

 メトシェラは無言のまま、それらを《支配》の権能で払い落とす。

 もう、そんな小さな雷でも直接触れるのは危険だと。

 《支配の宝冠》が追い詰められつつある事を、その態度が暗に示していた。

 だからこそ、ウィリアムも此処は躊躇わずに踏み込んでいく。


「さて、そろそろ観念して貰いたいところだな!」

「無茶をし過ぎないように!

 娘さんが待っているんでしょうっ?」

「このタイミングでそういう話題は止めて貰おうか!」


 弓の間合いを捨て、手にした大剣で斬り掛かる。

 そんなウィリアムをカバーする位置に付きながら、テレサは少しだけ笑った。

 鋼の拳が打ち込まれる。

 速度も威力も、全力と比較しても半分に満たない。

 それでも尚、まともに喰らうには危険過ぎる拳だった。

 ドロシアとゴーヴァン、ウィリアムが剣で叩いた上でテレサが蹴りを重ねる。

 そこまでやってようやく弾く事ができた。

 体勢を崩したウラノス――メトシェラに、イシュタルの雷が打ち込まれる。

 更にテレサの拳が《転移》し、竜の装甲を衝撃で貫く。

 ――押している、間違いなくこちらが押している。

 手応えを感じ、テレサは強く拳を握り締めた。

 剥がされた装甲の分だけ、メトシェラの力は明らかに弱っている。

 勿論油断はできないが、勝敗の天秤が傾きつつあるのは事実だった。

 常は慎重なウィリアムまで、剣を構えて仕留めに入るほどだ。

 逆に言えば、此処で押し切らなければ危険なのも間違いなかった。

 誰も彼もが限界ギリギリまで力を尽くしている。

 ゲマトリアと猫に至っては、消耗し過ぎて立ってるのも限界な様子だ。


「おおおぉぉぉォ!!」


 油断すれば現実から離脱しそうな意識。

 テレサは気合いを叫び、それを無理やり繋ぎ止めた。

 あと少し――あと少しだ。

 自分は彼ほど強くもなければ、彼と同じにはできないかもしれない。

 それでも、信頼されてこの戦いの場に立っている。

 ならば無様は見せられないし、己の役目も十全に果たさねば。

 ――あの人は、大事な方を取り戻すために、死力を尽くしているんだ……!

 こちらも、それに負けるワケにはいかない。

 故にテレサは前に出る。

 死神の腕が鼻先に触れてくる距離。

 力を使い果たした時、《光輪》が正しく機能してくれるか。

 それは彼女にとっても未知の事象だ。

 最悪の場合は、《支配》の権能で簡単に死ぬ可能性もある。

 それを承知の上で、テレサは迷わず拳を叩き込んだ。

 対して、メトシェラは。


『………………仕方ありませんね』


 呟く。

 そこに激情はなく、強い力も込められていない。

 単なる「諦め」を言葉として表現しただけのもの。

 そして。


「ッ――――!!」


 悪寒がテレサの背骨を鷲掴みにした。

 打ち込んだ拳が、無防備になったウラノスの腹を捉える。

 他にも剣や、雷が。

 いきなり防御を解いた事で、その全てが《鋼の男》の身体に突き刺さった。

 防がれることに対する備えは、敢えて受ける事で逆に無為となる。

 一瞬生じる空白。

 それを埋めたのは、メトシェラの声だった。



 弱っていたはずの《支配》の力。

 それが言葉通り、爆発となって周囲を薙ぎ払った。


「くっ……!?」


 回避も防御も、どちらも間に合わない。

 熱はなく、ただ「吹き飛ばす」だけの衝撃が乱雑に撒き散らされる。

 テレサは《光輪》があるため影響は遮断される。

 だが、ウィリアムたちは衝撃に押される形で間合いを離された。

 そしてテレサの方も、爆発に視界が塞がれるのばかりはどうしようもない。


「メトシェラ!!」


 名を叫び、目の前に向けて蹴りを打ち込む。

 見えていない状態での牽制。

 だがそれは、何も捉えることなく虚空を払うのみに終わった。

 そして、気が付く。

 すぐそこにいたはずの強大な気配。

 それが今、微塵も感じ取ることができない事に。


「……逃げたな」


 呟いたのはウィリアムだった。

 彼の言葉が正しい事を示すように。

 爆発の粉塵が風によって薄れると、そこには誰の姿もない。

 メトシェラは、戦いから逃げ出したのだ。

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