第四部:学びの園で竜を殺す

85話:新しい朝が来た

 

 広い運動用区画エリアの床に、白い線で引かれた空間。

 存外狭いその内側は独特の緊張と熱気に満ちていた。

 既にゲームは終盤、時計の針は止まる事無く刻まれ続けている。

 お互いのチームの点差は僅か。

 次にどちらかがゴールを決めれば、それで勝利は決まるだろう。

 相手チームの選手からマークを受けながら、オレは状況を判断する。

 通信端末を介して既に味方と作戦の打ち合わせは出来ていた。

 後はそれが上手く行くかどうかだ。

 試合場コートの中央付近で、暫しボールの奪い合いが続いて――。

 

「イーリスっ!」

 

 味方チームメイトの一人が、オレに向けて投げ放った。

 正確なロングパスだ。

 オレはボールが飛ぶ寸前からもう走り出していた。

 ボールが届く予測座標はもう受け取っている。

 その位置と殆ど誤差無しに両手でボールをキャッチする。

 強めにボールで床を叩きながら、オレは相手側のゴールポストへ向かう。

 調整したばかりの身体強化、それを利用しての全力疾走。

 しかし「鋼入りクローム」は何も自分だけじゃない。

 警戒の一番薄い最適ルートを選択したにも関わらず、敵の動きは迅速だ。

 ガタイの良い、明らかに身体強化を施した相手選手が二名。

 即座にオレの進路を妨害しようと立ち塞がる。

 だがこっちも、そのぐらいは予測済みだ。

 

「っ!? 何だ、視界が……!」

「目が、目があぁぁぁ!!」

 

 オレを相手に視覚まで機械化サイバーアップしていたのが運の尽きだ。

 即座に視界を乗っ取りジャック、無意味なノイズで埋め尽くす。

 混乱して動きが止まったところをすり抜けたら、あとは一直線だ。

 ゴールに付いた輪っかリングはそれなりの高さだが、別に問題にはならない。

 慌てて守りに入ろうとした連中を躱し、床を蹴る。

 そのまま手にしたボールを思いっ切りゴールに叩き込んでやった。

 揺れるゴールポストが派手な音を立てる。

 同時にブザーが試合場に鳴り響く。

 

試合終了ゲームセット、選手は所定の位置に戻って下さい』

 

 女性的な機械音声がゲームの終わりを告げる。

 天井に浮かんだ仮想画面に表示された点数も、今のゴールの分が更新される。

 最後の最後で、僅差の数字を巻き返しての勝利。

 チームからも、応援していた外野からも歓声が上がった。

 ちょっと大げさな気もするが、まぁ悪い気分でもない。

 

「やったな、イーリス!」

「最後は凄かったなぁ、良く相手の守備を抜けられたよな」

「こんぐらいは別にどうって事ねぇよ」

 

 明るく声を掛けてくる味方の選手達。

 共にゲームを勝ったそいつらと軽く拳を合わせたりする。

 うん、悪い気分じゃあないな。

 見学していた外野にも、一応軽く手を振ってみる。

 

「イーリス! また凄い試合見せてくれよ!」

「ホント、まだ此処に入って来たばかりだってのに凄いよな」

「あぁ、そういう意味じゃ凄いのは彼女だけじゃ――」

 

 賞賛だの何だの、まぁ色々な声が返って来た。

 純粋にコイツらは、オレの事を「凄い」と思ってくれている。

 まぁ、実際悪い気はしないよな。

 のめり込み過ぎるのは良くないと、自制は常に心がけよう。

 再び試合場にブザーが鳴る。

 さっきの指示通り、既に何人かは試合場の中央へと戻っていた。

 あんまり無視しても面倒なので、オレもそっちの方に小走りで向かう。

 で。

 

「悪いな、流石に其処まで本気でやるつもりは無いんだわ」

 

 試合後に必ず行われる、都市対抗での球技戦ボールゲームへの正式な参加要請。

 既に三度目か四度目だが、オレは毎回それを同じように断るのがお決まりのパターンだ。

 球技に関しちゃあくまで訓練課程カリキュラムの一環としてやってるだけ。

 この要請を受けると、持ってる時間の大半が球技の訓練だけで拘束される羽目になる。

 流石にそれはちょっと困る。

 なのでいつも断ってるんだが、まぁ相手も簡単には諦めないわけだ。

 

「お前なら絶対にこの《学園》の星になる事が出来る。

 気が変わったらいつでも教えてくれ」

「あぁ、ありがとよ」

 

 味方チームのリーダーは、文字通り球技戦に人生を懸けてるような奴だ。

 ソイツの頼みを毎度断るってのもなかなかしんどい作業だ。

 とはいえ、オレにもオレの事情があるわけで。

 悪いとは思うが、いつも通りの答えを返してオレは運動区画を後にする。

 白く清潔な通路には、時間を問わずに多くの人の姿が見られる。

 大半はこの『学園』で生活している学生だ。

 年齢は大体十代の範囲で、稀にそれより年上の生徒もいないわけじゃない。

 中には森人エルフとか長命系の亜人種もいるから、年齢なんか関係無いかもだが。

 通路を歩いているだけで、様々な会話が耳に入ってくる。

 

「次の訓練課程は何を受けるんだ?」

「座学ばっかじゃ気が滅入るし、偶には戦闘訓練も入れるかな」

「近頃、武装訓練に新しい訓練機材が導入されたらしいぞ」

「あぁ、何か噂で聞いたよ。古めかしい甲冑みたいな奴だろ?」

「随分と懐古主義的レトロなデザインだけど、一体誰が考えたんだろうな」

「きっと学園長でしょ。分かんないけど」

「どうもソレ、仮想訓練バーチャルに比べると随分難易度が高いらしくて……」

 

 …………。

 何か妙な情報が耳に入って来た気がするが、とりあえず気にせんでおこう。

 今「アイツ」が何をしてるのかは、こっちも把握してないし。

 また合流した時にでも確認すりゃ良いだろ、ウン。

 そんな事を考えていると。

 

「――お姉さま、この後の御予定は?」

「私達、新しい訓練課程を受ける事にしたのですけど如何ですか?」

「後はお暇があれば是非お茶でもご一緒に」

「いや、その、申し訳ないんだが……」

 

 何か見慣れた顔が女子の数名に取り囲まれていた。

 普段は凛々しい姉さんだが、こういう状況シチュエーションには弱いらしい。

 押しの強い小動物の群れを前に、どうすれば良いか分からないって様子だ。

 しゃーないなぁホントに。

 

「よー、待たせたな姉さん」

「あぁ、イーリス!

 いや、大丈夫。私も訓練が終わって来たばかりだ」

 

 オレが声をかけると、姉さんの表情が目に見えて輝いた。

 これで「後はごゆっくり」と立ち去ったらどんな顔するかなとか。

 ちょっと魔が差したが自重する。

 姉さんを包囲する女子共にも一応営業スマイルをして。

 

「つーわけで、悪いな。先約あるから姉さん借りてくぞ」

「そういう事なら仕方ありませんねぇ……」

「私は姉妹お二人ともお近づきになりたいですけどね」

「残念ですけど、またの機会にしましょう?」

 

 しつこく食い下がりはしないのは有難い。

 名残惜しみながらも、女子集団は手を振ってその場を去って行く。

 通路の向こうに完全に見えなくなったところで、姉さんは大きく息を吐いた。

 

「いや、助かったよイーリス。どうすれば良いかまったく分からなくて……」

「あんなんちょっと強めに断れば良いんだよ」

 

 弱みを見せるから食い付かれるんだ。

 姉さんも頭では理解してるのだろうけど、年下には甘い性分らしい。

 まったく、こっちがため息出そうだわ。

 

「? どうした、イーリス」

「いーや、何でもねーよ」

 

 首を傾げる姉さんに思わず苦笑いが零れた。

 それからオレ達はどちらからともなく歩き出す。

 確か次の訓練課程は座学で、科目は「大陸史」だったか。

 姉さんも同じはずだから、二人で講義室に向かう。

 途中にある連絡通路は大きな硝子張りで、「外」の様子が良く見えた。

 温かい日差しが注ぐ中、オレは窓越しの景色に視線を向けた。

 眼下に広がる街並みは、これまで見たどの都市よりも発展していた。

 閉鎖型が多い都市の中では珍しい開放型。

 まだ早い時間だが通りも良く賑わっている。

 オレ達がいるのは、そんな都市の中心。

 全ての外壁を隙間なく白に染め上げた巨大な『塔』。

 この都市を象徴する《学園》の本校舎だ。

 周りにはもう少し小振りな建物が幾つも並んでいて、それぞれ異なる役割がある。

 ……らしい。オレもまだ全部把握してるわけじゃない。

 行動許可だの何だの、手続きや資格が無いと入れない区域も珍しくない。

 オレの《奇跡》ならある程度は誤魔化せるが、まだ危険を冒すには早いだろう。

 

「……ところで、イーリス」

「ん?」

「此処での生活には慣れたか?」

「まだ一週間ぐらいだし、ボチボチだよ」

 

 今までとガラっと変わり過ぎて、苦労する事も多いしな。

 それでもそれなりにやっていけてるとは思う。

 オレの答えに、姉さんはホッとした様子だが……。

 

「そういう姉さんはどうなんだよ」

「私か? 私の方もそれなりに……」

「そっちじゃなくて、制服の方」

「……やめてくれ。可能な限り意識しないようにしてるんだ」

 

 オレに言われて、姉さんは頬を染めながら身を小さくした。

 別にそうおかしな恰好をしてるわけじゃあない。

 姉さんもオレも、《学園》から支給された制服を着てるだけだ。

 頑丈だが軽い素材で作られた服は、アウローラ製ほどじゃないが上質だ。

 ただまぁ、女用の制服は基本スカートで統一されてる。

 それが姉さんはどうにも恥ずかしいらしい。

 

「そんな気にする程か??」

「あまり、こう……肌を露出するような恰好は、苦手なんだ」

 

 普段からは想像がつかないぐらい、姉さんは自分の恰好に弱っているようだ。

 確かに、いつもの男装だと露出なんてほぼゼロだったな。

 これはこれで良く似合ってると思うけど。

 

「……そういうイーリスは、平気なのか?」

「オレは別に、動き易ければそんな拘り無いし」

 

 そういう意味だと、スカートは微妙に足に絡んで鬱陶しいな。

 我慢できないってレベルじゃないから気にしてないが。

 少なくとも姉さんみたいに、恥ずかしいとかそういうのは無かった。

 だから隣を歩く姉さんのスカートを気軽に摘まんだりも出来るわけだ。

 

「あっ、こらイーリス……!?」

「姉さんのスカート、オレより丈長くね? こんなもんだっけ?」

「す、少し長めに調節して貰ったんだよ」

「あ、そんな事できたのか」

 

 なかなか便利だなソレ。

 ちょっと姉さんのスカートで遊んだりしながら、オレ達は『塔』の中を進む。

 目的の講義室もそろそろだな。

 

「……ん?」

 

 ふと、床が微かに揺れている事に気付いた。

 距離が遠くて聞き取りづらいが、何処かで爆発音も聞こえて来た。

 事故かとも一瞬思ったが、多分違うな。

 聞こえて来た方に「決闘場」があると気付いた。

 合意の上でだが、生徒たちが訓練外で合法的に戦闘する為の特別区画。

 実戦なら戦闘訓練で十分だと、利用する生徒は決して多くない。

 ……のだが、ここ数日は常にお祭り騒ぎのはずだ。

 

「これ、今日はどっちだと思う?」

「イーリスはどう考えてる?」

「多分二人で暴れてるな」

「私もまったく同じ事を考えてたよ」

 

 これじゃあ賭けにもなんねーな。

 確かめようにも下手に近付くと危ないし、まぁほっとくか。

 楽しそうなのを邪魔しても悪いしな。

 

「ところで」

「なに、姉さん」

「『彼』が何処にいるかは知っているか?」

「それこそ欠片も知らないわ」

 

 あのスケベ兜、ちょっとフラフラし過ぎだろ。

 せめて何かする前に一言ぐらいは入れて欲しいわ。

 まぁ一応、決まった時間には顔を合わせているし、大きな問題はないはずだ。

 多分、きっと。そうだったら良いな。

 アイツの場合は「副学長」から受けた行動許可もある。

 それで独自に動いてるのは間違いないはずだ。

 こっちはこっちの出来る事、やれる事をやって行けば良いだろう。

 

「なぁ、イーリス」

「うん?」

「今は、楽しいか?」

「……そうだなぁ」

 

 講義室の扉に手をかけながら、姉さんは穏やかに聞いて来た。

 座学まではもう少し時間がある。

 焦る必要もないから、オレは少しだけ考えて。

 

「……まぁまぁかな?」

「そうか。それなら良かった」

「姉さんは?」

「私は、お前と一緒ならいつでも楽しいよ」

「それってさ、オレに限った話じゃないだろ?」

 

 姉さんが誤魔化すみたいに笑うから、スカートを軽くめくってやった。

 意外と際どい下着が趣味なのは知ってんだぞ。

 声にならない姉さんの悲鳴を聞きながら、オレはごく自然と笑っていた。

 ――楽しいか、と言われれば楽しい。

 クソッタレな世界を見過ぎたから、この生活は新鮮だ。

 けれどそればっかりってワケにも行かない。

 どうにかしてこの都市を支配している「学園長」を探す必要がある。

 居場所は勿論、顔も名前も知らない相手だけど。

 

「……まさに雲を掴むみたいな話だな」

 

 オレはため息混じりに呟く。

 何故こんな面倒な話になったのか。

 講義室の扉を潜りながら、オレはこの都市に入った時の事を思い出した。


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