169話:逃げるが勝ち
ゲマトリアの身体がぐらりと揺れる。
額のど真ん中を矢が貫通したのだから当然だろう。
けれど相手は大真竜、まともな常識が通用する相手じゃない。
頭を撃ち抜かれた状態で、ゲマトリアはぐっと踏み止まる。
血は流れていないが、その顔は苦痛と憤怒で酷く歪んでいた。
その唇から怨嗟の咆哮が漏れる。
「このっ、糞エルフゥ……!」
「過分な評価痛み入るな、大公閣下」
弓を構えながら部屋に飛び込んでくるウィリアム。
見た目は大概ボロボロだが、堪えた様子もなく不敵な笑みを見せている。
ゲマトリアはますます不快な顔をした。
「ヴァローナはどうしました!」
「殺した、と言えれば一番なんだがな。
生憎と真竜を殺す手段は持ち合わせていない身だ」
正面からゲマトリアと相対しつつ、ウィリアムは小さく肩を竦める。
「だから行動不能になるまで肉体を砕いておいた。
――人望がなさそうで、存外と忠誠心の高い部下を持っているようだな」
「ッ……!」
また気軽に逆鱗を擦りやがるなコイツ。
明らかに激昂したゲマトリアはそのまま大きく息を吸い込んだ。
何をしようとしてるかなんて考えるまでもない。
間違いなく《
幾ら広いっても室内でぶっ放されれば逃げ場はない。
そんな焦りまくるオレと違って、ウィリアムは冷静だった。
怖じる事もなく矢を一発二発と打ち込む。
避ける必要はないと、そう示すようにゲマトリアは敢えて鏃に身体を貫かせた。
矢はゲマトリアの薄い胸を貫通するが、やはり血は流れない。
無駄な足掻きだと、そう言わんばかりにゲマトリアは笑みを見せる。
けれど、ウィリアムの表情は崩れない。
「余裕を見せすぎたな、大公閣下」
「? 何を……っ」
言っている意味が分からないと。
怪訝に眉をひそめたゲマトリアだったが、その表情が驚愕に歪んだ。
額と胸、矢の刺さった二か所を抑える。
苦し気な吐息が唇から漏れ、ゲマトリアはその場に膝をついた。
矢を掴んで引き抜こうとしているが、なかなか上手く行っていない。
傍から見てるだけじゃ何が起こったか良く分からんが……。
「流石だな、封印術式を仕込んだ矢を二発受けても動けるのか。
貴重な品だが、一本で妥協せずに正解だったな」
「お前……っ、何故、こんなもの……!」
「答える必要があるのか?」
淡々と応じながら、ウィリアムは此方に視線を向けた。
見たのはほんの一瞬だけ。
伝えたい意図は直ぐに分かった。
姉さんとも目を合わせて、お互いに頷く。
「逃げるぞ……!」
「あぁ!」
ゲマトリアの動きが鈍っている、今以上の好機はない。
オレと姉さんは迷いなく部屋の外へと駆け出す。
それに続いてウィリアムも、ゲマトリアから視線を外さず後に続いた。
大公閣下は未だに矢の方と格闘しているようだ。
「悪い、助かった……!」
「問題ない。最初の取り決め通りだ。
それより良くアレを見つけたな。おかげで仕事ができた」
「アレ……というのは、あのゲマトリアの事ですか?」
「そうだ」
言葉を交わしながら急いで部屋を飛び出す。
逃げるアテなんざ欠片もないが、今は兎に角逃げるしかない。
ウィリアムには何か考えがあるかもしれんけど。
コイツの頭の中ほど良く分からんモンは他にはない。
なので過度に期待はせず、ただ離脱する事に全力を尽くす。
そう考えた矢先。
「ッ――――!?」
真っ白い閃光が視界を焼く。
一体何が起こったのか、熱風と衝撃で身体が浮きそうになる。
かろうじて耐えたのは位置的に《金剛鬼》が盾になってくれた事。
それと姉さんが直ぐ傍にいてくれたからだ。
オレの手を掴む力強い腕。
おかげでもつれた足を何とか立て直す事ができた。
「っ、今のは……!?」
「振り向くな、大公閣下の悪足掻きだ」
背後、光と熱が襲って来た方向。
ウィリアムの声には苦痛を堪える響きがあった。
言われた通り、振り向かずに前を見る。
今の言葉で何が起こったのか、何となくは察した。
「流石は大真竜と讃えるべきだろうな。
封じの矢が二本刺さった状態で《吐息》を放つか」
「無事ですか」
「余波で少し焼かれはしたが、所詮はメクラ撃ちだ。
直撃はしていない」
……とは言っても、端っこを浴びただけでも相当キツいだろ。
確認したワケじゃないが、ゲマトリアはあの部屋からこっちを狙って来たはず。
壁とかも構わずにぶち抜く威力の《吐息》。
運が悪ければそれ一発で蒸発していたかもしれない。
想像しただけで眩暈がしてくるが、ウィリアムは平然としていた。
「今の一撃からして、アレは間違いなくゲマトリアの『首』の一本だな。
しかも宴で見た五本とは別個体のな」
「……姿を見せず、城の奥に隠れていた奴か」
「そうだ。詳細は不明だが、何か重要な役割を持っている可能性は高い」
高度に隠蔽された部屋で、私的な情報の詰まった日記も抱えていた。
それだけでも特別な首だって事は察せられる。
ウィリアムの言う通り、何がどう特別で重要なのかは不明だけど。
「細かい事はいいが、アレに封印の矢を撃ち込めた意味は大きい。
完全に封じる事は不可能だが、それでも簡単に抜ける代物でもない」
「当分、あのゲマトリアの力は制限されると」
「それがどれほど効果があるかまでは、オレにも断言できんがな」
「肝心なところはフワフワしてんなぁ……!」
まぁ贅沢は言ってられないけどさ。
オレの漏らした本音に姉さんは少しばかり苦笑した。
当然、ウィリアムは微塵も気にしていない様子だ。
「必要な――いや、必要以上の仕事は果たした。
竜の巣穴で、これ以上欲を掻くのは身を滅ぼすだけだな」
「どうするつもりですか?」
「お前達はどうしたい?」
逆に聞かれてしまった。
まさか聞き返されると思っておらず、姉さんは思わず言葉に詰まった。
オレの方は走りながら少し考えて。
「……やっぱ、レックス達と合流したいよな。
ただ向こうがゲマトリアとやり合ってんなら邪魔はしたくない」
「十中八九、あの隠れていたゲマトリア以外とは交戦中だろう。
少なくとも既にやられている、などと言う事はあるまい」
何だかんだでレックスに対する信頼度は高ェよな、この糞エルフ。
指摘したら鼻で笑われそうだから言わんけど。
「私もイーリスの意見には賛成だが、現実的に合流できるかどうか……」
「この城くっそ広いもんなぁ……!」
現状も逃げる為に適当に走り回っているだけだが、マジで端まで届く気がしない。
一応背後は気にしているけど、ゲマトリアが追ってくる気配はなかった。
諦めた……なんて事は万が一にもないはずだ。
ウィリアムの矢が効果を発揮していると、そう考えるのが自然だろう。
無理に《吐息》をぶっ放したのも効いてるかもしれない。
……ホント、大真竜を一時的にでも封じる矢とか、一体どっから入手したんだか。
「詳しい位置まではオレも分からん――が。
或いは、探す必要はないかもしれんぞ」
「? どういう意味だよ」
「どういう意味も何も――」
ウィリアムがその言葉を言い終えるよりも先に。
突然、足下の床が大きく跳ねた。
いやその表現は正確じゃない。
床が跳ねたというより、この《天空城塞》全体が大きく揺さぶられた。
それはついさっき、ゲマトリアが《吐息》を撃って来た時の比じゃない。
姉さんが支えてくれなきゃ間違いなく床に叩き付けられていた。
地上だったら間違いなく大地震と呼べる程の揺れ。
その中でもウィリアムは平然としていた。
「っ、今のは……!?」
「戦っているんだろうさ、あの男が」
思わず足を止めかけたオレと姉さんに、ウィリアムは進むよう手で促す。
改めて見れば、ウィリアムの右腕は広く焼け焦げていた。
どう考えても重傷だが、顔色一つ変えやしない。
オレ達がまた走るのを確認してから、ウィリアムもまた続く。
先程よりはマシだけど、それでも城の揺れは収まらない。
「今までとは規模が違うな。
ゲマトリアもいい加減に本気になったようだ」
「……この揺れの源に、レックス殿たちが?」
「そう考えて間違いはないだろう。
いよいよ城が墜落する事も危惧しなければならんな」
「それは冗談だって言ってくれよ、マジで」
この城、確か雲より高い位置に飛んでなかったか?
そんなもんが地面に落ちたら絶対助からねェだろ、オレ達。
いや、アウローラ辺りなら魔法で何とかしてくれそうだけど。
あとレックスと
「どうした」
「何でも。……で、まぁ合流したいのは山々だけど。
今こっちから下手に近付くのは絶対にやべーよな」
「……足手纏い以前に、余波を浴びただけで死にそうですね」
そう呟いた姉さんの言葉が全てだ。
こんなでっかい城を揺るがす規模の戦いだ。
どうなってるかは此処からじゃ分からんが、間違いなく横槍は難しい。
だからって、このまま何もせず逃げ回るだけじゃな。
今のオレ達にできる事があるかを考える。
六本目のゲマトリアの首、これを一時的でも妨害したのは大きいはずだ。
で、それ以外にできそうなのは――。
「……退路の確保ぐらい、か?」
「妥当なところだな。問題はそれが可能かどうかだ」
ウィリアムは少し笑いながら言って来た。
レックス達と合流はしたいが、恐らくゲマトリアと戦ってる現状じゃ難しい。
こっちが下手に近付くのもヤバい以上、機会は戦闘が終わった直後。
十中八九、この《天空城塞》もタダじゃ済まない。
そして仮に勝ったとしても相手は大真竜。
五体満足で終わる可能性は極めて低いはずだ。
そんな状態で、雑魚とはいえ他の真竜どもに狙われたらどうなる?
幾らレックスが竜殺しで、アウローラ達が竜の王だからって無事じゃ済まない。
ならせめて、こっちで安全に退く為のお膳立てが出来れば。
「最低限の備えがない、とは思えない。
ゲマトリアは、抜けてる処はあるけれど性格は慎重そのもの。
『城が沈む』という万が一の為に、脱出用の設備ぐらいはあるかもしれません」
「奴は本質的に臆病だからな。十分あり得るだろう。
頭では不要と分かっていても、想像できる危険には備えたい。
それだけ慎重な割に刹那的な考えで動く事もあるのは、逆に厄介ではあるな」
「厄介だっつーのは今さらだよな」
確かに、とウィリアムは真面目な顔で頷く。
「仮に脱出用の設備があるとすれば、この
重要な物は人目に触れない場所に隠したがるものだ」
「じゃ、先ずはそれを見つけるところからだな」
言ってから、ウィリアムの方をちらりと見た。
視線を受けて糞エルフはまた少し笑う。
「もう暫くは同道するつもりだ。そう心配しなくて良い」
「お前の言う『心配』とオレの『心配』は、多分ちょっと意味が違うと思うけどな」
本当に、何考えてるのかさっぱり分からんからな。
助けられてるし、その点については心配はしていないけど。
それでも味方と言い切るのは何処か憚られる。
ウィリアムはそういう男だ。
言いたい事は色々あるが、今はそういうもんだと思っておくしかない。
「さて、あるかも分からん代物だ。虱潰しにする他ないな」
「あの六本目のゲマトリアが追って来たらどうするよ?」
「また鬼ごっこだな。まぁ、足止めぐらいはオレが何とかしよう」
「……そうならない為にも、急いで見つけないといけませんね」
多分、本人は冗談のつもりだと思う。
そんなウィリアムの言葉に、姉さんは小さくため息を吐いた。
城全体の揺れは未だに収まる気配はない。
……戦ってるんだな、アイツら。
ゲマトリアがオレ達を追って来ないのは、そっちも理由かもしれない。
どちらにせよ、こっちはこっちでやるしかないワケだ。
不安を感じる心を抑えて、アイツらなら大丈夫だと胸の内で祈りながら。
オレと姉さん、そしてウィリアムは城の奥深くを走る。
あるかも分からない退路を求めて。
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