第五章:《五龍大公》との死闘

170話:手品の種

 

 何度目になるかも分からない死線。

 飛んでくる「何か」を俺は半ば勘で潜り抜ける。

 背後で響く轟音。

 封印に鎖されたヴリトラの本体を宿す心臓の広間。

 その洞窟めいた床を見えない爪が抉り取る。

 ゲマトリア――青い衣装を着たゲマトリアは不愉快そうに舌打ちした。

 

「本当にすばしっこいですね……!」

「照れるな」

「褒めてるけど褒めてませんよ!」

 

 叫びながらゲマトリアは雑に腕を振り回す。

 多分、攻撃の正体は透明な力場か何かだろう。

 ゲマトリアが語っていた固有能力ユニークスキルの一つか。

 幸いなのは、攻撃の発生がゲマトリアの腕の動きに合わせて起こる事だ。

 だから視覚的には見えないが回避そのものは難しくない。

 ちなみに威力としては、文字通り竜が爪や尾を振り回してるのと大差ない。

 つまりまともに喰らったらアウトだ。

 

「ま、それこそいつもの事か」

「何の話ですかね!」

「いや、独り言だから気にしないでくれ」

 

 力場の爪は避け、ゲマトリア自身の爪や蹴りは剣で受け流す。

 回避と防御に専念しつつ、隙を見ては剣の切っ先で叩く。

 青いゲマトリアが現れてから此処まで、只管その繰り返しだ。

 後方ではアウローラがヴリトラの封印解除の為の儀式を行っている。

 ボレアスが傍にいるが、そっちはあくまで不意打ちの対処がメインだ。

 ゲマトリアの足止め、それは俺の仕事だ。

 可能なら首一本を落とすぐらいまではやっておきたい。

 

「っ……!」

 

 振り下ろされた力場の爪。

 それを横に飛んで躱し、起き上がる勢いに乗せて剣を横薙ぎに払う。

 切っ先が僅かにゲマトリアの腕を削る。

 相変わらず硬いが、まったく徹らないワケじゃない。

 文字通り爪で引っ掻いたような傷でも、積み重ねる事だけが俺にできる事だ。

 ゲマトリアの表情から余裕は無くなっていた。

 

「……強いって事は、分かってたつもりなんですけどねぇ」

 

 此方に聞かせるというより、多分独り言に近い。

 呟きながら、ゲマトリアは笑っていた。

 それは同時に苦虫を噛み潰したような顔だった。

 

「別に最初っから加減してるつもりはこれっぽっちも無いのに。

 ホント、何をどうして此処まで粘れるんですかね……!」

「そう言われてもな!」

 

 弾く。弾く。弾き落とす。

 時に大きく身を躱して、僅かな隙を突いて剣を叩き込む。

 ゲマトリアは腕や爪に黒い炎――例の《邪焔》を纏っていた。

 当たれば必殺。

 竜殺しの刃ですら容易くは貫けない。

 しかしコイツは消耗が大きい事も既に分かっている。

 加えて、これで都合二度目だ。

 

「――それなりに慣れて来たからな」

「ッ……!」

 

 弾く、いや受け流す。

 力場の爪と、その後を追う形で襲って来る《邪焔》を纏う爪。

 初撃は身体を捻って回避し、黒く染まった爪は剣の刃を合わせて軌道を変える。

 そしてがら空きになった胴体へと剣を打ち込んだ。

 硬い感触が返って来るが、構わず全力を込めて斬り裂く。

 

「この……っ!」

 

 僅かに顔を歪め、ゲマトリアは見えない爪を振り回す。

 こうなると付近に安全圏は無いため、兎に角傍から離れるしかない。

 地面を蹴り、転がるようにして距離を取れば。

 

「ガァ――ッ!!」

 

 其処を狙って《吐息ブレス》が飛んで来た。

 吐き出されたのは氷雪混じりの冷気の塊。

 直撃すれば手足が萎える辺り、下手な炎よりも厄介かもしれない。

 あくまで直撃すればだが。

 

「っと……!」

 

 動きは一瞬でも止めない。

 竜と戦う際は絶対に守らねばならない鉄則だ。

 相手の力は此方を容易く引き裂ける。

 時には「がまん」も必要だが、《吐息》も喰らわないに越した事はない。

 だから俺は強引に身体を前に倒し、更に勢い良く地面を転がる。

 吹き荒ぶ氷雪が鎧の表面を凍らせるが、身体の熱までは奪われずに済む。

 この程度なら何も問題はない。

 

「本当にちょこまかと……!」

 

 焦れた様子で舌打ちするゲマトリア。

 再び放たれる力場の爪を、今度は剣で弾き返す。

 ――ゲマトリアは強い。

 上の城で一度、そして此処で二度目の戦い。

 動きに関しては、まぁ多少なりとも慣れて来た。

 それで気を抜くと足元を掬われるので注意は怠れないが。

 人の姿でも、ゲマトリアの戦い方は普通の竜と大きな差はない。

 圧倒的な膂力と速度で爪とかを振り回し、強力な《吐息》を撃ち込んでくる。

 これに固有の異能が付くが、まぁ概ね単純シンプルではある。

 逆に言えば、単純だからこそつけ入る隙自体は少ない。

 地道に攻撃を躱しながら、少しずつ削って行く。

 俺にとってはいつもの戦い方だ。

 ただ、その中で少し違和感のようなものを感じていた。

 

「ごめんなさい、こっちはまだもう少し掛かるわ……!」

「おう」

 

 ヴリトラに施された封印。

 その解除に専念するアウローラの声に短く応え、俺は剣を振るう。

 違和感の原因は、当然ゲマトリアだ。

 繰り返すが、ゲマトリアは強い。

 今も回避や防御を優先しなければ容易く鎧ごと引き裂かれているはずだ。

 同時に、「こんなものだったか?」と感じる自分もいる。

 少なくとも、城で戦った時はボレアスの助力ありで首一本とギリギリ互角だった。

 ボレアスはアウローラの傍に置いて、今の俺は自分の身一つだ。

 あの時ほどに攻められず、耐える事に専念しなければならない現状。

 差し引きでは変わらないのか――とも思ったが。

 

「ガァ――っ!!」

 

 再び放たれる氷雪の《吐息》。

 剣で防ぐのは難しい為、これは避ける以外にない。

 まともに喰らえば手足を腐らせる冷気の塊。

 アウローラの鎧がなければ、仮に余波でも無事では済まない威力だ。

 これを回避してやり過ごし――。

 

「――――」

 

 見た。

 敵が予想外に粘る為、苛立たし気に苦戦を強いられている。

 そんな顔をしていたゲマトリアが微かに浮かべた笑みを。

 何かある。違和感はソレだ。

 そう、そもそも最初からおかしかったのだ。

 ゲマトリアは別に俺達の事を侮っちゃいない。

 にも拘らず、これまで一度も「五人全員で」襲って来た事はない。

 精々、全員揃っていた酒宴の時ぐらいだ。

 あそこも糞エルフに対して癇癪起こしただけで、本気で仕掛けたのとは異なる。

 ……《闘神》との戦いの後、ゲマトリアはアウローラを抑えて見せた。

 《五龍大公》、大真竜の一柱としての格を見せつけるように。

 五本の首全てが等しくアウローラより強いのであれば。

 無駄に戦力を小出しにせず、最初から全力で来れば抵抗の余地はなかったはず。

 何故、そうしなかったのか。

 しなかったのは、そもそも「できない」理由があるからでは無いのか。

 その上で忘れてはならない事は一つ。

 ――ゲマトリアはという事実だ。

 

「ぎっ……!?」

 

 剣を振るったのは、半ば勘からだ。

 氷雪の塊を避けた先、一見すれば何の気配もなかった場所。

 その空間に向けて刃を振り下ろせば、切っ先には確かな手応えが生じる。

 上がったのは短い悲鳴。

 何もいなかった。

 何もいなかったはずのその場所に、立っている影が一つ。

 黄色い衣を纏ったゲマトリアだ。

 俺の剣に肩口を斬り裂かれ、その場から後ずさる。

 姿は見えたが、気配は未だに存在しない。

 いや――微かにだが感じられる。

 竜としての気配や、本来なら強大であるはずの力の存在感。

 目の前にいる黄色いゲマトリアから感じるモノは、酷く希薄だった。

 剣も、これまで《邪焔》抜きでも其処まで深い傷は与えられなかった。

 だが今の一刀は、ゲマトリアの身体を大きく斬り裂いていた。

 

「なっ……!?」

 

 驚きを見せたのは青いゲマトリア。

 けれど動揺で動きを止める程、敵も甘い相手ではない。

 こっちが黄色い方に追い打ちをかける事を防ぐ為だろう。

 横から大振りに払う形で放たれた力場の爪。

 タイミング的にも此方は避ける他ない。

 地を蹴って僅かに距離を取る。

 それから改めて剣を構え、二匹に増えたゲマトリアを見た。

 

「ッ……まさか、今のに対応するなんて……!」

「その奇襲はもう一回見てるしな」

 

 城の方でもアウローラが同じ手でやられていた。

 さっき対応できたのは勘と運で七割だが、言う必要もない。

 気付けない程に気配が希薄だった黄色いゲマトリア。

 しかし今は、そっちも青いのと遜色ない強い力を纏っていた。

 傷の方は……完全ではないにしろ、既に大部分が塞がっている。

 高速での治癒が黄色い奴の固有能力か。

 それとも気配や姿を消していた方か――と。

 考えた処で、少し閃くものがあった。

 

「流石に、二体同時はしんどいな」

 

 そう呟きながら、慎重に間合いを詰めていく。

 こっちの目的はあくまでアウローラの邪魔をさせない事だ。

 睨み合ってる内に片方が向こうに飛んで行きました、では本末転倒。

 意識を俺の方から外させない為にも、自分から前に出る。

 

「そうでしょうねぇ。

 ホント、人間とは思えない戦いぶりですよ。

 ボクを相手に此処まで粘るんですからね!」

「そうだな。正直、これ以上に囲まれるとしんどいが」

「それも当然でしょうねぇ!

 まぁ人間相手に首二本以上は必要ありませんけど!」

 

 俺の軽口に、ゲマトリアもまた軽い調子で応える。

 道化のようにふざけた言葉だが。

 今ので思い付きは確信に傾いた気がする。

 

「……二本以上は必要ない、じゃなくて。

 三本より多くは出したくないんじゃないか?」

「…………何を言ってるんですか?」

 

 慎重に間合いを詰めていく。

 俺の言葉など無視すれば良いところを、ゲマトリアは流せなかったらしい。

 だから此方も遠慮なく続ける事にした。

 

「此処までお前は、最初の酒宴以外では全員同時には仕掛けて来なかった。

 お前が俺達の事を侮ってるワケじゃない。

 そういう態度こそ取ってるが、俺はお前をそんな間抜けだとは思ってない。

 ―――だったら、行動には理由があるはずだ」

 

 距離は縮まり、そろそろ間合いを一足で潰せる頃だ。

 二匹のゲマトリアはまだ動かない。

 俺も剣を構えたまま、今は言葉を向ける。

 

「……それが何だって言うんですか?」

「まぁ、大した事じゃないって言われたらその通りだけどな。

 何も難しい話じゃない。

 ただ単純に、お前は『』ってだけの事だからな」

 

 ――そう、結局のところそれがゲマトリアのカラクリだ。

 五人のゲマトリアではなく、ゲマトリアの首が五本。

 別個の存在ではなく、根本で一つに繋がった同一の存在。

 だから魔力とかは共有しているし、恐らく偏らせる事も自由にできる。

 戦争都市でアウローラを圧倒した時も、一本の首に大きく力を寄せたんだろう。

 それで「首一本でもこれだけの力を持っている」と誤解させた。

 戦う時に全ての首を揃えないのも似た理屈だろう。

 敵に自身の力の総量を悟らせない為に、敢えて全力でないよう見せかけていた。

 分かってしまえば子供騙しに近いが、実際やられるとなかなかに嫌らしい。

 逆に力の分配を極端に少なくする事で気配を隠すとか、地味に小技も利いている。

 

「…………それで?」

「いや、分かったところで別にどうって事はないよな。

 単純に数が増えても戦力が大きく増えるワケじゃないってだけで」

「そこまで見抜いた事は、褒めてあげても良いですけどね」

 

 俺の言葉に対し、ゲマトリアは笑う。

 それは獣が牙を見せている様に良く似ていた。

 

「――ええ、貴方の言う通り。

 それが分かったところで、ボクには勝てませんよ!」

 

 叫ぶように言ったのは黄色いゲマトリアだった。

 爪を振るうが、まだ腕の届く間合いじゃない。

 けれど俺は迷わずに回避に移った。

 殆ど同時に、見えない力場の爪が俺がいた空間を床ごと抉り取る。

 放ったのは青い方じゃない。

 黄色い方のゲマトリアの爪から放たれたモノだ。

 やっぱり、これも予想通りか。

 

「力を共有してるなら、固有能力とかいうのも当然共有だよな!」

「ホント、緩いようで鋭いですよね貴方……!」

 

 うーん、褒められてるか微妙な言葉だな。

 それは兎も角、ゲマトリアの秘密についてはある程度分かった。

 別にそれで弱点が分かったとか、そういうワケじゃないのが辛いところだが。

 

「まぁ、こっからが本番だな」

「――ええ、そうですね。貴方の言う通り」

 

 応えたのは二匹のゲマトリアではなく。

 更に姿を見せた三匹目、赤い衣装のゲマトリアだった。

 力を分割した上で一定以上の戦力を個体ごとに保てる、これが最大の数か。

 もう不意を打つ意味は無いと言わんばかりに。

 三匹分の敵意と殺意が、真正面から俺に集中する。

 

「此処からが本番ですよ。但し、長引かせる気はありませんけどね!」

「そうか」

 

 叫ぶゲマトリアには余裕があった。

 カラクリは分かっても、相手の手札を全て見たワケじゃない。

 そもそも単純に戦力差が圧倒的だ。

 その辺りを理解しているからこその余裕だろう。

 逆にこっちに余裕なんてものは欠片も無い。

 だから、そう。

 やる事はいつもと同じだ。

 

「こっちは、事が済むまで幾らでも付き合って貰うつもりだけどな」

「減らず口を……!」

 

 余裕はあれどもややキレ気味に、三匹のゲマトリアが同時に動く。

 さて、言った通り。こっからが本番だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る