87話:水底の貴婦人

 

 ――曰く、マレウスの別名は「水底の貴婦人オンディーヌ」。

 かつて大陸を支配した偉大なる古竜の王。

 《古き王オールドキング》の一柱であり、その中でも一番の穏健派。

 人間社会を広く支配していた竜王バビロンとはまた異なる形で人類に友好的だったらしい。

 竜としての力を振るう事も余り好まず。

 自らも人間としてその生活に寄り添い、それを支えていたという。

 その為に竜王としてはかなり知名度が低いとか。

 ……と、同じ古竜である二人の説明を思い浮かべながら、ゆったり通路を歩く。

 先頭に立つのは件の竜王マレウスだ。

 包み込むというか、其処に自然にあるというか。

 これまで接触した竜の類は、タイプの違いはあれ強烈な存在感を持っていた。

 マレウスの気配が薄いわけじゃないが、圧力のようなモノは全く感じられない。

 じゃあ弱いかと言うと、さっきみたいに言葉に強い力もある。

 なんつーか、今までにない不思議な相手だった。

 

「……貴女、イーリスって言ったわね。

 大丈夫? もしかして緊張しているかしら」

「んんっ。あー、いや。別にそんな事は」

「いいわ。一歩間違えれば敵地の中みたいな状況だもの。

 神経を使うのも無理はないわ」

 

 そうして語る言葉は優しく穏やかだ。

 聞いているだけで安心するのも、なかなか危険な気がする。

 

「しかし長いっつーか、広いな此処も」

「ごめんなさい、もう間もなく到着するから」

 

 アウローラを右腕に引っ付けつつ、レックスが呟いた。

 それに少し苦笑いを見せて、マレウスはほんの僅かに歩調を早める。

 ――正面ゲートで彼女と遭遇した後。

 竜の古馴染み同士は混乱しつつも、「一先ず話せる場所へ」という結論で落ち着いた。

 罠の可能性は無いのかと、一応確認してみたが。

 

「マレウスが私を罠にかける?

 そんな事はあり得ないから、心配する必要ないわ」

 

 とはアウローラの言葉だ。

 何だかんだでホントに身内に甘いよな、この竜王様。

 兎も角、一応リーダーっぽいレックスも特に意見しなかった。

 多少の不安はあったが、こうなっては腹を括るしかない。

 門を潜った後も手続きは幾つかあったらしいが、それはマレウスが飛ばしてくれた。

 確か「副学長」とか言ってたし、都市の有力者なのは間違いないらしい。

 入手済の《学園》の情報を参照すると、実際にマレウスの名は記載されていた。

 「副学長」という役職も、都市の地位としては二番目に高い。

 その上にトップである「学園長」がいるが……何故かそれの名前は空白だった。

 疑問に感じながらも、とりあえず今はマレウスに付いて行く。

 それから更に専用の通路とか、自動制御の昇降機エレベーターなどを経由し。

 今は都心の中心、例の白い『塔』の上層を移動していた。

 他に人の姿も無い通路を、集団でぞろぞろと進む。

 暫くすると。

 

「――着いたわ。この扉の先が、私の執務室」

 

 そう言って、マレウスは一つの扉の前に立ち止まった。

 如何にも頑丈な扉。その脇の端末へ彼女はさっと手を翳す。

 軽い電子音が響き、滑るように扉が開かれた。

 部屋の内装は、これまでの施設内の様子とは異なり古典的クラシカルな雰囲気だ。

 作業用のデスクや蔵書の置かれた棚など、家具の類は全て木製。

 壁紙やら床に敷かれた絨毯とかも、古ぼけちゃいるが上等な代物だ。

 この場所だけ、時間が過去に巻き戻っているような錯覚を覚えそうだった。

 

「相変わらず良い趣味してるみたいね?」

「そうかしら? 昔から使っているものばかりだけど……」

「竜は古く価値の高い宝を溜め込む習性はあるがな。

 マレウスの宝は相変わらず地味だな」

 

 遠慮なしに室内を見て回る姉妹(?)に、マレウスは少し困った風に笑う。

 短いやり取りだけでも、何となく関係性が透けて見えるな。

 オレと姉さんは、部屋に入ったぐらいでちょっと様子見していたが。

 

「さぁ、遠慮せずに座って。そちらの鎧姿の彼もね」

「あ、はい。お邪魔します」

 

 完全武装だからちょっと気を使ったか。

 扉の手前ぐらいにいたレックス含めて、全員室内に足を踏み入れた。

 そんで促されるままソファーに腰を下ろす。

 うーん、程良く柔らかくて座り心地も良いな、コレ。

 

「今お茶を淹れるから、もう少しだけ待って貰える?」

「私も御手伝いしましょう」

「いいのよ、座って待っていて頂戴。

 お茶を出す必要のあるお客様なんて、随分久しぶりだから」

 

 姉さんの申し出を、マレウスはやんわりと受け流す。

 ホントに落ち着いた態度の人……竜だな。

 

「? どうかした?」

「いや別に」

 

 思わずアウローラの方を見ちまったが、幸い思考は読まれなかったようだ。

 そんなやり取りを見たらしく、マレウスは楽しげに笑った。

 それから人数分のカップを来客用のテーブルに置いて。

 

「今は、貴女の事はアウローラと呼べば良いの?」

「ええ。古い名前は《言語統一》からも外したし、呼ぶならそちらで呼んで」

「それは勿論構わないけど……」

 

 と、少し言葉に迷った様子で声が途切れて。

 マレウスはアウローラを見ながら、柔らかく微笑んだ。

 

「何と言うか――随分と、可愛らしくなっちゃったわね」

 

 それはからかいと言うよりは、なんつーか。

 久しぶりに会った親戚のお姉さん的な反応というか。

 いや比喩も何もそのまんまかコレ。

 明らかに嬉しそうに笑うマレウスに、アウローラは若干戸惑ったようだ。

 

「可愛いらしくって……なに、文句でもあるの?」

「まさか、私が貴女に文句を口にした事があった?

 むしろ取り繕うのが上手だった貴女が、そんな素直な顔を見せてくれるの。

 私はとても嬉しいわ」

「……そ、そう? 正直、何て答えたら良いか分からないけど」

 

 ニコニコのマレウスに、ちょっと照れた様子のアウローラ。

 同じ姉妹のブリーデと違って、こっちの関係はあんまり拗れてなさそうだ。

 当然口には出さんし、顔色を読まれる前に誤魔化す意味でお茶を呑んでおく。

 白いカップも高価そうで、ちょっと触るのも躊躇ったが。

 

「……あ、美味い」

「口に合ったなら良かった。

 お茶請けは生憎と切らしていて、申し訳ないわ」

「いえ、これだけでも十分過ぎるぐらいです。

 お気遣いありがとう御座います、マレウス殿」

 

 姉さんの方も、お茶の味には驚いたようだ。

 レックスは……鎧姿のまま飲むのに少し苦戦していた。

 カップの取っ手が小さくて、籠手のままじゃそりゃ掴みにくいよな。

 

「ええと……大丈夫?」

「おう、大丈夫大丈夫。慣れれば何とかなる」

 

 心配するマレウスに応じながら、レックスはカップを持ち上げる事に成功した。

 好きに鎧も脱げないって、今さらながら不便だな。

 面覆いをずらしてお茶を啜るレックスを、マレウスはじっと見て。

 

「……ねぇ、とても不躾な質問だと思うけど」

「うん?」

「貴方はアウローラの恋人なのよね?」

「ぶっ」

「行儀が悪いぞ長子殿」

 

 マレウスの直球極まりない質問に、アウローラは思わず吹き出した。

 膝辺りにぶっかけられたボレアスが抗議するも、咽ててそんな余裕も無さそうだ。

 そんで聞かれたレックスの方は、慎重にカップを置いてから。

 

「……多分?」

「あら、多分なの?」

「ちゃんと確認とかしたわけじゃないからなぁ」

「アウローラはあまり素直じゃないし。

 その辺り、ハッキリさせる事を彼女の方が避けそうよね」

「うん、だから俺も明言して良いものか微妙で」

「そっか……うん、大変でしょうけど仲良くしてあげてね。

 アウローラは昔から寂しがりやで、身内には甘えたい方だから」

「ちょっと、マレウス???」

 

 直ぐ傍で彼氏(推定)と姉妹にそんな会話されるとか、すげェ羞恥プレイだな。

 真っ赤に茹で上がった顔で口を挟むが、それは藪蛇な気がする。

 案の定、マレウスは不思議そうに首を傾げて。

 

「あら、何? 間違った事は言ってないと思うけど」

「間違った事は言ってないってアンタ……!」

「道すがらで簡単に聞いた限りの結論だけど。

 貴女はこっちの彼の為に三千年も使ったのよね?」

「そ、それが?」

「それって彼が――レックスが大事で、他の事とか全部放っても良いって。

 そんな風に思ったからそうしたんでしょう?」

「それは……そう、ね。間違って無いわ」

「じゃあやっぱり恋だし、彼の事が好きで愛しいんでしょう。

 ホントにもう、嬉しくて何千年ぶりかぐらいに歌って踊り出しそうよ、私」

「何でアンタがそんな喜ぶのよ……!?」

 

 もう顔どころか全身赤くなりそうな勢いだな。

 しかしまぁ、マレウスが言ってるのは本音なんだろう。

 彼女は心の底から、アウローラの幸福を喜んでいるのは間違いない。

 ……これを意外って言うのは、凄まじく失礼だろうけど。

 

「ぶっちゃけアイツ、もっと嫌われてるかと思ったわ」

「長子殿の事を蛇蝎の如く嫌う兄弟姉妹は確かに珍しくはないぞ」

「あ、やっぱそうなんだ……」

 

 空になったカップを弄りつつ、ボレアスが俺の独り言に応えた。

 昔を思い出しているのか、何とも複雑そうな顔で笑って。

 

「だがまぁ、全員が全員というわけでも無かった。

 中にはマレウスのように、長子殿の事を慕う者もいたな」

「他にもいたのか?」

「そうだな、もう一人いたが……実際のところは我も良く分からん。

 結局『アレ』は長子殿の為に都合よく振る舞っていただけであったからなぁ」

「なんだそりゃ」

「なに、古い話だ。

 古竜らが真竜共に滅ぼされているなら、出会う可能性も低かろうよ」

 

 同じ《古い王》の事みたいだが、聞いてるこっちが一番分からんわ。

 で、こっちの会話に反応したのはアウローラだった。

 彼女は動揺を誤魔化すみたいに、何度か大きく咳払いをする。

 それから改めてマレウスを指差して。

 

「今、私の事はどうだって良いのよっ。

 それよりマレウス、貴女はどうして此処にいるの」

「どうしてって……」

「《古き王》を含めた古竜の殆どは滅ぼされ、今の時代には存在しない。

 少なくとも私はそう聞いたのだけど」

「あぁ、何かそんな話だったな」

 

 アウローラの指摘に、レックスの方も頷いた。

 今までは喜びに満ちていたマレウスの表情が翳った。

 哀しみとか戸惑いとか、そういう感情が一通り煮詰まった顔だ。

 直ぐに言葉を返さないマレウスに対し、アウローラは更に続ける。

 

「答えなさい、マレウス。

 私達は同じ《古き王》のラグナが喰われ、狂い果てた真竜とも遭遇してる。

 今の貴女がどういう立ち位置なのか、正しく答えなさい」

「……そうね」

 

 少し、疲れたような吐息を漏らしながら。

 マレウスはアウローラの言葉に頷く。

 

「貴女が考えている通り、今の私は古竜ではなく真竜の側に立ってる」

「つまり、真竜に寝返ったという事?」

「いいえ、古竜でそれをしたのはただ一柱だけ。

 私は裏切ったわけじゃない――ただ、『』だけよ」

 

 喰われたと。

 マレウスは確かにそう言った。

 思い出すのは地下墓地で遭遇した燻り狂った獣の姿。

 

「つまり、アンタはやっぱり敵なのか?」

 

 滅茶苦茶シンプルに、レックスは問いかける。

 普通にソファーに座って寛いでるようで、答え次第で即動ける構えだ。

 部屋の中の空気に、戦いの気配が混じり出した。

 姉さんの表情も硬く、いつでも仕掛けられる状態だろう。

 その流れの中心にあるマレウスは、あくまで落ち着いた様子で。

 

「――私自身は、アウローラや貴方達の敵になるつもりは無いわ。

 けれど、そう簡単には行かないのも事実」

「分かりやすく言え、マレウス。お前は少々回りくどいぞ」

「ごめんなさい。《北の王》……じゃなく、今はボレアスだっけ?」

「古い誼だ、特別に好きな方で呼べよ」

 

 ボレアスの物言いに、マレウスはまた少しだけ笑った。

 そして、一つの事実を口にする。

 

「私を喰ったのは、この《学園》を預かっている「学園長」。

 盟約の礎である大真竜の一柱、ゲマトリア直属の真竜。

 そして私は「学園長」の従僕という形で活動を許されている」

「……つまりは奴隷ってわけね。《古き王》の一柱ともあろう者が」

「返す言葉も無いわ。

 そのせいで行動や記憶に幾つかの制限は存在している。

 けど同時に、私は《学園》含めた都市の運営を「学園長」から委託されてるの。

 だから自由意志や一定の行動も認められてる」

 

 そこでマレウスは一度言葉を区切る。

 次に意識して声を抑えながら、オレ達に一つの「提案」を口にした。

 

「――協力をしたいの、貴女達と。

 この都市から、「学園長」とゲマトリアの影響力を排除する為に」

 

 それは、奴隷の身に過ぎないマレウスにとって。

 文字通り命を懸けた言葉だった。


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