445話:愛のようなもの


 星が落ちる。

 朽ち果てた廃城は、落下する質量に容赦なく砕かれた。

 黄金の竜が吼えると、風と炎が嵐となって荒れ狂う。

 振り下ろされる爪も容赦がない。

 容易く大地を引き裂く力が、俺一人に向けて叩き込まれる。

 天変地異、という言葉でもまだ生温い。

 これこそが「竜」だ。

 この世で最も偉大で、最も強大な存在。

 人間では届くはずもない、恐るべき獣の王。

 ――勝てない、勝てる道理がない。

 人が竜に勝利するなどあり得ないと、言葉にせずとも伝わってくる。

 しかも相手は《最強最古》。

 古き竜の長子であり、全ての竜族の頂点。

 文字通り、この世に並ぶ者など存在しない絶対者だ。

 廃城も含めて、周囲にある全てのモノが砂のように崩れていく。

 最強の竜王が振り回す暴力に、万物はただ無力に砕けるのみ。

 その中で、俺は。


『死ね――――ッ!!』

「悪いがお断りだ……!!」


 まだ、生きていた。

 無傷ではない。

 鎧のおかげで大分マシだが、それでもまぁまぁ死にそうだ。

 落ちてくる星は、ギリギリまで引き付けた上で直撃だけは避ける。

 咆哮として発せられる《力ある言葉》。

 風や炎、氷に稲妻と、無数の攻撃魔法が無秩序にぶっ放される。

 これは剣でぶった斬ったり、鎧の防御に任せて凌ぐ。

 爪や尾に関しては、大振りだから回避するのは難しくなかった。

 避ける、防ぐ、たまに掠ってふっ飛ばされる。

 風に振り回される木の葉の気分だが、それはまぁ大体いつも通り。

 今日のはかなり激しいが、耐えられないワケじゃない。


『チッ……!!』


 苛立ったような舌打ち。

 俺がいつまでたっても死なない事が、不愉快で堪らないようだ。

 何か言ってやろうかと思って、思い留まる。

 並んだ牙を晒すみたいに、アウローラはその顎を大きく開いていた。

 次に来るのが何か。

 考えるまでもなく分かったので、俺は強く地を蹴った。


『ガァ――――――ッ!!』


 《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 アウローラが放つソレは、炎ではなく全てを焼き尽くす極光だ。

 これまでも何度か見たものだが、今回のはちょっと威力の桁が違う。

 直撃は避けたはずだが、余波を浴びるだけでも全身が沸騰しそうになった。

 極光の《吐息》が発射されたのは、ほんの数秒。

 その数秒足らずで、地面には大きな傷が刻まれていた。

 高熱を受けてドロドロになった溶岩を踏み締めて、アウローラは叫んだ。


『何処だ……!?』

「こっちだよ……!!」


 《吐息》が派手過ぎて、その光で彼女は俺を見失っていた。

 放った直後に、向こうも失敗に気付いたのだろう。

 普通に考えれば、今の《吐息》を受ければ人間なんて助かるはずがない。

 にも関わらず、アウローラはすぐに「何処だ」と叫んだ。

 俺がこれぐらいで死ぬワケがないと、無意識に理解していたのか。

 だから俺も、素直にその声に応えておいた。

 背後の死角から飛びかかり、手にした剣をまっすぐ振り下ろす。

 切っ先から伝わる硬い感触。

 黄金に煌めく鱗の一枚が切り裂かれ、地面に落ちた。


『貴様っ!!』

「っと!」


 怒りの声。

 ほぼ同時に、尻尾が横薙ぎに払われる。

 まともに食らったら、地平線の彼方までふっ飛ばされかねない。

 俺はタイミングを合わせ、向かってくる尾を蹴り飛ばす。

 防ぐのではなく、踏み台にする形だ。

 強化された脚力で、そのままアウローラの頭上を飛び越える。

 向こうも見えてはいるようだが、反応は間に合っていない。

 ついでとばかりに、首辺りの鱗も一枚斬っておいた。

 一つ、また一つ。

 機を逃さず、俺は攻撃を重ねていく。


『無駄なことを……!』


 アウローラは叫んだ。

 その声を《力ある言葉》として、複数の魔法が同時に発動する。

 恐らく、十を超える魔法の超多重行使。

 人間の魔術師では到底不可能な、まさに人外の絶技。

 そんな超人技を、アウローラは棍棒ぐらいのノリで振り回す。

 炎、風、氷、雷、重力、水流、熱線、毒、腐食、分解。

 どれもこれも、人間一人が死ぬには十分過ぎる威力があった。

 炎は切り払い、風は耐えて、氷と雷もやっぱり剣で斬り裂いた。

 雷は避けたし重力は我慢して、水流や熱線は剣で叩いてみたら蹴散らせた。

 毒や腐食はそもそも鎧が防いでくれたし、分解だけは気合いで回避。

 うん、意外と何とかなるな!


『星よ!!』

「流石にそろそろ加減して欲しいけどなぁ……!」


 まぁ、言っても当然聞いてくれるはずもない。

 魔法の連打をしのいだら、今度は《流星》の連続落下。

 ただ夜空に向かって吠えた隙を突いて、また何枚か鱗は切断しておいた。

 心底鬱陶しそうに、アウローラが俺を睨んでくる。

 ――意味が分からない。

 多分、そんな感じの目だ。

 ちまちまと鱗を削いだところで、一体何の意味がある?

 きっと、今の彼女には分からないだろう。


『ガァ――――!!』


 星を落としつつ、そこに《吐息》も重ねる。

 さっきの失敗を繰り返さぬよう、威力は大分絞った一撃だった。

 それでも、当たれば何回死ぬかわかったものじゃない。

 撃ち込まれる極光はどうにか避ける。

 落ちてくる隕石の内、細かいモノは剣で砕いた。

 飛び散る破片が地味に痛いが、これは我慢するしかない。

 デカいのは、落下直前に加速することでまたギリギリ回避する。

 余波だけでも死にそうな勢いでふっ飛ばされるが、まぁそれは耐えるしかない。

 身体中がバラバラになりそうなぐらいに痛む。

 だがそれも、いつもの事だった。

 剣は握っている。

 足は動く。走れる。

 視界には地獄と化した世界と、黄金の竜が見えている。

 問題ない、何も問題はなかった。

 生きていて、動けて、戦えるのならば。

 俺にとっては何一つ問題はない。


『ッ……何故……!?』


 困惑するアウローラ。

 構わず、こっちは一気に距離を詰めた。

 反射的に振り下ろされる爪は、下をくぐる形で躱す。

 すり抜けざまに腕の鱗を斬り裂いて、更に前へと踏み込む。

 薙ぎ払う尾も回避し、鱗の一枚を剣で断つ。

 細かい魔法が雨みたいに降ってくるが、これも大した事はない。

 足に向けて剣を数度打ち込み、その数と同じだけの鱗が地面に落ちた。

 ――よし、順調だな。


『何故、人間がこんな戦い方を……!!』

「そりゃまぁ、慣れてるからな」


 笑う。

 戸惑いながら怒り狂うアウローラに、俺は笑っておいた。

 まだ不慣れな新しい《竜体》より、扱い慣れた方の《竜体》で。

 そうすれば、更に強大な力で十全に叩き潰せると。

 アウローラはそう考え、巨大な竜の姿を選んだはずだ。

 小細工では俺は殺せない。

 竜としての本来の戦い方で、俺を殺す。

 彼女自身が語った通り。


「ホントに悪いが、こっちの方が慣れてるんだ」


 

 俺のことを忘れてるアウローラでは、気付きようもない。

 山のようにデカい、恐るべき竜との戦い方。

 それに関しては多分、俺は誰よりも慣れてる自信がある。

 けれど今のアウローラは、それを知らない。

 だから彼女の戦い方は、俺にとっては一番やりやすいものだった。

 加えて言うなら――。


『ッ、何故当たらぬ……!!』


 相手は、アウローラだからな。

 彼女が俺を覚えて無くとも、俺は彼女を良く知ってる。

 どういう風に攻撃するのが好みか。

 どのタイミングで仕掛けてくるのか。

 それも何となくだが、読み取ることができた。

 油断はできないし、一つでも失敗すれば即死に繋がる。

 俺にとっては、いつも通りの竜との戦いだ。


『人間一匹を、《最強最古》たる私が何故殺せない……!?』

「愛の力って奴かな?」

『黙れッ!!』


 力任せの極光の《吐息》。

 こんだけ無茶苦茶暴れてんのに、力の底はまだ見えない。

 それに関しては本気で恐ろしかった。

 慣れた戦いができるとはいっても、こっちは人間だ。

 今も、剣の助けを借りてどうにか力を振り絞ってる状態だ。

 地を蹴り、引き裂かれた大地を駆ける。

 剣を振るって、また一枚の鱗を剥ぎ取った。

 まだまだ届かない。

 まだ、「アウローラ」へ届かせるには足らない。

 戦いはまだ、始まったばかりだ。


『愚かを悟るがいい! 人が竜に勝てるものかよッ!!』

「ッ……!」


 衝撃。

 回避したつもりが、爪の先がほんのすこし引っかかった。

 踏ん張ろうとしたが、それも失敗した。

 紙切れか何かのように、派手にふっ飛ばされてしまった。

 地面を無様に転がる俺を、アウローラが見逃すはずもない。

 降り注ぐ星のつぶて

 超高速の弾丸を、自分から地べたを這って紙一重で回避する。

 転がる勢いに任せて立ち上がり、それを見る。

 極光の《吐息ブレス》だ。

 起き上がりの瞬間を、ピンポイントで狙った一撃。


「容赦ねぇな……!!」


 それも剣で弾いた。

 向こうが威力を絞っていたのが不幸中の幸いだ。

 光を刃で切り裂き、撒き散らされる余波が甲冑の表面を焦がしていく。

 どうにか直撃は防いだが、アウローラの攻撃は止まらない。

 俺が《吐息》を受けた直後、その巨体がもう眼前まで迫っていた。


『死ね!!』


 殺意を吠えて、竜の爪が頭上から落ちてくる。

 《吐息》でこっちの動きを固め、そこを狙っての一撃だ。

 回避は不可能で、防御は叩き潰せば良い。

 今度こそ俺の死を確信し、竜は笑っていた。

 だから俺は、気合いを入れて剣の柄を握り締める。


「オラァっ!!」

『な……ッ!?』


 一撃。

 振り下ろされた爪に対し、上に向けて剣を振り抜いた。

 竜と人間、両者の力の差など論ずるまでもない。

 獅子とウサギの方が、まだ勝ち目があるぐらいだろう。

 そんな道理を、俺は気合いで跳ね除ける。

 剣に宿る炎で血肉を燃やし、身体を破壊する勢いで力を込めた。

 そして放った一刀は、竜の爪を逆に斬り飛ばした。


「ッ……」


 身体が軋む。

 死神の吐息が、首筋辺りを冷やしていた。

 下がれば死ぬし、前に出ても死ぬ。

 今立っている場所が、本当にギリギリな死線の上だと。

 本能的に理解できたし、頭でも分かってはいた。

 けど、俺はそれを無視した。

 無視して、躊躇なく前へと踏み込む。

 爪を斬られて怯んだアウローラに、更に一太刀打ち込んだ。

 複数枚の鱗を、纏めて撫で斬りにする。

 鱗だけではなく、その下の血肉にも刃は達していた。

 傷を刻んだのは左足で、届いたとはいえ決して深くもない。

 ぶっちゃけ、相手からすれば掠り傷だ。


『人間如きが、私に傷を……!!』

「いや、まだまだこれからだからな」


 これ以上ない憤怒を滾らせる黄金の竜。

 俺は敢えて手を止めて、笑いながら応えた。


「お前がちゃんと思い出せるよう、もっといっぱい傷付けてやる。

 だからそっちも、遠慮せずに来いよ」

『ッ~~……き、さまァ……!!』


 激情が燃える。

 激しすぎて、それを愛だと錯覚しそうだ。

 いや、あながち勘違いでもないのか?

 この世で最も強く、最も古い竜の王様。

 それが今、俺一人だけを見てる。

 俺一人を殺そうと、その全能力を傾けようとしているんだ。

 うん、それは概ね愛みたいなものだろう。

 だったらこっちも、一番気合いを入れて応えないとな。


『戯言はもういいと、何度も言っているはずだぞ人間!!』

「いや、全部マジで言ってるだけだからな」


 怒れる竜の咆哮に、言葉を重ねて。

 ますます荒れ狂う竜の暴威へと、俺は自分から身を躍らせた。

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