446話:邪悪な竜を殺す御伽噺


 走る。

 跳ぶ。

 剣を振るう。

 落ちる星を躱し、衝撃を受け流す。

 魔法は斬るか、或いは気合いでどうにか耐える。

 頭上を過ぎるのは、爪か尻尾かは分からない。

 見えるよりも先に勘で回避する。

 直撃すれば、首から上が吹き飛んでいただろう。

 さらっと死線を越えるのは、これで何十――何百?

 数えるのも馬鹿らしいし、数えたところで意味はなかった。

 何せこっからその何倍、何十倍も踏み越えなきゃならないんだ。


『鬱陶しい――――ッ!!』


 憤怒。

 激しく燃え盛る怒りを、竜は咆哮として撒き散らす。

 単なる叫びではなく、強烈な魔力を帯びた《力ある言葉》だ。

 ただの一声で、古き竜は天変地異を引き起こす。


「っ……!」


 大地が鳴動する。

 度重なる戦闘の余波で、地面はもうズタボロだ。

 それを更に、竜の魔力が激しく引き裂く。

 見れば、相手は背の翼を大きく広げていた。

 翼で飛んでるワケじゃないから、わざわざ羽ばたく必要はないはずだ。

 きっと、「飛行するなら翼は広げるべき」と思ってるのだろう。

 そこは微妙に可愛らしいなと思いつつ、俺は足に力を入れた。

 裂けた大地の底に呑まれる前に、大きく跳躍する。

 強化された身体能力は、通常ではあり得ない勢いで宙を舞う。

 これで地割れはやり過ごしたが――。


『ガァ――――ッ!!』

「まー当然狙ってくるよな……!」


 空中で無防備に晒された的。

 それを竜が――アウローラが見逃すはずもない。

 開かれた顎から、極光の《吐息ブレス》が放たれる。

 デカい一撃ではなく、威力を絞ったモノを連続で。

 空を飛べない身では回避のしようがない。

 回避は無理だが、まぁ何とかなる。

 どこも支えのない不安定な状態で、剣を振るう。

 竜を殺すために鍛えられた刃。

 この世で二つとない、無二の魔剣。

 刀身に極光の《吐息》を当てて、斜めに逸らす形で弾く。

 《吐息》を目で見ているワケじゃない。

 光が瞬いたと認識した瞬間、「ここだ」と思った場所に刃を置く。

 それで手応えがあれば成功だ。

 失敗した場合のことは、まぁ考えないでおこう。

 弾く、弾く、弾く、弾く。

 容赦なく連打される《吐息》の弾幕。

 その尽くを弾きながら、俺は重力に従って地に落ちる。

 着地、したら止まらずにまた走った。

 《吐息》の連打はまだ途切れていない。

 かろうじて原形を残す地面を足場に、兎に角気合いで走り続ける。


『何なんだ、貴様は……!!』

「もう言ったはずだろ!?」


 笑う。

 俺は腹の底から笑って、怒れるアウローラとの距離を詰める。

 何だかんだと、ちょっと楽しくなってきていた。

 本気で俺を殺しに来てる彼女と、こっちも全力でぶつかっていく。

 多分、傍から見れば随分悲劇的な話のはずだ。

 彼女は記憶を失って、古い竜の王様として暴れ回っている。

 それを戻せる確かな保証は、こっちの手元には一つもないんだ。

 だが、それでも。


「おおおぉぉぉッ!!」

『チッ……!?』


 根拠のない確信はあった。

 この剣は、この手は、必ずアウローラに届く。

 そのために俺ができる事は、死ぬ気で戦うことだけだ。

 俺一人じゃ無理だった。

 けど、イーリスやテレサ、ボレアスたちの助けがあった。

 他にも積み重ねがあった上で、俺は此処で戦えている。

 だったら、絶対に何とかなる。


「――悪い竜を倒して、お姫様を助ける、か」


 御伽噺の王道みたいなシチュエーションだ。

 あぁ、本当に楽しくなってきた。


『魔剣を持った英雄が、邪悪な竜を退治するなど物語だけの話だ!!』


 どうやら、独り言が聞かれてしまったらしい。

 いや、思わず口に出ちまったからな。

 それに対して、竜の王様は嘲笑を込めて叫んだ。


『だが、現実は違う!

 そんな事は起こり得ない!

 人が竜に勝利するなど、決して不可能だ!!』

「不可能じゃないぞ」


 否定の言葉を、俺は否定する。

 爪や尾の一撃を避け、魔法を剣で斬り裂いて。

 間合いを潰し、アウローラの鱗を削り取る。

 既に百を超える数が、星の欠片みたいに地面に落ちていた。


「俺は何度も、お前が見てるところでやってみせてるからな」

『ッ――――……!』


 だから、不可能なんて事はない。

 困惑をにじませるアウローラに、俺は笑って応える。


「俺は、竜殺しだからな」


 言葉と共に、また一枚の鱗を刃で切断する。

 少しずつ、確実に。

 どれだけ遥か彼方だろうが、一歩ずつ。

 積み重ねて、積み重ねて、積み重ね続ける。

 この生命が途切れぬ限り。

 天地の境を埋めるために、何度でも。

 そうすれば、やがて辿り着く。

 竜を殺すという不可能を、可能にする。


『戯言をほざくなと、何度言えば分かるのだ……!!』


 吼える。

 アウローラもまた、人間相手にその全能力を駆使してくる。

 力が弱る兆しすら見えない。

 竜の巨体から繰り出される暴力も、圧倒的な魔法の質量も。

 どれか一つでも、人間にとっては致命的だ。

 力が、嵐の如く吹き荒れる。

 距離を離せば逆に死ぬので、俺は敢えて前へと突っ込む。

 避けて、躱して、弾いて。

 甲冑がガリガリと削られるが、無視して更に前へ。

 防御や回避は優先しつつ、時には被弾覚悟で無理やり剣を当てに行く。

 鱗を削る。

 一枚、一枚、また一枚と。

 与えた傷そのものは、ぶっちゃけ大した事はない。

 むしろこっちの方が遥かに重傷だ。

 アウローラも、それを正しく理解していた。

 だから受けた傷なんて無視して、兎に角俺を潰そうと躍起になっていた。


『死ね――!

 いい加減、この言葉も言い飽きたわッ!!』

「だろうなぁ」


 本音の叫びに、また笑ってしまった。

 死ねよりも、愛してるって言葉の方が聞きたいもんだ。

 うん。それを聞くためにも、もうちょっとがんばらないとな。

 星の礫を叩き落とし、剣でまた鱗を削る。

 爪がほんの少し鎧を掠めて、身体が吹き飛ばされかける。

 が、何とか堪えてまた鱗を削る。

 《吐息》を弾いて、また鱗を削る。

 良く分からんぐらいに魔法がブチ込まれるが、気合いでどうにかした。

 あとついでに、剣を振るって鱗を削った。

 繰り返す、繰り返す、繰り返す。

 それは終わりの見えないダンスのようで。

 殆ど砕けて瓦礫と化した廃城に、見渡す限りの荒野。

 あとは、空を蓋する夜と星。

 二人で踊るには、悪くないシチュエーションだ。


『ッ……馬鹿な、何故だ……!?』


 果たして、どれだけの時間が過ぎただろう。

 その辺の感覚は曖昧なので、良く分からない。

 耳に届いたアウローラの声。

 そこには、これまでにない強い焦りが滲んでいた。

 まぁ、気持ちは分かる。

 人間なんて、容易く殺せると思ったはずだ。

 竜に挑むなんて無謀、最後は死ぬ以外にはあり得ない。

 今の彼女の中ではそれが常識だ。


『何故、何故だ……何故死なない、何故殺せない……!!』


 一歩踏み出す。

 振り回される爪を避け、剣を振るう。

 《吐息》を弾き落とした上で、鱗をその下の肉ごと抉る。

 落ちてくる星、その衝撃を受け流すのにも大分慣れてきた。

 見えない速度の礫も、これだけ受ければ勘で防げる。

 少しずつ、一つずつ。

 けれど確実に。

 手にした剣は、竜の生命へ近付いていく。

 削った鱗の数は、空に浮かぶ星にも届きそうだ。

 絢爛だった黄金も、既にその半分近くが削れている。


『あり得ない、こんな事、あり得るはずがない……ッ!!』

「そうだな」


 不可能だと。

 悲鳴に近い叫びを上げるアウローラ。

 そんな状態でも、振り回す暴力は微塵も衰えない。

 正直、こっちから見るとその方がよっぽど理不尽だった。

 掠ったら死ぬが、実際に掠ったら気合いで耐える。

 耐えて、どうにか即死だけは回避する。

 こっちはこっちで、その繰り返しなんだ。

 刃で斬り裂いた肉から、血がこぼれ落ちる。

 かなり近付いている手応えだが、まだまだ遠いな。


『何故だ、人間如きが何故……!!

 私は《最強最古》、全ての竜の頂点だぞ!!』

「何故って、そう言われてもな」


 俺は馬鹿だから、口に出せる答えなんてシンプルだ。

 けど、向こうは分かっていないようだから。

 素直に、一言だけ。


『ッ………!?』


 意味が分からないと、そんな目で見られてしまった。

 まぁ、そうだろうな。

 今のお前じゃ、きっと理解できないだろう。

 だから、絶対に戻してやるからな。

 そう考えながら、改めて目の前を見る。

 《最強最古》、この世で最も強い竜の王様。

 人間なんかじゃ勝てるはずもない、恐ろしい怪物だが。

 今の俺は、もう微塵も負ける気はしなかった。


『ガアアァアアアア――――――ッ!!』


 叫ぶ。

 怒りと焦り、そして微かに恐れが混じる声。

 アウローラは、最古の竜は恐怖していた。

 あり得ないと嘲笑って来た未来が、もう近くまで来ているのを感じて。

 彼女も、死神の吐息に触れているのだろうか。


「ま、こっちは全身に纏わりつかれる寸前だけどな……!」


 吐息に触れるなんて段階は、とっくの昔に飛び越している。

 剣を握り、内なる炎を燃やす。

 灰となったはずの魂が、焼け焦げてしまうぐらいに。

 まだ生きている、まだ死んでいない。

 だから俺は、どれだけでも戦える。


『何故、何故、何故……!!』


 悲鳴じみた声が重なる。

 聞いてると、微妙に胸が痛みそうになる。

 が、ここはぐっと堪えて剣を振る。

 鱗を削ぎ、血肉を切り裂く。

 身体が酷く軋んでいるが、今は無視した。


『何故だ、私は、最古の竜王だぞ……!?』


 どれだけ追い詰めても、竜の力は変わらず凄まじい。

 一瞬でも気を抜けば、こっちが死ぬ。

 常に死線を越えているような状態で、剣を振り続ける。

 アウローラの《竜体》からも、何かがひび割れるような音がした。


『あり得ない……この、私が、人間……など、に……!!』


 あと少し。

 あと少しが、人間には酷く遠い。

 自分が今、どんな風に戦っているのか。

 それすらも曖昧になりながら、それでも俺は剣を握っている。

 一つ、また一つ。

 半分ぐらいは死にかけた身体は、まだ止まらない。

 止まらず、刃を竜に当てていく。

 気が遠くなる。

 歯を食いしばる。

 永遠にも等しい一瞬を、強引に踏破していく。

 回避も、防御も、その時だけは全て放り捨てた。

 霞んだ視界に見えるのは、巨大な爪の先端。

 それが首を狙っていたから、無理やり前に踏み込んだ。

 狙いがずれ、肩を派手に抉られる。

 甲冑がなければ、或いは身体の半分ごと千切れていたかもしれない。

 溢れる血は熱く冷たい。

 腕を掴もうとする死神を、無理やり引き剥がして。

 俺は、剣を振り上げた。

 見えるのは、爪を振り抜いたばかりの竜の姿。

 無防備に、その首が晒されていた。

 鱗の守りは殆どない。

 生じた隙は、ほんの刹那で消えるだろう。


「アウローラ――――!!」


 だから俺は、躊躇いなく剣を振り下ろした。

 彼女の名前を叫びながら。

 回避も防御も、どちらも間に合わない。

 竜を殺すための刃は、まるで吸い込まれるように。


『ッ――――……!?』


 彼女の首を、斬り裂いた。

 深く、生命に届くぐらいに深く。

 断末魔の声は言葉にならず、竜の身体がひび割れる。

 《最強最古》。

 その称号を持ち、全ての竜の頂点に断つ黄金の王。

 無敵に等しいはずの《竜体》が、崩れていく。

 俺は剣を構えたまま、それを見ていた。

 息を吐こうとして、命が抜け落ちそうなので我慢しながら。

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