326話:不明の中断
「…………む?」
目が覚めた。
意識がまだボヤけていて、どうにも曖昧だ。
見上げた空は明るい。
どうやら今は昼間のようだが、太陽は見えにくい。
青々と茂った枝葉に頭上を遮られているからだ。
……待て、どういう事だ?
何かがおかしいと。
纏まらない思考に微妙に混乱しながら、俺は身を起こした。
腕の中にはアウローラが。
すぐ傍にはテレサとイーリスの姉妹がいる。
どっちも意識はなく、眠っている――というか、気絶しているようだ。
彼女たちに目立った外傷はない。
姉妹の方は草むらに半ば埋まるように横たわっていた。
……草むら?
「……何処だ、ここ?」
俺たちがいたのは、草木の一本も生えていないハゲ山だったはず。
しかし今、目に映るのは深い森の景色だ。
やけに太い木々が立ち並ぶ原生林。
死んだ荒れ地ばかりが広がっていたはずの大地。
それなのに、何故こんな場所が……いや。
確か山に登る最中に、デカい森を見た覚えがあった。
「……気が付いた?」
声。
感情の希薄な、淡々とした少女のもの。
まだ気を失っているアウローラを腕に抱いたままそちらを見る。
予想通り、そこに立っていたのは《巨人殺し》の少女だ。
黒い装甲は身に付けておらず……というか、何も身に付けていない。
傷一つない裸身。
今はその大半を真っ赤な血でベッタリと汚していた。
「あぁ、おはよう。
ちょっと状況が呑み込めなくて混乱してるんだが」
「でしょうね。正直に言うと、私も良く分かってないから」
「そっかぁ」
良く分かっていない、と言うのは嘘ではなさそうだ。
まぁ、それはそれとしてだ。
「何で全裸なんだ??」
「……トウテツの手当てをしていた。
彼、《裁神》に挑んだ時点で大分ボロボロだったから」
トウテツ。それに《裁神》。
そうだ、確か俺たちはあの横暴な神様に喧嘩を売ったはずだ。
正面から突撃してったぐらいまでは覚えてるんだが。
「大丈夫そうか?」
「ええ。近くの川まで運んで、大きな傷は一通り塞いだから。
鬼ならそれでよっぽど死なない。
身体中が穴だらけで、最初はダメかと思ったけど」
「凄いな鬼」
流石に身体を穴だらけにされたら俺は死ぬと思う。
と、腕の中で小さく動く感触がした。
「アウローラ?」
「…………どういう状況、コレ?」
「俺も分からん」
目を擦り、アウローラは訝し気に唸った。
ちょっと期待してたが、彼女にも状況が分からないらしい。
俺たちはあの鬼の住処だった山で、裁きの神に挑んだ。
そこまでは間違いないはずだが。
「……多分だけど」
ぽつりと。
少しだけ迷った様子で、《巨人殺し》が呟く。
「クロが、何かしたんでしょうね」
「……そういえば、そっちの相棒は姿が見えないな」
「寝てるわ。ぐったりしてたから、川辺に放置してある」
応えて、少女は肩を竦めた。
「私たちは、あの《裁神》と戦っていた。
けど途中で、あの神様のものとは違う光に包まれた。
そこで意識を失って……気付いたら此処。
詳しくは分からないけど、多分どこかの《庭》だと思う」
「《庭》か。ちょっと聞いたよな、確か」
《人界》以外の、数少ない人間の生息域だったな。
頷いて、《巨人殺し》は背を向ける。
「私はトウテツの様子を見に戻るけど、貴方たちは?」
「ついてくよ、ちょっと待ってくれ」
応えて、俺は立ち上がる。
身体がギシギシと軋むが、動く分には問題なさそうだ。
あの美味い《巨人》の肉を沢山食ったからか、むしろ元気なぐらいだ。
鎧の方は大分痛んでいる。
まぁ、あのメチャクチャな攻撃に晒されたなら仕方ない。
腰に下げた剣からは、ボレアスの火も感じられた。
熱の勢いが大人しいのはまだ目覚めてないからだろう。
一通りの確認を終えたら、同じく眠ったままの姉妹を抱え上げる。
「大丈夫?」
「ヘーキヘーキ」
ちょっと気遣うアウローラに軽く笑っておいた。
実際、二人とも大して重くもないので特に問題はない。
俺とアウローラは、そのまま木々の間に入って行く《巨人殺し》の後に続く。
森の中は酷く静かだった。
鳥の声や虫の鳴く音さえ聞こえない。
見た目は随分と立派な森だが、生き物の気配は妙に希薄だ。
「……そういえば」
「なに?」
「どっかの《庭》に飛ばされた、ってのは分かったが。
またあの《裁神》――アストレアって奴も追って来るんじゃないか?」
一戦交えただけの感想ではあるが。
あの黄金の女は大分執念深そうだった。
取り逃がしたから放置してくれる、なんて適当さは恐らくないだろう。
「……多分、追って来るでしょうね。
けどすぐにまた襲われる、っていう可能性は少ないと思う」
「根拠はあるの?」
「《庭》はとある神が自分の権利で造り出した、人間のための避難所。
それは《裁神》とは異なる神。
例え神でも、他の神が持つ権利を軽々しくは侵害できない」
「つまり?」
「余所様の領域に、無断でズカズカとは入って来れない。
だからそうすぐには襲われないだろう、という希望的観測」
「成る程なぁ」
希望的観測、というところでアウローラは渋い顔をしたが。
こればっかりは仕方ないだろう。
少なくとも現状は危機的状況は脱したと、そう考えるしかない。
「……というか、貴女はなんで全裸なのよ」
「トウテツの治療で血塗れになるから、仕方なく」
「俺はあんま見てないからな」
はい。
最初の時点では思いっ切り見てしまったが、それはそれで。
そうこうしている間に、目的の場所に着いたようだ。
森の中を流れる大きな川。
底はそれほど深くなく、流れも穏やかだ。
水は木々の隙間から差し込む陽光を受けて、キラキラと輝いて見える。
その川にほど近い岩に、大きな鬼の姿があった。
俺たちを見ると、トウテツは右手を軽く上げてみせた。
「お互い、運良く生き残れたようだな」
「あぁ。死んでないのは驚きだよな」
「ハハハ、まったくだ!」
大笑するトウテツだが、本当に酷い状態だった。
幸いなのは四肢の欠損がないぐらいで、身体には大量の刺し傷がある。
一応、その大半はもう塞がれてはいるが。
こんな重傷、普通は治療する前に死ぬだろう。
とはいえ、死んでいないだけでまだ動ける状態ではなさそうだった。
「傷は塞いだけど、まだ暫くは大人しくして。
お前は私と違って不死身じゃないんだから」
「うむ、手間をかけさせてすまんな」
「……アウローラも、治療してやれるか?」
「そうね。傷は塞いであるようだし、後は体力を回復させるぐらいだけど」
俺の言葉に頷いて、アウローラはトウテツの傍に近付く。
そっと手を翳し、小さく《力ある言葉》を呟いた。
淡く温かな光が傷だらけの鬼の身体を柔らかく包み込んだ。
「おぉ……? これはまた、面白い力を使えるのだな」
「……やっぱり、この地の鬼には魔法の知識がないのね。
《始祖》が魔法を伝えたのは大陸の中だけだから当然でしょうけど」
呟きながら、アウローラは治療を施す。
傷の治癒ではないためか、ほんの少しの時間で終わった。
さっきまでぐったりしていたトウテツだったが。
「うむ、随分と身体が軽くなったわ。
いや助かった、感謝する」
「良いわ。食事と寝床の分だと思って頂戴」
素直な礼の言葉に、アウローラは少しくすぐったそうに笑った。
それからまた俺の傍に来ると、ひょいっと抱き着いて来る。
姉妹は片手に抱えて、その頭を軽く撫でた。
「お疲れ」
「別に疲れてはないわね」
髪の毛をわしゃわしゃかき混ぜると、彼女はくすぐったそうに微笑んだ。
《巨人殺し》は血色の良くなったトウテツを見て一つ頷く。
それから川の近くで身を屈めると、その手に何かを拾い上げた。
ぐったりと伸びた黒い紐……ではなく。
「クロか。ホントに寝てるんだな」
「……ええ。まぁ、放っておけば起きるでしょう」
そう言って、《巨人殺し》は自分の首に黒い蛇を緩く巻き付けた。
こっちもまだ何人か目を覚ましていないが。
「で、これからどうするよ」
先ずこの場の全員にそれを聞いてみる事にした。
《巨人殺し》もトウテツも、すぐには応えなかった。
暫しの沈黙を挟んでから。
「……私は、既に決めた通り。
貴方たちをカドゥルの《国》まで案内するつもりだけど」
「助かるけど、良いのか?」
「神様に喧嘩を売った件なら、私が決めたこと。
……まぁ、カドゥルに迷惑をかけてしまうかもしれないけど」
「なに、あの女は昔っからトラブルは抱え慣れている。
それほど気にする事もあるまいよ」
そうかな……と、トウテツの言葉に少女は首を傾げる。
さて、そういうトウテツの方はどうか。
「ワシもな、領地が丸ごと吹き飛んでしまったからなぁ。
落とし前を付けてやりたいところだが、相手が神ではそれも難しい」
「行くアテがないなら、一緒に来るか?」
「うむ。業腹ではあるが致し方なし」
一応誘ってみたら、案外あっさりとトウテツは頷いた。
「一先ずはカドゥルに頭を下げる。
《国》でまた配下を集めたら、それで一旗揚げるのも良いだろう。
ダメならダメで、その時はまた考えるだけだからな」
「逞しいなぁ」
「でなくば《巨人》が闊歩する荒野では生きられぬわ」
成る程、それは確かに。
明るく笑うトウテツの言葉に、俺は素直に頷いた。
うん、やっぱそれぐらい前向きじゃないとな。
アウローラの方は呆れた顔をしてるけど。
「……最初に会った鬼が彼で、ホントに運が良かったのかもね」
「だなぁ」
「ちょっとだけ皮肉で言ったのよ、私」
「分かってる、分かってる」
空いた手で、アウローラの方も抱き上げる。
彼女は少しだけ頬を染めながら、素直に身を預けて来た。
その状態で、俺は手近にある丁度良い大きさの岩に腰を下ろした。
「トウテツはどのぐらいで動けそうだ?」
「立って歩く分には今すぐにでも。
しかし《国》への移動中に《巨人》と遭遇するのを考えるとな。
少なくとも一日は欲しいな」
「一日あれば十分、ってのも凄いけどな」
「……《国》へは、クロが起きれば道を教えてくれるはずだから。
とりあえず、コレが目を覚ますまでは動けない」
「じゃあ、このまま少し休むか……?」
ふと、視線を感じた。
そちらを見ると、木々に隠れて動く影があった。
どうやら人間の子供のようだ。
質素な白い衣服を身に付けた、幼い少年と少女。
二人か、他にももう少しいたかもしれない。
ただ目が合った瞬間、彼らはすぐに森の奥へと逃げてしまった。
「……アレが《庭》の住人?」
「ええ。追いかけたりはしないであげて」
確認するアウローラに、《巨人殺し》は小さく頷く。
「外にいる奴は穢れてるから、関わらない方が良いんだったか?」
「そう。《庭》の奥に人間だけで暮らす集落がある。
《人界》ほどではないけど、其処に住める者は限られてる。
もし『穢れた』と認識されたら、容赦なく排除されてしまうから」
「成る程なぁ」
結構詳しいな、とは。
思ったが、口にはしないでおく。
人間であるにも関わらず、詳細不明の不死の少女。
どう考えてもまともな経歴じゃないはずだ。
本人が話してくれるなら聞くが、そうでないなら詮索しない方が良いだろう。
「肉でも食って血肉を補いたいところではあるがなぁ」
「私が見てる前では許さないから、分かってるでしょう?」
「分かっておる、分かっておる。そう怖い顔をしてくれるな」
あ、やっぱり鬼って人間食うんだな。
何となくそんな気はしてたが。
「ウチの子たちを齧ったら本気で後悔させるからね?」
「ハハハ、分かっておるって!」
まだ気を失ったままの姉妹。
彼女たちを庇うみたいに手を伸ばしながら、アウローラもトウテツを睨んだ。
うん、平和だ。
決して状況は良いとは言えないが、今この瞬間は平和だ。。
強制的に中断された《裁神》との戦い。
誰がやったかは推測は出来てるワケだが、その方法が不明だ。
《裁神》アストレアの現在の行方も気にはなる。
その辺り、やったと思しき相手が起きたら確認したくはあったが。
……多分、アレコレとはぐらかされるだけだな。
そう考えながら、俺は空を見上げる。
生い茂る葉っぱの隙間から覗く太陽がひどく眩しい。
「……ま、とりあえず無事だから良いか」
今悩んでも仕方なし。
そう結論付けて、俺は一息吐いた。
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