9話:悪魔の取引

 

「ハッキリ言って頭のおかしい奴の戯言にしか聞こえねぇ」

「まぁなぁ」

 

 イーリスの反応は至極もっともで、此方も同意する他ない。

 いきなり現れた変な奴に、「実は竜殺しなんです」と言われて直ぐ信じる方がどうかしている。

 横のアウローラは微妙に不満そうな顔だが、とりあえず抑えて欲しい。

 確かにイーリスはそれを完全には信じていないようだが、冗談だと笑い飛ばしたわけでもないからだ。

 むしろ酷く真剣な面持ちで考え込んで。

 

「……竜殺し、とか言ったよな。本気で」

「ええ、そうよ。それが何?」

「本当に、竜を殺せるのか」

「あぁ」

 

 それに対し、俺の方が迷わず頷いた。

 もとより、それを成し遂げる為に此処まで来たんだ。

 

「竜を殺す。こっちの最初の予定とは違うが、この街の支配者も竜で間違いないんだよな?」

「あぁ、そうさ。人間を家畜にして笑ってる、クソッタレな真竜サマだ」

 

 呪い殺さんばかりの憎悪を込めて、イーリスは応える。

 それを聞きながら、アウローラは笑みの形に目を細めて。

 

「よっぽど恨みを買ってるみたいね、その支配者とやらは。

 まぁチラっと見ただけでも、この街の状況は良いモノに思えないから当然でしょうけど」

「此処はクソッタレな地獄さ。

 どん底から天辺まで、この街にはクソしか転がってない」

「…………」

 

 吐き出される怒りに、俺は一先ず黙って耳を傾ける。

 

「……今オレ達がいるのは、都市の中でも《辺獄》って呼ばれてる場所だ。

 「」と見切られ、中層からも滑り落ちた連中が吹き溜まる下層のゴミ捨て場さ」

「価値がない?」

「そうさ、このマーレボルジェで生きる人間は、その価値とやらが全てだ」

 

 価値。

 その短い言葉が、この街ではどういう意味を持つのか。

 イーリスは怒りを込めて語る。

 その「価値」こそが、この都市を地獄にしているのだと。

 

「価値と言ったって色々ある。他より頭が良いのも「価値」だし、何か優れた技術を持ってるのも「価値」だ。

 此処では、そういう「価値」を持つ人間だけが上――都市の上層に住む権利を与えられる」

「それだけ聞くと、まぁ普通っちゃ普通だが」

 

 他人より優れたモノを持つ人間が、他よりも上へとあがる。

 それ自体はよくある事だろう。

 

「そうだな、確かによくある事かもしれない。

 実際、上層を目指すでもなきゃそこそこ生きられる。

 特別な「価値」を持ってない奴でも、中層では「生産する者」としての「価値」を与えられるしな」

「……成る程ね。街の上層部には「特別な価値」を認められた人間だけが上がれる。

 そうでない人間も、生産者や労働力として中層で暮らす事は出来ると、そういうわけね?」

 

 大変ありがたい事に、アウローラが分かりやすくまとめてくれた。

 やはり、それだけ聞くと普通に事に思えるが。

 

「あぁ、そうだ。中層で物資を生産する「価値」を得られれば、最低限は生きていられる。

 だが何らかの理由で「価値」を失った――或いはそもそも、最初から「」と判断されたら?」

「ゴミはゴミ捨て場――それが、この《辺獄》か」

「あぁ。その上で「価値がない」と、そう判断するのは他の「価値がある」人間サマさ。

 街に大きい「価値」を持っていると定められた人間は、自分以下の「価値」の人間を好きに出来る。

 気に入らない奴を下層の地獄へ叩き落す事も、不出来な子供をゴミ扱いするのも自由ってわけだ」

「…………」

 

 イーリス自身の事情は、まだ詳しくは分からない。

 分からないが、彼女自身が「価値がない」と街から切り捨てられた側なのは間違いないだろう。

 他人の目線で勝手に価値を決められて、他人の都合で勝手に命をゴミにされる。

 確かに、そんな中で生きる事は地獄だろう。

 そもそも、生きる事自体が多かれ少なかれ地獄なんだろうが。

 

「……まぁ、此処はクソッタレな地獄だが、それでもオレは何とか生きて来た。

 運が良かったのもある。自分なりにゴミ溜めでも生きられるよう力を尽くして来たつもりだ」

「だろうなぁ」

 

 世界をクソと罵っても、それで腐らず生きる事を選べる。

 イーリスからはそういう生命力の強さを感じていた。

 

「だってのに、あの《鱗》ども。何を言うかと思えば――このオレが「売られた」だと?

 「価値がない」って切り捨てられたはずのオレに、そんな事……あぁ、クソっ!」

「……そういや、その《鱗》ってのは結局何なんだ?」

 

 苛立たし気に足を踏み鳴らし始めたイーリスに、その単語の意味を問いかける。

 他にも《牙》だの《爪》だの、当の《鱗》らしい奴が言っていたが。

 

「あぁ……《鱗》ってのは、都市の正規兵だ。

 真竜サマの下っ端として、主に上層暮らしの人間――貴族や、より上位の《牙》や《爪》の命令に従う」

「成る程なぁ」

 

 つまりアイツらが雑魚で、それより強いのが《牙》や《爪》といった連中か。

 

「あの《鱗》とかいう連中も、変な魔法の杖を持ってたりと、雑魚にしてはまぁまぁ面倒だったが」

「魔法の杖って……アレは銃だ。魔法じゃなくて武器だよ」

「じゅう」

 

 さんぜんねんが経つと、世界は知らない単語でいっぱいだな。

 こっちの反応を見ながら、イーリスはため息を吐きつつ何かをテーブルの上に置いた。

 それは手のひらをややはみ出すぐらいの、黒い金属の塊に見える。

 

「これが銃だ。仕組みは……まぁ置いて。

 この引き金って部分を引けば、こっちの穴から弾が出る」

「さっきの連中が使ってたのとは全然形が違うな」

「そりゃ向こうは値段も張る突撃銃で、こっちは安物の拳銃だから一緒にするなよ」

「成る程なぁ」

 

 まさかこれが魔法の道具アイテムではなく、単なる仕掛け武器だったとは。


「……触っても良いか?」

「壊すなよ。ソイツは予備で代わりがないんだ」


 許可が出たので、ありがたく手に取らせて貰った。

 思ったよりも軽く、正直に言って武器というより玩具に見えてくる。


「こんな小さい穴から出た礫で、あんな威力が出るんだなぁ」

「オイ、銃口に指突っ込んで弄り回そうとするのはやめろ」


 細くなった部分に空いた穴を、軽く突き回していたら怒られた。

 横からひょいっと、アウローラも顔を覗き込ませて来る。

 

「珍しいとは思ってたけど、そういう武器なのね。私も初めて見たわ」

「アウローラさんもか。まぁ当然っちゃ当然だよな」

「私達の時代にはこんな武器なかったもの。

 けどこんな小さい穴から出る礫じゃ、人間ぐらいしか死にそうにないわね」

「銃口を覗き込むのもやめろっ!! 弾は抜いてあるけど危ねェ!!」


 興味深そうに穴を覗き込んでいたアウローラも怒られた。

 なかなか取り扱いの難しい武器のようだ。


「ホント信じられねェ……銃の扱いとかガキでも知ってるだろ普通……」

「それが普通じゃない時代の人間なもんで。この「じゅう」ってのも今初めて見たからな」

「……オレからすれば、この時代に剣振り回してる奴の方が初見だけどな」

「一応、剣以外も使えるとは思うんだけどなぁ」

 

 多分、弓ぐらいなら行ける気がする。

 記憶が微妙なんでちょっと自信はないが。

 

「……まぁ兎も角、街中であんなゴツい銃をぶら下げてるのは《鱗》の連中ぐらいだ。普通は出回ってねェからな」

「《鱗》だけって事は、《牙》とかいう奴は?」

「桁が違う」

 

 イーリスの言葉は、実に端的なものだった。

 

「《牙》は《鱗》の中でも特に優秀な奴を選び出したエリートだ。

 真竜か、それに近しい奴の命令のみで動く」

「ほほう」

「身体強化の質も《鱗》の連中なんざ比較にならないし、武装も同様。

 《牙》一人で《鱗》十人分の戦力とまで言われてるぐらいだ」

 

 苦虫を噛み潰した顔で、イーリスはその脅威を語る。

 身体強化というのは知らないが、恐らくそのまま身体を何かの手段で強化する事だろう。

 あの《鱗》とかいう奴の十人分ぐらい強いのなら、確かに面倒かもしれない。

 

「じゃあ《爪》ってのは」

「知らない」

 

 即答だった。

 しかしそう言うイーリスの表情は硬い。

 声も意識して感情を抑え込んでいるようだった。

 都市の支配者である真竜に向けられた、怒りや憎悪とは異なる。

 それは明らかに、恐怖の感情だった。

 

「そこまでヤバいのか、《爪》って奴は」

「……オレも《牙》なら見た事がある。遠巻きにだけどな。

 でも《爪》は見たことない。見た奴は、多分この《辺獄》にはいない」

「おい、イーリス」

「見た奴は皆死ぬからだ。《爪》は真竜直属の特級戦力。

 《爪》は絶対に、自分の主人である真竜の命令にしか従わない」

 

 自分の中の不安を吐き出そうとするように、イーリスは言葉を続ける。

 恐ろしいのだろう。

 それは真竜という、未だ自分とは距離のある御伽噺とは違って。

 現実として自らの喉元に迫る可能性を持つ、具体的な「死」そのものだから。

 

「何度か、《爪》が仕事をした跡を見た事がある。何処もひでェ有様だった」

「どんな感じだったんだ?」

「何にもないんだよ」

 

 その情景を思い出したか、イーリスの声が僅かに擦れる。

 

「何もなくなってた。何もかもだ。其処にいたはずの人間もそれ以外も、まるで煙みたいに消えて。

 後には、《爪》が仕事を終えた事を示す五本のひっかき傷だけが残されてるんだ」

「なかなか良い趣味してるな、ソイツ」

「ふざけて誤魔化しても、それが《爪》だ。

 真竜が誰かを「目障り」と思えば、直ぐにそれを消しに来る、都市における最強の個人戦力」

「ふむ……」

 

 その話を聞きながら、小さく唸る。

 何もかも消したという事だが、一体どんな手を使ったのやら。

 そんな不可思議を起こせるのは魔法だと思うが、俺は魔法自体そんな詳しいわけでもない。

 アウローラなら詳しいだろうと、そちらに視線を向けると。

 

「雑魚よ」

 

 微笑む彼女は、何か力強く断言していた。

 イーリスは理解が追いつかずに呆気に取られ、こっちも意図を計りかねて首を傾げる。

 そんなアホ面な二人に対して、アウローラは肩を竦めて。

 

「散々そいつが如何に凄いか語ってくれたけど、結局は都市を支配する真竜の手駒なんでしょう?

 だったらただの雑魚よ。異論を挟む余地なくね」

「アウローラさん、流石に雑魚は言い過ぎでは??」

「それならちょっと強い雑魚よ。少なくとも敵じゃない。

 精々が目的を果たす為には邪魔な障害物ね」

 

 自信満々、世の道理を語るが如く迷いない言葉だった。

 そう言い切ってから、アウローラは改めて俺の事を見て微笑んだ。

 それから愛らしく首を傾げて見せて。

 

「ねぇレックス、私の言う事は間違ってる?

 竜を殺す為に来た貴方にとって、その《爪》とやらはそんな恐ろしい相手かしら?」

「まぁ戦ったら面倒な相手なのは間違いないだろうけどな」

 

 現時点で詳細は不明だが、少なくともこの都市の真竜が従えている切り札だ。

 容易くはないだろう。それは確かだ。

 だが、それ以外の多くはアウローラの言う通り。

 

「竜を殺す上で邪魔ならぶっ倒す。

 実際それだけだし、負けたら死ぬのは変わらんしな」

「貴方は負けないわよ、私が知ってますから」

「期待には応えんとなぁ」

 

 軽い調子で返すと、アウローラはやはり可愛らしく笑ってくれた。

 横で聞いて固まっていたイーリスも、やがて緊張を解いて大きく息を吐き出す。

 

「……お前らの事、正直頭おかしい奴らだと思ってたけど」

「おう」

「どっちかっつーと馬鹿だよな」

「お気づきになられましたか」

 

 そうです、馬鹿なんです。

 馬鹿でもなきゃ竜を殺しに来たなんて言いやしない。

 アウローラも馬鹿扱いされても気を悪くしなかったようだ。

 むしろ機嫌が良くなったようにも感じる。

 そして悪戯を思いついた猫のように目を細めて、イーリスの事を見た。

 

「ねぇ、イーリス?」

「なんだよ」

「ここまで色々話をしたし、まだお互い聞きたい事も多いでしょうけど。

 先ずは私達にとって、一番大切な事を確かめない?」

「……一番大切な事、ね。なんだよ、それは」

 

 ニコニコ笑顔のアウローラに対し、イーリスは慎重に言葉を選ぶ。

 こっちはまた口を挟まない方がいいだろうと、とりあえず膝を抱えて小さくなっておいた。

 

「イーリス、貴女は《鱗》とかいう連中に狙われていた。

 そして結果的に、都市の正規兵である彼らを殺害してしまった――そうよね?」

「実際に殺したのは、そっちの甲冑男だけどな」

 

 ビシっと指を差されたので、とりあえず軽く手を振ってみた。

 しかし完全にスルーで二人の話は進む。

 

「実際はどうあれ、後に残っているのは殺された兵の死体と、足取りの途絶えた貴女の存在。

 貴女を狙うよう指示した者はなんて考えるかしら?」

「…………」

 

 イーリスは無言。

 そんな反応にも、アウローラは気を良くした様子で笑みを深める。

 逆にイーリスは渋い顔で睨みながら、舌打ち一つ。

 

「はっきり言えよ。前置きが長すぎるんだよ」

「取り引きをしない?」

 

 促された事で、ようやく本題に入ったようだ。

 

「私達は本当に通りすがりだけど、竜を殺したいというのも本当よ?

 けれど今まで話した通り、こちらはこの時代の常識には疎いの」

「……この都市の真竜を殺す。その為に、オレにも協力しろって事だよな」

「ええ。別に無理にとは言わないけどね?」

 

 口ではそう言っているが、明らかに選択肢を与える気がない顔だ。

 事実として、イーリスの状況は傍目から見ても詰んでいる。

 此処でこっちと別れたら、後はどっから追っ手が現れるかも分からない暗闇だ。

 それを正しく認識しているからこそ、アウローラは余裕の態度で微笑む。

 

「今の貴女が無事に生きていられるのは、単に幸運に恵まれただけ。

 もしこのまま……」

「分かったよ」

 

 更に言葉を重ねるアウローラに、イーリスは簡潔に答えた。

 苦い物を飲み下す顔で、それでも覚悟を決めたとばかりに頷く。

 

「協力するよ。どの道、一度竜に目を付けられた時点で人生終わりなんだ。

 だったらどんだけ滅茶苦茶でか細くても、クソッタレな真竜に吠え面かかせるチャンスに賭けてやるさ」

「良いお返事ね。素晴らしいわ」

 

 求めていた答えに、アウローラは大変満足そうだ。

 逆にイーリスは、憂鬱混じりに何度目かも分からないため息を吐いた。

 

「オレの知っている事は出来る限り教えるし、荒事も出来ないわけじゃない。

 けどそっちの彼氏みたいなのは期待しないでくれよ」

「分かってるわよ。彼みたいなのがそう居ても困るわ」

 

 とりあえず話題に出たので、もう一度親指を立てて自己主張してみた。

 イーリスの視線に籠った感情は、ごちゃ混ぜ過ぎて何だかもう良く分からない状態だった。

 

「竜殺し、竜殺しな……ホント冗談としか思えねぇけど、腕の方は実際見たしなぁ……」

「ま、荒事は大体任せてくれて問題ない。それぐらいしか出来ないとも言うが」

 

 役割分担は実際大事だ。

 イーリスもまだ信用し切ったわけではないだろうが、それでも納得はしたらしい。

 座り込んでいるこっちに向けて、ひょいっと片手を差し出して来た。

 

「不本意ではあるが、これで一蓮托生だからな。

 付き合いの長い短いは分かんねぇけど、とりあえずヨロシク」

「あぁ、こっちこそ」

 

 意外と華奢な手に、鎧のままで申し訳ないが軽く握手した。

 首尾よく現代人の仲間が出来たのは大変喜ばしい事だ。

 

「そういえば、どういう理由で自分が狙われたとか、その辺の心当たりはあるのか?」

 

 なんとはなしに浮かんだ疑問。

 それを軽く口にしただけだが、イーリスは表情を少し硬くして。

 

「……いや、何も」

 

 短くそれだけ答えた。

 やはりまだ信用とか信頼とか、そういうのが足りないらしい。

 

「別にそういう事情とかは興味ないけど」

 

 こっちはこっちで、もう少し人間関係という奴を気にした方がいいかもしれない。

 自分で仲間にしたのにマジで興味ないですって顔のアウローラ。

 此方はまた、俺とは異なる問いをイーリスへと向ける。

 

「この都市の支配者とかいう竜、名前は何ていうのかしら?

 もしかしたら知ってる相手かもしれないし、一応確認しておきたいんだけど」

「俺のはー?」

「思い出したらね」

 

 ついでに聞いたら軽くあしらわれてしまった。

 

「……真竜が支配する都市には、大抵は支配する真竜の名前がそのまま付いてる」

 

 ぽつりと、抑えた声でイーリスは応えた。

 都市の名前。確かそれは、先ほど聞いたはずだ。

 つまり。

 

「マーレボルジェ。それが、この都市の天辺にいる真竜の名前だ」

 

 そして、これから俺達が殺すべき獲物の名前でもあった。

 

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