幕間2:悪徳の王は艶やかに笑う


 マーレボルジェの居室は、同じ名を持つ都市の最上階に位置する。

 複数の階層をぶち抜いて用意された広大極まりない空間。

 其処には下層に淀む汚濁など微塵も存在しない。

 一切の隙間なく、ただただ目も眩むような輝きに満ちていた。

 壁や床、天井に至るまで曇り一つない純白。

 その清浄の中に並べられているのは、無数の絵画や彫刻の群れ。

 全てが名のある芸術家の手から創り出された物だろう。

 それらは、一つの例外も無く優れた作品だった。

 そして一つとして同じ作者の名前は刻まれていない。

 だが同時に、それらは全て同じものを題材に描かれたものでもあった。

 

『はぁ……』

 

 数百を超える「美」の中心にあり、尚も輝かしきモノ。

 その作品の群れが描く題材たる「ソレ」は、独り憂鬱なため息を漏らした。

 果たして多くの者は、その姿を目にした時どんな感想を抱くだろう。

 常人の三倍近い巨体ながら、その肉体は黄金比の均整を保つ英雄像の如し。

 長く揺れる髪は純金で、光を受けて星のように煌いている。

 その眼は無限の輝きを宿す金剛石ダイアモンド、爪はそれ自体が光を放つ白金プラチナ

 その肌は傷どころか、僅かな染み一つ見当たらぬ純白の大理石。

 顔もまた、誰もが思い浮かべる凛々しく精悍な美男子を絵に描いたかのようで。

 薄く色づいた口元から覗く歯は、色とりどりの宝石で出来ていた。

 そんな異形の――同時に、煌びやかに輝く怪人が、一糸纏わぬ姿で白い空間の中心に座している。

 ……彼こそが、この都市を支配する真竜。

 古き血を排除し、我こそが真なる王であると定めた絶対者の一柱。

 真竜マーレボルジェは、己が玉座としたその場所で今日も毒々しく輝いていた。

 

『我が《爪》よ、我が愛しき輝きよ』

「御前に」

 

 気だるげな呼びかけに答えるのは、心の芯まで凍てついた声。

 無秩序に渦巻く美の混沌に、黒い影が差す。

 それは一人の女だった。

 長身痩躯で、身に纏うのは真っ黒な燕尾服。

 その髪の色もまた黒く、まるで夜の闇を写したかのように美しい。

 逆に顔や首など僅かに覗く肌は白く、透き通る――というよりも蒼褪めた死人を連想させる。

 アイスブルーの瞳は文字通り氷の如く、其処には人間らしい感情など何処にも見当たらなかった。

 

『おぉ、我が《爪》よ。今日もお前は私の次に美しいな』

「ありがとう御座います、我が主」

 

 先ほどまでの憂鬱さなど嘘のように、マーレボルジェは自らの従者を喜色満面に讃える。

 従者――《爪》と呼ばれた女性は、あくまで淡々と。

 主の賛美に定められた答えを返した。

 

『それで、我が麗しき《爪》よ。例の“キセキ”の娘はまだ捕まえられないのか』

「はい、我が主。申し訳御座いません」

 

 その事実を確認すると、またマーレボルジェの表情が曇る。

 合わせて、従者たる《爪》がすっと片手を上げた。

 すると何処からともなく、幾つもの楽器の演奏が鳴り響き始める。

 この真竜の玉座にて、求められればいつでも必要な音楽を奏でる至高の楽団。

 今回は憂鬱な主の心を慰める為に、軽快で楽し気な雰囲気の楽曲が選択されたようだ。

 都市上層でも有数の音楽家達の演奏を、しかしマーレボルジェは退屈そうに聞き流した。

 既に聞き飽きたそんな音よりも、ずっと「価値」が高く稀少な「宝石」。

 今のマーレボルジェの胸の内には、それを手に入れたいという欲求だけが激しく渦巻いていた。

 

『《鱗》のような役立たずではダメだったか。

 小娘一人ならば十分だろうと思ったのに、使えぬ奴らだ』

「申し訳御座いません、我が主」

『あぁ、イヤイヤ。お前のことを責めているわけではないのだよ。誤解しないでおくれ』

 

 失態を犯した愚か者を罵りながら、従者の謝罪に対しては猫なで声で応じる。

 コロコロと表情と感情を変えながらも、マーレボルジェが抱くモノは常に変わらない。

 即ち、己がその「価値」を認めた宝への執着。

 強欲な真竜は今最もお気に入りの「高価な宝」を愛でながら、新たな「宝石」に欲の矛先を向けていた。

 

『娘の所在については分かっているのか?』

「残念ながら、未だ。しかし直ぐに見つけ出します」

『勿論だ、お前ならば造作もないだろう』

 

 《爪》の言葉に、マーレボルジェは確信を持って頷く。

 この都市の中にいる限り、誰もその鋭い切っ先から逃れる事など叶わない。

 主人たるマーレボルジェは、自らの《爪》の恐ろしさを一番良く理解していた。

 

『必要ならば《牙》を使うがいい。連中はそこそこ使える「価値」があるが、それだけだ。

 幾ら使い潰しても構わないぞ』

「はい、仰せのままに。我が主」

 

 都市の誰もが、その名を聞いただけで震え上がる武力の具現。

 それが《牙》だが、この場では「使い捨てても惜しくない」程度の価値しかない。

 だがそれも仕方のない事だろう。

 此処にいるのは真竜と、その懐刀たる《爪》だ。

 大陸に無数ある都市を完全に支配する彼らこそ、誰も逆らえぬ絶対的な武力そのものだった。

 

「……それと、我が主」

 

 《爪》たる女は、自らの主であるマーレボルジェの前に跪く。

 そうしてから懐から何かを取り出した。

 

「“キセキ”の娘を秘匿していた者達を、命令通りに処分致しました。ご確認ください」

『おぉ、そうかそうか。ご苦労だった』

 

 従者が差し出したモノを、マーレボルジェは喜びの表情で受け取る。

 それは一つの宝石箱だった。

 箱それ自体も美しく装飾された高級品。

 大きさは人間の手のひら大であり、マーレボルジェの手と比べたらかなり小さい。

 うっかり握り潰してしまいそうなソレを、真竜は慎重に開く。

 

『おぉ……!』

 

 すると、その唇から感嘆の声が漏れ出した。

 宝石箱の中身は、当然のように一対の宝石だった。

 大粒の紅玉ルビーと、同じぐらいのサイズの青玉サファイア

 その形も宿した輝きも実に見事なもので、マーレボルジェは心底愛しそうにそれらを眺める。

 

『素晴らしい、素晴らしい。いや流石と言うべきか。実に美しいな。なんという類稀な「価値」か!』

「お喜び頂けましたか、我が主」

『あぁ無論だ! もう少し眼で楽しんでも良いのだが……』

 

 興奮を抑えきれぬ様子で、マーレボルジェは手の上の宝石を摘まみ上げた。

 そして。

 

『こんなにも美しくては、我慢が出来ぬ』

 

 大きく開いた自らの口に放り込んだ。

 その異様な様を、《爪》は感情の凍てついた眼差しで見届ける。

 

『お、おおぉぉ……!!』

 

 マーレボルジェは恍惚に見悶えた。

 ゴクリゴクリと喉を鳴らして、己の内を通過する宝石を文字通り味わい尽くす。

 

『素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい!』

「お喜び頂けましたか、我が主」

『あぁ、あぁ! この美味なる「価値」に免じて、私を謀った罪を赦そうじゃないか!』

 

 そう言って、都市の王は天地の何者よりも尊大に笑った。

 べろりと真っ赤な舌で唇を舐め、更なる美味を求めるように歯を鳴らす。

 

『あぁ早く、早く“キセキ”の娘も我が元に連れてくるのだ。《爪》よ、私の最も愛しい宝よ』

「畏まりました、我が主」

『方法は問わない。必要ならば《鱗》も《牙》も好きなだけ使って構わん。――あぁ、だが一つ』

 

 突き立つ刃のように不動な《爪》の眼前に、その巨大な顔をずいっと近付ける。

 生温かい吐息を浴びせながら、マーレボルジェは何事よりも優先すべき絶対命令を告げた。

 

『お前は決して傷付くな。

 屑は幾ら使い捨ててもいい、お前自身が手を下すのも許そう。

 だが、私が認める最高の「価値」に傷を残す事だけは絶対に許さん』

「はい、我が主。貴方の御命令のままに」

 

 ドス黒い独占欲に満ちた言葉にも、《爪》は僅かにも揺らぐ事はない。

 マーレボルジェもそれを理解しているのか、表情をまた満面の笑みに切り替えた。

 

『良い子だ。では早速仕事に――あぁいや、その前に』

「なんでしょうか、我が主」

「はい、我が主」

 

 淡々と。

 いきなり命じられた事にも、《爪》は無機質な刃のまま。

 言われた通りに、身に着けていたものをあっという間に剥ぎ取ってみせた。

 晒された裸身を眺めながら、マーレボルジェは悩まし気に吐息を溢す。

 

『あぁ、やはり美しいな。

 その完璧な身体もまた私の次に美しいぞ、私の愛する《爪》よ』

「ありがとう御座います、我が主」

 

 殆ど辱めに近い行為だが、《爪》の表情は変わらない。

 何も映し出さない、凍り付いた仮面の顔。

 真竜は笑う。酷く満足気に。

 

『お前の全ては私の物だ、そうだろう?』

「はい、我が主」

『私の命令なら何でも聞く。当然の事だな?』

「はい、我が主」

『愛しているぞ、我が麗しき《爪》よ』

「はい、私も貴方を愛しています。我が主』

『私がお前に飽きるまで、お前を一番可愛がってやるからな』

「ありがとう御座います、我が主」

 

 それは歪で狂った、余りにも滑稽な主従関係。

 色のない声と表情で応える従者に、マーレボルジェは心からの愛を向けていた。

 いずれ消費し切り、捨て去ってしまう事を前提にした愛だったが。

 

『よし、お前の役目を果たすがいい。私の《爪》よ』

「はい、必ずや望みの宝石を貴方に」

『あぁ、期待して――っと、そうだそうだ。もう一つ忘れていた。あぁ、その前に服はもう着て良いぞ?』

 

 裸のままで出ようとした従者を、マーレボルジェは再び引き留める。

 命令された通りに脱ぎ捨てた服を身に纏いつつ、《爪》は主の方へと視線を向けて。

 

「何でしょうか、我が主」

『今の楽団の連中、処分していいぞ。飽きた』

「畏まりました。直ぐに新しい楽団の手配も致しましょう」

『あぁ、お前は実に優秀だよ。私の可愛い《爪》よ』

 

 自らがこれから死ぬ事も知らずに、未だに楽団は演奏を続けている。

 止めろという命令は出てないから、彼らは己の「価値」を示さんと必死だ。

 それも直ぐ止むだろう、《爪》の手によって。

 そう考えるならば、この音は命の最期の輝きと呼べるかもしれない。

 

『あぁ――良いな。そう考えると、実に味わい深いではないか』

 

 其処で初めて、マーレボルジェは流れる曲に耳を傾ける。

 途絶える瞬間まで響くその音色に聞き惚れながら、悪徳の王は艶やかに笑った。


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