第五章:嵐を越えた先に待つもの
304話:私は此処にいる
激しい振動が、《竜体》内部を揺さぶっている。
空間を満たす魔力も荒れ狂い、天地の境はとうに見失っていた。
ボレアスが飛ぶに任せてるが、なかなか生きた心地がしない。
片手でテレサを抱え、振り落とされないようボレアスの腕にしがみ付く。
アウローラもこっちの身体に抱き着いてる状態だった。
「ハハハハ!! これはいよいよ拙そうだな!!」
「笑って言ってる場合……!?」
楽しそうなのは何よりだけどな、ウン。
イマイチ状況が不明瞭だが、ヤバそうな事だけは理解できる。
「ヘカーティアは、完全に冷静さを失っているようだ。
私もこんな事態は過去に覚えがない」
四肢に雷光を纏ったアカツキ。
その脚力はボレアスの飛行速度にも劣らない。
メチャクチャに揺れる《竜体》内部でも、特に支障なく走り抜ける。
変わらず鉄面皮の表情には、僅かな焦りも見て取れた。
まぁ、実際これは焦るよな。
「外とかヤバそうじゃないか? コレ」
「……ヘカーティアは“嵐の王”。
これだけ怒り狂ってるとなると、外に展開してる嵐も凄そうね。
ナメクジが吹き飛ばされてなければ良いけど……」
「血も涙もない長子殿でも、流石に姉上の身は心配か?」
「翼を根元から引き千切るわよお前」
飛んでる最中にそれは勘弁してやって欲しい。
ここで失速されるとかなりの大惨事になってしまう。
腕の中で、テレサが少し身を動かした。
どうやら背後を気にしているようで。
「……やはり、追ってきますね」
「だろうな」
少々確認し辛いが。
アカツキと同じ姿をした《爪》の群れ。
一度振り切った連中だが、諦めずに追跡中のようだ。
向こうの出せる速度も、恐らくアカツキと変わらないはずだ。
ボディの性能に違いが無ければだが。
「今は放っておきなさい。
それより、あと少しで見えてくるはずよ」
後方など気にも留めず、アウローラは前を見ていた。
その眼は既に、目的の場所を捉えているようだ。
テレサは小さく息を呑む。
「ヘカーティアの魂の宿った中核……そこに、イーリスも」
「恐らくは、だけどね。
こんな調子じゃ、大人しく返してくれるはずもないでしょうし」
「であれば、こちらも力で訴えるのみよな」
「ま、分かりやすいよな」
笑うボレアスに、俺も一つ頷いておく。
近付くほどに、魔力の感触も強烈になって行くが。
かつての《五大》の一柱。
そして今は大真竜の序列五位。
当然のように、あの黒い奴を除けばこれまで戦った中で一番の難敵だ。
「いつもの事っちゃいつもの事だな、ウン」
「言っててちょっと嫌にならない?」
「しゃーないね」
アウローラのツッコミに、ついつい笑ってしまった。
さぁ、腹を括って挑もうか。
「――ぶち抜くぞ。衝撃に備えろ」
言いながら、ボレアスは大きく息を吸いこんだ。
向かう先にあるのは壁。
道は何処にも見当たらないが、それはこれから作るようだ。
激突する、まさにその直前。
「ガァ――――ッ!!」
咆哮。
放たれる紅蓮の奔流。
ボレアスの放つ《
そして大気と魔力を蹴散らして、分厚い壁をあっさりブチ破った。
熱と衝撃に視界を遮られる。
竜の翼は構わずに突き抜けて行く。
『嗚呼――ああぁああああぁ……ッ!!』
先ず聞こえたのは、女の嘆く声だった。
憤怒と狂気、哀惜と恋慕。
数えきれない感情を全て綯交ぜにした、魂から響く慟哭。
「……あれが……」
戦慄に震えながら、テレサが呟く。
俺も同じものを見て、少しばかり背筋が冷たくなるのを感じた。
――ボレアスに抱えられて突入した場所。
それはだだっ広い球状の空間だった。
そこが《竜体》のどの位置なのか、そこまでは分からない。
ただ役割としては「心臓部」である事は予想できた。
“嵐の王”の中枢。
巨大な《竜体》を構築する魂を蔵する場所。
端が霞んで良く見えないほどに広大な空間に、「ソレ」は存在していた。
「ヘカーティア……!」
アカツキはその名を口にする。
それは「嵐」だった。
空間の中心に渦巻く、極小規模の嵐。
黒い雲と風、雨、そして雷。
それらが圧縮されて、真っ黒い渦となっている。
今、外側で大陸を包み込もうとしているはずの大嵐。
その本体こそがこの黒渦だった。
“嵐の王”たるヘカーティアの魂――その本質。
見ているだけで眼が潰れそうな程の、圧倒的な魔力の密度。
「イーリス!!」
堪らず、テレサが妹の名を叫んだ。
あの渦巻く嵐の何処かに、イーリスの魂が呑まれている。
だから姉は力の限り呼びかけた。
嵐の一部が蠢く。
「ッ、回避行動!!」
危険を察したアカツキが鋭く叫ぶ。
殆ど同時にボレアスも動いていたが――。
「ッ……!!?」
衝撃と閃光。
青白い輝きが視界を焼き、強烈な熱と力が身体を貫いた。
「ぐっ、ぁ――!!」
「ボレアス……! ちょっと、しっかりしなさい!」
苦しげな声は、ボレアスの上げたものだった。
アウローラも呼びかけるが、その翼が一時力を失う。
落下。
嵐から放たれた稲妻が、俺たちごとボレアスを貫いていた。
胸と胴までを黒く焼かれ、竜の王は失速する。
俺はその身体を抱えて着地に備えた。
「っと……!!」
すり鉢状の底に、色々抱えた状態で何とか下りる。
落下の衝撃はアウローラが魔法で和らげてくれたようだった。
「テレサ、大丈夫か?」
「っ……なん、とか……!」
「防御が間に合ったのと、稲妻の威力が収束してたおかげね。
直撃したボレアスはこのザマだけど」
「まったく、容赦のない事よな……っ!」
ぐったりとした状態で、ボレアスは呻くように声を上げた。
喋る事はできる辺り、流石のタフネスだ。
「剣に戻るか?」
「……そうだな。口惜しいが、今はそうしよう」
一応聞いてみたが、あっさりとその提案は受け入れられた。
ボレアスの実体が解け、炎となって刃に宿る。
大人しく言うことを聞くぐらいに、さっきの一撃は重かったらしい。
アレで更に追撃を喰らったらかなりヤバかったが……。
「っ、アカツキ殿!?」
トドメが来なかった理由を、テレサが見上げていた。
宙を駆ける青い雷光。
中心の嵐が放つ稲妻を、縦横に走って躱し続ける。
アカツキだ。
恐らくは、撃墜された俺たちを守るために。
敢えて正面から真っ直ぐに、嵐に向けて男は駆ける。
「ヘカーティア!!」
愛した女の名を叫び。
アカツキは全身全霊で走り抜ける。
呼びかけに対する返礼は、強烈無比な稲妻の雨。
空間を焼き切る雷の槍。
一つでもまともに喰らえば致命傷だ。
アカツキは速度を緩める事なく、それらを紙一重で回避する。
「アカツキ殿、退いて下さい! それ以上は……!」
下から嵐に向けて、テレサは《分解》の光を撃ち込む。
焼石に水ではあるが、アカツキを狙う稲妻の勢いが僅かに緩んだ。
その隙に、駆ける雷光は嵐との間合いを詰めていく。
退くことなど、まるで考えていない動きだった。
「アウローラ」
「……下手に手を出すのは、逆に危険よ。
それに、あの男もこうする為に来たんだから。
今さら止められないでしょう」
応えるアウローラの声には、僅かに苦いものが混じっていた。
頷いて、俺は剣を構える。
テレサの援護に対して、稲妻の反撃が飛んで来ないとも限らない。
備えるために掲げた刃の表面を、炎が小さく揺らめいた。
『死すると分かって挑む男の姿か。
長子殿もつい感傷的になってしまったか?』
「お前も人のことを言えるの?」
『さて、少なくとも長子殿ほどではないさ』
「…………」
姉妹の会話に、俺は何も言わなかった。
黙って剣を構えて、その姿を見る。
嵐へと向かっていく雷光の姿を。
「私は――私は此処だ」
渦巻く嵐。
大気を焼く稲妻。
空間に吹き荒れる風の轟音。
それは聞こえるはずのない声だった。
それでも確かに、男の叫びは俺たちの耳に届いていた。
嵐の先にいる恋人へ向けた、愛の言葉。
「私は此処にいるぞ、ヘカーティア――――!!」
アカツキであって、アカツキではない男。
模造された魂で鋼の躯体を動かし、ただ真っ直ぐに。
避け切れなかった稲妻が、男の手足を削り取って行く。
それでも止まらない。
止まらず、やがては嵐に届いて――。
「ッ――――!」
最後の声は、聞こえなかった。
それが届いたのは、ただ一人だけ。
俺たちが聞く必要のない言葉を、雷鳴の音が掻き消した。
瞬く光が視界を遮る。
それが晴れた後に、見えるモノは。
「…………愛してる」
渦巻く嵐はもう、其処には無かった。
胸から上だけを残した男の残骸。
抱き留めるのは嵐から変じた一匹の竜だった。
「僕も、愛してる。アカツキ。
これまでも、これからも――永遠に」
男は動かない。
砕かれた機体は何も応えない。
ヘカーティアの姿は、普段のボレアスの形に近かった。
人の身に竜の鱗を纏い、その背には雷を宿す翼が広がっている。
嵐の如き大真竜の魂。
巨大な《竜体》を支えていたソレが、新たな実体を形作る。
感じる力の強大さは、先ほどまでとまったく変わらない。
「――お前を止めようとした男を手にかけて。
それで満足かしら、ヘカーティア?」
「黙れよ、《最強最古》。
……姉さんも、お前も。呑み込んだあの小娘まで。
果てはマレウスまで首を突っ込んできた。
誰も彼も、僕の邪魔ばかりして」
バチリと、雷が跳ねる。
憤怒に燃え上がる瞳が俺たちを見た。
姉さんってのは、多分だがブリーデの事だろう。
あと、今マレウスとか言ったか?
「ハッ――そりゃ、大陸中を嵐で呑み込めばね。
迷惑に思う奴は邪魔しに来るでしょうよ」
「……ヘカーティア。
いいから、私の妹を返せ。
そうすればお前の邪魔などするつもりもない」
「…………」
挑発するアウローラも、懇願に近いテレサの言葉も。
どちらもヘカーティアは聞き流した。
その手から、アカツキだった残骸がこぼれ落ちる。
地に落ち、重たい音が空しく響いた。
「もういい。盟約も何も、全部どうでもいい。
何もかもが僕の邪魔をするのなら、何もかも砕いてしまおうか」
「……待て。何を考えている、ヘカーティア」
複数の声が、同じ言葉を同時に重ねる。
見れば、遅れて追いついた《爪》が俺たちの開いた穴から姿を見せた。
向こうにしても、ブチギレたヘカーティアは想定の外か。
正気とは思えない台詞に、《爪》連中からも焦りが感じられた。
先ほど砕いた相手と同じ姿。
恋人の模造品を見ても、もう大真竜が揺れる様子はない。
それほどまでに、怒りの針が振り切れていた。
「何もかもを砕く? 馬鹿な、流石にそんな真似は……」
「言葉通りだよ。――だから、邪魔をするな。
邪魔をするなら、ソイツは誰であっても僕の敵だ」
「……まるで子供の癇癪だな」
一番始末に負えない奴だと、俺もため息が漏れた。
アカツキの似姿である《爪》は、キレた主人に二の足を踏んでいる。
だからこっちは剣を握り締めて、一歩前に出る。
大真竜の視線がこちらを見た。
荒ぶる嵐を前にしたのと変わらない圧力。
けど、こっちも退く気はない。
「アカツキの奴がちゃんと届いたのかどうか。
それは俺には分からんけどな。
少なくとも、アイツは自分がやると決めた事をやり遂げた。
――だったらまぁ、こっちもやる事をやらないとな」
別に弔いなんてつもりはない。
ただイーリスは取り返さなきゃならんし、ヘカーティアも放置は出来ない。
「来いよ、大真竜。
そんなにキレて暴れたいんなら、彼氏の代わりに相手してやるよ」
「ッ――思い上がるなよ、竜殺し!!」
風と稲妻を纏い、人竜と化したヘカーティアは咆哮する。
色々妨害が入って全力じゃないだろうに。
その力の規模は、文字通りの嵐の化身だった。
「何か勝算はある?」
「がんばる」
『それでこそ竜殺しだな、いつも通り過ぎて笑うしかない』
絶望的な戦いを前に、竜の姉妹は笑う。
俺と、その傍らに並び立つテレサは嵐を睨みつける。
「待っていろ、イーリス!
今、お姉ちゃんが助けてやるからな!」
「まぁ絶対に待ってるだけじゃないと思うけどな、ウン」
きっと今この瞬間も、呑まれた状態で何かしてるに違いない。
――だから、こっちはこっちで頑張りますか。
そう覚悟を決めて、撃ち込まれた稲妻の槍を叩き切った。
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