305話:鉄拳


 大昔、とある賢者がいたそうだ。

 ソイツは目の前にある竜の尻尾が、「本当に竜の尻尾であるか」を確かめた。

 自分の足で思いっ切り踏みつける事で。

 ……その結末がどうなったのかは、まぁ想像通り。

 危険と分かってるのに踏み込むのは、賢いんじゃなくてただの馬鹿だと。

 そういう教訓を語る寓話の一つ。

 オレの今の状況も、まぁ似たようなものだった。

 

「ハハハハハハ……!!」

 

 口から漏れ出るのは笑い声だ。

 もうホント、我ながら笑うしかない状況だった。

 背中には殆ど重みのない男の死体を背負って。

 オレは森の中を走っていた。

 いや、見た目が「そう」なだけでそこは森とは異なる。

 大真竜コッペリア、或いは《五大》の竜王ヘカーティア。

 その大いなる竜の魂、その本質である内的世界。

 さっきまでは穏やかな森そのものだったが、今は大きく違っていた。

 

『アカツキ、アカツキ――――ッ!!』

 

 叫びが聞こえる。

 愛した者の名を叫ぶ声が。

 それはヘカーティアのものだった。

 絶叫が響くごとに、強烈な風が渦を巻く。

 稲妻が空を切り裂いて、雨粒は矢となって降り注ぐ。

 地獄絵図、とはまさにこの事だ。

 オレはヘカーティアの世界に眠っていた宝を盗み出した。

 かつて、我が身を犠牲に彼女を救ったという賢人。

 歴史に数えられぬ《十三始祖》の十四番目、アカツキ。

 一時的に行動を共にした機械のアカツキ、そのオリジナルの魂。

 砕け散って欠けた男の魂は、屍も同然だ。

 まったく目を覚ます気配もないし、触っても生気を感じない。

 重さが殆どないせいで、背負っていてもフワフワする。

 相手の方が身長が高いせいで、足を引き摺りそうなのがちょっと怖い。

 

『待て、待てよ小娘!!

 どうしてお前が彼に触れてるんだ――!!』

「ハハハハハ!

 こんな場所まで入り込まれてんのに、気付かない方が悪ィんだよ!!」

 

 我ながらコソ泥の理屈そのものではある。

 とはいえ、最初に強盗殺人喰らったのはオレの方なんだ。

 それをやった犯人に泥棒を咎められてもな。

 

「問題は、こっからどうするかだな……!」

 

 ぶっちゃけノープランだ。

 奪われた《奇跡》を取り返して、ヘカーティアの馬鹿な企みを潰す。

 一応それが目的ではあった。

 現状、それは後半部分を半端に達成してる状態だった。

 ヘカーティアの目的。

 それは本物のアカツキの魂を復元する事。

 オレが背負っているのは、彼女の望みそのもの。

 こっちがアカツキの魂を持ってる限り、ヘカーティアは作業を継続できない。

 ブチギレて怒りを撒き散らす様子からして、それは間違いないはずだ。

 

「っと……!?」

 

 すぐ横の木々に、一条の稲妻が落ちた。

 ここは魂の世界だ。

 見た目が雷なだけで、それが普通の雷と同じかは分からない。

 ただ命中したらタダじゃ済まなさそうだ。

 しかし。

 

「オイオイ、良いのかよ!!

 そんなもん振り回したら、愛しの彼氏に当たっちまうかもしれねぇぞ!!」

『ッ……お前……!!』

 

 他の奴が言ってるのを聞いたらドン引きしそうな台詞だ。

 いやもう小悪党そのものだけどな。

 

「何一つ余裕もねェし、やれる事は全部やるだけだな……!」

 

 これはレックス辺りが言いそうだなと。

 そんな事を考えて、ついつい笑ってしまった。

 頭上で稲妻が爆ぜる。

 風は激しさを増し、森に見える世界を紙の絵みたいに剥がしていく。

 いよいよ取り繕う気も無くなって来たか。

 ……多分だが。

 アカツキの魂が横たわっていた場所だとか。

 そういうのは全部、ヘカーティアにとって思い出の景色だったんだろう。

 それを踏み荒らした事については、多少なりとも思う所はある。

 失った物を取り戻したい。

 その願いそのものは、理解できないワケじゃなかった。

 

「――ま、先に喧嘩売ったのはそっちだからな。

 悪く思うなよ、ヘカーティア。

 つーか力技に訴えるだけじゃなくて、ちっとはこっちの話聞けよ!

 彼氏の死体がどうなってもいいのかよ、オイ!!」

『僕を脅迫するつもりか、人間!?』

「そーだよ、悪いか!?」

 

 オレだって別にやりたくてやってるワケじゃねーよ。

 背中のコイツとは他人かもしれねぇし。

 そうじゃない、同じ顔をした奴とも大して面識があるワケでもない。

 良心が咎めるとか、断じてそういう理由じゃあないが。

 それでもやっぱ、他人の大事な物を盾に取るってのは趣味じゃない。

 趣味じゃなくとも、やらなきゃならんのならやるけどな。

 

『ッ……クソ、どいつもこいつも……!!』

「悪態吐きたいのは分かるけどよ、どうするんだ!

 オレは別にいいんだぜ!!

 その気があるなら、愛しい彼氏ごとバラバラにしてみろよ!」

『……分かった』

 

 今にも怒りが爆発しそうな声。

 それをどうにか、理性という蓋で無理やり抑え込んでる。

 大体そんな感じで言ってから、ヘカーティアは僅かに沈黙した。

 ぶっちゃけ生きた心地がしない。

 それだけはしないだろうと一点賭けしちゃいるが。

 向こうがちょっとでも自棄になったら、その時点でおしまいだ。

 逃げる足は止めずに、相手の出方を待つ。

 やがて。

 

「……お?」

 

 吹き荒れていた嵐が和らいだ。

 森の景色をバリバリと壊していた風も止む。

 雨も去り、稲妻は頭上でゴロゴロ渦巻くだけで落ちては来ない。

 

「――――」

 

 そして。

 ツギハギになった森の中に降り立つ少女の姿。

 見覚えのある、人の形を取ったヘカーティアだった。

 彼女はオレの正面、距離を開けた位置に立った。

 出来れば今すぐにでも八つ裂きにしたいと、その眼が物語っている。

 その眼光だけで気絶しそうな圧力があった。

 が、ここでビビったらそれで終わりだ。

 歯を食いしばってるのを誤魔化すために、オレは敢えて笑ってみせた。

 

「ご機嫌斜めそうだな、ヘカーティア」

「……無駄口は良い。僕の要求は言う必要があるか?」

「彼氏を返して欲しいんだろ。せめて可愛らしくお願いできないのかよ」

「ふざけてるのか……!?」

 

 おぉ、こわいこわい。

 いやマジでくっそ怖いし、何なら身体があったらチビりそうだわ。

 ガチギレた大真竜が放つ憤怒と殺意。

 収まったはずの嵐がまた吹き荒れそうな程だ。

 ――怯んだら死ぬ。ビビったら死ぬ。

 自分で自分に言い聞かせ、浮かべた笑みは崩さない。

 ヘカーティアは、本物のアカツキの魂を見捨てる事はできない。

 だからこそ、オレみたいな雑魚を相手に交渉の形を取った。

 

「……返せ。返せよ、彼は僕の全てなんだ」

「だろうな。それがお前の要求だろうよ。

 だったら、オレの要求だって言うまでもないだろ?」

「奪った《奇跡》を返せ、かい?」

「後ついでに殺した件は詫びの一つぐらい入れろよ」

 

 ホントはブン殴るつもりだったけど。

 多分それより痛い目に遭わせてるだろうから、それはもう良いや。

 重要なのは《奇跡》の奪還。

 それさえ達成できれば、ヘカーティアの馬鹿な企みは潰える。

 ……まぁ、問題は。

 

「それは無理だ」

 

 向こうも、それが譲れない一線だって事か。

 《奇跡》を手放してしまったら、アカツキの復元は叶わない。

 だからヘカーティアも、簡単には頷けなかった。

 まぁ、そりゃそうだよな。

 

「僕の望みは、そこの彼を――壊れてしまったアカツキを復元する事。

 そのためには、君の《奇跡》で全ての都市を掌握する必要がある。

 人智を――竜の叡智すらも及ばない、莫大な演算能力。

 それがあってようやくなんだ」

「……ま、そうか。そういう話になるよな」

 

 願いを叶える算段がようやく整う。

 その段階で「願いは諦めろ」だなんて、通る話じゃない。

 分かり切っていた話だった。

 

「返してくれ。僕のアカツキを」

「こっちもハイそうですか、って渡せねぇよ。

 悪いがオレとしてもコイツを確保してんのが生命線なんでね」

「僕にはもう、彼しかいないんだよ……!!」

 

 抑えつけている怒りが、声へと滲み出す。

 今にも爆発しそうな激情を抱えて、ヘカーティアは叫ぶ。

 

「彼の理想だったはずの、人々が暮らす都市の多くを僕は踏み躙った!!

 砕けてしまった彼の魂を、失ってしまった愛を!

 それを取り戻す唯一の機会だからと、他のモノは全て投げ捨てた!

 もう彼しかいない――僕には、アカツキしかいないんだ!!」

「…………」

 

 アカツキ。

 確かに、背負ったこの男も「アカツキ」なのだろう。

 けど。

 

 

 もう一人いるはずだ。

 迷いながらも決意し、愛に殉じる事を覚悟した男が。

 例えその在り方が模造品に過ぎないとしても。

 多くの感情が、機械的に再現されたモノだったとしても。

 アイツの愛もまた、ヘカーティアに向けた本物の愛のはずだ。

 それは当事者が一番良く分かってるだろ。

 

「――――」

 

 オレの問いに、ヘカーティアは口を閉ざす。

 その沈黙は痛々しく、表情は苦痛に堪えているようだった。

 ……この反応は、まさか。

 

「オイ、ヘカーティア」

「…………『彼』は、もういない。

 外の、現実の世界で、ついさっき……僕が、壊した」

 

 乾き切った声で。

 ヘカーティアは、懺悔するようにそう言った。

 ……アイツも、「アカツキ」自身もそうなる事は分かっていた。

 むしろ確実にそうなると知って、それでも挑む覚悟を決めたんだ。

 だから、その結末自体は定められていたモノで。

 外野のオレがとやかく言う事じゃない。

 分かってる。

 それは当然、分かってる。

 

「……『彼』は、

 僕が再現して、けれど失敗してしまった多くのモノの一つ。

 それでも――それでも、『彼』は。

 『彼』は僕を愛してると、本当のアカツキと同じように。

 そう言って、けど、僕を止めようとして。

 だから……だから、『彼』の身体を、砕いたんだ」

 

 震える声。

 まるで泣く寸前の子供みたいな。

 分かってる。

 オレが口を挟むような問題じゃないって事ぐらい。

 

「……砕いて。それで、お前はどうしたんだよ」

「……『彼』は、『彼』の愛は確かに僕に届いたよ。

 その輝きは、今も此処にある」

 

 そう語るヘカーティアの手に、微かな光が瞬く。

 小さな火花のような何か。

 それは多分、砕けたアイツの魂の残滓で。

 一人の女に向けて、文字通り命を捨てて伝えた愛の証明。

 ヘカーティアはそれを、愛しそうに手にしていた。

 

「だったら、それで良いだろ」

「…………」

「本当のアカツキの魂は砕けて、もう目を覚ます事はない。

 死んじまったも同然だとしても。

 ソイツは命懸けで、お前を「愛してる」って事を伝えたんだろ。

 ――だったら、それでもう良いじゃねェかよ」

「違う。確かに『彼』の愛は本物だった。

 僕も、『彼』の事を愛してる――『彼』は本物と変わらない。

 だけど――だけど、それでも」

 

 それでも。

 ヘカーティアはその単語を繰り返し。

 

「それでも――『彼』は、僕が求めてる『本当のアカツキ』じゃないんだ」

 

 本物だと認めたモノを、やはり偽物だと語るのだ。

 自分で自分の身を刻んでいるような、そんな痛みに塗れた顔で。

 ……オレには関係がない。

 口を挟む事じゃないってのは、良く分かってる。

 あぁ、当然分かってるけどな。

 

「……悪いな」

 

 呟いて、オレは先ず背負った死体を地に下ろした。

 流石に投げ捨てるのは悪いので、屈んでから腕を離す。

 この状況で、オレがヘカーティアの裁きを受けないための生命線。

 それを手放した。

 今は正直邪魔でしかないからだ。

 

「アカツキ……!!」

「…………」

 

 もうオレの事なんて眼中にないみたいに。

 下ろした死体に駆け寄ろうとするヘカーティア。

 オレは足を前に出す。

 一瞬後には稲妻で粉々にされる可能性だとか。

 そんなもんは無視して、躊躇なく前へと。

 踏み出しかけたヘカーティアも、近付いて来るオレにはすぐ気が付いた。

 思い出した敵意のまま睨んできて――すぐ、その顔に困惑が浮かんだ。

 まぁ、そうだろうな。

 そうだろうよ。

 お前には分かんねェだろうな。

 なんで喧嘩売ったオレの方が、今の話でブチギレてるなんて。

 

「よう、ヘカーティア」

 

 意味がわかんねェだろうな。

 吹けば飛ぶ、指先一つでブチ殺せる弱い人間が。

 何故か堂々と、自分の目の前に立つなんて。

 

「お前は、何を――」

「オレはイーリスだ。ちゃんと名乗った事はなかったよな?」

 

 笑って、オレが何者なのかを先ずは口にしておく。

 そうしてから、拳を握り締める。

 困惑するヘカーティアに見えるよう、それを振り上げて。

 

「歯ァ食い縛れよ、馬鹿女――――ッ!!」

 

 殴るのはもう良いなんて思ったけど、ありゃ嘘だわ。

 思い切り、全身全霊を込めて。

 その横っ面に鉄拳を叩き込んでやった。

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