303話:嵐を貫く流星
怒りが空を震わせていた。
あまりにも激しいその変化。
その影響を真っ先に受けていたのは――。
『ヤバいって! 死ぬ死ぬ死ぬ!!』
『もう何回目かしらねそれ……!』
ヴリトラとマレウス。
《竜体》となったヘカーティアに挑む二柱の《古き王》。
捨て身も同然の突撃を行い、嵐を纏う巨体を大陸の外まで押し込む。
嵐による被害と、巨竜が地表へと墜落するのを防ぐため。
その目的は半ばまで成功していた。
風と稲妻に身体を削られながらも、嵐は少しずつ押されていく。
大陸の外――鎖された海へ向けて確実に。
しかし。
『アアァアアアアアア――――ッ!!』
それは咆哮だった。
二柱も何が起こったのか、状況を把握できない。
まったく突然に、ヘカーティアの《竜体》が絶叫し始めたのだ。
凄まじい憤怒は嵐の勢いを強める。
先ほどまでより遥かに激しく、嵐の竜は暴れ出す。
マレウスの《竜体》の鱗と血肉を、ヘカーティアの爪が大きく削り取った。
ヴリトラの魂を宿す水の防御。
それすらも薄紙のように切り裂かれていく。
『ヘカーティア! 落ち着いて!』
『くそっ、何でだ! どうしてだ!?
誰も彼も邪魔ばかりして!! 僕は「彼」と一緒にいたいだけなんだ!!
それなのにどうして――――!!』
叫ぶ。叫び続ける。
怒りで我を忘れたヘカーティア。
声はろくに届いておらず、ただ激情のままに力を振り回す。
目的も目標もなく滅茶苦茶に。
その無秩序さは、まさに嵐の暴威そのもので。
『こりゃダメだな、完全に頭に血が上ってやがる……!』
必死に水を操作しながら、猫のヴリトラが呻いた。
言葉を忘れてしまった獣のように、ヘカーティアは荒れ狂う。
それは最悪の事態ではあったが、同時に二柱にとっては好機でもあった。
『ヴリトラ、もう少し頑張れる!?』
『もういっぱいいっぱいなんですけどねェ……!!』
マレウスの呼びかけに、殆ど悲鳴じみた声で応えるヴリトラ。
ヘカーティアは完全に我を忘れていた。
癇癪を起こして暴れる子供も同然に。
激情で目的すら見失った彼女は、自分を押している二柱の存在も忘れていた。
抵抗する力自体は、間違いなく先ほどまでより弱まっている。
それは間違いなく好機だった。
『でも暴れるパワーだけは最悪に強いんだけど!!』
『発狂モードだから加減もなんも無しだものね……!』
抵抗する力は弱い。
押せば押しただけ嵐は動く。
けど、無目的に振り回される力は兎に角凄まじい。
狙いすらロクに定まっていない稲妻の雨。
ただの風が竜の鱗を削るほどの刃と化している。
当たるのが精々「流れ弾」程度だから、マレウスたちはまだ砕けていない。
しかし、それも時間の問題だった。
『許さない、許さない許さない許さない!!
よくも、よくも僕の大事な物に触れたな……!!』
『……コレ、マジで何があったと思う? やっぱ長兄殿がなんかしたの?』
『その可能性が一番高いでしょうね……!』
実際のところは分からない。
分からないし、マレウスたちには考えている余裕もなかった。
押す。押し続ける。
大陸を呑み込む嵐を、大陸の外へ向けて。
物理的な激しさが増した以上、事は一刻を争う。
地表を丸ごと引っぺがされる前に、海まで押し出さなければ。
『……もう、いい』
渦巻く風と雷の中で。
一気に温度を下げたその声は、やけにハッキリと響いた。
これは拙いと、マレウスもヴリトラも同時に直感する。
怒りが激しすぎて、完全にキレてしまったと。
『全部、砕いてやる』
狂気と憤怒。
それらに支配されてしまった頭からは、目的とかは消し飛んでいた。
――許さない。許さない。許さない。
ささやかな願いすら許容しない、この世界こそ間違っている。
理不尽極まりない衝動がヘカーティアを突き動かす。
魔力を限界まで昂らせ、それを身に纏う嵐へと注ぎ込もうと――。
『やめなさい、ヘカーティア!!
そんな事、貴女を愛していたアカツキが望んでいると思うの!?』
月並みな。
本当に月並みで退屈な説得の言葉。
そうと分かっていて、マレウスは敢えて逆鱗に触れた。
どれほど理性を失っても、アカツキの名を出せば反応せざるを得ない。
その結果、激情の矛先が自分に向くとしてもだ。
『――――』
目論見通り、ヘカーティアの意識はマレウスに向いた。
それは怒りをぶつける対象として、狙いが定まった事も意味していた。
マレウスの背でヴリトラが思い切り毛を逆立てる。
『流石に無茶し過ぎだろマレウス……!』
『ごめんなさい、でもコレしか思いつかなくて……!』
『……アカツキが、望んでいない?』
ぽつりと。
誰に聞かせるでもない、独り言に近い言葉。
荒れ狂う嵐とは対照的に、その声そのものは穏やかだった。
それだけに、奥に潜む感情の激しさを予感させる。
『分かってる――分かってる、分かってるよ。
そんな事は僕だって分かってる。
けど、どうすれば良かった!?
知らぬ間に狂わされ、愛した人にその命を投げ出されて!!
気が付いた時にはもう全部終わっていて、この手にあったのは彼の残骸だけ!
失った物を取り戻す事以外に、僕に望めるモノがあったの!?』
『っ……ヘカーティア……!』
巨竜は叫ぶ。
それは正に感情の濁流だった。
嵐の如き憤怒と狂気。
愛に狂ったヘカーティアは、吹き荒れる風と共に叫び続ける。
『大陸の秩序だとか、盟約の維持だとか!!
どうだって良い――そんな事、僕にはどうだって良い!!
もう一度、もう一度だけでいい!
彼に会って言葉を聞きたい、その腕で抱き締めて貰いたい!!
それだけで、それだけで良いんだ!
そんなささやかな願いすら叶わないなら、その方がおかしいだろ……!?』
叫ぶ声が一つ上がる毎に、嵐もその強さを増す。
二柱が挑んだ決死の努力は、確実に実を結びつつあった。
今やヘカーティアの《竜体》は、大陸の端まで押し込まれている。
荒れる嵐の向こうに海も見える。
あと少し――あと少しが、酷く遠い。
『喪失を抱えたまま生きるには、永遠は長すぎる……長すぎるんだよ……!!
アカツキが望もうと望むまいと、僕は願ったんだ!!
それを邪魔するのなら、何もかも嵐に呑まれて砕け散ればいい――!!』
その言葉を実行すべく、ヘカーティアの魔力が膨れ上がる。
盟約が誇る序列五位の大真竜。
力の規模のみなら、より上位の者とも決して引けを取らない。
故にマレウスたちには、その嵐に抗う術はなかった。
『メンタル不安定な奴がブチギレんのホント面倒臭ェ!!
いやもうホント無理だろコレ!?』
『海まで辿り着ければ、何とかなるの!
だからもう少し、もう少しだけで良いから……!』
頑張って、と。
そう言おうとするマレウス自身も、限界を悟っていた。
海に辿り着ければ、その膨大な水の質量でヘカーティアを捕らえられる。
長くは無理でも、暫くは大陸の外に釘付けにできるはずだ。
けれど、視界に見えている海までの距離があまりに遠い。
その「もう少し」を押し込む事が困難だった。
『あと少しなのに……っ!!』
歯を食いしばり、力を振り絞る。
また僅かに嵐は動き、海へと近付く。
だが。
『アカン、こりゃ無理だわ』
猫が絶望的な悲鳴を上げた。
竜の咆哮そのままに、嵐が雄叫びを上げる。
その中心にいるマレウスたちは、真っ先にその圧力に晒された。
砕け散る。何もかもが砕け散る。
ヴリトラの言葉通りに、最早抗いようはない。
少なくとも、この二柱には。
『――――ッ…………!?』
それは晴天の霹靂だった。
或いは渦中の流星とでも呼ぶべきか。
分厚い嵐の壁を貫いて走る、一条の白い光。
音を完全に置き去りにしたその速度を、捉えられる者はいなかった。
理性を捨て去ったヘカーティアには見えもしなかったろう。
『な、に……!?』
沸騰していた頭の中が驚愕で塗り潰されていた。
何をされたのか分からない。
ただ、強大な力の塊が《竜体》のど真ん中を貫いた。
それだけがヘカーティアの理解の全てだった。
致命傷にはほど遠い。
《竜体》が砕かれるほどのダメージでもない。
ただ、魂を削るような一矢。
それは間違いなく、大真竜であるヘカーティアの力を削いでいた。
『オイ、今のは……!?』
『ええ』
ヴリトラとマレウス。
彼らは気が付いていた。
ヘカーティアを貫いた流星――その一矢。
そこから感じられたのは、白い蛇の気配だった。
関わる誰もが、同じものを見て戦っている。
それはマレウスが奮い立つには十分過ぎる理由だった。
『さぁ、貴方ももうちょっとだけ頑張って! ヴリトラ!!』
『分かったよマレウス! これ終わったら寝るから絶対起こすなよ!?』
『ええ、約束する!!』
唯一にして、千載一遇の好機。
これを逃せば後はない。
二柱の竜王はその意思を重ね、最後の力を振り絞る。
不意の一撃により、荒れていた嵐が明らかに弱まっていた。
その隙に、マレウスの《竜体》とヴリトラの水がヘカーティアを圧倒する。
混乱する嵐の竜は、抗う事すら忘れていた。
『こんな――馬鹿な……ッ!!』
抗えない。
貫いた矢は的確に《竜体》の急所を撃ち抜いていた。
魂を一部削られて、力の制御を一時的に見失う。
立て直す暇もなく状況は動く。
大陸を離されて、狭く鎖された海の上へと。
『さぁ、暫く大人しくして貰いましょうか……!!』
海に出た。
それと同時に、マレウスは残った力を全て解き放つ。
彼女は水の竜、《
《古き王》としての力の序列は低くとも。
大量の水が存在する環境は、その全てが彼女の「強さ」となる。
渦巻く莫大な量の海水。
それはヘカーティアの《竜体》を捕え、嵐の中心から引きずり出す。
万全な状態であれば、序列五位の大真竜はそれすら跳ね除けただろう。
だが今、この瞬間だけは抵抗は不可能だった。
『ほら、ヴリトラも圧力掛けて!!』
『ホントにきっつい!!』
『ッ……これ、ぐらいで……』
海中へと落下し、水による拘束で縛られるヘカーティア。
抜け出そうともがくが容易くは行かない。
頭上で封印を押し込むマレウスとヴリトラに、呻くように咆哮する。
『ボクを封印できると、そう思ってるのか……!?
こんなもの、大して時間も掛からず――』
『解けるでしょうね、分かってる。
最初に言った通り、私たちは時間さえ稼げれば良いの』
必死に力を吐き出しながら、マレウスは笑った。
それは安堵の笑みだった。
自分の役目は果たしたと、そう確信した表情で。
『後は、姉さんたちが上手くやってくれる。
――きっと、それは貴女が一番感じているんでしょう?』
『ッ――――!』
ヘカーティアは口を閉ざした。
何も応えず、ただ水の呪縛から抜け出そうと足掻き続ける。
一時、大陸を覆っていた嵐は退く。
それは嵐が再び激しさを増す、その前の静けさであるのか。
それとも終わりが近いのか。
今はまだ、誰も知る由はなかった。
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