451話:立てよ


 生まれ落ちた世界の滅亡。

 それが、ウィル――《灰色》にとっての最初の挫折だった。

 続いて流れる過去の場面もまた、男が経験した失敗と破滅の記録ばかりだ。

 偉大な魔法使いの手で、滅亡から逃げ延びた後。

 新天地で遭遇した恐ろしい竜の王様。

 オレも見知ったソイツとの取引を経て、念願の「不死の秘密」を手に入れた。

 それによって魔法使いたちは不死となったが――結末はもう、語った通り。

 永遠に耐え切れない者たちは、時の流れの果てに狂っていく。

 《灰色》は、それについても「自分のせいだ」と責任を背負い込む。

 ……どうしようもないな。

 本当に、どうしようもない話だった。

 目の前を過ぎていく、千年を超える魔法使いの足掻き。

 オレは奈落の底へと落下していく気分で、そのザマをただ眺め続けた。

 悪意なんてなかった。

 むしろ、より良い未来を目指す善意しかなかった。

 だけど男は失敗し、待つのは悪しき結果ばかり。

 自らが引き起こした災禍に嘆き、けれど魔法使いは諦めない。

 諦めず、また繰り返す。

 オレが見たものすら、数多の失敗の断片でしかなかった。


「……ホント、どうしようもねェ」


 呟く声は、きっと届かない。

 届いたところで、聞く耳なんざありゃしないだろう。

 心底助けたいと思っていた友人ですら、止められないと匙を投げた。

 片腕に等しかった弟子の死も、魔法使いの心には響かない。

 失敗、失敗、失敗、失敗。

 挫折しながらも、ただ諦めだけは拒絶して這い進もうとする。

 その執念が、また次の悪しき結果へと繋がっていく。

 まるで、自らの尾に噛みついた蛇のようだ。


「それで自分だけ死ぬんだったら、何の迷惑も無いんだけどな」


 実際には、被害と災禍を振りまき続けるのだからタチが悪い。

 数多の過去を見ていると、オレの足は硬いモノを捉えた。

 どうやら、やっと「底」に辿り着いたらしい。

 両足で立てはするが、地面らしきものはまったく見当たらない。

 どころか、他に何も存在しない無明の闇。

 これ以上は落ちる場所すらない――そういう意味での、此処は奈落の底だった。

 まともな神経なら、少しの時間で頭がおかしくなりそうだ。


「よう、さっきぶりだな」


 声は、敢えて大きく響かせて。

 何も存在しないはずの闇に、オレは意識を向けた。

 そこには何もない。

 あるのはただ、重く沈んだ暗闇だけ。

 が、ここは魂の中心。

 この世界を形作っている「本質」は、絶対にいる。

 とはいえ、声を発した方向に関しては完全に当てずっぽうだけど。


「…………本当に、遠慮がないな」


 声。

 若い男のモノにしか聞こえないはずなのに。

 その響きは掠れて、酷く疲れ果てていた。

 何年も、無人の荒野か砂漠を彷徨い歩いた老人のように。

 闇から滲み出す形で現れた姿も、その声から受けた印象そのままだった。

 《灰色》の魔法使い。

 失敗と挫折を繰り返し、諦めだけは拒絶し続けた燃え殻の男。

 かつては、「ウィル」と呼ばれた誰かの残骸。


「最悪だよ。いや、そんな異能まで会得してるとは思わなかった。

 俺の油断と言えばそれまでか」

「そうだな。こっちをただの小娘だって舐めた、お前の責任だよ」


 笑う。

 笑いながら、一歩ずつ距離を詰める。

 オレと《灰色》の間にある空間。

 物理的な距離とはまた意味が異なる、心と魂の距離。

 《灰色》自身は、この世界の中心だから動けない。

 だから近づこうとするオレを、拒絶の意思で遠ざけようとする。


「寄るなと言っても、聞きはしないんだろうね」

「当然だろ。よく分かってるじゃねェか」

「流石に、そのぐらいは理解してるさ。

 君が余計なことばかりする娘だってことも」


 忌々しげに唸る。

 睨んでくる《灰色》の眼を、オレは真っ直ぐに見返した。

 周囲に広がるだけの、無明の闇とは違う。

 様々な感情が渦を巻いて、濁り切って澱んだ瞳。

 死人よりも暗い眼差し。

 その奥底では、敵意と憎悪だけが爛々と燃えていた。


「やっと、オレのことを敵だと認めたか?」

「…………あぁ、敵だ。敵だとも。

 ここまで邪魔されたとあっては、敵だと認めるしかない。

 イーリス、君は心底厄介で、目障りな敵だ」

「光栄だね、クソ野郎」


 拒絶の意思をねじ伏せて、オレは距離を詰めていく。

 一歩、また一歩。

 確実に、闇の中心である《灰色》へと近付く。

 視線の中に、敵意や憎悪とは別に焦りの色も滲んで来た。

 そもそも接近すらさせたくなかったんだろうが、アテが外れたな。


「糞っ……!」

「無駄だよ。ヘカーティアの時を忘れたのか?

 ここでの力比べだったら、オレの方が有利だって事」

「それは自惚れだと思わないか、イーリス。

 魂の扱いに関しては、俺の方が……」

「本当にそう思うんだったら、試してみりゃ良いだろ」


 負ける前から、負け惜しみを垂れていやがる。

 そんな馬鹿な男の前で、オレは足を止めた。

 拳が届くには、十分過ぎる間合いだ。

 《灰色》の顔もすぐ目の前。

 オレは口角を吊り上げて、わざとらしい笑みを見せてやった。


「それとも、小娘と喧嘩するのは怖くて仕方ないか?

 間抜けな上に臆病な玉無しとか、マジで救いようがねェなオイ」

「ッ……イーリス……!!」

「オラァ!!」


 安い挑発にキレた瞬間、こっちから拳を打ち込んだ。

 先ずは一発。

 顔面をぶっ叩くと、《灰色》は大きくのけ反る。

 そこを狙って前蹴りも叩き込む。

 腹の辺りに突き刺されば、苦しげな息が吐き出される。

 このまま一方的にブン殴るつもりだったが。


「舐め……るなッ!!」

「ッ!?」


 衝撃が横っ面を叩いた。

 《灰色》の拳が、オレの顔を捉えていた。

 向こうも一発では終わらず、更にもう一度逆側の頬を打つ。

 頭の中で火花が散った。

 なんだよ、腰抜けかと思ったら意外とやるじゃねェか。

 まぁ、それはそれとしてだ。


「無遠慮に女の顔面叩いてンじゃねェよ、このクソ野郎!!」

「ぐェ……っ!?」


 お返しの右ストレートで、顔のド真ん中を打ち抜いてやった。

 怯む頭をぶっ叩き、下がった顎に膝蹴りをぶつける。

 あまりにも単純な殴り合いだ。

 魂の本質がむき出しのこの世界で、魔法だの技術だのは意味がない。

 いや、まったく意味がないワケじゃないか。

 ただ最後のモノを言うのは、どっちの方が「気合い」で上回るかだ。

 小手先でどうこうする器用さは、オレには専門外。

 だから兎に角、気合いと根性でぶつかっていく。


「がッ、は……!?」

「オラァ!!」


 《灰色》の野郎も、思った以上に反撃してきた。

 前はボコボコだったが、コイツにも意地ぐらいはあるんだろう。

 一発殴れば、一発殴り返してくる。

 蹴りを入れて怯ませても、予想より素早く反撃してきた。

 殴る、蹴る、殴られる、蹴り返される。

 意外と良い勝負の殴り合いだ。

 が、それで調子づかれても困りもんだ。

 だからこっちは相手の襟元を掴み、思い切り頭突きしてやった。

 二発、三発と繰り返す。

 衝撃でぐらついたところに、全力で蹴りをねじ込んだ。


「ッ……ぁ……!!」


 呻き、《灰色》の魔法使いが膝をつく。

 追撃しても良かったが――やめておいた。

 代わりに、オレは跪いた男の前に立つ。

 それから覗き込む形で、上から見下ろしてやった。


「どうした、終わりかよ」

「イーリス……!」

「小娘相手と舐めてたのに、ボコボコにされる気分はどうだ?

 ヘカーティアの時で、いっぺん懲りたかと思ったんだけどな。

 結局、同じことの繰り返しかよ」

「っ……」


 あまりにも安い挑発に、自分で笑いそうになる。

 流石にそれは堪えて、更に言葉を続けた。


「見たぜ、お前がこれまでしてきた事」

「…………」

「それもまぁ、似たようなもんだったな。

 良かれと思って何かをしようとして、それが失敗して酷い結果になる。

 一度や二度で懲りれば良いってのに、何度も繰り返しだ」

「……やめろ」

「失敗して、失敗して、失敗して、失敗して。

 友人から三行半を突きつけられても、まだ止めねェのか?

 自分が間違ってる事ぐらい、とっくの昔に分かってるはずだろ。

 上等なオツムは飾りじゃねェよな?」

「やめろ、イーリス……!」

「やめねェよ、馬鹿」


 手を伸ばす。

 襟元を掴んで、無理やり《灰色》を立たせた。

 抵抗する力は感じるが、そんなもんは無視する。

 額がくっつきそうなぐらいに顔を止せ、正面から濁った眼を覗き込む。


「何がしたい――いや、、テメェは」

「ッ……!」

「失敗を取り返したかったのか?

 自分のせいで死んじまった連中に報いたかったのか?

 それとも、『自分のせいで大勢死んだ』って現実を認めたくなかっただけか?」

「違う……! 俺は、ただ……!!」

「何が違うってんだよ!!」


 叫ぶ。

 腹が立って仕方がない。

 多くの失敗を見た。

 多くの挫折を見た。

 最初は全て、「良き事」を望んで始めた多くの事。

 その尽くが、「悪しき結果」に終わったのを目の当たりにした。

 あまりに救いようがなかった。

 本当に、何もかもどうしようもない話だった。

 胸糞悪いが――それはもう、仕方がない。

 全部が全部、遠い昔に過ぎ去ってしまった話だからだ。

 だからそれ自体は、単なる「結果」としてどうにか呑み込めた。

 けど。


「お前を止めようとした奴はいたはずだろ!

 お前が間違ってると、そう分かってた上で傍に残った奴もいた!!

 そいつらに対して、お前は何をした?

 何もしないで、ただ失敗を取り返そうと躍起になってただけじゃねェか!」

「――――」


 《灰色》の魔法使いは、何かを言い返そうとしてた。

 だけど、それは結局言葉にならなかった。

 つまりはそういう事だ。

 良き事を行おうとして、悪しき結果に終わってしまった。

 それを繰り返す内に、コイツは「結果を認めない」事だけに執着していた。

 どれだけ失敗し、どれだけ挫折を繰り返そうが。

 諦めなければ最後は何とかなるはずだと。

 そんな幻想に縋りついて、また悪い結果を重ねる。

 最後の最後で、何もかもが報われる「都合の良い結末」があるはずだと信じて。


「現実見ろよ、このクソ野郎……!!」


 ブン殴る。

 これまでで一番の力で。

 むき出しの魂を、真っ向から衝突させる行為だ。

 こっちも全身がギシギシ痛むが、そんなもんは構わない。


「腹ァ決めろよ。今度は逃さねェし、オレも退く気はねェぞ」

「……っ、イーリス……!」

「《灰色アッシュ》。

 もう、お前の傍には誰もいない。

 友人も、弟子も、助けたかったはずの誰かも、尊敬してた父親もいない。

 だからせめて、オレがお前の道の上に立ちはだかってやるよ」


 地に伏した魔法使いを見下ろして、オレは告げる。

 ……きっとこれも、誰かがやるべきだった事だ。

 けど、この男がかつては善良で聡明な奴だと知っていたから、誰もが躊躇った。

 付き合いの長い奴ほど、それは耐え難い事だったろう。

 血の繋がった肉親ともなれば、まぁ仕方のない話だろうさ。

 だから、赤の他人のオレが代わりにやってやるよ。


「オラ、立てよ。

 泣いて謝っても許さねェし、反省しても勘弁してやらねェ。

 ――お前が完全に諦めて、心が根本からへし折れるまで。

 オレが付き合ってブン殴ってやるから、ありがたく覚悟しやがれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る