452話:《摂理》の光


「が、ァ……っ!?」


 これで何発目だ?

 殴っている方のオレも、とっくに数は分からなくなっていた。

 十数発目か、数十発目か。

 まだ三桁は行っていない気がする。

 ともあれ、また拳が《灰色》の顔面を打った。

 この世に絶望しきった根暗な面も、まぁ随分と男前になったんじゃないか?

 目に見える傷は、それだけコイツの本質がダメージを受けている事を示していた。


「っ、イーリス……!」

「気安く呼び過ぎだっての!!」


 反撃しようとしたところを、逆に蹴りで返り討ちにする。

 生身じゃないから意味はないんだが、感覚的に鳩尾の辺りをぶっ叩く。

 衝撃に仰け反り、《灰色》は苦しげに呻いた。

 そこにまた拳を振り下ろす。

 こっちも、何度も何度も殴ったせいで身体が軋みっぱなしだ。

 魂を直にぶつけ合っている以上、ダメージはこっちにも返ってくる。

 構わず、《灰色》の顔を右フックで抉った。


「――――!?」


 潰れたような悲鳴は、音としても認識し辛い。

 暗闇に倒れ伏した魔法使い。

 手を伸ばし、首根っこを引っ掴んで無理やり立たせる。

 目を見た。

 暗く濁った、絶望の色で澱み切った瞳。

 それでも、「諦める」ということだけは拒絶している眼。

 変わらない、変わっちゃいない。

 オレは舌打ちを一つして、また《灰色》を殴り飛ばした。


「ぐェ……っ!?」

「てめェもしつこい男だよなぁ……!!」


 いい加減、うんざりしてきた。

 倒れたところを蹴り転がし、更に踵で踏んづける。

 つま先を打ち込み、悶絶しているところをまた強引に立ち上がらせた。

 何度も、何度も、何度も。

 何度も何度も何度も何度も何度も。

 やってるオレがうんざりするぐらい、何度殴り倒しても。

 《灰色》は諦めていなかった。

 残骸みたいな、とうに灰になったはずの燃え殻の男。

 過去の過ちしか見えず、先へは進めない。

 だというのに、コイツは「諦める」ことだけはしないのだ。

 今だって、どれだけ一方的に殴られ続けても諦めてない。

 ……ま、分かってるんだろうな。

 オレにできるのが、精々ボコボコに蹴る殴るぐらいだって事を。

 一時的な嵐を、頭を低くしてやり過ごすぐらいの腹か。


「で、我慢比べのつもりかよ?」

「…………」

「オレが飽きるとは、流石に思っちゃいないよな。

 持久戦か? まー確かに、そうなったらオレが不利かもな。

 どんだけ気合い入れたとしても、魂は衝突を続ければ摩耗していく。

 お前には何千年も耐えてる実績があるもんな。

 まだ二十年も生きてないような小娘とは、そもそもステージが違うと」

「…………そこまで分かってるなら、無意味を悟れよ」


 掠れた声で、《灰色》は応える。

 殴られすぎたせいで、見た目上は酷くボロボロだ。

 そのぐらいに、コイツもダメージを受けている。

 オレも、殴りすぎた影響で拳の辺りは結構な有り様だった。


「君にできるのは、俺を痛めつけるぐらいだ。

 それ以上のことができないなら、俺には何の脅威でもない。

 魂の主観による時間経過は、必ずしも現実世界の時間の流れとは一致しない。

 このまま十年、何十年と俺を殴る気なら、それで構わないさ。

 その果てに待つのは、永遠ならざる君の魂の限界だ」

「自分が有利だと感じた途端、いきなり饒舌になりやがったな」


 笑う。

 あまりにも分かりやすくて。

 まるで自分こそが勝者のように、《灰色》の魔法使いは語る。

 ……ま、確かにそうだな。

 コイツの言うことは間違っちゃいない。

 このまま続ければ、先に限界が来るのはオレの方だ。

 オレは不死身でも何でもない。

 多少変わった力が使える以外は、普通の人間と大差ない。

 けど、だからこそ。

 ただの人間に過ぎないからこそ、できる事もあるんだ。


「なぁ、《灰色》よ。

 オレは馬鹿だから、ちょっと聞いても良いか?」

「……? 何を、俺に聞きたいと?」

「お前ら《始祖》が実現した、『不死の法』って奴についてだよ。

 魂が竜と同じで不死不滅になるって話だけど。

 その『不死不滅』ってのは、具体的にはどういう状態なんだ?」


 いきなりの質問に、《灰色》は酷く訝しげな顔をした。

 当然っちゃ当然の反応だよな。

 この状況で、そんな事を聞かれる意味が分からない。

 普通、無視しても当たり前だと思うが。


「……面倒な理屈や、細かい部分は省くけど。

 要するに、『魂だけで物質世界に永続的に留まれる』状態のことだよ。

 本来、魂ってのは酷く不安定で脆いんだ。

 肉体という殻無しでは、物質世界に留まるのは難しい。

 何より、この星を運行する《摂理》の力がある。

 死んで肉体を失った魂を、正しい生命の輪廻サイクルに戻す仕組み。

 『不死の法』は、魂がそれらの影響を受けずに自身を維持できる状態を作る」

「へぇ」


 改めて聞くと、やっぱりとんでもない話だな。

 そんな状態が普通の古竜も大概だし、それで『不死の法』を実現するのもヤバい。

 素直に感心してるオレを見て、《灰色》はまた訝しんだようだ。


「……それで?」

「うん?」

「いきなりそんな事を聞いて、何をするつもりなんだ?

 俺はてっきり、このまま限界まで殴られ続けるかと思ったよ」

「それでテメェが音を上げるんだったら、それで良かったんだけどな」


 しかしコイツは、オレが思ったより遥かに諦めが悪い。

 だったら、こっちもやり方を変えなくちゃな。


「ところでよ。

 オレはちょっと前まで、大陸の外にいたんだ」

「…………それが?」

「まぁ色々あったけど、そこで神様に会ったんだよ。

 《人界》の神様、知ってるか?」

「知識としては、ね」

「なら話が早ェな。で、その神様の中に《星神》って奴がいたんだ」


 《星神》。

 その名前を出した瞬間に、《灰色》は押し黙った。

 こっちの考えは、未だ分かっていないだろう。

 けど、《星神》の名はコイツにとってそれだけでも脅威であるらしい。

 オレは構わず言葉を続ける。


「で、オレは《星神》の巫女なんだとよ。

 正確には、その才能だか資格があるだとか何とか」

「…………なんだって?」

「聞こえなかったか?

 オレは《星神》の後継になれる力があるんだと。

 こうしてお前の魂の世界に入り込めてるのも、そのおかげだよ」

「待て、イーリス。何を考えてる?」


 焦りの滲んだ表情。

 何となくでも、《灰色》は理解し始めたらしい。

 これからオレが、何をする気なのか。


「……どんな魂であれ、生きてるのなら最後に行き着くのは星の《摂理》だ。

 死んだ生命は、其処に辿り着いて次の生を待つ。

 詳しい事はオレにも良く分からねェけどな。

 感覚としては何となく理解できてる」


 生きてる限りは必ず死ぬ。

 この星で生まれた命は、必ず《摂理》と繋がっている。

 死の先に存在する輪廻サイクル

 《灰色》は、古竜と同じ不死者だ。

 コイツは仮に肉体が死んでも、《摂理》に落ちる事はない。

 だけど、オレは違う。

 オレ自身は、死ねばそれまでのただの人間だ。


「てめェが諦める気がないなら、仕方ねェ。

 オレも、流石にここまでやりたかなかったけどな」

「おい、待て。やめろ。何をする気だ……!?」


 必死に抵抗する《灰色》。

 オレはまた首根っこを抑えると、暴れる男を無理やり引き摺る。

 そうしながら《奇跡》を――《星神》の力を操作した。

 深く、より深く。

 《灰色》自身の魂の世界よりも、更に深い場所。

 全ての魂が行き着く果て、星の《摂理》。

 《星神》に連なる今のオレには、無理やり其処に通じる道を開くことができた。


「『不死の法』は、あくまで『魂だけでも物質世界に留まれる』だけなんだろ?

 つまり、無理やり《摂理》に引きずり込まれたら関係ない。

 魂そのものが星の輪廻に呑まれたら終わりだ、違うか?」

「やめろ……!! やめろ、イーリスッ!!」

「てめェが止めないのに、オレが止めてやる理由がないだろ」


 暗闇だけが横たわる世界に、一筋の光が差す。

 オレの力で、無理やりこの場に繋げた星の《摂理》。

 本来なら、死の瞬間にだけ訪れる輝きだ。

 開かれた道は、夜空に輝く星の光で満たされていた。

 光が示す先に歩を進める。

 掴んだ《灰色》を引き摺りながら、一歩ずつ。

 《摂理》に続く道へと、オレたちは確実に近付いていく。

 何をする気か完全に察した男は、一層抵抗を強めた。


「やめろ、イーリス……!

 君は、自分が何をする気なのか――」

「分かってるに決まってんだろ。

 お前は不死だから、そのままじゃ死なないし《摂理》にも還らねェ。

 けど、オレは人間だ。

 《星神》の後継だろうが、不死でもなけりゃ不滅でもない。

 


 だから。


「普通にやっても死ねないてめェを。

 オレが、《摂理》の底まで連れてってやるって言ってるんだ。

 ありがたく受け入れろよ」

「ッ…………!!」


 笑って言ったら、《灰色》は絶句してしまった。

 まさか、オレがそこまでやるとは考えてもなかったようだな。

 舐めるのも大概にしろよ。

 《摂理》に繋がる道まで、あと少し。

 ここが不死である《始祖》の魂だからか、どうにも繋がりが悪い。

 ホントは目の前にポンと開きたかったんだが、まぁオレもまだ不慣れだしな。

 引き摺った《灰色》は、未だに諦めずに喚いていた。


「や、めろ……! 馬鹿なことは止せっ!」

「その台詞、そっくりそのままお前に返してやるよ」

「君も死ぬんだぞ、分かっているのかっ!?」

「は? 死なねェよ」


 何言ってんだコイツ。

 まさかオレが、てめェ如きと心中する気だと思ってんのか?


「オレは普通に死ねるから、《摂理》の底に自分の意思で向かえる。

 だからって、別にそのまま死ぬ気もねェよ」

「な、なら、一体……?」

 要するに、やる事は死に損ないの埋葬だな。

 自分で掘った墓穴に埋まるなんて、そんな間抜けだと思われたんなら心外だね」


 再び言葉を失った《灰色》を、オレは鼻で笑ってやった。

 ――ま、我ながら無茶苦茶言ってんな。

 そんな事ができるとは、正直欠片も思っちゃいない。

 普通に考えたら、まぁ帰って来れないよな。

 オレは不死身じゃない、ただの人間だ。

 《星神》の力が多少使えると言っても限度がある。

 そしてこれからやる事は、多分その限度を超えた行為だ。


「……うん、何とかなるだろ」


 呟く。

 脳裏を過ぎったのは、いつも死にかけてる馬鹿野郎の姿だ。

 アイツもホントは死んでるのに、後から無理やり生き返ったワケだしな。

 だったら、オレだって気合い入れればやれるだろ。

 なんの根拠もありはしないが、それぐらいは何とかなる気がする。

 うん、イケるな。イケるイケる。

 だからオレは、何の躊躇いもなく光へと向かう。

 相変わらず《灰色》は暴れてるし、何かをギャアギャア言い続けている。

 けど、大半は命乞いの延長線だ。

 聞く価値もないし、応えてやる義理もない。

 一歩、また一歩。

 暗く澱んだ絶望の暗闇から、それを照らす《摂理》の光へと。

 そこに、オレは迷わず踏み込んで――。


「ッ――俺の……俺の、負けだ!!」


 その叫びは、ハッキリとオレの耳に届いていた。

 形だけの言葉だったら、全く響かなかったはずだ。

 けど、オレは反射的に足を止めていた。

 見下ろす。

 抗う力はなく、死体のようにぐったりとしながら。

 《灰色》の男は、本心から出た言葉を吐き出していた。


「負けだ、負けを認めるから、それ以上は止めてくれ……!

 救いたい相手が犠牲になるのを見るなんて、もう沢山なんだよっ!」


 まるで、血反吐をぶちまけているみたいだ。

 オレが視線を向ける間も、血を流すみたいに声は続く。


「そうだ、どうして君まで犠牲にしなくちゃならない!?

 不条理だろう、そんなのは!!

 俺みたいな屑のために、君が死ぬ必要なんてないはずだっ!!

 だから……頼むから、そんな真似はしないでくれ……」

「…………」


 正直、そんなつもりはなかった。

 オレはマジで、コイツをあの世に放り込む気だった。

 けれど、こっちの予想に反して《灰色》の魔法使いは折れてしまった。

 ……結局、これがこの男の本質だったんだ。

 優しくて、甘くて、誰かのために何かしたくて。

 けど致命的に運が悪くて、それ以上に諦めだけが悪かった男。

 《灰色》はようやく、自分の本音を口にしていた。


「……言えたじゃねェか、馬鹿野郎」


 言葉と一緒に、ため息を一つ。

 手の力を緩めても、《灰色》は何もしなかった。

 ただ《摂理》の光を前にして、力なく嘆くばかりだった。

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