453話:最後の言葉


「……まったく。

 君は、本当にどうかしてるよ。

 頭のネジが外れてるって、そう言われた事は?」

「余計なお世話だっつーの」


 そして。

 オレたちは、暗闇の底で改めて言葉を交わしていた。

 戦いの気配はもう何処にもない。

 座り込んだオレのすぐ傍らで、《灰色》の男が仰向けに倒れていた。

 もう、立ち上がる気力なんて存在しないと言わんばかりに。

 完全に燃え尽きた魔法使いは、乾いた笑いをこぼした。


「俺を、どうするんだ?」

「負けを認めたんだったら、別にどうもしねェよ」

「……俺が今まで、何をしてきたのか。

 君はもう知ってるはずだろう、イーリス」

「知るかよ」


 曖昧な言葉に、オレは軽く吐き捨てる。


「オレは気に入らなかったからテメェをブン殴った。

 諦めるつもりがないなら、ぶっ殺してでも止めるつもりだった。

 けど、今のお前はもう諦めたんだろ?

 だったら、オレがこれ以上何かする義理もねェだろ。

 違うか?」

「やりたい事だけやって、後はポイ捨てかい?

 君は案外酷い奴だな」

「人聞きの悪い言い方するんじゃねェよタコ」


 足を伸ばして、倒れている《灰色》を軽く蹴飛ばす。

 相手は無抵抗。

 自分の暗闇に沈むみたいに、男は倒れたまま動かない。

 一発蹴っても、反応は随分と薄い。


「……おい、《灰色アッシュ》?」

「……ウィルと、そう呼んで欲しい。

 自分の名前のはずなのに、今やっと思い出したんだよ。

 随分とまぁ、長い夢を見ていた気分なんだ」

「……夢を見ていました、で済む話じゃねェと思うけどな」


 別に、それを責めるつもりはないが。

 憑き物が落ちたみたいに、スッキリとした顔をしてやがる。

 ただ、その表情は……。


「ウィル」

「何かな、イーリス」

「お前、死ぬのか?」

「とっくの昔に生きてなかった、と言った方が正しいだろうね」


 笑う。

 《灰色》の魔法使いは――いや、ウィルは笑っていた。

 それは、諦めた笑顔だった。

 諦めて、背負っていた重荷を下ろしたような。

 そんな晴れやかで、そして何もなくなった微笑みだった。

 オレの脅しに屈して、コイツは負けを認めた。

 それがこの男を支えていたモノを、根本からへし折ってしまったらしい。

 結果としては、望んだ通りになったが。


「……君が罪に思うことは、何もないよ。

 自業自得だ。本当は、千年前に俺は死ぬべきだった」

「…………」


 視線を、ウィルの方へと向ける。

 暗闇の底。

 倒れている男の身体が、少しずつ灰に変わっていく。

 生身の肉体じゃない、今見えているコイツは魂の本質。

 それが、形を失って崩れつつあった。

 オレはただ、その様を見ていた。


「千年前に負けて、死ぬはずだったところを、俺は無理やり生き残った。

 《造物主》の真名の力を使って、強引にね。

 それからここまで……まぁ、我ながら良くやったもんだよ」

「くっそ迷惑極まりない話だけどな」

「ハハハ、悪かったよ。ただ、俺も俺なりに必死だったんだ」


 ウィルは笑った。

 それだけで、また身体の一部が崩れた。

 灰色の男は、本当に一握の灰となって消えていくようだ。

 手足は、もう殆ど原形を失っている。

 オレは目を逸らさずに、それを見ていた。


「……どうにかしたかった。

 俺の大事なモノが、損なわれようとしていて。

 それを、この手で救いたいと、いつも願ってた。

 アカツキも、父上も……他の、仲間たちや、大勢いた故郷の同胞も。

 この世界で……出会った連中も、気の良い奴が多かったんだ。

 積極的に、関わるべきじゃない……って。

 そう、頭で分かっていても、何かしてやりたいって気持ちが、強かった」

「…………」


 ……まるで、罪の告白だな。

 とっくの昔に、ウィルの魂は限界を迎えていた。

 不死であるはずの魂。

 それが灰になるほどに、千年前の戦いは凄まじかったか。

 崩壊を食い止めていた執念の根っこも、今は完全にへし折れている。

 他ならぬ、オレ自身の手でそれを壊したから。

 消え逝く魔法使いの告解に、静かに耳を傾ける。

 ウィルの言葉は、穏やかに続いた。


「けど――結局、俺は、いつもやり方を間違える。

 良かれと思って……自分なりに、正しいと思う方法を、探して。

 でも、最後は……悪い結果に、転がるんだ。

 いつも……いつも、そうだ。

 なぁ、イーリス。俺は一体、何が悪かったと思う……?」

「運が悪かったんだろ」


 一言。

 聞かれたから、思った事を口にしてやった。

 呆気に取られたウィルを見て、オレは小さく鼻を鳴らす。


「もう一つ言えば、頭も悪いんじゃねぇか?

 普通、そんだけやらかせばどっかで立ち止まるもんだろ。

 それすらしねェで、自分一人だけで突っ走って。

 そんなのお前、バカ以外のなんて言えば良いんだよバカ」

「…………」

「反論があれば聞いてやる。時間もねェだろ?」

「……いや、無いよ。無い。

 まったく君の言う通りだ、イーリス」


 ウィルは、顔を抑えようとしたようだった。

 けど、腕はもう半分以上残っていない。

 殆ど役に立たなくなった四肢を投げ出し、男は首だけを動かす。

 濁ってはいないけど、光を失いつつある眼。

 その眼差しが、真っ直ぐオレを見ていた。


「結局、君が俺の運命だったんだろうね」

「いきなり何だよ」

「君を助けたりしたのは、本当に気まぐれで、大した意味はないはずだったんだ。

 そのはずなのに、結果はこのザマだ。

 何千年も生きて彷徨い続けたのに、結末は実に呆気ないものさ。

 それをもたらしたのが、君みたいな人間だなんて。

 あぁ、運命としか言いようがないだろ?」

「運命なんて言葉、ホントは好きじゃねェけどな」


 そう、ホントは好きじゃない。

 自分より大きい何かに、自分の全てが好きに左右されている。

 そんなふざけた話は無いだろう。

 ……ただ。


「お前がオレを運命だって呼ぶなら、好きにしろよ。

 死にかけのジジイの戯言ぐらい、素直に聞いてやるよ」

「…………」

「何だよ」

「いや――君は、優しい子だな。イーリス」

「ブン殴るぞコラ」


 握った拳を見せて脅しつけてみたが、効果は薄かった。

 もう、ウィルはこっちを殆ど認識できていないようだった。

 崩壊は進む。

 緩やかに、けれど確実に。


「……すまなかった」

「謝られても今更だろ」

「すまなかった……アカツキ、結局、お前が正しかったんだ……。

 父上、どうか……愚かな俺を、お許し下さい……。

 俺が、俺が浅はかだったから……故郷が滅ぶ、原因を作ってしまった……。

 すまない……俺が、愚かで……」

「…………」


 意識も、あやふやになって来たか。

 悪夢にうなされた人間が、うわ言を口にするのと同じ。

 ウィルは、もう過ぎてしまった何かへと、ひたすら謝罪を向けていた。

 死に際の老人が、後悔に塗れるように。

 その姿は、酷く哀れなものだった。

 ……放っておく事もできたし、それが一番なんだろうが。


「おい、ウィル」

「…………」


 声をかけても、反応は薄い。

 呟く声は、もうあまり聞き取れない。

 ……仕方ねェな。


「せめて、死ぬ前ぐらいはしゃっきりしやがれ。このバカ」


 手足は全て灰となって、残るのは胸から上ぐらい。

 抱えやすいサイズになってたのは、ある意味では丁度良かった。

 忘我の狭間に落ちかけたウィル。

 それを抱えて、オレは躊躇うことなく顔に向けて噛みついてやった。

 ……まぁ、冥土の土産って奴だ。

 礼にキスの一つでもしてやると、言ったのはオレの方だったしな。


「ッ――――」


 あやふやになっていたウィルが、目に見えて震えた。

 噛みついて、歯を立てて。

 後は少しだけ舐めたら、すぐに離した。

 ……あの色ボケどもは、よくもこんな事を恥ずかしげもなくやってんな。


「イー、リス……?」

「おう。目ェ覚めたか?

 まぁすぐ死ぬだろうけど、せめてスッキリと逝けよ。

 ジジイがごめんなさいしながら死ぬとか、オレの気分が悪くて仕方ない」

「…………」


 呆気に取られた表情。

 けど、それはすぐに笑みに変わった。

 諦めの空虚さは何処にもない、満足そうな笑顔だった。


「なぁ、イーリス。最後に言っておこうと思う」

「何だよ、聞くだけ聞いてやるから早く言えよ。時間無ェだろ」

「どうやら、俺は君に惚れてたみたいだ」

「今のタイミングで言うことかソレ」

「死ぬ寸前になって、ようやく自覚したんだ。

 きっと一目惚れだ。我ながら、気付くのが遅すぎたけど」

「まったくだな」


 あんまりにも晴れやかに言うもんだから、オレもつい笑っちまった。

 生まれて初めて受ける愛の告白が、死に際のジジイからとか。

 ホント、コイツはどこまでも最悪な野郎だ。


「イーリス」

「おう」

「俺は、君が好きだ」

「そうかよ」

「君は俺の運命だった。

 だから、どうか、この愛を受け取って欲しい」

「お断りだよバカ」


 そんなもん、どうして通ると思ったよ。

 答えなんざ最初から決まっていた。


「せめて、いっぺん生まれ変わってから出直して来い。

 そしたら、ちょっとぐらい考えてやるよ」

「……そうか」


 笑う。

 ウィルは笑って、大きく息を吐いた。


「俺は、諦めが悪いんだ」

「知ってるよ。嫌ってほど知ってる」

「きっと、いつか、また君に会いに行くよ」

「門前払いしてやるから、覚悟しとけ」

「君は、優しい娘だよ。イーリス」

「最後に一発ブン殴ってやろうか?」


 最後。

 それはすぐ、言葉通りの結果となった。

 魂が燃え尽きる。

 灰は灰に。

 とっくの昔に燃え殻になっていた男は、その時を迎えた。

 抱えていた身体が、脆く崩れた。


「ありがとう」


 末期の声は、ただ一言。

 言うだけ言って、《灰色》の男は完全に消え去った。

 残った灰は、あっという間に暗闇へと呑まれる。

 後には、僅かな痕跡も残らない。

 その終わりを、オレは最後の瞬間まで見ていた。


「…………ありがとう、か」


 呟く。

 その言葉に、どんな感情がどれだけ込められていたのか。

 今となっては知る由もない。

 暗闇の世界に、ただ一人だけ残されて。

 オレは一つ、ため息を吐いた。


「迷わず逝けよ、バカ野郎」


 そう言って、オレは両手を組んで祈った。

 燃え尽きてしまった魂。

 灰となって消えたそれが、正しい輪廻に還るかは分からない。

 オレが持ってる《星神》の力も、こうなってはどれだけ役に立つか。

 分からない――分からないが、オレは祈る事にした。

 コイツはどうしようもないクソ野郎で、死んで当然の男だった。

 けど、それでも。

 最後を看取ったオレぐらいは、コイツの死後を祈ってやっても良いだろうと。

 そう思ったから、ただ祈る。


「……生まれ変わって出直して来ても、絶対にお断りだけどな」


 万が一にでもまた来たら、もっぺん顔面を殴り倒してやる。

 つい、そんな事を考えて。

 オレは祈りを捧げながら、ちょっとだけ笑ってしまった。

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