454話:目覚める災い


 ……何かおかしい。

 全て終わったはずだった。

 《灰色》の魔法使いは――ウィルはもう、存在しない。

 諦め、敗北を受け入れた事で、アイツの存在は限界を迎えた。

 魂の本質は灰へと変わり、《摂理》へと消えていった。

 それなのに。


「どういうことだ……?」


 

 この場所はウィルの魂、その内なる世界のはずだ。

 本質が消えたのなら、それが支えていた世界も同様に消える。

 なのに、辺りに広がる闇に変化はない。

 深淵はどこまでも暗く、無限に続いているようにさえ思えた。

 ……本当に、どういう事だ?

 嫌な予感がする。

 背筋を、大量の蟲が這い回っているような感覚。

 オレは何か、重大な見落としをしてるんじゃないか?


「…………」


 意識を集中させる。

 肉体の感覚ではあり得ない、どこまでも伸びる魂の「手」。

 今立っているこの暗闇は、ウィルの世界ではないかもしれない。

 そんな、本来なら考えられない可能性。

 真偽を確かめるため、より深くを探ろうとして――。


『――――


 オレは、その意識に触れてしまった。

 気付かなかった。

 いや、気付けていなかった理由は分かる。

 「ソレ」は今の今まで、ずっと眠っていたんだ。

 存在はしていたけど、ウィルの意識があった内はそちらが主導権を握ってた。

 しかし、《灰色》の魔法使いは消えてしまった。

 抑える者がいなくなったため、「ソレ」は動き出した。

 分かってしまえば単純な理屈だ。

 触れた「手」から伝わってくるのは――あまりにも激しい、憎悪。


『痴愚が。どうしようもない塵埃どもめ。

 穢らわしい、醜い、愚かしい。

 嗚呼どうして貴様らはそんなにも不完全なんだ?

 瞬きほどの時間で死に、欲望のままに互いを貪り合う。

 すぐに死ぬ、すぐに壊れる、なのに何故に殺し合う?

 意味が分からない、不快だ、不快だ不快だ不愉快極まる。

 屑め、完全には程遠い不出来で愚かな生命ども。

 残らず消え果てて私の「世界」から塵も残さずいなくなれ――』

「ッ…………!!」


 一瞬、潰されたかと思った。

 濃密過ぎる怨嗟、暗黒の太陽を思わせる憤怒。

 ありとあらゆる生命に向けた、人知を超越した憎しみ。

 この真っ暗な闇の全てが、それらの負の感情が凝縮されたモノだった。

 一体、その意思が何者であるのか。

 オレは本能で理解した――理解してしまった。

 魂を食い潰されそうな重圧に耐え、その名を叫んだ。


「《造物主》……!!」

『讃えろ、我が名を讃えろ。

 神聖にして無謬、完全にして無欠たる私の名を。

 この世の全てが私のために存在し、あらゆるモノは私の所有物に過ぎぬ。

 ――痴愚め。

 私の世界に触れるな、私の前では無様に頭を垂れよ。

 穢らしく、醜い、不完全で不快な生命ども』


 闇が泡立つ。

 伝わってくる意思は、ハッキリ言って支離滅裂だ。

 ……多分、これは「残響」だ。

 《造物主》なのは間違いないが、あくまでその思念の一部。

 本人というより、本人が残した怨念だ。

 どっちにしろはた迷惑な事に変わりはない。

 出処は多分、ウィルの野郎が持ってた《造物主》の真名か。

 アイツは、このドス黒いモノが表に出てくるのも抑え込んでたワケだ。

 まぁ、それはそれとして。


「あの馬鹿、こんなもんが出てくるならせめて一言残してから逝けよ……!!」


 余計なことはするクセに、必要な事はなんでしねェんだよ。

 クソがと罵っても、ウィルはもう召された後だ。

 こっちはこっちで何とかするしかない。


『嗚呼、腹立たしい。忌々しい憎らしい!!

 滓が、屑が、塵どもが!!

 お前たちはまるで足らない、永遠にも完全にも程遠い!!

 不愉快だ、不愉快だ不愉快だ不愉快だ!!

 消え失せろ、死ね、くだらぬのならせめて滅びる様で私を楽しませろ!!』

「クソ野郎過ぎんだろ……!」


 延々と撒き散らされる不快な思念。

 もうそれだけで、《造物主》がどんなクズなのか嫌というほど理解できた。

 傲岸不遜、唯我独尊。

 この世でただ一人、自分のみが正しい。

 万物の頂点、それ以外の全ては塵芥でしかない。

 そして、それが慢心や思い上がりとは言い切れない次元の超越者。

 本当に迷惑極まりない存在だな、オイ。


「くそ……!」


 とりあえず、オレだけじゃどうしようもない。

 抑えるとかは無理だから、兎に角急いで逃げ出す。

 暗闇の底から、意識が一気に浮上する。

 背後に、追いかけてくる強烈な圧を感じた。


『痴愚が! 一人残らず磨り潰して、新たな創造の糧にしてやろう!!』

「ウルセェよ馬鹿っ!!」


 意味はないと知りつつも、反射的に叫び返す。

 正直、かなり危ない状況だが……。


「……イーリス!?」


 ギリギリ。

 本当にギリギリの紙一重で、オレは迫る闇から逃れた。

 呼ぶ声は姉さんのものだ。

 オレの意識は、現実の世界に帰還を果たしていた。

 身体を抱き起こす姿勢で、姉さんがオレの顔を覗き込んでいる。

 すぐ近くにはボレアス、後はレックスとアウローラの姿もあった。


「イーリス、大丈夫かっ?」

「おはよう。や、目覚めたばっかで悪いがちょっと聞いていいか」

「姉さん、オレは大丈夫だから。

 で、なんだよ。もう嫌な予感しかしねェけど」

「アレなに?」


 そう言って、レックスが指差した方向。

 視線を向ければ、概ね予想していた通りの光景が広がっていた。

 荒れ果てた地面に横たわっている、一人の男。

 ついさっき、魂の本質を失った魔法使い、ウィルの肉体だ。

 ただそれだけなら、それは単なる死体でしかない。

 けど今、その身体から真っ黒い「何か」が溢れ出していた。

 触れるモノの全てを削り、貪っていく暗黒。

 そのあまりに禍々しい気配に、二柱の古い竜すら顔を引きつらせていた。


「オイ、長子殿」

「ええ、正直考えたくないんだけど……」

「《造物主》だ」


 お前たちの考えてる通りだと。

 答えを明かす気分で、オレはその名を口にした。

 それを聞いて、アウローラは小さく舌打ちをする。

 傍らのレックスは、剣を構えながら首を傾げた。


「《造物主》? どういう事だ?」

「ウィル――あの《灰色》が、《造物主》の真名を持ってた。

 それに残ってたか、千年前の戦いでウィルに取り憑いてたか。

 どっちかは知らないが、《造物主》が残した怨念だよ。

 とりあえず、オレたちをぶっ殺したくて仕方がないらしい」

『痴愚め』


 オレの言葉に応えるように、怨嗟の声が響く。

 思念ではなく、雑音ノイズにまみれた気持ちの悪い音。

 ウィルの死体が立ち上がる。

 いや、立ち上がったってのは少し違うか。

 挙動としては、糸に吊られた操り人形そのもの。

 渦巻く闇――《造物主》の怨念が、魂を失った魔法使いの肉体を動かしてる。

 光の失せた眼には、黒々とした汚泥が溢れ出していた。

 ぼたり、ぼたりと。

 濁った油みたいな「何か」が、涙のようにこぼれる。


「ハッ、まさか今更迷い出てくるとはな……!

 顔を見たいとも思った事はないぞ、愚かな父よ!」

「声が震えてるわよ、ボレアス」

『――――』


 ボレアスの言葉は、明らかに強がりだった。

 それを分かって、アウローラはわざとからかう。

 ほんの僅かに、ウィル――いや、《造物主》の意識が二柱の竜へと向く。

 一瞬の沈黙を挟んで。



 コイツは、そんなヘドロを吐き出しやがった。


『失敗作どもめ。

 不出来で醜いお前たちが、何故未だに存在をし続けている?

 悍ましい――嗚呼、悍ましい!!

 お前たちはどうしてそんなにも穢らしいのだ!

 不完全に過ぎるなら、せめて自滅して消え失せろ!!』

「っ……」


 その怒りは、あまりにも理不尽だった。

 呪いにも等しい憎悪を真正面から浴びて、ボレアスは少しだけ怯んでいた。

 アウローラの反応も、それと大きくは変わらない。

 ただ、そっちは強い眼で《造物主》の怨念を睨んでいた。


「……ホント、相変わらずね。

 《造物主》、愚かな父。

 今の貴方は本人ではなく、所詮は残留思念に過ぎないでしょうけど。

 それでも何も変わらない辺り、性根の腐り具合は筋金入りね」

『虫ケラが。誰の許しを得て喋っている?』


 嘲笑うアウローラに、憎悪の矛先が向く。

 あんな状態でも、一応意識みたいなものは存在するのか?

 グツグツと煮えた油みたいに。

 《造物主》は、我が子であるはずの相手に怨嗟を吐きかける。


『下らぬ、下らぬ下らぬ、弱くて醜い、何処までも低俗で下劣な生命め。

 そんな失敗作が、私を父と呼んだのか?』

「ええ、その通りよお父様。

 全知全能ならざる貴方が創造した、失敗作こそ私たち。

 この身が不完全だとお嘆きなら、何故貴方は私たちを完全にはしなかったの?」


 笑う。

 アウローラは笑っていた。

 艶やかに、美しく。

 ぶっちゃけもうボロボロで、戦うのもキツそうなクセに。

 今はもう欠片も怯まず、王者のような立ち振舞を見せていた。

 自分の父にも等しい存在を。

 《造物主》の怨念を、アウローラは正面から嘲笑する。


「そもそも、失敗したのは貴方でしょう?

 その成果物でしかない私たちに、責任を押し付けないで貰いたいわ。

 貴方は、自分が思うほどに全知全能じゃなかった。

 己の無能に気付かず、目を背けて完全であることに固執した。

 それでできあがった私たちを『不出来』と罵るなんて。

 こんな酷い責任転嫁、この世で他にあるかしら?」

「絶好調だなぁ」


 全力で煽り倒すアウローラ。

 彼女をさりげなく支えて、レックスは愉快そうに笑う。

 ボレアスの方も、堪えきれずにちょっと笑っていた。

 オレや姉さんも、こんな状況じゃなければ笑ってたかもしれねェけど。


『――痴愚が』


 これはちょっと、笑ってられる状態じゃないよな!

 闇が膨れ上がる。

 もうそれは、憤怒ではなく純粋な殺意だった。

 必ず殺す。

 塵の一つも許さず、この世から完膚なきまでに消滅させる。

 その意思表示を明確にしながら、《造物主》の怨念が動き出す。

 ウィルの屍を操って。

 一歩踏み出すだけで、世界が砕ける錯覚を覚えた。

 まるで、空間に穿たれた人型の黒い穴だ。

 この世の何もかもが、その穴に向かって落ちて砕けていく。

 不条理の権化みたいな存在感に、こっちは思わず後ずさってしまう。

 それは、レックスやアウローラも同じだった。


「で、正直もう一戦は辛いんだけど」

「そうよね、私の方もちょっとヘロヘロよ」

「……我は一応余力はあるが、流石にコレは厳しいぞ」

「《転移》ならお任せ下さい。

 この場から逃げることぐらいなら、問題ありません」

「で、逃げ出してアレどうすんだ?」


 姉さんの《転移》で、この場は離脱したとして。

 アレ絶対に、地の果てまで追いかけてくるつもりだろ。

 正直に言って洒落にならん。


『大人しく、塵は塵に還れ』


 オレの予想が正しいと示すみたいに、《造物主》は殺意が刺さってくる。

 逃がす気はなく、全員この場で皆殺しにすると。

 単なる言葉では終わらず、実行するための力が溢れ出した。

 ウィルの野郎、ホント最後にもうちょい何かできなかったのかよ。


「ま、やるしかないよな」


 軽く言って、レックスは剣を握る。

 後ろにアウローラを隠す形で、一歩前に出た。

 それに応じて、ボレアスは手足の先を炎へと変える。


「無謀だぞ?」

「分かってる。

 とりあえず叩いて、タイミングを見てテレサの《転移》でトンズラだ」

「……まぁ、それしかないわよね」

「責任重大ですね」


 強がりの笑みを浮かべて、姉さんも構えを取った。

 ……正直、こっちはやれる事が少ない。

 下手に力で《造物主》に触れると、オレの方がヤバい。

 せめて邪魔にならないよう、もう少し下がって……。


「……は?」


 下がろうとしたところで、その気配を感じた。

 頭上――遥か上空。

 いきなり現れた辺り、恐らく《転移》か何かで直接飛んできたか。

 デカい、恐ろしく巨大な力の塊。

 どう控えめに見積もっても、大真竜クラスの格だ。

 見上げれば、夜空を背負って浮かぶ巨影。

 距離は遠いはずだが、そのサイズのためハッキリと姿を確認できた。

 一言で現すなら、白銀の甲冑を纏った騎士。

 巨人並みのデカさのソイツが、いきなり夜空に現れたのだ。

 《造物主》の方も、意識をそちらに向ける。

 同じく見上げたアウローラが、驚きながら叫んだ。


「お前は、ヤルダバオト……!?」

『我が父よ、均衡が乱れていますね』


 ヤルダバオト。

 それが恐らく、あの甲冑巨人の名前か。

 だが当の本人(?)は、そんな呼びかけを無視して。

 視界を埋め尽くすような光の塊を、躊躇なく地上に向けて投げ放った。

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