終章:千年を終わらせる希望はあるのか

455話:王は待つ


 ……ゆっくりと目を開く。

 そこは地の底、始まりにして終わりの地。

 邪悪なる偽の神、その残骸を永遠に封じ込めておくための神殿。

 その中心、楔たる玉座にて。

 《黒銀の王》は、閉ざしていた瞼を持ち上げる。

 眠っていたワケではない。

 そも、千年前から彼女が真に眠りについた事など一度もない。

 ほんの僅かな仮初の休息から、王を引き戻したモノ。

 それは久しく感じていなかった、邪悪な気配。


「……《造物主》」


 呟く。

 その言葉に、応えたという事ではないだろうが。

 足元が脈打つように揺れる。

 地震ではない。

 神殿によって塞がれている大地の傷跡。

 その奥底に囚われているモノが、動き出したのだ。

 それはまるで、生誕を待ち望む赤子の如く。

 忌々しい胎動の影響を受けながら、《黒銀の王》は細く息を吐いた。

 ――同じだ、あの時と。

 あの時も、まったく唐突に《造物主》の気配は現れた。

 油断だった。

 彼女を含めた誰もが、あの黒い魔法使いの真意を推し量れていなかった。

 彼は善き事と信じていたが故に、悪しき事を躊躇いなく行う。

 古き竜たちを狂わせ、《造物主》の真名を利用してその残骸を呼び起こす。

 その行いによって、千年前も破滅的な状況に陥ったのだ。


「随分と、懐かしい話ですね」


 そう言って、王は微かに微笑む。

 笑うような思い出ではないが、つい微笑んでしまった。

 追憶に浸るような人間性が、こんな自分にもまだ残っている。

 その事実に、彼女は微かな喜びを感じていた。

 人間――かつては、ただの人間であったはずの少女。

 今や大真竜の一柱にして、《大竜盟約》を支える最も大きな礎。

 《黒銀の王》。

 少なくとも千年前の彼女は、ほんの少し人より優れただけの人間に過ぎなかった。

 全てが変わったのは、あの日。

 仲間たちが封印した竜の魂を、自らの魂の内に呑み込んだ。

 それにより、魔法使いが企図していた「全ての竜の力を取り込む」思惑は崩れた。

 だが、既に目覚めた《造物主》の残骸。

 これをどうにかしなければ、大陸そのものを砕かれかねない。

 封じた竜の魂を無理やり取り込まれれば、結局は全てが終わりだった。

 故に、彼女は決断した。

 《造物主》の残骸を討つために、『大いなる存在』との契約を。

 大地の化身、かつて邪悪なる神を討ち滅ぼすために立ち上がった黒銀の《焔》。

 人間では到底不可能と思われた、神威との契約。

 彼女はそれを成し遂げた――成し遂げてしまった。

 《黒銀の王》となった少女は、その偉大な力で千年前の戦いを終わらせた。

 あくまで、千年前の戦いは。


「……《黒銀の王》では、《造物主》は滅ぼせない」


 《造物主》は不滅。

 故に彼女は《造物主》の残骸を討った後、これを地の底へと封じた。

 封じることまでしか、できなかったのだ。

 千年前よりも、更に遠い昔。

 その時も、怒れる《焔》は《造物主》を滅ぼすまでには至らなかった。

 大地の神たる竜と、邪悪なる偽神の力はほぼ同等。

 天の《御使い》すら焼いた《焔》でも、《造物主》の存在までは焼けなかった。

 《黒銀の王》となった彼女も同じだ。

 《造物主》の残骸を砕き、二度と目覚めぬように地の底に沈めた。

 その後、オーティヌスの助けを借りて築いたのがこの神殿。

 そして封印のための大儀礼、《大竜盟約レヴァイアサン・コード》を成立させた。

 彼女たちにできる、それが限界だった。


「来るべき時が、来たのでしょうね。

 その上で、貴方はどう思いますか。旧き友よ」

『…………』


 彼女以外、誰もいなかったはずの円卓。

 いつの間にか現れていた友――法衣姿の髑髏の魔法使い。

 オーティヌスに向けて、《黒銀の王》は穏やかに問いかけた。

 普段と変わらぬ様子に見えて、彼の力が大きく減じているのに王は気付いていた。

 魂の内に封じている、古き竜の魂。

 それを一時的に切り離し、封印を維持したまま単独で使役する。

 魔道を極めた《始祖》の王、オーティヌスのみが使える離れ技だ。

 今、彼は竜王ヤルダバオトを問題の場所に差し向けている。

 如何なる考えがあっての行いであるのか。


『……まだ。まだ、全てが終わったワケではない』

「ですが、これ以上の封印の維持は困難でしょう」

『先ほど《造物主》の真名と、封じられた残骸が共鳴を起こした。

 そのせいで《盟約》の術式に、更に深刻なダメージが刻まれた事は認める。

 ……このままでは、修復そのものが困難である事もな』

「最後の最後に、彼はまた余計なことをしてくれましたね」


 皮肉のつもりはなかった。

 そのつもりはなかったが、オーティヌスの表情に苦いものが混ざる。

 《黒》――いや、《始祖》の一人であるウィル。

 オーティヌスの息子で、かつては共に戦ったはずの戦友。

 彼の愚かな行いが、この事態の全てを引き起こした。

 ウィル自身は、今度こそ完全に消えたようだが。

 その死に目を看取ることさえしなかった事を、《始祖》の王は悔いているのか。

 《黒銀の王》も、友の胸中にそこまで踏み込む事はしなかった。


『……王よ。

 馬鹿な息子の後始末は、この私が責任を持って果たそう。

 貴女がこれ以上、何かをする必要はない』

「どの道、私はこの玉座からは動けない。

 ですがオーティヌス、我が友よ。

 もう貴方一人だけで、全てを決めて良い段階ではない」

『しかし……!!』

「そうして、ウィルは過ちを犯してしまった。

 私たちも同じだ。

 良かれと思って、私たちは《大竜盟約》を成立させた。

 千年前の時点では、これは間違いなく必要な処置でした。

 目覚めてしまった《造物主》を抑える術は、他になかったのですから」


 けれど。


「それで、私たちは足を止めてしまった。

 《大竜盟約》の秩序で、この大陸に生きる全ての者を縛り付けた。

 狂った真竜と成り果ててしまった多くの同胞たち。

 《盟約》の維持には必要だからと、彼らの蛮行の多くも見過ごした」

『王よ、それは……!』

「仕方のない事だった。ええ、そうですね。

 多くの真竜は、私たちほどに強くはなかった。

 私たちだけで、彼らの全てを完全に抑えつけるのも難しい。

 結局、最低限の制約だけを課して、各々に任せて放置するのが一番効率的だった。

 ――そうして、気付けば私たちは、醜悪な支配者と成り果ててしまった」


 王の言葉に、オーティヌスは沈黙する。

 最初は、全て善き事から始まったはずだ。

 けれどそれが、最後は悪しき結果に行き着いてしまう。

 同じだ。

 ウィル、《灰色》の燃え殻と成り果てた哀れな魔法使い。

 《大竜盟約》もまた、彼とそう変わらないモノとなってしまった。

 《黒銀の王》は、それを悔いているのか?


「――悔いているワケではありません。

 悔いたところで、失われたモノは戻らない。

 必要なのは、この先どうするかだ」

『……何を、考えておられる。《黒銀の王》よ』

「《盟約》の維持が不可能になりつつある以上、答えは一つしかない」


 そう、一つだけ。

 この事態を解決する、たった一つの結論。


「《造物主》を、


 《黒銀の王》は、その言葉を口にした。

 千年間、《盟約》の成立に満足して先延ばしにし続けてきた答えを。

 オーティヌスの表情が、更に苦渋に歪んだ。


『できると、本当に思っているのか』

「できるかどうかではない、やらねばならない事です」

『それが不可能だったから、我々は《盟約》を創らねばならなかった』

「良くも悪くも、千年前とは状況が異なる」

『…………』


 古き魔法使いは沈黙した。

 状況が異なると、《黒銀の王》は言った。

 それが何を意味しているのか。

 《始祖》の王も、それが理解できない程に鈍くはない。


『……あの者たちに、それほどの希望があると?』

「それを見極めるのが、この玉座に在る私の役割でしょう」

『他に手はある』

「貴方の考えも理解できる。

 それも含めて検討する必要があると、私は考えています」

『…………私の独断で、既にヤルダバオトを差し向けてある」


 ヤルダバオト。

 狂った《正十字》の均衡を求める《五大》が一柱。

 単純な力の規模だけならば、《最強最古》を除く古き竜の中では頂点に近い。

 序列二位たるオーティヌスは、その悍ましき力を使役できる。

 《造物主》の残骸が産声を上げた瞬間、《始祖》の王は決断していた。

 例えその場にいる者全てを巻き込んでも、その目覚めを許しはしないと。


『私は、あの《最強最古》の存在を許容しない。

 正直に告白すれば、このまま纏めて始末できれば良いとすら思っている』

「理解はできますよ、我が友。

 だから、貴方の独断を私も責めはしない」


 ですが、と。

 オーティヌスの言葉を否定するように、《黒銀の王》は首を横に振った。


「貴方の思う通りにはならないでしょう。

 もとより、そうであったのなら私が待つ意味もない」

『……それほどまでに、希望を見ているのか』

「希望かどうかは、私にも決めかねている。

 少なくとも、彼らは――いえ、『彼』は、善でも正義でもないでしょうから」


 そう言って、彼女は思い出す。

 以前に、たった一度だけ得た邂逅を。

 取るに足らない人間だった。

 文字通り、《黒銀の王》から見れば吹けば飛ぶ程度の存在。

 一刀で薙ぎ払い、一足で踏み潰せる。

 そんな矮小な人間に過ぎないはずの、一人の男。

 だが、彼はその邂逅を生き延びた。

 その事実を、《黒銀の王》は覚えている。

 故に、王は待つ事を選んだ。


「希望ではないかもしれない。

 ですが、『彼』が数多の絶望を乗り越えたのも事実。

 突如、均衡の竜王に襲われるというのも酷く絶望的な状況だ。

 もし、それすらも乗り越えられるなら――」

『……或いは、不可能を可能にする刃にもなり得る、か』


 オーティヌスは、苦い声で呟いた。

 ……確かに、あの男ならば。

 《最古の邪悪》を恋人にしてしまった、あの最初の竜殺しならば。

 しかし既に、ヤルダバオトは行動に移った後。

 使役こそしているが、彼の竜王は決してオーティヌスの傀儡ではない。

 与えた命令をどう実行するかは、ヤルダバオト自身の意思も大きい。

 故に、賽子さいはもう壺の中だ。

 どんな目が出るのかは、開いてみるまで分からない。


「オーティヌス」

『……承知した。王の言葉ならば従おう。

 もし、彼の者たちがヤルダバオトの手からも生き残ったのならば、だが』

「加えて、目覚めたばかりの《造物主》の脅威からも――ですね」


 後者に関しては、残骸の本体は未だ地の底。

 少なくともヤルダバオトの力なら、漏れ出た残滓を砕く分には問題ない。

 ……古き悪は愛を思い出し、灰色の魔法使いは風に消えた。

 けれど大陸を滅ぼそうとする嵐は、未だ止まらず。

 始まりの竜殺しとその一行は、まさにその渦中に立っている。

 《黒銀の王》は、楔として玉座に身を預ける。


「どの道、この程度は乗り越えて貰わねば。

 我々も千年前は乗り越えた。

 《造物主》の悪意を振り切り、均衡の竜王の脅威からも生き延びる。

 それが叶ったのなら――もう一度、邂逅の機会を」


 呟く言葉を向ける先は、ただ一人の男。

 大地の化身を呑んだ《黒銀の王》の力は、ある種の災害に等しい。

 それを前にして、人間も竜も絶望する他ない。

 にも関わらず、その敗北を「屈辱」として刻んだ唯一の人間。

 最初の竜殺しを、《黒銀の王》は想う。


「もし本当に、その時が訪れたなら。

 私は王として、貴方の挑戦を受け入れましょう――竜を殺す者よ」


 ……王と竜殺しの、二度目の邂逅は間もなく。

 滅びの嵐はまだ、止む気配はない。


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