450話:過ちを繰り返す


 まるで、流れ星にでもなった気分だった。

 落ちる。落ち続ける。

 高いところから、低い何処かへ。

 「掴んだ」はずの感触は、手指の先には感じない。

 代わりに、知覚できる範囲の「全て」から《灰色》の気配が読み取れた。

 オレが落ちているのは、あのクソ野郎の内側。

 魂の奥底、そいつの「本質」と呼ぶべき小宇宙。

 電脳ネットワークの海に全身を浸してる時と、感覚としてはそう変わらない。

 ただ――こう、なんというか。

 やけに温いお湯の中に頭から飛び込んでるようで、若干不快ではあった。

 多分、オレがまだ慣れてないせいだろう。

 贅沢は言えないので、こればかりは我慢する他ない。

 ……しかし。


「ヤケに、時間が掛かるな」


 物理じゃ勝ち目がないのは明白だった。

 だから、オレとしては「こっちが有利な喧嘩」に引き込むぐらいに考えていた。

 以前、ヘカーティアの魂の内側であった事を思い出す。

 気合いが物を言う世界だったら、絶対にオレの方が勝つって算段だ。

 本当に、そのぐらいのつもりだったんだが。

 ――深い。

 落ちていく。何処までも深い「底」へと。

 ヘカーティアの中も、中枢に辿り着くのは大変だった。

 肉体的な感覚に照らし合わせると、今も同じぐらいに時間が掛かってる気がする。


「……まぁ、相手は《始祖》だもんな」


 呟く。

 《十三始祖》。

 この世界の「外」から流れ着いた、最初の魔法使いたち。

 古い竜たちとの取引で、「不死の秘密」を得た彼ら。

 しかし永遠がもたらす狂気に耐えられず、誰も彼もが最後には狂ってしまった。

 オレが知ってるのは、精々それぐらいだ。

 ――そうだ。

 この《灰色》を名乗った男が、かつての《始祖》の一人だった事。

 そんなことすらも、オレはつい最近知ったばかりだ。

 そう思った矢先。


「っ……?」


 視界が揺れた。

 今のオレは魂と精神だけで、肉体の感覚は本来なら意味はない。

 だがおかしな「齟齬」が出ないよう、知覚はあくまで肉体のモノに寄せてある。

 二つの目は、現実と変わらず見るべき世界を見ていた。

 落ちていく先、暗い闇の向こう側に広がっていたのは――。


「……いつも言っているが、お前の態度は感心しないぞ。ウィル」


 先ず聞こえたのは、年若い男の声。

 記憶が刺激される。

 それは、オレの知っている相手の声だった。


「お前までお小言か?

 もう父上にうんざりするほどされた後だぞ」

「お前が反省していない事だけは良く分かった。陛下の苦労が忍ばれるな」

「…………」


 揺れていた視界が、少しずつ鮮明になる。

 見えたのは白亜の宮殿。

 オレが目にした建物の中でも、恐らく群を抜いて立派な代物だ。

 《人界》と比較しても、負けず劣らずの荘厳さ。

 建築の様式など、どれもオレの知識には存在しないものだ。

 そんな不可思議な場所で、二人の青年が言葉を交わしている。

 一人は――あぁ、知ってる。

 多少雰囲気は違ってるが、見間違えるはずもない。


「……なぁウィル、私はお前に感謝している。

 だが、お前には立場がある。

 父君である陛下に至っては、お前とも比較にならない。

 当然、分かっているはずだ」


 服装も大きく異なるが、黒髪の青年はアカツキだった。

 大真竜ヘカーティアの恋人。

 オレが知ってるのは、機械で再現された別人コピーのはずだ。

 けど喋り方や仕草、感じられる雰囲気など。

 そのどれを取っても、オレの知るアカツキと殆ど変わらない。

 彼は硬い表情に憂いを宿して、傍らに立つもう一人の身を案じていた。

 

「…………分かってるよ。あぁ、分かってる。

 悪かった。お前や父上が心配してくれてるのは、よく分かってるよ」


 ため息交じりの言葉。

 応えたのは、アカツキとそう変わらない歳に見える青年。

 雰囲気……というより、見た目も大分違う。

 クセのある金髪に、赤い瞳。

 整った顔は気怠げではあっても、強い生気に満ちていた。

 くすんだ燃え殻の気配は何処にもない。

 アカツキが、「ウィル」と呼んだその男は。

 疑いようもなく、オレが《灰色アッシュ》と知る相手だった。

 《灰色》――いや、ウィルはアカツキの方を見る。

 真っ直ぐ向けられた視線に、すぐ逃げるように目を逸したが。


「だが、俺は納得していないぞ。

 元老院の連中もそうだが、評議会の石頭どもだって気に入らない。

 お前の業績を考えれば、蔑ろにする方がどうかしてるんだ」

「嬉しい言葉だな、親友。

 ……だが、こればかりは仕方のない話だ。

 お前や陛下を含めて、私の事を評価してくれる者はいる。

 それ自体は喜ばしい事であるし、私自身も常に誇りに思っている。

 だとしても、大多数の者からすれば私は『不具者』に過ぎない。

 仕方のない話なんだ、コレは」

「……そんな言葉で、納得できるかよ」


 ……どうやらコレは、ウィルの――《灰色》の過去であるらしい。

 しかも、恐らくだが……《始祖》たちが、オレたちの世界に渡ってくる前の。

 だからまだ《灰色》は不死ではないし、アカツキも人間のままだ。

 事情は把握できないが、どうも面倒な話をしているっぽいな。

 過去の記録だからか、オレが近付いても当然二人は反応を示さない。


「人間の優劣は、全て魔法の真理を如何に理解しているかのみで決められる。

 故に魔法の扱いに劣る者、或いは魔力さえロクに持たない者。

 そういう者はみな『不具者』として蔑み、底辺として相応しい扱いを。

 こんな馬鹿げた話が、文明の隆盛極めたこの時代でまで平然と罷り通ってる。

 これをおかしいって言うのは、そんなに悪い事か?」

「言いたい事は当然理解できるが、そこで力に訴えてしまうからダメなんだ。

 そんな事では、お前が『野蛮』と謗る連中と変わらなくなってしまう。

 お前は偉大な魔法王の息子で、将来を期待された麒麟児だ。

 友として誇らしいし、お前が私のために怒ってくれる事は喜びだ。

 だが、それにも限度があるぞ」

「…………」


 アカツキの言葉は、間違いなく正論だった。

 ただオレとしちゃあ、《灰色》の……ウィルの気持ちも理解できた。

 友人を馬鹿にされたり軽んじられたりしたら、オレだって間違いなくブチギレる。

 それで相手をブン殴るのも、オレなら多分やっちまう。

 同時に、「立場を考えろ」ってアカツキの言葉も正しいものだった。

 ――偉大な魔法王の息子、か。

 思い浮かぶのは、白い髑髏の大真竜。

 《盟約》の序列二位であり、《始祖》の王たるオーティヌス。

 成る程、この時期の《灰色》は立場的には王子様だったワケだ。


「……父上――陛下だって、納得してるワケじゃない。

 思いは俺と同じだが、人間の意識や常識なんてのは簡単には変えられない。

 特に、王とは法と秩序の守護者でもある。

 大きな力を持って上に立ったのに、今度はその立場が自由を縛るんだ。

 これほど皮肉な話もない」

「ウィル……」

「父上にできないのなら、俺がやってやる。

 馬鹿どもを変える事が不可能なら、それ以外の仕組みを変えてやるんだよ。

 魔力に劣ってるからなんて理由だけで、お前の才能が貶められて良い理由がない。

 お前が、自分と同じ立場の人間を助けたいと思ってるのと同じだ。

 俺だって、親友のお前が認められる世界を作りたいんだよ」

「…………そうか」


 僅かな諦めと、確かな喜び。

 あまりにも真っ直ぐな友の言葉に、アカツキは笑みをこぼす。


「お前の考えは良く理解できた。

 ……しかし、良いのか?

 『不死の法』の研究も、未だ道半ばなのだろう」

「永遠ってほど長くはないが、それでも延命の術は心得てる。

 時間なら問題ない。

 いずれ絶対に、父上と同じ領域には辿り着く。

 その上で、世界を変えてやろうって話だ。

 それぐらいできないで、何が次代の魔法王だよ」

「実に頼もしい言葉だな、惚れ惚れするよ」


 笑う。

 アカツキも、ウィルも。

 現実は困難で、世界は残酷だと知った上で。

 それでも未来に希望はあるのだと、過去の二人は笑っていた。

 ……オレは、彼らが辿る結末を知っている。


「要は、魔力を扱う才能が、限られた人間にしか備わってないのが問題なんだ」


 自分の思考を整理するのも兼ねて、ウィルは傍らの友人へと語り聞かせる。

 先ほど、彼は「世界の仕組みを変えてやる」と言っていた。

 若い才能は、その言葉通りの事を考えていた。


「魔法に基づく現在の文明は、今も発展を続けている。

 けど、個人として魔力を扱える者――魔道士の数は緩やかに減少している。

 魔力とは資源だ。無限には存在しない有限のな。

 俺たちの文明は、それを浪費し過ぎた。

 世界の魔力が薄まれば、必然的にそれを使える者も減っていく。

 『才能』という資源を貴族階級が独占し、下の連中との格差は広がるばかりだ。

 この問題を、根本的に解決しなくちゃならない」

「だが、具体的にはどうする? 言うのは易いが、実現は困難だ」

「当然だ。けど、問題の本質は単純だ。

 魔力資源の枯渇が、結果的に魔法行使能力を持たない人間を増やしてる。

 この一点をどうにかすれば、状況は間違いなく改善される」


 ……魔法の話は、オレも正直良く分からん。

 けどウィルの考えている事そのものは、実際に単純な話だった。


「それで?」

「無いのなら、『ある場所』から持ってくれば良い。

 次元跳躍の技術も日進月歩。

 『選ばれた者』だけが成し得る偉業も、擬似的な再現なら可能な段階に来てる。

 より豊富な魔力資源が存在している別の世界。

 そこから魔力のみを汲み上げて、この世界に還元する」

「……可能なのか、そんな事が?」

「極秘裏にだが、似た研究は既に行われてる。

 父上も技術的な問題とか、色々危ぶんではいるけどな」


 けど、だからどうした?

 そう言わんばかりの態度に、アカツキは若干不安を過ぎらせた。


「危険はある、それは当然だ。

 だが、そんなものは乗り越えていかなきゃならない。

 魔力の枯渇がこれ以上深刻化すれば、差別の問題だけじゃなくなる。

 俺たちの文明は全て、魔力とそれで駆動する魔法技術によって支えられてるんだ。

 いつの日か、歯車の一つさえ回らなくなる日がやってくる。

 ――誰かがやらなきゃならない。

 父上……陛下も、必ず承知してくれる。

 万が一認められなかったとしても、俺だけでも成し遂げてやるさ」

「…………」


 ……諫めるべきかもしれない。

 だが諌めたとしても、きっとコイツは止まらない。

 それに、言っている事も間違いなく正しくはあるんだ。

 このままじゃ拙い。

 何かしらの解決策を出さないと、いずれ大きな問題に発展する。

 全部、誰かがやらなきゃならない事だ。

 だからアカツキも、ウィルを止める事はしなかった。

 その才能と意思の輝きを、親友として信じたのかもしれない。

 けど。


「……クソッタレ」


 場面が切り替わった。

 視界に飛び込んできた景色を見て、オレは思わず毒づいた。

 さっきと比べると、多分かなり時間が飛んでいた。

 そこには希望なんて言葉は、欠片も存在していなかった。

 どういう過程を経たのか。

 そこにどんな思惑があり、如何なる葛藤があったのか。

 オレには、そこまで詳細には分からなかった。

 けど、「起こった結果」だけは情報として頭に流れてくる。

 ――失敗したんだ。

 魔力が枯渇しつつあるこの世界に、別の次元から魔力を引っ張ってくる計画。

 成功すれば資源問題は解決され、被差別階級に落ちる人間も減らせる。

 夢のような話で、希望の未来に繋がるはずの試み。

 だけどオレが見ているのは、何もかもが崩壊した世界だ。

 制御不能となった、膨大な量の魔力。

 滅びという「概念」と化した奔流に、誰も抗う術など持っていなかった。

 それは物質を全て破壊しながら、世界の土台を砕いていく。

 もう、どうしようもない。

 洪水が何もかもを洗い流すように、世界そのものが黒い濁流に呑まれていく。

 遥かに高い位置から、オレはその終わりを眺めていた。

 僅かな生き残りを載せた「船」が、次元の彼方へと旅立っていく。

 彼らの運命については分からない。

 オレに分かるのは、滅びる寸前の世界に最後に残された者たち。

 十三人の魔法使いと、一人の魔法使いならざる男。

 真に偉大なる一人の手で、神の領域にある《界渡り》は行使された。

 彼らが世界から完全に消えると同時に、またオレは別の場面の中に立っていた。

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