第十部:月の鱗を宿す、竜を

259話:残照


 ……それは、もういつの時代かも分からない程に古い過去。

 まだ、何もかもが狂っていなかった頃。

 私はただ一人、住処である洞窟の奥で鎚を振るっていた。

 静かな空間に金属を打ち鳴らす音だけが響く。

 一つ、二つ、三つと。

 声には出さず数えながら、私はひたすらその作業に没頭していた。

 

「……あと少し」

 

 少しずつ、形を成していく鋼。

 術式を編み込んだ炎で熱を通し、また鎚で表面を叩く。

 強く、弱く、加減は正確に。

 何者でもなかった鋼が、私の手の中で一振りの剣へと変わっていく。

 ――うん、悪くない出来になりそうね。

 額に流れる汗を拭い、私は自然と笑みを浮かべていた。

 武器を、剣を鍛える。

 それは気が遠くなるぐらい昔から、私が積み上げて来たただ一つの事。

 出来損ないの、竜ならざる竜。

 大いなる《造物主》が一番初めに創造した失敗作。

 それが私だ。

 後に生み出された《古き王オールドキング》と呼ばれる兄弟姉妹達。

 彼らと比べたら、私は確かに不出来な白子だ。

 魂こそ不滅性を有しているけど、それ以外は何一つ竜と呼ぶべきものはない。

 まともな《竜体》を取ることもできないし、強大な術式も扱えない。

 天災そのものである《古き王》と比較すれば、私なんてナメクジにも劣る。

 

「……今さら。今さらね、そんなこと」

 

 自嘲気味に笑って、私は鎚を振り下ろす。

 濁ってしまった気分を、鋼を打つ音で追い払う。

 何度も、何度も。

 完成へと近づいていく剣に、自分自身を映し出す。

 ……鍛冶を始めるきっかけが何だったのかは、もう思い出せない。

 ただ一つ、心の奥底に楔のように打ち込まれた光景。

 

『――出来損ないが』

 

 如何なる氷河よりも凍てついた眼差し。

 全知全能――いえ、それとはほんの少しだけ遠かった、偉大な父。

 不老不死、その在り方には欠けるところの一つもない。

 完全なる生命の創造に着手して、その一番最初に生まれたのが私だった。

 爪も牙も、翼さえ備わっていない醜い我が子。

 《造物主》は、その失敗を過ちとしてすぐに打ち捨てた。

 そして、二度と目をくれることさえなかった。

 ……私のしている事は、父への当てつけなのか。

 この手で何かを、少しでも素晴らしいモノを生み出すことが出来たのなら。

 少しぐらい、あの愚かな人の理想に近づけるんじゃないのか。

 

「……まぁ、考えるだけ無駄ね」

 

 ため息一つ。

 そう、考えるだけ無駄だ。

 最初は縋る思いで。

 途中からは私より遥かに優れた兄弟姉妹達への対抗心。

 そして今は、他にやれる事もするべき事もないから。

 特に大きな意味もなく、私は剣を鍛え続ける。

 

「よし」

 

 あれやこれやと考えている内に、作業は終わりに差し掛かる。

 まだ熱の灯っている刀身を、素手で直接掴む。

 竜と呼ぶには貧弱過ぎる私だが、自分で鍛えた鋼の熱は平気だ。

 この手で造り上げた武器は、いわば私の一部。

 見る角度を変えたりしながら、今回の出来を確認する。

 ……うん、悪くはないかな。

 後は細かい装飾とかを施せば十分でしょう。

 まぁ、特に誰かに使わせる予定もないんだけど。

 

「さーて、もうひと踏ん張り……!」

「――相変わらず、無駄なことに精を出してるわね?」

「うひゃぁっ!?」

 

 その声は、本当に耳元のすぐ傍で聞こえて来た。

 吐息の熱が肌に絡んでくる距離。

 驚きのあまり、口から間抜けな悲鳴が迸ってしまう。

 反射的に逃げようとする――が。

 

「あら、逃げなくても良いじゃない」

 

 捕まった。

 それはもうガッチリと。

 後ろから胸の辺りに腕を回す形で。

 これ以上はないぐらい、しっかりと抱え込まれてしまった。

 相手が誰なのか。

 確かめるまでもなく分かってしまうのが心底嫌だった。

 ダメ元で足掻いてみるけど、当然のように無駄に終わる。

 白く細い少女の腕は、とんでもない腕力で私を捕らえて離さない。

 ……きっと、抵抗してる私を見て笑ってるんでしょうね。

 背後にいるため表情は見えないけど。

 今どんな顔をしているのか、細部まで正確に想像できた。

 

「……ちょっと、離してくれる?」

「どうして?」

「見ての通り、作業中なんだけど」

「別に良いじゃない。どうせ使い道のないガラクタを増やしてるだけでしょう?」

「うるさいわね、余計なお世話よ!」

「ホントのことを言われたからって、そんな怒る事ないでしょう?」

 

 クスクスと。

 声だけは愛らしい少女そのもの。

 ただし、語る言葉の一つ一つから腐った性根が溢れ出す。

 あぁ、腹立たしい。

 本当に心底腹立たしいけど。

 非力で不出来な私では、コイツには逆らえない。

 

「……怒ってないわよ。

 最強バカのアンタに、私が怒ったって仕方ないじゃない」

「ナメクジらしく身の程を弁えてるところ、私は嫌いじゃないわよ?」

「そう、私はアンタが大っ嫌いよ」

 

 抱える手が、ほんの少しだけ緩む。

 身体の向きを強制的に変えさせられ、嫌でもその顔が目に映る。

 金色の髪と、赤い瞳。

 ぞっとするぐらいに美しいかんばせの少女。

 人間のような見た目は、あくまで器に被せた仮初の形でしかない。

 私は、コイツのことを良く知っている。

 《最強最古》、《原初の大悪》、《全ての竜属の頂点》。

 その他様々な異名で呼ばれる、《古き王オールドキング》の長子。

 私のすぐ後に生み出された、偉大なる父の最高傑作。

 

「……それで?」

「うん?」

「一体何の用?

 今のねぐらを教えた覚えもないし、わざわざ探し出したんでしょう?」

「……どうやら誤解があるみたいね」

 

 今の会話に、何か誤解する要素があった??

 などと私がツッコむ前に、何故か神妙な面持ちで。

 鼻先がくっつきそうなぐらい距離を詰め、じっと私の目を見ながら。

 

「貴女の居所は、常に把握できるように。

 探知用の術式を縫い付けてあるから、わざわざ探す必要もないのよ?」

「ちょっと??」

 

 この大馬鹿、サラっととんでもないことを言い出した。

 いや、っていうか何ソレ、全然身に覚えがないんだけど……!

 動揺する私に、大馬鹿は心底楽しそうに笑っている。

 ホント、もうホントにこいつは……!!

 

「一体いつの間にそんなことを……!」

「随分前に、貴女が寝てるところをちょいちょいっとね?

 もうぐっすり眠っていて、起こしても全然反応しないんだもの。

 だから思わず悪戯したとしても、それは仕方のないことよね?」

「仕方がないことあるかっ!?」

 

 いやもう、ふざけるのも大概にして欲しい。

 この生粋のサディストに、常時居場所を把握されてるなんて。

 それが嫌で不定期に住処を移動してるっていうのに……!

 

「あら、そんなに嫌なの?」

「むしろ嫌じゃない理由がどこにあるのよ」

「私、貴女のこと好きよ?」

「だから私は大嫌いだっていつも言ってるでしょ??」

 

 わざとか、わざとやってるのか。

 それともまさか、本気で私に対する好意のつもりでやってるのか。

 ……あり得そうだから困る、いや本当に。

 ジト目で睨む私に、大馬鹿娘は首を傾げて笑ってる。

 理解し難い話だけど、そこに私に対する悪意は微塵もない。

 微塵もないのだ。欠片どころか、砂粒一つ。

 コイツの感覚からすると、じゃれついてる程度なのかもしれない。

 ネズミが虎にじゃれつかれたらどうなるか、考えてすらいないだけで。

 

「……まぁ、そんなに嫌なら外してあげても良いけど」

「外しなさい。出来るんでしょ。ほら、早く。今すぐ」

「万一にでも消えちゃわないよう、身体の中にしっかりと刻み付けてあるから。

 それを無理やり外すとなると、大分痛いと思うけど?」

「アンタはホントに何してくれてんの……!?」

 

 コイツがわざわざ「痛い」なんて言うぐらいだから。

 多分、いや間違いなく本気で痛い。

 そして十中八九、私が痛がって泣き叫ぶのを期待してる顔だ。

 ……何が凄いって。

 そんなサド趣味丸出しでも、私を苦しめたいって悪意がない事だ。

 心底最悪極まりない。

 

「で、どうするの? 私は別に強制しないわよ?」

 

 嘘だ。

 ここで私が「やっぱり嫌」と言っても、理由を付けて無理やりヤる気だ。

 分かってる。

 コイツはそういう奴だから。

 

「……良いわよ」

「なに?」

「だから、やりなさいって言ってるのよ!

 どうせ嫌がってもやるんだから、さっさとして頂戴」

 

 半ばやけっぱちで叫ぶと、笑みはより深いものに変わった。

 ホント、嬉しそうに笑っちゃって。

 何がそんなに楽しいのか、私にはどうにも理解できない。

 触れてくる指先が、こっちのお腹の辺りをまさぐり出した。

 いや、ちょっと、くすぐったいんだけど……!?

 

「動かないでよ。手元が狂ったら大変なことになるわよ?」

「……何がどう具体的に大変なことになるワケ?」

「あら、聞きたいの? 私としてはあんまりオススメしないけど……」

「いや、いい。やっぱり言わなくていい。

 言わなくていいから、早く済ませて」

「そう? 残念」

 

 クスクスと、愛らしい声で笑いながら。

 衣服の隙間から、細い手がするりと入り込んで来た。

 こそばゆい――と、そう感じる余裕があったのは、その一瞬だけ。

 

「じゃあ、望み通りにしてあげる」

「いッ――ぎ……!?」

 

 その一言と共に、宣言されていた通りの激痛が襲って来た。

 お腹の中を無遠慮にかき混ぜられる感覚。

 これまで色んな虐待を受けて来たけど、これは初めての痛みだった。

 痛いのもそうだけど、内臓を他人にこね回される違和感が凄い。

 思わず吐きそうになった口を、もう一つの手が力任せに抑えてくる。

 

「っ…………!!」

 

 痛い。苦しい。

 堪え切れずに涙がこぼれる。

 滲んだ視界の中でも、ハッキリと見える。

 間近で私を観察しながら、微笑む顔。

 ――あぁ、クソ。

 本当に最悪だ、コイツ。

 全力で罵りたいけど、口は押えられててまともに開くこともできない。

 どれぐらいそんな苦痛の中をのた打ち回っただろう。

 やっと解放された時は、精も根も尽き果てていた。

 そのまま床に身を投げ出したかったけど、私を捕らえる手がそれを許さない。

 力が入らず、ぐったりとした身体を。

 ソイツは竜の腕力で容赦なく抱き締めてくる。

 

「はい、お疲れ様。大変だったわね?」

「ッ……の……」

「なに? ちゃんと言ってくれないと分からないわ」

 

 どの口で言ってるんだ、こん畜生。

 吐き出したつもりの罵声は、喉のところで擦れた空気の音に変わる。

 私が言おうとした言葉ぐらい、分かってるクセに。

 わざとらしく唇に耳を寄せながら、《原初の大悪》は笑っていた。

 本当に、邪悪という単語がピッタリな笑顔で。

 

「は…っ……」

「苦しそうね。無理に喋ることないと思うけど」

「……っと、に……」

 

 憎たらしい。

 腹が立つ。

 胸の底でグルグルと渦巻く激情。

 その衝動に突き動かされる形で、私は声を絞り出す。

 呼吸するのも苦しいし、声を出すだけで内臓が締め付けられる。

 それでも。

 

「私……アンタの、こと……ホント、嫌いよ……っ」

「――――」

 

 残った力を振り絞って。

 私は、生まれの立場だけなら妹と呼べる相手を睨みつける。

 まさか、まだ喋る余力があるとは思っていなかったか。

 心底意外そうな顔で首を傾げている。

 けど、その表情もすぐに微笑みに変わった。

 親愛の情に偽りがないのが、本当に、心の底から最悪極まりない。

 

「……そう。私は、貴女のことが好きなのだけどね」

 

 それは、面白い愛玩動物としてなのか。

 それとも別の意味であるのか。

 私には分からないし、多分言ってる本人も分かっていない。

 意識は朦朧として、抱える腕に抵抗するような余力は何処にもなかった。

 

 ……もう、いつの時代かも分からないぐらいに古い過去。

 今でも、うなされながら夢に見る景色。

 心の底から認めたくはないけれど。

 多分、私とあのバカが一番平和だった頃の出来事。

 

 それは何もかも手遅れになる前の、二度と戻れない日々の残照。

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