第一章:暁の都に集う

260話:コッペリアは笑う


 ……何か、夢を見ていた気がする。

 夢の内容は思い出せない。

 遠い遠い昔のことを懐かしんでいたような。

 胸に残った感覚は、不思議と暖かい。

 けれどそれが去った後には、あるのは冷たい淋しさだけ。

 意識を取り戻すきっかけになったのは、微かな痛み。

 一体何が痛んでいるのか、と。

 そう思い、私は自分の腕の辺りに視線を落とした。

 合わせられた両腕を貫く、一本の短剣。

 太めの針に似た刀身が、手首の下ぐらいから左右の腕を縫い留めている。

 更にその上から、黒い鎖でグルグルと縛り付けられていた。

 重たく感じるのは、鎖や短剣の重量だけではない。

 身体全体が、さながら鉛に変わってしまったような……。

 

「起きたか?」

 

 ふと、すぐ隣から声がした。

 胸にこびりついていた冷たさを拭う、愛しい人の声。

 まだどこか夢見心地のまま、私は顔を上げる。

 

「レックス……」

「あぁ」

 

 いつもと変わらない、甲冑姿の彼。

 傍にいてくれるという、ただそれだけで喜びを感じる。

 

「アウローラの奴、やっと起きたのか?」

「随分、深く眠っていたようですが。大丈夫ですか?」

 

 近くにいるのはレックスだけではなかった。

 ほんの少し離れた場所に、テレサとイーリスの姉妹の姿もある。

 見れば、彼女らも両手を枷で繋がれた状態だった。

 そして当然、レックスの方も。

 鎧姿のままで、姉妹よりも頑丈そうな枷で両手足を繋がれていた。

 

「……? ボレアスと、ヴリトラは?」

「ボレアスならこっちだ」

 

 姿が見えない、二柱の竜王たち。

 首を傾げる私に、レックスは自分の足下を示した。

 そこに転がっているのは、鞘に納められた状態の《一つの剣》。

 鎖で雁字搦めにされた上から、幾つも金属板と鋲が打ち付けてある。

 ……ビックリするほど厳重に封印されてるわね。

 これは内側からは当然として、外から取り除くのも苦労しそう。

 

「一応大丈夫だとは思うが、こっちから呼びかけても反応はないな」

「まぁ、これは仕方ないわね……なら、ヴリトラの方は?」

「あの猫は糞エルフが持ってったぞ」

 

 応えたのはイーリスだった。

 糞エルフ――ウィリアム、あの男か。

 何度も出て来て、ホントにどんな面の皮してるのかしら。

 しかも、ヴリトラを持ってったって……。

 

「どうして??」

「いや知らんよ。

 猫も猫で『昼寝して良いなら』でロクに抵抗もしやがらねーし」

「アイツ……」

「主よ、どうか気を静めて下さい。

 きっとヴリトラ殿にも、何か考えがあって……あり、ますかね……?」

 

 テレサはテレサで、フォローするならもうちょっと頑張りなさいよ。

 まぁ、それは兎も角。

 

「……今、どういう状況?」

「おい、覚えてねーのか?」

 

 イーリスが呆れ顔でため息を吐く。

 しょ、しょうがないじゃない。

 何だか寝起きで頭もボーっとしてるんだから。

 隣で、レックスも少し笑って。

 

「まぁ、とりあえず取っ捕まったって感じかな」

「取っ捕まった?」

 

 言われて、私はようやく周囲の様子に目を向けた。

 鋼の牢獄、とでも言えば良いのか。

 私達がいるのは、どこまでも無機質な金属製の箱の中。

 形状としては長方形で、向かい合わせの壁に硬い座席が備わっている。

 私とレックス、姉妹が二人ずつで座っている形だ。

 分かりにくいけれど、全体が微かに振動しているのも感じられた。

 

「……これは、何処かに移動してるの?」

『――そうだね。

 君らの立場は護送中の罪人、と言ったところかな?』

 

 壁全体から響くように聞こえてくるのは、一人の女の声。

 それはブリーデではない。

 この場では、私だけが聞き覚えのある声だった。

 

「まさか、今さら貴女の声を聞くことになるとはね。

 ヘカーティア、死にたがりは相変わらずなの?」

『今はコッペリアと名乗ってる。

 君も名前を変えたのだから、僕のこともそう呼んで欲しい』

「コッペリア、ね」

 

 声の感じは、遥か昔とそう変わらない気がする。

 ただ――何だろう。

 本質的な部分で、どうにも嫌なものを感じてしまう。

 数千年という年月は、どんな変化をもたらしたのだろうか。

 

「知ってる相手か?」

「ええ。私と同じ《古き王オールドキング》の一柱。

 かつては《最強最古》である私に次ぐ力を持つ、《五大》にも数えられてた相手」

「……バビロンと同格、って事か」

 

 ヤバい相手だな、と。

 レックスは小声で呟いた。

 クスクスと、含み笑いが牢獄の中に響く。

 

『とりあえず、そう緊張しなくて良いよ。

 拘束やその他諸々は、君達が暴れ出さないための備えだ。

 窮屈だと思うけど、暫く我慢して欲しい』

「……一体、どういうつもり? そもそもブリーデは何処?」

『あぁ、彼女もいるよ。そこは安心して欲しい。

 ただ――そう、君とはあまり話がしたくないみたいだからね。

 代わりに僕が対応を任されてるワケだ』

「…………」

 

 愉快そうに笑う声が、無性に腹立たしい。

 ――《五大》の一柱、死にたがりのヘカーティア。

 父たる《造物主》、それが我が子である古竜の不完全性を嘆きながら死んだ後。

 不死不滅であるが故に、不完全のまま永遠を生きねばならない。

 そんな古竜の在り方そのものに絶望した古竜。

 意味はないと知りながら、自分を含めた古竜を殺そうとし続けた狂気の竜。

 ……少なくとも、それが私の知っている竜王ヘカーティアだ。

 私の事なんか、それはもう露骨な態度で毛嫌いしていたはずだけど……。

 

「……あのナメクジが大真竜なら。

 今の貴女も同じなのかしら?

 出世のお祝いでも用意した方が良い?」

『あぁ、お察しの通りだよ。かつての《最強最古》。

 今の僕は大真竜、その序列五位の席にある。

 お祝いは構わないよ。

 君にそんな気遣いは期待していないからね』

「あら、そう?」

 

 昔はもっと、常に切羽詰まってる感じだったけど。

 今のヘカーティア――いえ、コッペリアの態度には余裕すら感じられる。

 ホント、私が引き籠ってる間に何があったのかしら。

 ただ正気というよりも、昔とは別方向にイカれたような印象が……。

 

「コッペリアだったな。

 俺達はどこへ向かっているんだ?」

『僕が直轄している都市の一つ。

 《転移》で一足飛びができれば良かったけど、安全上の対策をしててね。

 窓もないから、外の景色を楽しめないのは申し訳なく思うよ』

「……分かんねぇな」

 

 レックスに続いて、イーリスが唸るように呟いた。

 

「あの《天の庭》で、オレらを殺さなかったのは何でだ?

 お仲間のゲマトリアを倒してる以上、こっちは言い訳不能の敵だろ?」

『言いたいことは分かるよ。

 ちなみにだけど、ゲマトリアは滅んではいないから。

 力の大部分は失ってしまって、当分回復の目途も立ってない状態だけどね』

「マジか。しぶといなぁ」

 

 呑気な感想を呟くレックス。

 こんな状態でなければ、つい笑ってしまいそうだけど。

 

『一先ず、僕やブリーデは君らを殺す気はないよ。

 あくまで「今のところは」、という但し書きが付くけどね』

「理由は聞いても?」

『僕ら《大竜盟約》も、決して一枚岩ではないって事さ。

 より上位にある大真竜は、君らをさっさと殺したがってはいるけどね。

 特に、そっちの可愛らしくなった《最強最古》を』

「どこの誰か知らないけど、過分な評価で光栄ね」

 

 笑うコッペリアの声に、とりあえず皮肉を返しておく。

 今の話から、目的や意図はまだ読み切れない。

 少なくともこの扱いは、盟約全体の総意でない事だけは分かった。

 敵が一枚岩でないのは、私達にとっては好都合。

 今は身動きが取れないけど、必ず抜け出すための隙があるはず。

 

『――ホント、可愛らしくはなったようだけど。

 相も変わらず抜け目はなさそうな様子で、ある意味安心したよ。

 ねぇ、《最強最古》。僕ら竜王たちの長子』

「……貴女に褒められても、別に嬉しくはないわね」

『ハハハ、まぁそうだろうね?』

 

 コッペリアは笑っている。

 ……昔の、言葉を交わすことすら忌避していた頃とは違う。

 けど、それは間違っても友好的になったワケじゃない。

 死にたがりながら、決して死ねない古竜の業に絶望していた過去。

 その当時とは、明らかに別種の狂気。

 根深いところで渦巻く闇の一端。

 その激情が、一瞬だけ私に向けられた気がした。

 

『まぁ、抵抗するなら好きにしてくれて構わないよ。

 一応僕としては、君らを客人として扱うつもりはあるんだ』

「囚人の間違いではなくて?」

『立場としては似たようなものだよ、そこは我慢して欲しい』

「いや、こんな枷つけられた状態じゃどうしようもねーし。

 厳重に取り扱うならアウローラだけにしてくれよ」

「ちょっと??」

 

 イーリスったら、そんなあっさり仲間を売ることないんじゃない?

 もうちょっと人の心とか、そういう大事な物があると思うの。

 姉は姉でコメントに困った顔してるし。

 

『実に頼もしい仲間がいるみたいだね。

 いやぁ、羨ましいよ』

「うるさいわね。余計なことしか言わないなら黙って欲しいんだけど」

『じゃあそうしようか。

 一応、君らの様子を確認するために声を掛けただけだからね』

 

 コッペリアは、笑いながらそう言って。

 

『繰り返すけど、抵抗するなら好きにしてくれて構わない。

 けど、こっちには僕だけでなくブリーデもいる。

 その拘束だって、彼女が君のために特別に用意した代物だ。

 容易く抜け出せるかどうか――ま、試してみても良いんじゃないかな?』

 

 まるで挑発めいた言葉を最後に残しながら、音と気配は完全に途絶えた。

 ホント、腹立つことばっかり言ってくれるわね……!

 イライラしてる私の頭を、レックスは拘束されたままの腕で撫でて来た。

 ちょっと、枷がゴツゴツして痛いけど。

 

「とりあえず落ち着こうか」

「……別に、私は冷静よ」

「ええ。勿論それは分かっています」

「いや全然冷静じゃねーだろ。挑発されまくりのブチギレっぱなしだろ」

 

 姉のフォローを即座に台無しにするのは止めなさい。

 落ち着いてる、落ち着いてます。

 ええ、本当よ?

 

「それより、拘束の方は何とかなりそうか?」

「さっきからずっと試してるんだけど……ダメね。

 魔力が封じられてるせいで、ロクに術式も練れないわ」

「こちらも同じくです」

 

 私ほどキツくはないにせよ、テレサにも同種の封印が施されてるみたい。

 レックスも言わずもがな。

 こっちは更に、物理的にも私と同じぐらいキツく戒められていた。

 力技で無理やり――というのも難しい。

 

「……オレの方は、物理的に縛られてるだけだな」

 

 枷をガチャガチャと鳴らしながら、イーリスは小さく呟く。

 それはつまり、《奇跡》の方は問題なく使えると。

 まぁ、それだけではどうしようもないけど。

 何もできないよりは、少しはマシと考えましょうか。

 

「で、どうすんだ? さっきのコッペリアとかいう奴。

 まだ声しか聞いてねぇけど地味にヤバそうじゃないか?」

「昔と比べると大分変ったけど、狂ってるっぽいのは相変らずって印象ね」

「危ない人だったかー」

 

 レックスはレックスで、流石に暢気過ぎない??

 それを察してか、彼は軽く笑ってみせて。

 

「焦って動いてどうにかなるならそうするんだけどな。

 どうも今はそういう状況でもない。

 だったらまぁ、落ち着いて流れを待つのも一つの手だろ」

「大丈夫かよ、それ」

「こうして落ち着いて話ができる間は、まぁ大丈夫だろ」

 

 楽観的と言えば、楽観的なレックスの言葉。

 イーリスは呆れた顔をしながらも、それ以上は何も言わなかった。

 私も、動かせない自分の腕を見下ろして。

 

「……そうね。貴方の言う通りかもしれないわね」

「この場にいないヴリトラがちょっと心配だが……ま、大丈夫か。猫だし」

「猫だしな」

「猫ですからね……」

 

 猫だからどうしたって思ったけど、気にしないでおきましょう。

 傍らのレックスに、軽く体重を預ける。

 ――あの子は今、どうしてるかしら。

 先ほどまで見ていた、夢の続きを思い出そうとするように。

 私は何となく、白く弱い姉のことを考えていた。

 

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