終章:影法師たちは無価値に踊る

258話:囁く影法師


 ――全てが終わった後。

 開花するはずだった《天の庭バビロン》は枯れ落ちて。

 後にはただ、崩れかけた廃墟と瓦礫の山だけが散らばっている。

 嵐のように訪れた来訪者たちも。

 状況を監視していた二柱の大真竜も。

 今はもう、この終わった地からは去ってしまった。

 何もない。

 この騒動を生き残った者らが、その後どう生きるのか。

 それは誰にも分からない。

 

「……やれやれ、酷い目に遭ったな」

 

 積み上がった瓦礫の山。

 その一角から、這い出して来る男が一人。

 全身を余すことなく泥や埃で汚してしまった伊達男。

 もう意味のなくなった、「三頭目」の肩書きを持っていた人物。

 カーライルは、どこか呆れた様子で辺りを見回した。

 

「まったく、嵐が通り過ぎたようじゃないか。

 《天の庭》も今は昔だが、これでは残骸どころではないな」

 

 ひとり呟き、ため息をこぼす。

 彼自身、別にこの廃棄された都市に未練はなかったが。

 それでも築いたモノが崩れることには、多少なりとも感慨があった。

 悲しいとか、そういう感情では決してない。

 物が壊れることに、喜びを見出しているワケでもない。

 ただ、自分の手で積み上げたはずのものが、脆くも壊れた時。

 その瞬間に感じる空虚さや無情感。

 言葉に言い表せぬその空白を感じる瞬間を、カーライルは愛していた。

 ――嗚呼、悪い気分ではない。

 酒か煙草が欲しいと、カーライルは心底思う。

 

 

 声は、何の前触れもなくカーライルの背後から湧き上がった。

 慣れ親しんだ――というのもおかしいが。

 カーライルにとっては驚くに値しない、馴染みのある声だった。

 

「恐縮です。しかし、これで良かったのですか?」

 

 振り向きも、頭を垂れる事もせず。

 瓦礫の上に腰掛けたままで、カーライルはその声に応える。

 口調こそ丁寧ではあるが、態度に敬うような気配は微塵もない。

 相手もまたそれを咎めることはしなかった。

 

「何に対しての質問だ?」

「概ね一通り。貴方の目論見通りに、地の底のバビロンは目覚めた。

 しかし結果はご覧の通りだ。予定通りと考えても?」

「そんなワケがあるか。

 途中までは順調だったが、最後の最後で

 

 笑う。

 カーライルの背後に立つ者は、心底愉快そうに笑っていた。

 笑っているのに、言葉にはこれ以上なくたっぷりと自虐が含まれている。

 長らく準備したはずの企みが、脆くも崩れ去った事。

 その事実を、その人物は自ら嘲笑う。

 

「折角開花に至った《天の庭》もご覧の有様だ!

 いやまさかな、まさかなとは思ったんだよ。

 予定外の流れに乗って、色々前倒しにして行動に移ったってのに。

 蓋を開けてみたら、目覚めたバビロンは見事に討たれてしまったとさ!」

即興劇アドリブを効かせすぎましたかね?」

「いや、それ自体に問題はなかった。

 実際にバビロンは目覚めたし、大真竜どもは介入には気付いてない。

 あぁ、正直に言おうか。

 その時点で目的は達した――有体に言って、『勝った』と思ったんだ」

 

 笑う声のトーンが一段低くなる。

 燃え滾るような暗い感情。

 それが怒りなどではないことを、カーライルは知っていた。

 怒りではない。

 その人物の中にあるのは執念だけ。

 目的を、自らが定めた望みを必ず叶えんとする妄念のみ。

 とはいえ、人間的な感情がまったくないわけでもない。

 ハハッ、と。

 腹の底からその人物は笑っている。

 

「まぁ、いつもの事と言えばいつもの事だ。

 計画を進めて、これまで予定通りに進んだ試しがないんだ。

 良かれと思ってやった事が裏目に出るのもしょっちゅうだ。

 だからまぁ、こればっかりはどうしようもない」

「目覚めたバビロンを《大竜盟約》にぶつけて、大真竜の力を削ぐ。

 元々はそういう計画だったと愚考しますがね」

「肝心のバビロンが消えちまった以上、全部白紙だな!」

 

 笑う声に対し、カーライルもまた苦笑いを返した。

 ここでようやく、背後に立つ人物の方を向く。

 積み上がった瓦礫の頂上。

 そこに立っていたのは、見た目はまだ年若い小柄な青年だった。

 白――いや、灰色の髪に、燻る火の色を宿した瞳。

 イーリス達に自らをアッシュと名乗った青年が、笑っていた。

 

「一つ聞いても宜しいかな、我が主」

「あぁ、なんだ?」

「外装人格を被っていた時なので、記憶が少々曖昧ですが。

 彼女イーリスを私に庇わせたの、アレは貴方ですよね?」

「あー……」

 

 カーライル――いや、「カーライル」という人格を装っていた誰か。

 仮称カーライルは、アッシュを名乗る誰かに対して改めて問う。

 聞かれた方は、少々バツの悪そうな顔を見せて。

 

「悪い」

「一応、理由を伺っても?」

「特にないな。つい、やっちまってたというか」

「だろうと思いましたよ」

 

 ため息を一つ。

 自分の主人がそういう輩である事は、彼自身も良く分かっていた。

 なので文句を言っても仕方ない、と。

 アッシュは笑いながら、自分の頭を掻く。

 

「まぁ、あのままだとイーリスが死んでる可能性あったからな。

 重傷程度なら今でもどうとでもなるが、流石に死んだ後の蘇生は難しい。

 お前はどうせあのぐらいじゃ死なないんだから、別に良いだろう?

 その後に治療もしてやったんだから」

「弾除けに使った相手に、それはあんまりな物言いでは?」

「慣れたもんだろ?」

 

 違いない、と。

 カーライルは苦笑いで応じるしかなかった。

 高い位置から下りて来たアッシュは、そのままカーライルの横に並ぶ。

 その目が見ているのは、果てしなく広がる残骸の街並みか。

 それとも、もっと遠くにある何かか。

 

「バビロンは消えましたね」

「あぁ」

「私は状況を確認してませんでしたが、やはり彼らが?」

「そうだな。イーリス達は見事に目的を果たしたわけだ。

 ――心底忌々しいが、認めるしかないな」

 

 アッシュは笑っている。

 その声に、ほんの少しだけ怒りが混ざっている事に。

 カーライルは気付いていたが、それについては何も言わなかった。

 何千年という時を経たとしても。

 感情の全てが摩耗したワケではない。

 その事実は、きっと喜ぶべきことだろう。

 

「竜殺しは本物だ。

 《巨人》の血肉を呑んだ、あのバビロンを討ち取るほどの。

 ……あぁ、《最古の邪悪》め。

 自分の成果に、さぞや鼻が高いことだろうな」

「我が主」

「分かってる。言わなくて良い」

 

 唸るような声に、カーライルは冷静に水を差す。

 激情に支配されかけたアッシュは、何度か深呼吸をした。

 乱れかけた感情を、意識して抑え込む。

 

「……身柄は大真竜に拘束された、か。

 こうなっては、流石に手の出しようもないな」

「バビロンを盟約にぶつける計画が、上手く行っていれば別だったんでしょうがね」

「もう過ぎた事は忘れろよ」

 

 とは言うが、カーライルとしても文句の一つぐらいは言いたかった。

 何のために長い時間をかけ、廃墟の住民達にバビロンの血肉を浸透させて来たか。

 僅かに機能していた《聖櫃》を通じ、死んだ人間も餌として亡骸に与え続けた。

 少しずつ、少しずつ。

 あのイカれた大真竜――コッペリアの「趣味」に乗じる形で。

 気付かれぬ間に、眠れるバビロンは肥大化していった。

 ただ、衰弱した魂だけがなかなか目覚める様子がなかった。

 如何にして災厄を覚醒させるか。

 それだけが「彼ら」にとっての課題だったはずだが……。

 

「ずっと眠っていたはずのバビロンが、《聖櫃》を通じて自発的に動いた。

 その流れに便乗し、血肉の果実を食った人間達も使ってバビロンを刺激する。

 最後は、バビロンの眠る大穴に向けて直接餌を放り込む。

 まぁ、即興で描いた筋書きにしては上手く行った方では?」

「そんで最後は全部ご破算だ。

 あぁ分かってるよ、俺が悪かった。責任は全面的にこちらにある」

「当たり前ですよ」

 

 再びため息一つ。

 とはいえ、そういつまでも愚痴っていても仕方がない。

 カーライルはゆっくりと立ち上がった。

 アッシュの言う通り、過ぎたことはそろそろ忘れるべきだろう。

 大事なのは、長年の計画が破綻した今からのことだ。

 

「それで、今後の予定は?」

「今のところは何も」

 

 あっさり無計画という事実を吐露しながら、アッシュは肩を竦める。

 これもいつもの事なので、カーライルは文句は言わなかった。

 

「大体、盟約にぶつけられそうな手札の心当たりなんて他にあるかよ。

 バビロンさえいれば、他の駒なんざ不要だったからな」

「毎度の事ながらガバガバですな」

「反省はしている」

 

 ――反省しても、後に活きないなら意味がないのでは?

 そう言わない優しさが、カーライルにはあった。

 果たしてそれは優しさなのか、人によって意見が分かれるだろうが。

 

「だから、暫くは傍観だ。何もしない。

 何せこっちは逃げ隠れしなきゃならない身だ。

 イシュタル辺りなら兎も角、ウラノスやオーティヌスに出くわしたら即死だ」

「《黒銀》は?」

「即死どころじゃ済まないから、考えるだけ無駄だな」

 

 確かに、と。

 カーライルは納得した表情で頷いた。

 暗躍する自分達は、裏を返せば暗躍するしか手がないのだ。

 己が圧倒的に弱者であると弁えているから、彼らは足元の影さえ注意を払う。

 ――そのクセ、計画が上手く行かないのはどんな因果だろうか。

 思っても口に出さない優しさが、カーライルにはあった。

 

「では、このまま何もしないと?」

「いや、それじゃあ暇だろ」

 

 笑う。

 アッシュは本当に愉快そうに笑っていた。

 その表情は、悪戯を思い付いた子供にも似ている。

 

「『三頭目』の体制は崩れた。

 状況を考えれば、大真竜からの介入も当分はなくなるだろう。

 恐らく、そんな余裕もないだろうからな」

「ええ。それで?」

「結局、地上に出て来たバビロンが暴れ回ったのは短い時間だ。

 まだ無事な連中が、この廃墟のそこかしこにいる」

 

 それは計画ですらない。

 彼ら――いや、アッシュと名乗る彼の目的に繋がる話でもない。

 散々、自分の身勝手な望みのために利用する「餌場」に過ぎなかった残骸の街。

 失敗した自らの今後よりも、そんな彼らの今後について。

 それに対し、アッシュは。

 

 バビロンはもう枯れ落ちたが、残滓ぐらいは残ってる。

 そこから《休息地》を多少回復させる程度なら、まぁ何とかなるだろう。

 幾らか手間と時間は掛かるだろうけどな」

「良いご趣味ですね。まぁ、付き合いますけどね」

「悪いなぁ」

 

 何度目かのため息を吐くカーライルに、アッシュは悪童のように笑った。

 方針が決まったら、後は行動するのみ。

 そう言わんばかりにアッシュは瓦礫の上から地に降り立つ。

 カーライルもそれに続こうとして、ふと足を止めた。

 

「そういえば、主よ」

「ん? なんだ?」

「呼び名、どうなさいますか。

 今までの立場を装う意味もないと思いますが。

 なんなら、昔のように《黒》とでもお呼びしますか?」

「どうせ大真竜どもには聞かれないだろうし、別にそれでも良いけどな」

 

 ちょっとした悪戯というか、嫌がらせに近い提案。

 そんな性格の悪い従者の言葉に、かつては《黒》と呼ばれた魔法使いは笑う。

 

「当分は、《アッシュ》でいい。

 適当に付けた名前だが、今は案外気に入ってるんだよ」

「では、そのように」

 

 カーライルは、それ以上は何も言わなかった。

 何故、気に入ってるのかとか。

 弱った者達に救いの手を差し伸べながら、同じ手で犠牲を積み上げる計画を編み上げるのか。

 矛盾した灰色のような在り方。

 カーライルは何も言わなかった。

 その矛盾、狂った論理そのものが愛おしいと言わんばかりに。


「じゃあ、行くか」

「ええ、承知しました」


 忠実な従者の返答に満足したのか。

 機嫌良さげに笑いながら、とっくに壊れた魔法使いは廃墟の街へと向かう。

 二人の姿が去った後。

 そこにはもう、かつての繁栄の残骸だけが残されるばかりだった。

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