257話:月鱗騎士団


 闇が崩れ去る。

 夢が覚めれば、後には何も残らないように。

 崩れて、消え去って。

 気が付けば、俺達は瓦礫と化した廃墟の上に立っていた。

 もう、黒い汚泥はどこにも見えない。

 地面に開いた大穴からも、何の気配も感じられなかった。

 空を閉ざしていた暗雲も、いつの間にか消えている。

 見上げて、俺は一つ息を吐き出した。

 

「……お疲れ様」

「あぁ」

 

 腕に抱き着いているアウローラ。

 彼女の頭を軽く撫でる。

 流石に消耗がキツいのか、大分大人しい。

 髪を指で梳くと、気持ち良さそうに目を細めた。

 

「流石にしんどかったな」

「――いつもの事と言えば、それまでだがな」

 

 笑う声と共に、ボレアスが剣の中から出て来た。

 こっちもこっちで疲れているだろうが、そんな様子は微塵も見せない。

 いつも通りの傲慢な態度で、ボレアスは笑っていた。

 

「イーリスとテレサは大丈夫か?」

「ええ、そっちは特に問題ないわ。

 いつまでも閉じ込めてちゃ不安でしょうし、出してあげましょうか」

 

 とりあえず、適当な瓦礫の上に腰を下ろす。

 剣を杖代わりにして、また一つ息を吐く。

 いや、ホントに疲れた。

 できればこのまま、大の字で寝転がりたいぐらいだ。

 なんて考えていると。

 

「うわ……っ!?」

「きゃっ!?」

「ぶっ」

 

 アウローラが術式を操作し。

 その直後に、姉妹が上から落ちて来た。

 幸い、落下した高さは大したことはない。

 ただ疲労した今の状態で、二人分は流石に厳しかった。

 

「痛たた……っ、て、何でレックスが下にいるんだよ」

「だ、大丈夫ですか……!?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

 慌てるテレサに、軽く手を上げて応じる。

 アウローラさんは、その様子をとても楽しそうに眺めていた。

 

「……どうやら、終わったみたいだな」

「ええ、見ての通り。

 《天の庭》は、もう何処にもないわ」

 

 俺の上から退きつつ、イーリスは辺りを見渡した。

 アウローラの言葉通りに、《天の庭》は何処にもない。

 過去の夢は、夜明けの如くに消え失せた。

 後には、朽ち果てた残骸が横たわるばかりだ。

 俺はなんとなく、剣の方に視線を向けた。

 

「……バビロンの魂なら、深い眠りについているな。

 目を覚ますことは、まぁ当分あるまいよ」

「そうか」

 

 視線の意図を察したようで。

 剣と繋がったボレアスは、肩を竦めてそう応えた。

 眠っているのなら、せめて良い夢を見ていると良いな。

 

「……レックス」

「ん。大丈夫だぞ」

 

 俺の様子を見て、アウローラは少し心配そうな顔をした。

 バビロンに関しては、彼女も色々複雑だろう。

 宥めるつもりでまた頭を撫でると、アウローラは小さく喉を鳴らした。

 まぁ、これでとりあえずはひと段落……。

 

「……流石、と言うべきか?

 あの状況から、本当に荒れ狂うバビロンを鎮めるとはな」

「おう」

 

 いや、忘れていたワケじゃない。

 忘れていたワケじゃないが、「どうせひょっこり出てくるだろ」と。

 そう考えて、逆に気にしていなかった奴。

 瓦礫の一部を崩しながら、お馴染みの糞エルフが顔を出した。

 全身埃まみれで、微妙に薄汚れてはいるが特に変わりはなさそうだ。

 ついでに、その手には猫がぐんにゃりと伸びている。

 

「今度ばかりは、俺も無理かと思ったが。おかげで幸運を拾った」

「いや、いたのかよお前。つーかどっから生えて来たんだ」

「イーリス、少し下がって」

 

 欠片も物怖じせず、正面からツッコミを仕掛けていくイーリスさん。

 姉は流石に警戒して、そんな妹を自分の方に引っ張る。

 

「とりあえず、猫を回収してくれたことは感謝すべきか?」

「不要だ。コレがいなければ、俺もバビロンに呑まれて無事とは行かなかったろう」

『コイツ、もう寝ようと思ったオレを剣でブスブス刺しやがって……。

 あまつさえ「このままだと呑み込まれて死ぬから働け」だなんて……!』

「虐待されてんなー」

 

 まぁ、それは良い。

 いや、ヴリトラ的にはあんまり良くないかもしれないが。

 そんなことよりも、確認しておくべきことがあった。

 

「で、どうするんだ?」

「どうする、とは?」

「ぶっちゃけ、立ち位置としては敵だろ?」

 

 ウィリアムの方は、あくまではぐらかすつもりのようだが。

 面倒なので、俺もイーリスにならって真っ向から切り込んでみた。

 空気に、ほんの少しだが緊張が走る。

 見た目上の糞エルフに変化はない。

 ただ、俺の一言を境に僅かにだが纏う空気が変化していた。

 表情は、相変わらずの不敵な笑みのまま。

 

「……バビロンが消えた以上、俺が仰せつかった役目は終わりだ。

 恐らく、ここまでの結果は誰も予想していなかったろうがな」

「毎度のことながら、迂遠な物言いを好む男よな。

 やるつもりなら、我は別にいつでも構わんのだぞ?」

『オレが微妙に人質っぽいポジションなの忘れないで貰って良い??』

 

 ぶら下げられた猫の抗議はとりあえず無視スルー

 いやどうせ、多少流れ弾を喰らっても平気だろうしな、ウン。

 ウィリアムの方も気にせず、俺達を観察するように視線を向ける。

 

「俺個人としては、お前達をこれ以上どうこうするつもりはない。

 なにせ仕事外だからな」

「……本当に、ボレアス殿が言う通り迂遠な物言いだ。

 結局、貴方は何が言いたいんだ。ウィリアム」

「言っただろう、

 

 ウィリアムは笑っている。

 そして、その背後に白い影が現れた。

 殆ど前触れもなく、さながら地面から立ち上った煙のように。

 反射的に動こうとしたアウローラが、凍り付いたように止まってしまう。

 そこに立っているのは、良く知った相手だった。

 

「……ご苦労様、ウィリアム」

 

 苦虫を何百匹も噛み潰したような渋面で。

 ウィリアムの後ろから、白い少女がゆっくりと踏み出してくる。

 かつて、地下迷宮で出会った古い鍛冶師。

 以前よりも、明らかに剣呑な空気を引き連れて。

 ブリーデが、再び俺達の前に姿を見せた。

 アウローラは目を見開いて、言葉を失っている。

 これほど彼女が動揺するのも珍しい。

 

「もういいから、そこで控えていて。後は私がやるから」

「御心の侭に、我が主」

 

 敬っているとは言いがたい言葉と態度だが。

 ウィリアムは深く一礼すると、ブリーデの言う通りに後ろへ下がる。

 相変らず、瓦礫に足を取られそうな危なっかしい足取り。

 ブリーデの様子は、あの地下迷宮で出会った時と大きく変わらない。

 変わらない、はずなのだが。

 

「貴女は……」

「ブリーデ、よ。今の貴女はアウローラで良いんだっけ?」

 

 何かを言おうとしたアウローラを、ブリーデは強い声で遮る。

 二人の姉妹の視線が、真正面からかち合う。

 

「……姉上か。そこの男を従えるとは、随分と貫禄がついたものよな」

「昔を懐かしんで思い出話、というのも。

 別に嫌じゃないけど」

 

 挑発めいたボレアスの言葉に、ブリーデは眉一つ動かさない。

 努めて感情を押し殺しているのは、一目で分かった。

 ブリーデは抑揚のない声で淡々と応じながら、その細い片手を振るう。

 たったそれだけの動作で、起こった変化は劇的だった。

 青白い炎が、俺達を取り囲むように立ち上る。

 俺達がそれに対応しようとするよりも、遥かに速く――。

 

 

 無数の鋭い剣が、ピタリと突き付けられていた。

 青白い炎を纏って、現れたのは剣を構えた戦士の群れだった。

 細かい差異はあるが、全員例外なく剣と甲冑で隙間なく武装した集団。

 間違いなく、さっきまでそんな連中はいなかった。

 一切の隙も油断もない。

 下手に動けば、そのまま急所を刺し貫かれるだろう。

 ……しかし、これは確か。

 

「ウィリアムが、何か似た雰囲気の奴を地下で使ってたよな」

「月の鱗たる、白竜の騎士たちだ。

 俺が使ったアレもまた、今の主から借り受けた力の一端だ」

 

 特に否定もせず、ウィリアムは平然と応える。

 聞いていたブリーデが少し眉を顰めたが、すぐに表情を戻す。

 視線は、相変わらずアウローラに向けたままだ。

 

「……竜とすら呼べないような半端なナメクジが。

 私の見ない間、随分と大層な力を身に付けたみたいね」

「……私の力じゃない」

 

 皮肉に対しても、ブリーデの表情は揺れない。

 硬く鋭い剣のような声で、彼女は続ける。

 

「彼らは、例外なく千年前の戦いに挑んだ勇者たち。

 私の鍛えた月の剣を持ち、その魂は今もまだその刃に宿っている」

『――――』

 

 白い炎を纏う騎士達に、言葉はない。

 ただ、彼らが単なる傀儡でないことは明白だった。

 個々がそれぞれ強烈な戦意を放ち、俺やアウローラ、ボレアスを牽制している。

 ……ざっと数えても、二十以上。

 流石に消耗した状態で戦うのはキツいな、これ。

 

「私は《大竜盟約》の礎たる大真竜、その序列六位。

 ……ゲマトリア相手に勝ったことは賞賛する。

 狂ったバビロンを鎮めてくれたことには感謝したって良い。

 けど、ここまでよ。

 

 今の弱った貴方達では、勝ち目なんて欠片もないぐらいに」

「…………」

 

 その言葉は、俺達ではなくむしろアウローラ一人に向けられていた。

 言ってる本人に自覚があるかは分からない。

 アウローラの方は、今は口を閉ざしたままだ。

 まだ動揺が残っているのは、何となく察せられた。

 

『……なぁ、姉上よ』

「猫は黙ってて」

『はい』

 

 何か言いたげなヴリトラだが、ブリーデの一言であっさり引っ込んでしまった。

 そこはもうちょっと頑張るところではないだろうか。

 まぁダメか、猫だもんな。

 

「……それで、オレ達は反逆者として処刑って流れか?

 だったら、ダメ元で抵抗するしかないんだけどな」

「…………大人しくするのなら、手荒な真似はしない」

 

 睨みつけるイーリスに、ブリーデは硬い声で応じる。

 こっちもこっちで、無理してるのが丸分かりだ。

 一先ず、俺の方からはそれに触れないでおく。

 というか、今気付いたがこっちにはまったく目を合わせて来ないな?

 嫌われた――とはまた、違うと思いたいが。

 

「沈黙は、納得したと受け取るわ。なら――」

「随分と」

 

 ぽつり、と。

 口を閉ざしていたはずのアウローラが、小さく呟いた。

 ピタリと、動きを止めるブリーデ。

 二つの姉妹の視線が、蛇のように絡まっている。

 

「随分と、力と一緒に自信も付けたみたいね。?」

「ッ――――」

 

 ブリーデの表情が崩れた。

 抑えていた激情が溢れ出して、堪え切れない様子で駆け出す。

 瓦礫に足を取られそうになりながら。

 彼女はそのまま、アウローラの前に立つ。

 そうして、勢い良く右手を振り上げて――。

 

「っ……!」

 

 叩こうとする寸前で、その動きが止まった。

 歯を食い縛り、泣きそうな顔でブリーデはアウローラを見ていた。

 アウローラは何も言わなかった。

 彼女の方も、決して落ち着いてるワケじゃない。

 姉妹は、互いの内心をどれだけ分かっているのだろう。

 

「……取り押さえて、連れて行きます。貴方は、その猫を確保しておいて」

「仰せの侭に、だ」

『あー、このまま寝てて良い?』

 

 寝言を言ってる猫は、何処からか出て来た革袋に雑に詰め込まれた。

 ブリーデに従う青白い騎士達は、主の命令を忠実に実行する。

 俺もこの場は大人しくしておこうか。

 ただ、ブリーデの方からわざわざ近付いてはくれたので。

 

「元気そうだな。ちょっと安心したわ」

 

 それだけは、一応言っておいた。

 ここでやっと、ブリーデは俺の方を見た。

 驚きと呆れが綯交ぜになった表情。

 一秒程度、睨むように俺の顔を見てから。

 

「……ええ。お互いに、ね」

 

 ブリーデは、ほんの少しだけ笑ったように見えた。

 これからどうなるのか、とか。

 その辺の見通しはまったく立たない状況ではあるが。

 一先ずこの場は、俺はそれで満足だった。

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