第四章:愚かなる神との戯れ事

366話:《秘神》の正体


「《秘神》アベル。

 奴も《人界》の神ではあるが、その中でも明確かつ悍ましい異端者だ」


 荒れ果てた大地を踏み締めながら。

 苛立ちを含む声で、アストレアはその存在について語り始めた。

 《鬼神》との戦いから、少なくとも一日以上は経過していた。

 殆ど休み無くぶっ通しで進み続けているせいか、時間感覚は少々曖昧だ。

 体力的に問題があるイーリスだけは、姉のテレサが支えてやりながら。

 かなりのペースで俺たちは先へ進んでいた。

 それでもまだ、目的地である《人界》は遠いようだ。


「異端者っていうと、具体的には?」

「…………」


 アウローラが聞いても、アストレアはすぐには応えない。

 その事実を口にするのも忌まわしいと、態度で語っているようだった。

 それもほんの少しの事で、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。


「……あの男は、最古たる三神を除けば《人界》で最も古い神だ。

 偉大なる王が一番最初に『神』となる力と権利を与えた存在。

 だが奴はそもそも、神になる以前から人間ではなかった」

「人間じゃない?」


 そりゃまたどういう事だ?

 首を傾げている内に、アストレアはその事実を告げた。


「奴は、《巨人》だ」

「……《巨人》?」


 聞き捨てならない単語に、真っ先に反応したのは当然《巨人殺し》だ。

 彼女はその瞳に暗い炎を宿し、アストレアを見た。

 首元で黒い蛇が小さく唸る。


『ブラザー、頼むから落ち着いてくれよ』

「私は落ち着いてる。お前は少し黙っていて」

「……誰と話しているんだ?

 まぁ、それは別にどうでもいいが」

「ええ。それで、あの優男が《巨人》?

 事実なの、それは?」

「事実だ。……《巨人》とは、魂を失って這い回るだけの不死の肉塊。

 そうとしか知らぬ者にとっては、信じがたいだろうが」


 確かに、《巨人》とはそういうもののはずだ。

 ここまで来る間にも、何度も《巨人》には襲われている。

 どいつもこいつもケダモノ以下。

 知性も理性もなく、ただ無目的に生き物を襲う災害。

 あんな人間っぽい姿で、賢そうに振る舞う姿は想像もできない。


「お前たちが知る《巨人》と、あの《秘神》は違う。

 奴が神となったのは遥か上古の時代。

 《造物主》を名乗る悪神によって旧世界が滅ぼされた時。

 星の底から怒れる《焔》が立ち上がった。

 そして人々の祈りに応え、偉大なる王が三柱の神を従えた後の事だ」


 それは大陸では失われている、本当の意味での神話の時代の話だった。

 あの《秘神》って奴は、そんな大昔から存在していると。

 俺が死んでた三千年なんて目じゃない古さだ。


「奴は悪神が直接生み出した眷属、最も古い《巨人》の一体だった。

 そうした《巨人》の殆どは、あの黒銀の《焔》によって討ち滅ぼされたが。

 しかし奴だけは、何の偶然か五体満足で生き残っていたらしい」

「運が良い、と言っていいものか分からん話だな」


 ため息混じりにボレアスは呟く。

 まぁ確かに、そこで死んでてくれたら俺たちは迷惑しなかったはずだしな。


「……それだけならば、そう大きな問題はなかったかもしれない。

 一時は無事でも、星の怒りである《焔》にいずれ滅ぼされていたはずだ。

 だが、折悪しくも《焔》との戦いに飽きた悪神は海の彼方へ姿を消し。

 《焔》もそれを追って海を渡ってしまっていた。

 生みの親からも天敵からも、奴は半ば放置された状態だった」

「…………。

 まぁ、やりそうな事よね。アレなら」


 ぽつりと。

 アストレアの話を聞きながら、アウローラはそんな事を言った。

 ……そういえば、あの《秘神》が《造物主》の創造した《巨人》なら。

 関係的には、アウローラとは兄弟になるのか?

 竜と《巨人》じゃ種族が違いすぎて微妙かもしれないが。


「そんな古き《巨人》の哀れな様を見て、気まぐれに手を差し伸べた者がいた。

 ……それこそが、偉大なる《人界》の王。

 奴は陛下の慈悲によって、卑しい《巨人》から神となった。

 神となれば魂は不滅。

 故に《秘神》は《巨人》でありながら、魂を失わずに自我を保ち続けている」

「なるほどな。だから異端者ってワケか」

「あぁ、そうだ。悍ましき異端者にして許しがたき大罪人だ。

 私を含めて、他の神々の大半は奴の存在を嫌悪している。

 それは元々が《巨人》だから、というだけの理由ではない。

 奴自身、その性根は醜悪なる悪神と同様に腐り果てたものだからだ……!」


 一応、途中までは冷静に語っていたが。

 思い出した怒りであっさり沸点に届いたらしく、アストレアは声を荒げた。

 まぁ、言いたい事はとても良く分かる。

 まだ接触したばかりだが、少なくともお友達になりたい相手ではなかった。


「……しかし、性根が腐ってるね」

「ちょっと、そこで私のことを見るのは止めて貰える??」

「止めなさい、イーリス」


 うん、まぁ言いたい事はとても良く分かる。

 つい本音が出てしまった妹を、姉が慌てて咎めた。

 アウローラも軽く睨み返すだけで、それ以上の事はしなかった。

 彼女も、自分より前に創造された存在をどう思っているのか。

 感傷的になってる――って事はなさそうだが。


「……奴がどういう経緯で神になったのかは、理解できたわ」


 淡々と。

 冷えた声の内に、熱く煮え滾る敵意を込めて。

 《巨人殺し》の少女は言葉を紡ぐ。


「それでも奴は、《巨人》なんでしょう?」

「……そうだ。奴は《巨人》だ。

 陛下の慈悲を無碍にし、同胞であるはずの神に刃を向けた。

 本音を言えば、今すぐにでも《裁神》の責務を果たしたいところだ。

 《人界》の秩序を奴は蔑ろにした。

 決して許されることではない」

「けど、そうはしないのだな。貴女は」

「当然だ。

 試練を越えたお前たちを、私は《鬼神》に託された。

 その上で陛下からの命もある。

 《裁神》の権利は重いが、今の私の務めもそれと同じく重いものだ」


 テレサの問いに、アストレアは即答する。

 それから横目で《巨人殺し》を見た。


「奴を殺したいか、《巨人殺し》」

「アレが《巨人》であるのなら、私は殺す以外にない」

「本来なら、神に人間が刃を向けるなど不遜と言うところだが。

 あのクズに関しては例外だ。

 手前勝手な理屈で同胞を害した奴は、最早ただの大罪人に過ぎん」

「つまり、試練とか関係なしにアイツはぶっ殺して良いワケか」

「あぁそうだ。

 しかし、奴は決して容易い相手ではない」


 応えながら、アストレアは奥歯を強く噛み締めた。

 まぁどんなクズでも神様だしな。

 手負いとはいえ、足止めにはあの《鬼神》が残った。

 にも関わらず、「《秘神》が負けた」可能性をアストレアは口にしない。

 それだけでも十分過ぎるぐらい相手の強大さが理解できた。


「その上、あの男は狭量で蛇のように執念深い。

 目的は不明瞭……いや、そもそも深く考えてすらいないかもしれないが。

 兎も角、このまま私たちを見逃す事だけはあり得まい。

 確実にまた狙ってくるはずだ」

「殴りかかってくるのなら、殴り返してやれば良かろうな」


 ボレアスは笑う。

 まったく正論だと思うので、こっちも頷いておいた。


「《秘神》がどんだけ強いか、ってのは分からんけどな。

 少なくとも《鬼神》は死ぬほど強かった。

 追いかけて来たとしても、向こうも無傷じゃ済まんだろう」

「……そうね、レックスの言う通り。

 ただ、普通はそこまで手負いになったら一旦諦めそうな気もするけど」

「それは理性的な者の理屈だな。

 あの男は雑多な《巨人》のようにケダモノではない。

 だが、その知性と品性に関してはある意味ではケダモノ以下だ」

「メチャクチャ言われてんな」


 アストレアの物言いに、イーリスがやや呆れ顔で笑う。

 イーリスさんも普段から似たようなものでは、と。

 ちょっと思ったけど言わないでおく。

 絶対に十倍ぐらいになって返ってくるからだ。


「オイ、内心が面に出てるぞスケベ兜」

「兜越しで面は見えてないはずなんだよなぁ。

 で、まぁアレがあんまり頭良くなさそうなのは何となく分かるわ」

「そうだ、貴様よりも遥かにあの男は愚かだ。

 愚かだからこそ、時にこちらの想像もしなかったような浅はかな真似をする」


 だからこそ、逆に油断はできないと。

 アストレアは苦虫を噛み潰した顔で語った。

 確かに、時には馬鹿ほど怖い生き物もいない。

 神である以上は強さもぶっ飛んでるはずだし、油断して良い相手じゃないだろう。


「どうあれ、アレが《巨人》なら殺す」


 ただ一人、ブレない敵意を口にする。

 《巨人殺し》の少女からは、普段以上の殺る気が感じられた。

 全開過ぎて、傍から見てちょっと心配になるぐらいだ。

 ……そういえば、《秘神》との初遭遇時にちょっと様子もおかしかった気がする。

 その辺りは大丈夫だろうか。


「なぁ、大丈夫か?」

「質問の意図が分からない」

「いや、何となくな」

「…………問題ない。確かに、少し冷静さを欠いているけど」


 細く息を吐いて、《巨人殺し》は軽く頭を振る。

 冷静じゃない、って自覚があるなら多分大丈夫か?


『……心配かけて悪いな。

 ブラザーについては、俺の方で見ておく。

 だから大丈夫だ』

「分かった。ただ、あんまり無理はするなよ?」

『あぁ、ヤバそうなら素直に頼らせて貰うさ』


 ちょっとだけ顔を出した黒蛇が、小さく笑った気がした。

 うん、そう言えるなら問題ないだろう。

 もし何かあれば、こっちもがんばれば良い話だしな。


「ホント、そういうお節介が好きよね?」

「別にそういうワケじゃあないんだけどなぁ」


 軽く指で突いてくるアウローラ。

 そんな彼女の言葉に、俺は笑いながら応えた。

 《巨人殺し》には、ここまででも大分世話になったしな。

 その分はちゃんと返したいってだけの話ではある。

 相手の方は貸し借りとも考えてないかもだが、それはそれだ。


「……なぁ、なんか変な感じしないか?」

「うん?」


 不意に、テレサに抱えられたイーリスが不安げな声をこぼした。

 不安……というよりは、不快か?

 自分の耳を手で抑えたりしながら、視線を辺りに巡らせる。

 俺の方は特に何も感じていないが……。


「イーリス、どうした? 変な感じとは?」

「何か、こう……声、か?

 変な音がどっからかずーっと聞こえてくるんだけど」

「アウローラ?」

「悪いけど、私は何も」

「…………」


 うん、良く分からん。

 ただアストレアが、またイーリスを観察するように見てるのがちょっと気になる。

 彼女はイーリスに起こった変化について、何か理解してるのだろうか。

 どうせなら、この場で確認しても。


「……おい、竜殺し」

「ん? どうした?」

「イーリスの方は良く分からんが、非常事態だ」

「おう」


 真剣な面持ちで、ボレアスは空に飛び上がる。

 高い位置から見える光景を確認し、それから舌打ち一つ。


「《巨人》だ」

「……数は?」

「分からん。距離はまだ随分あるが、正確な数は不明だ。

 ……両手の指では足りそうもない、ということぐらいしかハッキリせんな」

「マジかー」


 それこそ二、三匹なら大した問題じゃない。

 が、流石にそれだけの数に殺到されるのは面倒ってレベルを超えている。


「……《秘神》だな」


 呟くアストレアの声には、また凄まじい怒りが満ちていた。


「奴は上位者として、雑多な《巨人》どもを支配できる。

 これもまた戯れだろう。

 本人は出て来ず、雑魚をけしかけて眺めるつもりか」

「いい趣味してやがるなぁ」


 とはいえ、こうぼやいていても始まらない。

 向こうがそのつもりなら、こっちもどうにかするしかない。


「最悪な鬼ごっこになりそうね」

「なに、悪ふざけしてる奴に吠え面かかせてやればいい」


 冗談まじりに言って見たら、アウローラは少しきょとんとした顔をした。

 それからにじむような微笑みを見せて、大きく頷いた。

 最悪な鬼ごっこ。

 まさにアウローラの言う通りだが、俺の中には結構なやる気がみなぎってきた。


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