幕間3:道化は愚かな神と踊る


「……コイツはまた恐ろしいな」


 引き裂かれ、破壊の限りを尽くされた荒野。

 その天変地異が起こった跡に、降り立ったのは一人の伊達男。

 カーライルは畏怖を込めた声で呟いた。

 本当に恐ろしい。

 男は身を潜め、間接的にしか状況を確認してはいない。

 故にその戦いを直に目にしてはいなかったが。


「何だ、引き篭もっていたと思ったらようやく顔を出したのか」

「ええ。一先ず事が済んだようでしたので」


 上機嫌な声に、カーライルは恭しく一礼をする。

 恐るべき破壊の中心。

 其処には神の姿があった。

 今は協力者である十の神々が一柱、《秘神》アベル。

 染み一つなかった白装束は見る影もなく、晒された身体はボロボロだ。

 左腕など根本からもげており、戦闘の凄まじさを物語っている。

 そんな状態ではあるが、《秘神》は酷く機嫌が良かった。

 その理由は、足元に倒れているもう一柱の神がいるからだ。


「勝ちましたか」

「あぁ、手負いの割に随分と手こずらされたがね」


 カーライルの確認に、《秘神》は笑いながら応えた。

 《鬼神》バサラ。

 その名をカーライルは知らない。

 ただ成り行きとして、カーライルは《秘神》の「思いつき」に手を貸しただけ。

 倒れた《鬼神》だが、装甲に殆ど傷はない。

 一つだけ腕と肩を切り裂かれた、深い亀裂だけが目立っていた。


「あぁまったく、流石は《鬼神》と言わざるを得ないね!

 私でもこの最強の鎧を破るのは手間だった。

 この傷がなければ、或いはもう少しぐらいは手こずっていたかもしれんな」

「でしょうね」


 同意すれば、《秘神》はますます機嫌を良くしたようだった。

 最早用はないとばかりに、倒れたまま動かぬ《鬼神》をつま先で蹴飛ばす。


「だが、所詮は若造だ。

 最古の神である私に挑む愚かさを、今頃悔いているだろうね」

「殺したのですか?」

「いいや、神は不死だ。不滅と言い換えても良い。

 故に肉体の死に意味はない。

 放っておけば不滅である魂が肉体を再生して復活する。

 ――本来ならばな」


 勿体ぶった言い回し。

 《秘神》はわざとらしく自分の腹の辺りを指で示した。

 この男が、同胞であるはずの相手に何をしたのか。

 それだけの動作でも理解するには十分だった。


「なるほど、

「そうだ、その通りだ!

 神たるその魂を喰らい、我が身の内に取り込んだ!

 如何に不滅であろうと、こうなってしまえば関係がない!

 《鬼神》の力は最早私の力の一部だ!」


 仰々しく両手――いや、一本だけの腕を広げて。

 《秘神》アベルは高らかに笑った。

 それは死せる荒野の真ん中で虚しく響き渡る。

 カーライルはいっそ拍手でもしてやろうかと考えた。

 が、流石にそれは間抜けが過ぎるなと、上げかけた手をすぐに下ろした。

 そんな動きに《秘神》は気付かない。

 気付かず、ただ自らの栄光を誇るために笑っていた。


「……しかし、宜しいのですか?」

「? 何がかね」

「同じ神を殺したとあっては、他の神々が黙っていないのでは?」

「何だ、そんな事か。

 さて、アストレア辺りは怒り心頭だろう。

 他にも怒り狂う神は何柱か心当たりはあるがね」


 複数の神を敵に回す事になる。

 その事実を認識しながらも、《秘神》は余裕の構えだ。


「だが、今や《鬼神》の力を取り込んだ私が恐れる程の事でもない。

 相手が三神だと言うなら話は別だが、それはあり得ん事だ」

「三神……王に仕える最も古き神々でしたか。

 流石の《秘神》も、三神に関しては恐れていると?」

「……口を慎み給えよ、人間」

「おっと、これは失礼」


 ギロリと睨まれ、カーライルは軽く一礼をする。

 その態度もどこか慇懃無礼なものではあった。

 しかし、《秘神》はそれ以上咎める事はしない。

 余裕がある風に取り繕ってはいても、負傷の重さは隠し難いのだろう。

 当然、カーライルもそれは理解していた。

 傷は重い――が、それでも《秘神》は強大な存在だ。

 なるべく機嫌を損ねないよう、頭を低くするのが得策だった。


「……まぁ、あまり見栄を張っても仕方ない。

 お前の言う通り、如何に私でも《最古の三神》は脅威だ。

 この星における本当の意味での『神』。

 真に最も古き神々の力は、コレのような紛い物の神とは比較にもならん」


 そう言って、《秘神》は動かぬ《鬼神》を見下ろす。

 紛い物。そう、全て紛い物だ。

 現在、《人界》に君臨している十の神々。

 その多くは偉大なる王から権利と力を与えられた半神半人に過ぎない。

 人間が過ぎた力を与えられ、神と名乗り振る舞っている。

 その滑稽さを《秘神》は嘲った。

 己もまた立場としては似たモノだが、それについては完全に棚上げした上で。

 神となる以前からであるという自負。

 故に《秘神》は三神以外の神々を等しく見下していた。

 その例外であるはずの三神すらも――。


「だが、三神についても恐れる必要などない。何故か分かるかね?」

「生憎と神々の事情には無知なもので。

 お教え頂けますか?」

「良いとも、能無しの猿に叡智を施すのも神の役割だろう。

 ……とはいえ、そう難しい話でもない。

 今や《最古の三神》も、《人界》に留まっているのは一柱だけだから」

「ほう?」


 興味深い話に、カーライルはほんの僅かに素の顔を覗かせる。

 神として尊大に振る舞う事に熱中する《秘神》は、当然それに気付かない。


「《裁神》――アストレアの先代にあたる神は、海の彼方へ去った。

 神の座も娘に継承されている辺り、神としては完全に消失したのだろう。

 アストレアの力も確かに強大だが、三神であった母には遠く及ばん程度だ」

「では、もう一神は?」

「それについては、私も詳しくは知らん。

 ただ、いつの間にか《人界》から姿を消していた。

 唯一、《人界》に留まっている三神。

 《星神》シャレムは、『奴はもう《人界》には戻らない』とだけ語っていたな」

「ふむ、なるほど」


 後者については、「兎に角行方不明になった」以上の事は分からない。

 それがカーライルには何となく引っかかった。

 仮にも最も古い神が、そんな雑な扱いで問題ないのかと。

 しかし《秘神》にとって、「脅威となる神が不在」という事実の方が重要だった。

 一応、まだ《星神》シャレムは変わらず在り続けているが。


「シャレムを恐れる意味はない。

 今や奴は唯一の三神で、代わりのいない王の右腕だ。

 《星神》は決して《人界》からは動かない。

 動かぬ神を恐れる理由など一つもありはしないだろう?」

「仰る通りかと」

「そうだろう、そうだろう」


 そう、何も恐れる必要などない。

 《星神》は動けず、王が直接咎めに出ることもあり得ない。

 王は《人界》を創造した偉大なる者。

 人類にとっては疑う余地もない救済者だ。

 しかし、役割に飽いている王は同時に暴君でもある。

 《人界》を穢そうとしない限り、王自らが制裁に乗り出す可能性は皆無。

 《秘神》もその点は弁えていた。


「それで、これからどうするおつもりで?」

「先ずは傷を癒やす。

 とはいえ、完全に塞がるのを待っては時間が掛かり過ぎる。

 取り込んだ《鬼神》の力さえ馴染めば、多少のダメージなど無いも同然だ。

 それまで待てば十分だ」


 その考えも酷い慢心ではあった。

 しかし傲慢さも納得が行く程度には《秘神》は強大な神だ。

 故にカーライルは何も言わない。

 道化は語らず、暴君は己の欲望のままに振る舞う。


「その後は、当然『続き』だ。

 《巡礼の道》の正規ルートは私も把握している」

「力が馴染むのを待って追いつけますか?」

「《人界》まで、人間の足ではまだまだ随分と距離がある。

 人は進むのに制約があるが、神たる私にそんなものはないんだよ」


 一歩一歩、道を踏んで行かなければいけない人間と。

 自由に空を渡ることのできる神。

 確かにこの条件では、距離の差など無いも同然だろう。

 《秘神》はまったく焦らず、完全に余裕の構えだ。

 それに対し、道化たるカーライルは初めて異なる意見を口にする。


「……ですが、本当に宜しいので?」

「? 何がだね」

「貴方の言う通り、人間の足では神に追われれば一溜りもない。

 だが、貴方の目的はあくまで《裁神》アストレアのはず。

 彼女もまた同じ神ならば、《人界》に戻ろうと思えばすぐに戻れるはず。

 足手まといの人間など、振り捨ててしまえば良いのでは?」

「む……」


 指摘を受け、《秘神》は小さく唸る。

 更にカーライルは言葉を続けた。


「《鬼神》の力を取り込み、それを完全なモノとしたならば。

 なるほど、貴方は三神以外には並ぶ者なき神となるでしょう。

 ですが《裁神》が《人界》に戻り、今回の事を《星神》に伝えてしまったら?

 全ての神々が一度に貴方を罰するために動く、という可能性も考えられる」

「…………」


 沈黙。

 カーライルの忠告を、《秘神》は思案する。

 ――アストレアは裁きの神。

 彼女の権利は《人界》の法を犯した者を裁く事だ。

 先ほど半ば屁理屈で《鬼神》に戦闘を仕掛けたばかりの《秘神》。

 あの行為をアストレアは認めていなかった。

 そして《星神》シャレムは、友人の娘であるアストレアを溺愛している。

 そのラインが繋がった場合、酷く面倒な事になるのでは?

 此処に至ってようやく、《秘神》はその可能性に思い至った。

 ――よろしくない。

 そう、これは大変よろしくない状況かもしれない。


「……すぐに追うべきか?」

「いえ、貴方の傷が軽くないのは事実。

 ご自身でも判断した通り、最低限は《鬼神》の力が馴染むのを待つべきでしょう」

「……そうか。そうだな。ではそうしよう。

 状況は良くはないが、確かにそこまで焦る必要もないな」


 《秘神》は自身の判断の正しさを感じ、満足げに笑う。

 カーライルの方も満面の笑みだ。

 全て万事順調に進んでいると、互いに笑い合う。

 と――笑顔だった《秘神》だが、不意に眉根を寄せて小さく唸ってみせた。


「……ふむ、そういえば」

「? 何か?」

「いや、私も気付いたのはついさっきでね。

 しかもその時は《鬼神》を相手にせねばならなかった故、構う余裕もなかったが」


 何やら一人で納得しながら語る《秘神》。

 当然、カーライルの方はそれでは意味が分からない。

 訝しむ道化を横目に眺めながら、《秘神》は大きく口角を吊り上げた。

 それは酷く嫌らしい、悪意に満ちた笑顔だった。


「昔……と言っても、私は神だからね。

 人間からすれば随分と昔、私にとってはほんの少しばかり昔の事だ。

 ある《庭》の人間を使って、ちょっとした実験をした事があった」

「実験?」

「そうだ。まぁ、今にすればつまらない試みだったがね。

 結局上手く行かず、この瞬間までは記憶から忘却していたぐらいだよ。

 微かに知っている気配を感じたおかげで、奇跡的に思い出せた」


 カーライルに聞かせているようで、《秘神》の言葉は独り言に近い。

 いつもの事ではあった。

 他者ではなく己に聞かせる言葉を《秘神》は口にし続ける。


「あぁしかし、まさか生き残りがいたとは!

 てっきり全滅したかと思ったが、私が見落としていただけか?

 ……まぁ、そういう事もあるだろうさ。

 偉大なる神である私から見れば、人間の命など矮小に過ぎる」


 故に見落としがあっても仕方がないと。

 《秘神》はごく自然と、自らの落ち度を正当化して片付ける。

 事情など、詳しくは知らないカーライルは何も言わない。

 ただ、必要のある事だけを確認する。


「何をお考えですか? 偉大なる《秘神》よ」

「お遊びだよ、協力者殿。

 なに、そう悪いようにはしない。だから心配する事など無いとも」

「悪い顔をなさって言う事ではありますまい」


 やや呆れた顔で、カーライルは肩を竦める。

 そんな道化の態度を《秘神》は咎めることはしなかった。

 むしろ愉快げに笑みを深くするのみ。


「どうぞ貴方の御心のままに。

 私には私の目的があり、貴方を利用する。

 貴方も御自身の望みのために、私を利用すれば良い。

 過不足のない完璧な関係性かと」

「あぁ、この《秘神》アベルもそれを認めよう。

 愚かな人間が神を利用しようなどと宣う思い上がり。

 今一時だけなら慈悲深く許そう」

「感謝致します、偉大なる《秘神》よ」


 わざとらしく、白々しく。

 深々と頭を下げるカーライル。

 当たり前のように《秘神》は道化の事など信用してはいない。

 しかしその利用価値そのものは認めていた。

 ――精々、浅はかに踊ってみせるが良い。

 言葉には出さず、神は自分以外の全てを嘲笑った。

 

「アストレアの魂すら我が物にしたならば。

 最早この地に、私に肩を並べる者などいなくなるだろう」


 完璧で完全な未来予想図。

 その定まった結果を口にしながら《秘神》は笑う。

 獲物である《裁神》に、忘れ去っていたはずの実験体。

 そして道化の狙いでもある、海の彼方からやって来た異邦人たち。

 その中でも特に《秘神》の興味を引くのは――。


「……さて」


 いつの間にか。

 千切れていたはずの腕を再生した《秘神》は、その動きを確かめる。

 ボロボロだった身体も気付けば傷一つない。

 ……綺麗に見えるのは、あくまで表面の部分だけ。

 《鬼神》から受けたダメージは、そう簡単に回復する事はない。

 それを差し引いても《秘神》は強大極まりない。

 カーライルも、間近で見ていなければ無傷だと誤解しただろう。


「行こうか。

 万が一、アストレアが《人界》に逃げ込んだら面倒だ」


 さも自分がその危険に気付いたと言わんばかりの物言いだった。

 カーライルは何も言わない。

 ただ恭しく頭を下げるだけだ。

 そして一言。


「貴方の望むままに、偉大なる《秘神》よ」


 耳に心地良く、胸に染み透るような。

 そんな声で、愚かなる神を肯定するのだった。


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