365話:《秘神》の思惑


 明らかにヤバそうな奴だった。

 物言いからしても、恐らくアストレアたちと同じ《人界》の神。

 翼もなく、魔法を使ってる気配もなしに空に立つ。

 後は見下ろす眼差しから感じる圧力。

 どう見ても尋常な存在じゃない事は即理解できた。

 ただ、それ以上に。


「……何をしに来た、《秘神》」

「? 今言った通りだとも、アストレア」


 唸る声で問いかけるアストレア。

 そんな彼女の反応に、男――《秘神》は心底不思議そうに首を傾げた。

 本当に何を言っているのか分からないと。

 《秘神》は大げさな動作で肩を竦めてみせた。


「彼らは人間でありながら、不遜にも神に傷を付けた。

 嗚呼まったく、許しがたい大罪だ。これほどの穢れが他にあろうか!

 故に私が来たのだよ。

 《人界》で最も古く、最も偉大なる神!!

 《秘神》アベルの行うところに、何も間違いなどありはしない。

 だからこの場は全て、私に任せておけば良い」


 笑う。

 《秘神》アベルは笑っている。

 自分の語る言葉が一点の曇りもなく真実だと。

 言っている自身が完璧に信じている様子だった。

 ――うん、ヤバいなコイツ。

 強さがどうとか、そういう次元とはまったく別物のヤバさだ。

 唯我独尊の極みと言うべきか。

 この世の全てが自分中心に都合よく回っていると、本気で思い込んでるタイプだ。

 正直、拘らずにスルーしたい相手だな。


「……レックス」

「とりあえず、全員できれば離れないようにな」


 傍らで、アウローラが俺の名を呼んだ。

 どうするのか、と。

 下手に動くのも危険な状況だ。

 個別に叩かれるのだけは避けたい。

 応えながら、剣を握り直して上空の《秘神》を見る。

 さて、ぶっちゃけこっから万全な神様相手にもう一戦はキツいな。


「……ふん?」


 目が合う。

 《秘神》は俺を見ながら、少しだけ首を傾げた。

 眉根を寄せて、何か訝しむような表情で。


「面白いね。そんなボロボロの身体で、神たる私と戦う気かね?」

「そりゃあやる気なら相手するぞ」

「ハハハ、道化者の戯言にしては上質だ!

 万が一にも、勝てるなどと思い上がってはいないだろうね?」

「そっちこそ、負けた時の言い訳ぐらいは考えておいたらどうだ?」


 俺としては、ちょっとした皮肉ぐらいのつもりだった。

 相手の調子に合わせた何気ない一言。


「…………負ける?

 私が、負ける? 瀕死の虫ケラ相手にかね?」


 それに対する《秘神》の反応は、予想外に劇的だった。

 余裕っぽい表情は一変し、怒りに満ちた眼が俺を睨みつける。

 嘘だろ、今のでブチギレたの?

 流石に戸惑ったが、《秘神》の方はお構いなしだ。


「無礼な――いいやそれ以上だ、万死に値する!!

 私が誰なのか、何者であるのか!!

 私はお前たちに伝えたはずだ、過不足なく!!

 だというのに、敬う事も忘れて斯様な戯言を口にするなど!!

 愚か、愚か愚か愚か!!

 何という愚鈍で下等な生命体なのだ!!」

「うわぁ」


 ヤバいとは思っていたが、予想を超えるヤバさだった。

 マジギレして空の上で地団駄を踏む《秘神》。

 アウローラも絶句してるし、他も大体似たような反応だ。

 いやちょっと、真面目に関わり合いになりたくないな。

 しかし意図してないとはいえ、地雷を踏んづけてしまったのは俺の方だ。

 当然、《秘神》は無視してくれるはずもない。


「……よし。


 一言。

 激情で震える声から一点して、氷のように冷え切った言葉。

 《秘神》が軽く手をかざす。

 たったそれだけの動作で、破壊的な「何か」が襲ってきた。

 目に見えない力場による攻撃か。

 正体は判然としない。

 確実に言えるのは、《秘神》は目に見える範囲を雑に薙ぎ払いに来た事だけ。

 当然、回避など出来るはずもなく。


「ッ……!!」


 衝撃が世界そのものを激しく揺さぶる。

 まるで見えない《巨人》が暴れたみたいな。

 乾いた大地は無惨に引き裂かれたが、俺たちに大きな影響はなかった。

 その理由は――。


「いきなり出てきて、勝手に話を進めないで貰えるかな?」


 《鬼神》だ。

 傷はそのままで、かなりしんどそうではあるが。

 俺たちの前に立って、《秘神》の攻撃をその装甲で止めてくれていた。

 同胞である神の行動を見て、空に立つ《秘神》は眼を細める。


「どういうつもりかね、バサラ」

「それはこっちの台詞だと思うけどね、《秘神》。

 《巡礼の道》の試練として招かれたのは俺だ。

 その邪魔をするならさっさと自分の領域に戻ってくれないかな?」

「先に述べた通り、私は神の威信を護るために……」

「人間相手によってたかって殺そうとする。

 そんな真似をして何が神の威信だ、馬鹿じゃないのかい?」


 ほんの僅かではあるが。

 淡々と語る《鬼神》の言葉には怒りが滲んでいた。

 どうやら《秘神》のやり口がよほど腹に据えかねたらしい。

 アストレアも敵意むき出しの眼で《秘神》を睨む。


「バサラの言う通りだ。

 この者たちは確かに裁くべき罪人ではある。

 しかし《巡礼の道》の試練に挑み、これに打ち勝ったのもまた事実。

 それを貴様の浅薄な思想で穢すことは罷りならん」

「……アストレア、君までそんな事を言うのかい?

 私は《人界》のことを考えてだね――」

「気安く名前で呼ぶな、虫唾が走る」


 うーん、凄い嫌われ方してんな?

 二柱の神に睨まれて、《秘神》は僅かに動きを止める。

 さて、これで引き下がってくれるのが一番だけどな。


「…………分かった。あぁ、分かったよ。

 実に悲しい事だが、君等の言い分は理解した」


 仰々しく、わざとらしく。

 この世の全ての悲劇を嘆くみたいに、《秘神》は天を仰いだ。

 アストレアも《鬼神》も警戒を解かない。

 どう見てもヤバい事を言い出す前触れなので、こっちも身構えたまま。


「――つまり、君たちは私の『権利』の行使を妨害しようと言うワケだね?」

「はん?」


 権利の行使?

 いきなり何の話だ?


『……《人界》の神々。

 連中は「それを行う事を王から許されている」という権利を持ってる』

「クロ?」


 黙って様子を見ていた《巨人殺し》。

 彼女の胸元から、苦り切った黒蛇の声が聞こえてきた。


『不味いな、あのド腐れ。

 最初っからコレが狙いかよ』

「分かるように説明して」

 例えば《鬼神》なら、「荒野で出会う全ての生物を殺害する権利」を持ってる。

 この権利は《人界》の王が許したもの。

 例え神々であっても、その権利を行使する事は邪魔できない。

 もしそうなったら、神は自らの権利を護ることが許されている。

 それは「神々の争いを禁ずる」という《人界》の基本則より上なんだよ』

「……なるほどなぁ」


 つまり、あの《秘神》って奴の狙いは最初からソレだったワケか。

 あれほど俺に対して怒り狂っていたのに。

 今はもう完全に興味を失ったようで、《秘神》の眼は同胞である神々を見ていた。

 特に弱っている《鬼神》に熱い視線を向けている。


「私の権利は、『私が完全・完璧な存在である事を証明する』事だ。

 これは偉大なる王が私に認めた正当なる権利!

 ――嗚呼、だが悲しいかな。

 私は私が完全な神であると、完璧で無謬なる存在である事を。

 それを証明するために、完全な善意で無様な君たちに手を差し伸べたというのに。

 君たちはそんな私の厚意を、くだらぬ理屈で無碍にしてしまった!

 これほど許されぬ蛮行が他にあろうかっ!!」

「……正気で言ってるのか、貴様は」


 空々しい演説をぶちまける《秘神》。

 それに対し、アストレアは不快そうに顔を歪めながら身構えた。

 いつでも「剣」を出せると示した臨戦態勢。

 しかし、それを空から眺める《秘神》は余裕の表情だ。


「おっと、《裁神》アストレア。公正にして公平な神罰の執行者よ。

 何故に神の同胞たる私に刃を向けようとするのかね?

 私は私の権利を侵害された、されてしまった!

 故にそれを護るという義務を果たそうとしているだけだ。

 逆に君の方は、私に剣を向けるだけの正当性があるのかね?」

「能無しの木偶の坊が。

 誰かに屁理屈のこね方でも吹き込まれたか?」

「おっと――今の品性に乏しい侮辱も、私の完全性を損なう行為だ。

 これは見逃すワケにはいかなくなったねぇ?」


 ストレートな罵倒にまぁまぁキレそうだろうに。

 微妙に顔をひきつらせながら、敢えて余裕ぶった態度で《秘神》は笑う。

 ……さて。

 これは思った以上に面倒な事態になってきたな。


「……このまま放っておいて逃げた方が良くねぇか?」

「私もイーリスの意見に賛成です。

 この場に留まるのは得策ではないかと」

『あぁ、そっちのお嬢さん二人の言う通りだ。

 《秘神》の奴、完全にここでやる気だ。

 ブラザーも、神様の喧嘩なんぞに巻き込まれたくはないだろ?』

「……まぁ、それはそうね」


 姉妹の言葉に、黒蛇の方も賛同の声をあげる。

 《巨人殺し》も頷くが、何故か微妙に上の空だ。

 どうやら、彼女は空に立つ《秘神》に注意を向けているようだった。

 警戒している――とも、雰囲気が違う気がする。

 何となく嫌な感じはしたが、そちらにばかり気を取られてもいられない。


「……問題は、案内役までやる気満々な事よね」

『多分、この場で一番ブキヂレているようだしな』

「それがな」


 アウローラとボレアス。

 二人の言葉に頷いてから、アストレアの様子を確認する。

 彼女らの言った通り。

 アストレアは敵意も戦意も剥き出しで《秘神》の奴を睨んでいた。

 やる気出してるのは本人の問題なので、それ自体は別に良いんだけど。

 今の彼女は《巡礼の道》の案内役。

 それ無しで目印もない荒野を進み、何処にあるかも不明な《人界》を目指す。

 馬鹿な俺でも、それがどれだけ無謀かぐらいな理解できた。


「警告は一度だけだぞ、《秘神》。

 神罰を受けたくないならさっさと消え失せろ」

「おっと、私は正しい行いをしてるだけだよアストレア。

 君こそ、理由もなく他の神と争うなどという罪深い事を考えてるのかな?

 偉大な母君から預かった《裁神》の名が地に落ちるぞ」

「このゴミ屑が、言葉が過ぎるぞ……!」

「沸点低い奴同士で煽りあってやがる……」


 イーリスさんの言いたい事はとても良く分かる。

 アストレアにしろ《秘神》にしろ。

 低い怒りの沸点はとうに限界突破していた。

 恐らく数秒後には神様同士の戦争が始まるだろう――その刹那。


「止めなよ、アストレア」


 《鬼神》が、その一言と共にアストレアを押し留めた。

 俺との戦いで受けた傷も、まだ生々しい状態で。

 何でもない事のように一歩前に歩み出る。

 言葉で語らずとも、意図するところはあまりに明白だ。

 怒りに我を忘れかけていたアストレアも、流石に一瞬で顔色が変わる。


「待て、バサラ」

「試練は俺の負けで、彼らには先に進む権利がある。

 けれど正しく《巡礼の道》を辿るなら、君の助けが必要なはずだ」


 だから。


鹿

 だから、その間に早く先に進むと良い」


 そうするのが当たり前だと。

 本当に軽い調子で言ってのけた。

 《秘神》は口元を軽く手で抑えて、完全に様子見の構えだ。

 あっちにしても、手負いが一人だけ残るのは好都合だからだろう。

 器の小ささが透けて見えるようだな。


「……本気か」

「冗談では言わないよ、こんな事」

「分かっているのか、奴は――」

「大丈夫、とは言わないけどね」


 更に言葉を重ねようとするアストレア。

 彼女の前で、《鬼神》は半ば断ち切られたままの右腕を上げる。

 そうしてから、ぐっと親指を立ててみせた。


「何とかするよ。これでも神様だからね

 あと、試練を越えた君たちを横槍で好き勝手されるのは我慢ならないな。

 だからレックス、君も遠慮なく行くといい」

「悪いな、神様。拝んでおいた方が良いか?」

「気持ちだけで十分だよ」


 そう言ってから、《鬼神》は改めて空の上の男を見た。

 笑う口元をわざとらしく隠した《秘神》を。


「さて、都合の良い展開だろう?

 裁きの神は今別件で忙しい。

 互いにお咎め無しで戦り合える」

「――不遜、不遜だなぁ若造が。

 この最古たる神の私に、そんな状態で勝てるとでも?」

「そういう猿芝居はどうでも良いよ」


 面白くもない冗談だと。

 《鬼神》はわざと大きくため息を吐いた。

 こちらには背を向けたまま。


「そら、早く行くんだ」


 それを別れの言葉に、《鬼神》は死地へと踏み込む。


「行こう」

「ッ……だが……!」

「俺も一回戦っただけだけどな。

 アイツはそんな弱い男じゃないだろ」


 今だって、別に玉砕覚悟で挑んでるわけじゃないはずだ。

 《鬼神》の纏う気配はその手の悲壮感は微塵もない。

 だから、こっちが心配する事は無いはずだ。

 躊躇うアストレアの手を、イーリスがぐいっと引っ張ってみせた。


「急ごうぜ、オレたちがグダグダしてたら邪魔になる」

「間違いないなぁ」

「ええ。だから、案内役はしっかりして頂戴」

「ッ……!」


 アウローラの言葉も重なり、アストレアは奥歯を噛みしめる。

 その激情も直ぐに振り切った様子で。


「こちらだ!! 遅れるようなら捨てて行くぞ!!」

「あぁ、分かってる」


 駆け出したアストレアの背に俺たちは続いていく。

 イーリスだけはテレサが抱え上げ、後は各々が全力で荒野を走る。

 程なくして、背後から凄まじい衝撃が轟く。

 《鬼神》と《秘神》の衝突。

 二柱の神の戦いを見届ける事なく、俺たちは《巡礼の道》を駆けていった。


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