298話:理由の不在


 ――暗闇の中を、ただひたすらに歩き続ける。

 時間の感覚は酷く曖昧だった。

 もう何年も歩いてる気がするし、まだ数分しか経ってない気もする。

 見えるのは真っ暗い世界に瞬く星の灯りだけ。

 いや、アレは空に見える星とは違う。

 大陸のあちこちに散らばった都市の輝き。

 クソッタレな世界で、それでも人間が生きるために必要な光だ。

 それがまた、オレが見てる前で一つ消えた。

 もう何度目だ?

 

「クソ」

『焦ってるかい、イーリス』

「テメェほど暢気に構えてられりゃ良いけどな」

 

 すぐ後ろから聞こえる声。

 若者とも老人ともつかない男の声。

 灰色の幽霊は、ふわふわとオレの後ろを付いて来る。

 

「目的地どこだよ」

『君の《奇跡》を掌握しているヘカーティアの魂、その本質。

 ここは彼女の内的世界だ。

 何処かにいるのは間違いないけど――』

「それがどこだって聞いてんだよクソッタレ」

 

 一応、今のオレは死んで魂だけになった状態であるらしい。

 イマイチ実感は湧かないが、何となく正しいのは分かる。

 殺され、その挙句に奪われてしまった《奇跡》。

 ソイツをどうにか取り返そうと行動に移ったワケだが……。

 

「全然、どこ行っても景色一つ変わらねェんだけど」

『まぁ、そうなるだろうね』

 

 後ろを向けば、そこには幽霊がいる。

 灰色で、かろうじて人型だって事しか分からない曖昧な「誰か」。

 ……何度考えても、心当たりは出て来ない。

 記憶の一部が不自然に欠けてしまったような違和感。

 オレを起こした見ず知らずの幽霊男。

 一度足を止めて、そちらに向き直った。

 

「言ってない事があるならハッキリ言えよ。

 どうにもお前、いちいち言うことが遠回しなんだよ」

『そんな事はないと思うけど。

 ……まぁ、今の俺たちは魂と精神だけで物理的な肉体はない。

 だから本来、物質としての距離には囚われないんだけど』

「だけど?」

『ヘカーティアは元は《五大》の一柱。

 今や大真竜の序列五位でもある大物だ。

 その魂は強大で、その器はどこまでも広大だ』

「ハッキリ言えって言ったばっかだぞオレ」

 

 ホント、いちいち物言いが迂遠過ぎる。

 イラつくオレの気配を察してか、幽霊は軽く咳払いをして。

 

『要するに、だだっ広いのさ。この場所は。

 アテもなく彷徨ってたら現実時間でどれだけ掛かるやら』

「そういうことは先に言えってんだよ!!」

『言う暇もなく君が先に行っちゃったんだろ??』

 

 首――どこが首かイマイチ分からんけど。

 軽く締め上げてやったら、幽霊はジタバタともがいた。

 クソっ、コイツに八つ当たりしても仕方ない。

 そうすぐに思い直して、オレは灰色から手を離す。

 ……いやしかし、実際どうすりゃいい?

 闇に浮かぶ光がまた一つ消えるのが見えた。

 

「……急がないとヤベェな」

 

 呟く。

 ヘカーティアは、大陸中の都市に《奇跡》による干渉を広げている。

 都市を運営するために必要な演算機能。

 それを一つ奪う度に、闇に瞬く明かりも一つ消える。

 少しずつだけど確実に。

 大真竜は、己の望みを叶えるために必要な力を集めている。

 

「……クソ」

 

 小さく毒吐きながら、自分の手を見る。

 《奇跡》を奪われてしまった、何の力も持たない無力な手だ。

 あるのが当たり前過ぎて、これまで考えた事もなかった。

 この「特別な力」があったからこそ、オレはどうにかやって来られた。

 それが無くなっちまえば、オレは「ただの人間」に過ぎないんだ――と。

 

『……大丈夫かな、イーリス?』

「大丈夫に見えるか?」

『まぁ死んでる状態だからね、大丈夫ではないか』

「引っ叩くぞ」

 

 ジョークなのかマジなのかも分かンねェよ。

 軽く睨んだが、幽霊は笑っているようだった。

 微妙に腹立つが、いちいちキレてても仕方がない。

 また歩き出そうとしても、足が止まる。

 ――結局、オレはどっちに向かえばいいんだ?

 何も持たずに向かうには、目の前の闇は余りにも広かった。

 

『諦めるかい?』

「…………」

『別に責めはしないよ。

 君ぐらいしか、ヘカーティアの蛮行を止められる者はいない。

 そう考えはしたけど、それすら藁に縋るのと同じだ。

 ダメならダメで、それは仕方のない事だよ』

「…………」

 

 幽霊が何かを言っている。

 応えずに、オレは兎に角頭を回す。

 無暗に歩き回っても、目指す場所へは辿り着けない。

 可能性はゼロじゃあないだろう。

 だがそんなもん、荒野に落とした砂粒一つを探すようなもんだ。

 運任せはあまりにも分が悪い。

 ――何か、何かないか。

 

『正直、俺がここで君を見つけられたのは奇跡の類だよ。

 気配とか、そういうのは知っていたから。

 だから縁を辿ってコッソリ入り込んだ上で何とか見つけられて……』

「なんだって?」

『いや、口が滑った。すまない、忘れて欲しい』

「…………」

 

 知っている。

 知っているから、見つけられた?

 灰色の幽霊が何者で、実はオレの事を知っていたとか。

 そんなのは今はどうでもいい。

 どうせ突っ込んでもはぐらかされて終わりだ。

 記憶を弄られてる可能性とか、今は放っておく。

 それよりも――。

 

「……知っている、か」

 

 その言葉を繰り返す。

 知っている。

 何も知らなければ、見つけられない。

 知っている……あぁ、そうだ。

 オレは知っているはずだ。

 思いつくまま、オレは両の目を閉じた。

 背後にいる灰色の幽霊が、怪訝そうな声を漏らす。

 

『? イーリス、どうした?』

「うるせェ、集中してんだから少し黙れ」

 

 唸るように言うと、幽霊は素直に口を閉じたようだった。

 それで良い。

 目を閉じて、耳を塞いで。

 オレは更に集中しようと意識を尖らせる。

 ……死んで、今のオレは魂だけ。

 肉体とか、そういう物理的な制限はないはずだ。

 身体だってあくまで「イーリス」という自分を見失わないための鋳型だ。

 そうだ、今の俺に肉体はない。

 その「感覚」は良く知ってるはずだ。

 これまでも何度か、意識だけを電子の海に沈めたように。

 

「っ――――」

 

 無茶をしてる自覚はあった。

 生身で魚の真似事をしているようなもんだ。

 軋むような苦痛を内側に感じるが、それはどうにか無視する。

 《奇跡》を持たないオレは無力だ。

 これまでみたいに、電子の流れに干渉する術はない。

 術はない――が、経験はある。

 オレの五感は、魂は覚えている。

 《奇跡》を使った時に生じる「力の流れ」を。

 ヘカーティアは、オレとは比較にならない強大さで能力を行使している。

 操られている膨大な電子の奔流。

 《奇跡》を失ったオレは、その「本来は見えない物」を無理やり知覚した。

 

「――よし」

 

 閉じていた目を開き、塞いでいた耳を放す。

 景色は相変らずだだっ広い暗闇だ。

 いつ消えるかも分からない都市の光が、星のように瞬いている。

 変わらない。

 何も変わらない。

 変わったのは、オレ自身の「見え方」だ。

 闇の中にうっすらと浮かび上がる光。

 それは「嵐」だった。

 オレの《奇跡》を、そのとんでもない魔力で無理やり強化して。

 大陸中の都市を呑み込もうと広がり続ける、ヘカーティアの起こしている嵐。

 こうしてる間も、嵐は膨張を続けている。

 

「行くぞ」

 

 背後の幽霊に一方的に言い放って、オレは再び歩き出す。

 どれだけデカかろうと、嵐には必ず「中心」がある。

 そこにいるのがヘカーティアの本質だ。

 

『……ホント、君は凄いな。流石に呆れるよ』

「褒めても何も出ねェぞ」

『今のをストレートに「褒めてる」と思えるのも凄いな』

 

 幽霊のクセに、ソイツは人間みたいに苦笑いを浮かべた。

 ……この幽霊の正体は、今は大して重要じゃない。

 少なくとも、オレに対しての敵意はなかった。

 間違いなく何か企んでいるんだろうけど。

 

「お前、ホントは何考えてるんだ?」

『…………』

 

 だから、とりあえず直接聞いてやった。

 灰色の幽霊は答えない。

 進む足は止めずに、ただ嵐の中心へと向かう。

 

『……君を助けるのが第一、っていうのは本当だよ?』

「あぁ、それについては感謝してる」

 

 皮肉でも何でもなく、間違いなく本音だった。

 あのままだったら、オレの意識とか精神は解けて消えていただろう。

 それをギリギリ引っ張り上げてくれたのは、この幽霊だ。

 感謝はしてる。本当に。

 

「で、それだけか?」

『それだけだって言えたら、きっと格好いいんだろうけどね』

 

 笑う。

 幽霊は笑っている。

 どこか自虐めいた響きのある笑い声だった。

 オレは、それについては何も言わない。

 

『……もし仮に君が無事に目覚めたとしても。

 俺と話した事とかは、綺麗に忘れて貰うつもりだ』

「だろうな。

 オレがお前が誰なのか分からないのも、そういう事なんだろう?」

『君は本当に聡明だな、イーリス。惚れてしまいそうだよ』

「オレはお前みたいな怪しい奴は真っ平ゴメンだけどな」

 

 これは手厳しいと、幽霊は呟く。

 顔も名前も、「自分が誰なのか」まで隠す奴が何を言ってんだか。

 男だったらもうちょっとぐらい堂々としろよ。

 

『……ヘカーティアは、自分の望みのために随分な無茶をしてる。

 ヤバい橋ではあるけど、こっちからしてもチャンスなのさ』

「チャンス?」

『目の上のタンコブだった大真竜。

 その一柱を無力化した上で、あわよくばその力の一部もかすめ取れる。

 ――かもしれないっていう状況なワケだよ。俺にとってはね』

「火事場泥棒が狙いかよ」

 

 呆れて今度はこっちが笑ってしまいそうだ。

 自虐めいた声で、幽霊も笑っていた。

 

『生憎とこっちは弱者なんだ。

 一度あの大真竜になった連中に盛大に負けた身でね。

 まぁ何とかひっくり返そうと足掻いてるのさ』

「一人でか?」

『協力者がいないワケではないが、まぁ一人とそう変わらないね』

『――――』

 

 また、灰色の幽霊は沈黙した。

 そこまでおかしなことを言ったつもりないんだけどな。

 

「そういう奴は、大体同じ失敗を繰り返すんだよな。

 アウローラもちょっと似た感じあるけど。

 あっちはまぁ、今は手綱握ってる彼氏がいるからな」

 

 あのトカゲの王様、あんま反省しないタイプだけど。

 一応男の言うことは素直に聞くからな。

 オレの言葉に、幽霊は何も言わない。

 コイツの物言いを信じるなら、目覚めた時にオレはこの会話を覚えてない。

 向こうもそのつもりだから、本音めいた事を言ってるんだろう。

 だったらまぁ、別に遠慮しなくて良いよな?

 

『……分かった風なことを言うな、君も』

「知らねェよ。お前が誰でどんだけ苦労したかとか。

 何がしたくてそんな姑息な真似してんのかとか。

 知らねェし、正直どうでもいい」

 

 ただ、言いたいことを言ってるだけ。

 相手がどう思おうが、オレにとってはそれだけだ。

 

『……これでも恩人なんだからさ。

 少しぐらいは優しい言葉も良いんじゃないかな?』

「求めてもいねェもんを要求してくんなよ。

 ……そうやって本音隠して、肝心な事は何も言わずに一人で抱え込むから。

 だから失敗して来たんじゃないのかよ。お前」

 

 詳しい事なんて一つも知らないけどな。

 大分適当言ってる自覚はある。

 けど、幽霊の方にはまぁまぁ心当たりがあるらしかった。

 沈黙。言葉は止まっても足は止めない。

 オレたちは確実に、この嵐の中心へと迫っている。

 

『……君は古い友人に似てるな』

「なんだよ突然」

『アイツは君みたいに乱暴な物言いじゃなかったけど。

 頑固で、自分を絶対に曲げず、相手が誰であれ遠慮はしなかった。

 そのクセ、他人のために平気で無茶をやらかす奴だったよ』

「……後者はオレには当てはまらないだろ」

『君自身はそう思ってるだろうけどね』

 

 幽霊は笑っている。

 顔も素性も、何もかもを隠した男。

 この場で別れた後には、オレの記憶からも隠れる予定の相手。

 ソイツは今この一時だけ、本音を見せているようだった。

 泡沫の夢みたいなものだとしても。

 

『良く似てるよ。アイツも、君も。

 何もかも違うように思えるのに、不思議とね』

「…………」

『コイツは何が言いたいんだって顔してるだろ、今。

 俺も同感だ。自分で何が言いたいのか分からなくなって来たよ』

 

 ケラケラと笑う声だけが、光が瞬く闇の中へと吸い込まれる。

 オレは何も言わなかった。

 黙って、懺悔めいた幽霊の言葉を聞いてやる。

 すぐに忘れるものだとしても、今だけは。

 

『嗚呼――ホント、最近は特にそう思うよ。

 俺は結局、何がしたかったんだろうな?』

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