101話:その声が語るもの
フラワーチャイルドさんの攻撃は激しくなる一方。
何処から沸き出すのか、黒い水は通路を埋め尽くす程。
無数の亡霊は奇怪な声で鳴き、《念動力》は嵐となって吹き荒れる。
その物量と質量は、私だけなら足を止めるしかなかったでしょう。
けれど、さっきまでと違って私は一人じゃない。
「守りは私がするから、貴方は気にせず突っ込んで」
「おう」
先を行くレックスにそう言葉を掛けながら、私は力を操る。
十数体分の《念動力》を押し返し、瓦礫の混じった黒水を受け止める。
レックスは躊躇なく剣を振るう。
竜すら殺す刃は水の壁を斬り裂き、実体を持たぬ亡霊を撫で斬りにする。
物理的に干渉不能な霊体なんて関係ない。
彼の持つ剣は竜を殺し、その魂を捕らえる刃。
その切っ先は霊体でも紙のように斬る事が出来る。
「コイツらは倒しても直ぐに沸いて来るわ!
抑えるべき本体は別の場所!」
「じゃあ無視でいいな……!」
先へ進む障害になる分だけ蹴散らして。
私とレックスは校舎の形をした異界の中を走る。
漂う瘴気に終わりはなく、フラワーチャイルドさんは執拗に追ってくるけど。
それはもう大した脅威じゃない。
「私一人でも仕留められなかったのに。
レックスまでいて敵うワケがないでしょう?」
「■■■■――!」
私の嘲りに、怪異は何と応えただろう。
結局その声の意味は分からず、ただ障害物として蹴散らす。
「あっち、それから階段を上がって」
「おう」
何度目かになる亡霊と黒水の遭遇。
それも悠々と突破して、私はレックスに行先を指示する。
随分と手間がかかったけど、怪異の本体らしき「人形」までもう少し。
こっちを片付けたら……面倒だけど、鏡の方も何とかしないと。
マレウスもいる事だし、多分大丈夫だと思うけど。
「……大丈夫か?」
「ええ。大丈夫、何でも無いわ」
少し黙り込んだせいで、心配させてしまったみたい。
気遣うレックスの声に私は軽く笑っておく。
今は他人の事を気にするより、目の前から片付けないと。
「なぁ、アウローラ」
「? なに?」
目的地はもう間もなく。
そんな時にレックスが声を掛けて来た。
何故か言葉に迷う様子の彼に、私は首を傾げる。
どうしたのかしら。
「いや、別に大した事じゃないんだけどな」
「ええ、何?」
「今、楽しいか?」
「??」
意図の読めない質問だった。
この状況で聞く事でもない気がするけど。
「まぁ、そうね。亡霊相手に鬼ごっこはアレだけど」
「結構楽しそうに見えるけどな」
「貴方が助けに来てくれたからよ。ありがとう」
「あそこで出くわしたのは偶然だけどな」
「アレが偶然なら、それはきっと運命よ」
こんな言葉、とても他に誰かがいる状況じゃ言えないわね。
なんて話をしている内に、目当ての場所に辿り着いた。
其処は何の変哲もない教室の一つ。
扉は硬く閉ざされていて、侵入する者を拒む意思で満ちていた。
当然、私達にはそんなものは関係無い。
「よっ」
レックスが剣を振れば、扉はただの板切れに変わる。
断ち割られた残骸を軽く蹴飛ばして、先ずはレックスが中へと入る。
広々とした四角形の空間。
誰もいないその場所に、ただ学習用の机だけが整然と並べられている。
その机の一つ。上に古ぼけた人形が置かれていた。
赤い髪に白いドレスを着た、子供が遊ぶような人形が。
「アレか?」
「ええ、《黄金夜会》のホーエンハイムってのが言ってた通りなら。
見つければ怪異は停止する、と言ってたけど……」
校舎内に漂う瘴気は変わらず。
むしろ人形を発見した時点で、この教室に一気に押し寄せてる気がする。
やっぱり見つけたぐらいじゃダメみたいね。
となれば、やる事は一つ。
「壊しましょうか。
あの人形が怪異の核である事は間違いなさそうだし」
「分かった」
レックスは剣を構え、私は術式を展開する。
そのまま一気に人形へ仕掛けるつもりだったけど。
「■■■■――――ッ!!」
やはり、そう簡単には行かないらしい。
怪異――フラワーチャイルドさんの叫びが夜の校舎に響き渡る。
人形を中心に真っ黒い水が溢れ出し、それを囲むように無数の亡霊も立ち上がる。
多分、これが最後の抵抗でしょうね。
「諦めが悪いったら無いわね」
「まぁ、向こうも必死なんだろう」
そう言いながら、相手が動き出すより早くレックスは切り込んでいく。
邪魔な机や椅子は蹴飛ばし、或いは怪異目掛けて投げ付ける。
向かって来るレックスに向けて放った《念動力》。
それは投擲された椅子に引っ掛かり、空中で粉砕して木屑を散らす。
一瞬生じた攻撃の隙間を縫ってレックスは走る。
私もそれを見ているだけじゃない。
「さぁ、鬼ごっこだかかくれんぼだか知らないけど。
これで遊びはおしまい」
容易く人体を捻り潰す《念動力》も。
建造物を圧壊させる程の質量を持つ黒い水も。
全部、私がいる限り意味はない。
レックスに向けられた攻撃は全て、私が力で叩き落す。
剣が閃く度に亡霊は断たれて消え去る。
苦し紛れの抵抗ぐらいじゃレックスは止められない。
亡霊による守りはどんどんと削り取られ、核である人形まであと少し。
私は必要な援護を飛ばしながら、後はそれを見ているだけでいい。
こっちはこれで終わりそうだけど、問題はマレウス達ね。
フラワーチャイルドさんを倒したからって、まさか放っていくわけにもいかないし。
ただ『合わせ鏡の怪』について、私は殆ど知識がないのが問題だ。
「……こんな事なら、ホーエンハイムに詳しく聞いておくべきだったわね」
あの時点でそんな余裕もなかったから仕方ないけれど。
少なくとも「鏡」が関係しているのは間違いない。
合わせ鏡と言うぐらいだし、あの階段にあった鏡も鍵となるはず。
安易だけど、あそこの鏡を使って合わせ鏡をするのがトリガーか……?
「…………?」
ふと、視線を感じた。
いえ視線自体はずっと感じている。
レックスがもう手を伸ばせば届く距離まで迫っている状況でも。
怪異は、フラワーチャイルドさんは私を見ていた。
敵意とはまた異なる、奇妙な感情を宿した瞳。
私が今回の生贄だから執着しているのか。
「……いい加減に諦めなさい。
もうどうしようもない事ぐらい分かるでしょう?」
何となくそう言ってはみたけど、まぁ意味は無いわね。
あの亡霊に自我があるかも怪しいし。
『学園長』とやらが仕掛けた術式が本質なら、アレは傀儡に近いはず。
自意識はなく、ただ機械的な動作を繰り返すだけの。
「■■■■」
また雑音に塗れた声。
聞き取れないのに、何故だか分かる事はある。
この怪異は同じ言葉を口にし続けている。
それこそ、機械的な繰り返しだ。
「終わりだな」
レックスの声は、無慈悲にその時を告げた。
亡霊の群れはその大半が切り払われ、黒い水の護りも破られた。
半ば無防備な状態で少女の人形が宙に浮かぶだけ。
これでこの怪異はおしまい。
さぁ、次はどうするかを考えて……。
「――タス、ケテ」
「え?」
それは誰の声?
たった一言だけ私の耳に届いたソレ。
その言葉が何かを確かめる前に、レックスの刃は振り下ろされた。
最後の瞬間は実に呆気なかった。
レックスの剣は真っ直ぐに人形を捉える。
布と綿で造られた身体は見た目通りの強度しかない。
容易くバラバラになった破片が地に落ちた。
同時に、残っていた亡霊も全て消え去る。
断末魔の叫びすら無く。
全てが幻であったかのようにいなくなった。
黒い水も同様で、後には水たまり一つさえ無い。
空気に漂う瘴気は霧散して、校舎には夜の静けさが戻りつつあった。
《七不思議》の一つ、フラワーチャイルドさん。
その怪異の停止を私は確信した。
「これで終わりか?」
「……そう、ね。そのはずよ」
怪異の気配はもう何処にも無い。
終わった。間違いなく。
そのはずなのに、妙に胸の奥で引っ掛かる。
それは最後に聞こえた声。
「……ねぇ、レックス」
「どうした?」
「貴方、聞こえた?」
「何がだ?」
彼は聞かれた意味が分からないようだった。
私の耳にはハッキリと聞こえていたのに、レックスには聞こえなかった?
《
あの声は確かに、音を伴って聞こえたはず。
それなら何故?
分からない。
どうにも分からない事が多すぎる。
かつては叡智を極め、魔導の高みに立った事もあるこの私が。
……いや、そもそも。
前提がおかしいような、気がする。
些細な思考に違和感が付き纏う。
何故、どうして、そんな単語が疑問符付きで頭の中を飛び交う。
考えろ、何がおかしいのか。
先ず前提とやらは何処にある?
それにこの《七不思議》は、一体何を目的にして――。
「……アウローラ」
私を呼ぶ声が、思考に沈みかけた私の意識を引き戻した。
夜の闇に浸された教室。
亡霊も黒い水も何処にも無く、それどころか戦闘の痕跡すら無い。
そんな場所で、私はいつの間にやらレックスに抱え上げられていた。
この体勢は、所謂――その、人間が俗に言うお姫様抱っこというヤツでは。
「大丈夫か?」
「ぁ……え、ええ。大丈夫、大丈夫だから」
何が大丈夫なのか、判然としないまま私は応える。
そう、大丈夫だ。私は大丈夫。
今、何か妙な事を考えていた気がするけど。
「流石にしんどいだろ。休むか?」
「けど、マレウス達が……」
「そっちは俺が何とかするから、無理しなくて良いんだぞ」
レックスは抱っこしたまま私の髪を撫でる。
なんだか今日は妙に優しい気がする。
いえ、彼はいつだって私には優しいけれど。
「……ねぇ、レックス」
「なんだ?」
「貴方、何か知ってるの?」
何故か今は霞が掛かったように浮かばない疑問。
それの答えを、彼が知っている気がした。
根拠なんて何処にも無い単なる勘。
だからレックスが一言否定すれば、きっとそれを信じたと思う。
「そうだな。全部じゃないが、多分知ってる」
けど彼は、私の言葉を肯定した。
やっぱり私はレックスの事を良く分かっている。
そんな自画自賛に思わず笑みがこぼれた。
彼が私に隠し事をしているのは、そうする必要があるから。
それについてはレックスの事を信頼している。
ただ、確かめておきたい事はあった。
「それは今、話せない事?」
「あぁ」
「今じゃなければ話してくれる?」
「そうだな。タイミングまでは明言できないが」
「なら、良いわ」
私に伝えるつもりがあるなら、それで十分。
改めて、私は彼の胸元に身を寄せる。
レックスの言う通り、少しだけ疲れているみたい。
「やっぱ休むか?」
「そうしたいのはやまやまだけど……。
貴方は、マレウス達を探しに行くんでしょう?」
「そうだな、一応何があるか分からんし」
「……そしたら、また貴方は私を置いて行ってしまうでしょう?」
離れたくないと。
言葉ではなく触れ合う事で示す。
このまま眠って、目覚めて。
其処に貴方がいなかったら、それは余りに寂しい。
子供の駄々みたいだと自分でも分かってる。
それでも何となく、言わずにはいられなかった。
まるで自分じゃない感情みたい。
「そうか。分かった」
「えっ?」
短く返って来た肯定に、私の方が驚いてしまった。
マレウスやテレサ、イーリスを放っておくわけにはいかない。
私もそう思っていたからこそビックリしてしまう。
「ちょっと我慢してくれよ」
言いながら、レックスはそのまま歩き出した。
当然、私を抱え上げたままで。
……これはちょっと予想していなかったわ。
「レックスっ?」
「離れたくないなら、一緒に行けば問題ないだろ。
あとマレウス達を探そうにも、俺が状況把握してないわ」
このまま行ったら単純に迷子になると。
私をお姫様抱っこした状態で、レックスは教室の外に出る。
……言われてみれば、彼は鏡の事とか知らないわね。
それなら一緒に行くしかない、はず。
「下ろしてくれても大丈夫よ?」
「いや、疲れてはいるだろ?
大して休めないと思うが、少しはマシだろ」
「それは……うん、そうね」
正直、ちょっとだけ恥ずかしいけど。
それ以上に私を気遣うレックスが愛しくて堪らない。
また兜を剥ぎ取ってしまおうかしら。
でも間違いなく歯止めが効かなくなるわね。
今は我慢。今だけは我慢します。
「早く、マレウス達を助けましょうか。
あの子達は階段の鏡に取り込まれたから、先ずは其処に行きましょう」
「鏡か。何かそんな《七不思議》あったよな」
「『合わせ鏡の怪』ね。
その名前の通り、合わせ鏡を覗くと未来が見えるとか。
確かそんな話だったと思う」
未来視か未来予測か。
そういう占術に属する魔法を連想する。
「実際どうなんだろうな、ソレ」
「フラワーチャイルドさんも願いを叶えるとか言ってたけど。
蓋を開けたら只管殺しに来る悪霊だったし、まぁその辺は眉唾よね。
マレウスや姉妹に危害を加えてる時点でアレだし」
「そういう話だよなぁ」
真面目に頷くレックスに、私は少し笑った。
抱えた状態で歩いているから、此方はそれなりに揺れる。
けれどその振動も心地良く感じてしまう。
早く彼との時間をゆっくり過ごしたい。
その為には、先ずやるべき事を済ませないと。
「さぁ、《七不思議》なんてさっさと片付けてしまいましょう」
「あぁ、仰せのままに」
夜の校舎に、私と彼の声だけが響いた。
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