幕間4:合わせ鏡に映る顔

 

 ――それは完全に油断だった。

 一番しっかりしていなければいけないのは「私」だったのに。

 行動を共にするのは、本当に久しぶりの「彼女」。

 私の姉である、今はアウローラと名乗る人。

 昔と比べて変わった処は多いけど、今も変わらず強く賢い竜の長子。

 彼女がいて、私や他の皆を助けてくれる姿があんまり頼もしくて。

 階段を上る途中、突然現れた「鏡」の対処に遅れてしまった。

 本当に、何の前触れもなく。

 踊り場に出現した一枚の古ぼけた鏡。

 それは私と、テレサとイーリスの二人を映し出した。

 鏡の中に見えるのは無限に連なる銀色の世界。

 単なる光の反射が生み出しただけの光景に、怪異は混ざり込む。

 《七不思議》の一つ、「合わせ鏡の怪」。

 その内容は確か、合わせ鏡の中に「未来の自分」が写り込むというもの。

 そしてその「未来の自分」には、も含まれていると噂は語る。

 私は――私は、何を見たのだろう?

 何か、酷く恐ろしいモノを目にした気がする。

 光がそう見せているだけの、無限に続く鏡の世界。

 其処に私は、何かを――。

 

「ッ……!!」

 

 意識は急速に浮上する。

 視界はまだぼやけていて、思考は火花が散っている。

 落ち着け、落ち着きなさい。

 今は虜囚の身といえど、私は《古き王》の一柱。

 それが混乱するばかりでは、敬愛すべき長子に顔向けできない。

 呼吸を整え、千々に乱れた頭の中身を整える。

 そうしてから、改めて周囲の状況に目を向けて……。

 

「……此処は……?」

 

 其処は一見すると教室のようだった。

 本校舎内の何処かかとも思ったけど――違う。

 床や壁、天井まで全て古びた木造の部屋。

 十数個ほど並んだ机と椅子も同様。

 長い年月に晒されたように、どれも半ば朽ちかけている。

 漂う空気も微かに埃っぽい。

 教室の正面に見える黒板を、私は何故か懐かしく感じていた。

 そう、懐かしい。胸の奥が締め付けられる。

 何故、という疑問は湧かなかった。

 

「私は、この場所を知ってる……?」

 

 それは間違いない。

 根拠も無く断言できる。

 なのに思い出そうとすると、頭が酷く痛んだ。

 その痛みに少し顔を顰めながら、私は更に周りの様子を確認する。

 古びた木造の教室には、私以外の姿は見えない。

 イーリスとテレサも、あの鏡に取り込まれたはず。

 

「早く、探さないと……」

 

 此処が《七不思議》の一つ、「合わせ鏡の怪」の異界なら。

 彼女達だけでは危険かもしれない。

 あの二人はアウローラの連れて来た大事な子達。

 それに万が一などあってはいけない。

 まだ痛みの残る頭を抑えながら、私は教室の扉に近付く。

 ガタついていて開き難いけど問題はない。

 ちょっと乱暴だけど、力を込めて強引に開いた。

 思った以上に大きな音を立ててしまった。

 音に引かれて何か来ないかを警戒しながら、私は開いた扉の向こうを覗く。

 其処は予想通り、木造の通路が左右に伸びている。

 私の知ってる《学園》のモノとは大きく異なる。

 今にも床が抜けてしまいそうな朽ちた空間を、窓の外から星明りだけが照らす。

 竜である私の眼には薄暗さは問題じゃない。

 特に怪しい気配もないけど、注意は怠らぬように通路へ出る。

 ギシリと、一歩踏み締めただけで軋む音が響いた。

 

「危ないわね……あの二人は、大丈夫かしら」

 

 分からない。

 そもそも私自身が置かれた状況も曖昧だ。

 加えてこの場所も不可解過ぎる。

 「合わせ鏡の怪」が「覗いた者の未来の姿を見せる」というなら。

 この古びた学校のような場所は、一体何なのか。

 

「……早く、二人を見つけないと」

 

 分からない。今の私には何も分からない。

 この学校を知っているような気がするのに、思い出せない。

 思い出そうとすると、頭の奥に刺す痛みを感じる。

 まるで誰かに「思い出すな」と釘を刺されているような。

 

「イーリス! テレサ! 何処にいるの!?」

 

 窓から見えるのは月の無い夜空。

 それと何もない校庭グラウンド

 私はいるはずの二人に呼びかけながら、寂しい通路を一人歩く。

 この場に潜む何かが寄ってくる危険も考えたけど。

 それよりも二人の安否を確認する方が優先だ。

 仮に声を聞いた怪異が襲って来たとしても、私だけなら問題も少ない。

 そう判断して、私は敢えて大きな声で二人を呼び続ける。

 他の教室も扉を開いて覗いたりはしたけど、今のところは誰もいない。

 私だけが、この朽ち果てた世界に取り残されたような。

 そんな錯覚を覚えそうになる。

 

「……ダメよ、マレウス。しっかりしなさい」

 

 迷子になった子供じゃないんだから。

 私がちゃんとしないと、あの姉妹に万が一があったらどうする。

 ……形だけで、きちんと教える事が出来たとは言えないけど。

 それでも私は「先生」だ。

 不出来で不格好な、真似事に過ぎないとしても。

 私にとって、「あの子達」は大事な教え子で……――。

 

「…………あれ」

 

 今、私は何を考えていたの?

 おかしい。何か――そう、何かおかしい気がする。

 何がおかしいのかが分からないけど、それもおかしい話で。

 頭痛がする。頭の奥を誰かがグリグリ突き刺している。

 痛い。考えるな。思い出すな。どうして?

 

「っ……此処は……?」

 

 どうしてダメなのか、何がいけないのか。

 分からないまま、私は通路を進み続けている。

 見知らぬはずの場所だけど、足取りには僅かに迷いもない。

 知っている。知っているからだ。

 私はこの場所を知っている。思い出せないだけで。

 何故。どうして。分からない。何も。

 

「ッ……」

 

 澱みかけた意識を引き戻したのは、木の床が軋む音。

 私の足音じゃなく、別の誰かのものだ。

 ギシリ、ギシリと。

 音がするのは、正面に見える廊下の曲がり角から。

 誰かが、私以外の誰かが近付いて来る。

 足音の数は一人分。

 今この場にいる私以外の誰かと言えば、イーリスかテレサだ。

 二人のどちらかである可能性は高いけど。

 何となく違う気がした。

 私は曲がり角の壁際に寄って息を潜める。

 もし敵だった場合に備えて、手元には小さな水球を作っておく。

 そうしている間も、足音は確実に近付いて来る。

 音の感覚が不安定なのが気になった。

 ギシリ、ギシリ。

 距離は縮まり、星の光は床に少しだけ影を落とす。

 それは誰かの人影で。

 

「――――!!」

 

 不意に、強く床を踏む音がした。

 油断していた。

 此方が気付いているなら、相手も当然私に気付いている。

 強い魔力の反応も感じ取る。

 恐らくは攻撃の為の術式展開。

 ――やるしかない。

 私は手の中で水を渦巻かせる。

 曲がり角から飛び出した相手は、すかさず魔法を放とうとして――。

 

「オーガスタ……!?」

「ッ……!!」

 

 姉妹ではなかったけれど、其処にいたのは良く知る相手だ。

 オーガスタ、《黄金夜会》の副会長。

 私の大事な教え子の一人。

 彼女は《魔力の矢》を射出する寸前の状態だった。

 けれど私の姿を見て、此方が名を呼びかけると同時に術式は霧散した。

 私の方も、出会い頭で水弾を放たなくて良かったけど……。

 

「貴女、どうしてこんな場所に……いえ、それよりその怪我……!」

 

 ぽたり、ぽたりと。

 オーガスタの身体から赤い雫が床に落ちる。

 脇腹や手足、他にも無数に刻まれた負傷。

 どれも決して浅いものでなく、流れた血はオーガスタの服を朱に染める。

 見ているこっちの血の気が引いてしまいそうだ。

 

「それは、此方の台詞です……っ、どうして、貴女が此処に……」

「そんな事より、早く傷を見せて!」

「触らな、いで……っ」

 

 オーガスタは拒絶の意思を見せるけど、構っている暇はない。

 ふらつく彼女の身体を半ば強引に支える。

 殆ど力が入らないのか、オーガスタの身体は思った以上に重い。

 傷に障らないように、慎重に彼女の身体を抱える。

 その上で、私は自らの力――水を操る魔力をオーガスタに向けた。

 未だ続く出血を止めて、裂かれたような傷口を塞ぐ。

 流れた血も魔力を変換する事で幾らか補える。

 完璧な治療でないにしろ、応急処置としては十分のはず。

 血流も整えた事で、オーガスタは多少なりとも落ち着いてくれたようだ。

 これで一先ずは安心……?

 

「――■■■■」

 

 声。いえ、雑音。

 不意に背後から沸き起ったソレに、私は何の気無しに振り返る。

 其処に立っていた「モノ」。

 間違いなく、さっきまではいなかった。

 黒い、かろうじて人型にも見える黒い塊。

 背丈は多分私とそう変わらない。

 虫の羽音に似たノイズを絶えず漏らしながら。

 その不可解なモノは、私の直ぐ後ろに佇んでいた。

 互いの呼吸が感じられる距離。

 私は動き出す事が出来なかった。

 こんなモノ、即座に攻撃を仕掛けて当然なのに。

 どうしてか、私は何かに魅入られたように固まってしまった。

 

「■■■■」

 

 囁く声。いいえ雑音。

 黒いナニカが発する奇妙なノイズ。

 向こうも隙だらけのはずの私に何もしては来ない。

 ただ顔――恐らく、顔と思しき部分を寄せて。

 それから何かを囁き続けている。

 分からない、その声は私には届かない。

 理解出来ない、何も――本当に?

 

「マレウス先生……ッ!」

 

 血を吐くようなオーガスタの声。

 それは私の中に正しく届いた。

 そうだ、呆けている場合じゃない……!

 

「離れなさい……!」

 

 叫ぶ声を《力ある言葉》にして、私は力を操る。

 予め生み出しておいた水弾を放ち、それを黒いナニカにぶつける。

 加減していないその一撃は、生身の人間相手なら大怪我ではすまない。

 オーガスタを抱えた状態で距離を取り、更に水弾を撃ち込んで牽制する。

 

「っ……ダメ、先生……逃げて……!」

「勿論逃げるわよ……!」

 

 必死な様子で、戦う私を止めようとするオーガスタ。

 痛みと出血で意識は朦朧としてるだろうに。

 そんな状態でも、私を気遣う彼女の優しさが嬉しかった。

 だから今は兎に角逃げる。

 オーガスタを抱えて落とさないよう、朽ちかけた廊下を全力で走る。

 背後で蠢く気配。

 案の定、水弾ぐらいでは大したダメージを受けないらしい。

 まともに戦っても仕方ない奴だ、これは。

 

「オーガスタ、少しだけ我慢してね……!」

 

 まだ苦しそうな彼女にそう呼びかけて、私は不明の校舎を走る。

 窓から外に出ようという発想はなかった。

 どれも内側からは決して開かない。

 何故かその確信があったから。

 

「わ、たしは……良い、ですから……」

「黙ってないと舌噛むわよ……!」

 

 何かを言ってるようだけど、最後まで言わせない。

 そんな言葉は認められないから。

 走る。振り向く余裕はないけど、気配は背中で感じている。

 間違いなく、あの黒いナニカが追いかけて来てる。

 

「最悪……!」

 

 まだテレサもイーリスも見つけられていない。

 負傷したオーガスタと出会えたのは幸運だけれど。

 状況は酷く、先行きは夜の闇より見え辛い。

 ――それでも、腕の中のこの子だけは守らないと。

 ただその衝動だけを胸に走る。

 けれど闇雲に逃げ回っても埒が明かない。

 此処は多分、『合わせ鏡の怪』によって繋がった異界。

 追ってくるのは怪異の本体か、それ以外かはまだ分からない。

 

「……《寓話結界》には秩序ルールがある、か」

 

 確かホーエンハイムはそう言っていた。

 この場所で予想できるルールは?

 考えて、今の私に思い当たる可能性は一つだけ。

 「鏡」だ。私達は鏡を通じて此処にいる。

 それなら出口も同じ鏡ではないか。

 的外れかもしれないけど、他に良案も思いつかない。

 目指すべきは、階段の踊り場に飾られた鏡。

 この古びた校舎にも、きっと同じモノがあるはず。

 私は何故かそう確信して、迷い無く目的の場所へと走る。

 

「もう少しだから、我慢してね!」

 

 抱えたオーガスタに呼びかけながら、私は上り階段の前に辿り着く。

 この上の踊り場には、大きな鏡が――。

 

「……ぁ」

 

 其処には、誰かが立っていた。

 天井付近の窓から注ぐ、微かな星明りに照らし出されて。

 いつの間にか背後から迫る気配が消えていた。

 逃げるのに必死で、気付くのが遅れた。

 

「■■■■」

 

 その影は――「合わせ鏡」の怪異は、また何かを言っている。

 聞こえない、分からない。

 ……いいや、違う。違った。

 ソレは影じゃなかった。

 私の眼はハッキリとその姿を捉えていた。

 思い出すのは「合わせ鏡の怪」に纏わる物語。

 合わせ鏡の中には未来の姿が写る。

 けれど其処には一つだけ――自分の死に顔があるという、噂話。

 

「――タスケテ」

 

 階段の踊り場に佇む誰か。

 それは血に塗れた、私自身の姿だった。

 

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