第五章:鏡の向こう側

102話:合わせ鏡の怪

 

「……うん、此処で間違いないわね。

 微かにだけど、魔力の痕跡が残ってる」

 

 マレウス達が消えた踊り場の鏡。

 とても残念だけど、レックスに下ろして貰ってそれを調べる。

 鏡自体は何の変哲もない、ただ古いだけの代物。

 けれど残留した魔力は此処で何かが起こった事を示している。

 そして其処に、恐らくホーエンハイムらしき魔力も混ざっていた。

 あの眼鏡の彼も、既に「向こう側」へと向かったようね。

 

「何とかなりそうか?」

「ええ。これは『合わせ鏡の怪』だもの」

 

 道を作る為の手順は分かり切ってる。

 私は軽く指を鳴らして術式を展開する。

 魔力によって鏡を複製し、互いの鏡面が向き合う形で設置する。

 光の反射で作られる、見た目上は無限の世界。

 《七不思議》で語られた内容が正しければ、これで条件は整ったはず。

 

「レックス」

「おう」

 

 私が手を伸ばすと、彼はそれを握ってくれる。

 離れないように指を絡めてしっかりと。

 

「念の為、二人同時に覗き込みましょう。

 こっちまで分断されたら面倒だわ」

「だな」

 

 レックスが頷くのを確認し、私達はタイミングを合わせて鏡の間に入る。

 鏡に映る無限の光景は単なる物理現象。

 それ自体は本来なら何の神秘性も存在しない。

 けれど人は、其処に怪奇な幻想を見出す。

 あり得ない光景には、何かあり得ないモノが写っているのではないか。

 強い思い込みは「信仰」と呼ばれ、多数の「信仰」はやがて力を伴うようになる。

 この《七不思議》もまた同じモノかもしれない。

 多数の学生が漠然と「そう信じている」から、そのような怪異となった。

 そんな可能性を想像しながら、私は世界が歪むのを知覚する。

 《転移》とは僅かに異なる現象。

 ――気付けば私とレックスは、見覚えのない部屋の中に佇んでいた。

 朽ちた木造の空間に、整然と並ぶ小さな机と椅子。

 随分と雰囲気は異なるけど、此処も「学校」であるようだった。

 

「さて、無事に侵入できたわね」

「後はマレウス達が何処にいるかだな」

「とりあえず、魔法で探ってみるわ」

 

 周囲の警戒はレックスに任せて、私は再び術式を発動する。

 先ず探す対象は妹のイーリスの方。

 孤立していた場合、あの子が一番危なそうだし。

 広範囲を探知する魔法は直ぐに目当ての反応を発見する。

 

「いたわ。そんなに遠くない」

「大丈夫そうか?」

「今のは目標物を探すだけだから、其処まではまだ分からないわ」

 

 最悪の可能性もあり得るけれど、そうなった場合は仕方ない。

 とりあえずガタついた扉をこじ開けて教室の外に出る。

 漂う空気はフラワーチャイルドさんの時と同じ。

 怪異が放つ瘴気に満たされていた。

 さて、今度は何をしてくるのか。

 私が先に立ち、レックスはその後ろを走る。

 イーリスの反応があった座標ポイントまでもう間もなく。

 死体が転がってなければ良いんだけど。

 そう思っていたら。

 

「戦闘音だな」

 

 レックスが小さく呟くように言った。

 彼の言葉通り、通路の先から硬い音が響いて来る。

 間違いなく誰かが戦っている。

 片方は恐らくイーリスでしょうけど――。

 

「クソッ……!!」

 

 予想通り、《金剛鬼》に抱えられたイーリスの姿が其処にはあった。

 大して広くも無い通路だから、随分動き難そうね。

 見たところ、イーリス自身には特に深い傷を負ってる様子も無い。

 観察していると、何か黒い影が動いた。

 風のように早く床の上を滑り、その手は真っ直ぐにイーリスへと伸びて。

 

「っと……!」

 

 その喉元を捉える寸前に、レックスが割って入った。

 私もちょっと驚いてしまう程の早業。

 鋭い爪を剣の刃で弾けば、黒い影は素早く距離を取る。

 結構ギリギリだったわね。

 

「レックス!」

「おう、とりあえず無事っぽいな」

 

 イーリスの声に応じながら、レックスは剣を構える。

 先程仕掛けて来た黒い影と相対する――けど。

 

「ちょっと待ってくれ、相手は姉さんなんだっ!」

「はい?」

 

 その言葉を受けて、私は改めて相手の姿を観察した。

 イーリスの言う通り、其処にいたのは間違いなくテレサだった。

 但し、恰好がほんの少しだけ違う。

 黒い仮面に、両腕を覆う鋭い爪を備えた手甲ガンドレット

 それは以前、彼女がまだ真竜の《爪》であった頃と同じ装い。

 過去の姿をしたテレサは、その時と同じように無機質な殺気を放っている。

 さて、これは一体どういう事かしら。

 

「オレも何が起こったかわからねェけど……!

 気付いたらこの場所に放り込まれて、姉さんは姉さんであんな状態で……!」

「アウローラ、あれ本人か?」

「……そうね。魔力とか見ても、本人で間違いないと思う。

 何をされたかまでは分からないけど、操られてるっぽいのは確定ね」

 

 そう言葉を交わしている間にも、テレサ――いえ、《爪》は容赦なく動く。

 脅威度を見て標的を変えたらしく、その狙いはレックス。

 一足で間合いを潰すと、鋭い爪の一撃を放つ。

 当然、そんなものに当たる彼ではない。

 初撃を含めて、《爪》の攻撃全てを剣一本で弾き落とす。

 

「何とか出来そうか?」

「とりあえず、術式による洗脳かどうかも見ないといけないから。

 やるにしても少し時間が掛かると思う」

「じゃあ、その間は何とかするわ」

 

 弾く。弾く。弾く。

 《爪》と化したテレサの攻撃は、鋭く速い。

 けれどレックスは、かつての彼女なら既に一度勝利している。

 剣で捌く姿には余裕も感じられた。

 

「レックス、頼むから……!」

「あぁ、約束は守る」

 

 それもまた過去のやり取りに近い。

 応えてから、彼は加速する攻防に集中する。

 レックスの勇姿ならいつまでも見ていられるけど、こっちも仕事をしましょう。

 先ずはテレサの状態を見る。

 魔法の探知を行い、他者から施された術式が無いかを調べる。

 洗脳の類ならこれで直ぐに分かるはず。

 ――反応はあった。

 けどそれは思っていた形とは異なるもので。

 

「レックス! 仮面よ!」

「んっ?」

「今テレサが付けてる仮面、それから怪異の気配がする!」

 

 この空間を満たしている瘴気と同じ感覚。

 推測でしかないけど、あの仮面を基点にテレサを操っているんでしょう。

 それならどうにかする方法も簡単だわ。

 

「分かった」

 

 やるべき事をレックスは即座に理解した。

 今までは防ぐのに専念していたけど、一転して鋭く踏み込む。

 手数で攻める《爪》に対し、レックスが放つのはただ一刀。

 

「今のテレサならいざ知らず。

 《その頃》なら負ける気はないな」

 

 刃は攻撃の隙間を縫い、狙うべき一点を捉える。

 決着は本当に呆気なく着いた。

 乾いた音を立てて、黒い仮面が真っ二つに割れる。

 

「ぁ……っ」

 

 文字通り、糸の切れた人形のように。

 仮面を破壊されたテレサはその場に崩れ落ちる。

 床に倒れ伏す前に、レックスの伸ばした手がそれを支えた。

 

「っ、レックス殿……?」

「おう、目が覚めたか」

「ぁ……は、い。その、御迷惑を……」

「無事ならそれで良いさ」

 

 まだ多少朦朧とした様子のテレサ。

 それでも自分の置かれた状況を理解したか、恥じらうように頬を染める。

 ……まぁ、緊急時だし大目に見ましょうか。

 そんな空気を読む気も無い妹の方が、レックスと姉の傍に駆け寄る。

 

「大丈夫か姉さん!!」

「見ての通りだ」

「あぁ……すまない、イーリス。恐い思いを、させてしまった」

「ンな事はいいよ……!

 二人とも、ありがとうな……!」

「んん。まぁ、大した労力でもなかったから」

 

 どうにも礼を言われるのは慣れないわね。

 まぁ、今はそんな事はどうでも良いわ。

 周囲を軽く確認してみるけど、姉妹以外の姿は見えない。

 また魔法で探す前に、一応確認はしておこう。

 

「貴女達、マレウスは?

 それとホーエンハイムもいるはずだけど」

「悪い、どっちも分からん。

 マレウスは鏡に呑まれる直前までは一緒だったはずだけど……」

「見事に分断されてるわね」

 

 イーリスの答えに思わずため息が漏れる。

 正直、ホーエンハイムはどうでもいい。

 今は協力関係だけど、本質的には敵か味方かも分からない。

 マレウスだって腐っても古竜。

 仮に油断したとしても、そう簡単に遅れは取らない。

 そう思っているけれど。

 

「よし、マレウスを探すか」

 

 そう軽く言ったのはレックスだった。

 彼はテレサが問題なく立てるのを確認したら、そっと手を離す。

 

「ホーエンハイムの奴は良いのか?

 聞く限り、そっちも一人なんだろ?」

「そっちは大丈夫だろう、多分。

 いや俺は顔も合わせてないんだけどな」

「無茶苦茶適当言ってるなオイ」

「まぁ、義理があるのはマレウスだけだから……」

 

 いつも通りの物言いに笑ってしまった。

 けど、そうね。

 ぐだぐだ考えるぐらいなら、さっさと動きましょう。

 私は術式を行使し、マレウスの現在位置を探る。

 反応は――うん、直ぐに見つかった。

 

「いたわ、マレウス。早速行きましょう?」

「おう」

 

 レックスは頷き、私は案内する為に先を行く。

 姉妹はその後に続いた。

 反応があったのは階段の踊り場らしき場所。

 此処からだと多少の距離がある。

 

「しかし、此処は一体なんなんだ……?」

 

 《金剛鬼》に抱えられた状態で、イーリスがひとり呟いた。

 

「確か『合わせ鏡の怪』だろ?」

「合わせ鏡に引き込まれたワケだから、それは分かるけどよ。

 この古ぼけた学校みたいな場所とか、姉さん操ってたのとか。

 少なくともオレが調べた範囲じゃこんな話は知らねーぞ」

「……未だに怪異の本体が見えないのも不気味だな」

 

 イーリスが口にした疑問。

 それを受けてテレサも訝しげな顔をする。

 確かに言いたい事は分かるわ。

 これに限った話じゃないけど、《七不思議》は不可解な事が多すぎる。

 ただ。

 

「何となくだし、殆ど推測だけど。

 この怪異が何をしているかは想像がついたわ」

「マジか。どういう感じだ?」

「噂話の通りよ。合わせ鏡は未来を写す」

 

 レックスに応えながら、私も「合わせ鏡の怪」についての情報を纏める。

 曰く、特定の時間に覗くと未来の姿を写し出す。

 そして其処には、覗いた者の死に顔が紛れ込むとか。

 

「先ずはこの場所。古いしボロい木造だけど、此処も多分学校だったのよ。

 見た感じの雰囲気はそれっぽいし」

「ふむふむ、それで?」

「仮に、だけど。合わせ鏡を通じてやってきた此処。

 この場所も学校だとしたら、《学園》と何か関係があると思わない?」

「ある……のか? 良く分からんけど」

 

 私の話に首を捻るイーリス。

 まぁ無理もないわよね。

 私からしても、それは殆ど根拠のない単なる思い付きに近い。

 きっかけとしては先ほどのテレサの姿。

 

「此処が《学園》の過去を模した場所で、同じように合わせ鏡があるとしたら。

 その鏡に写るべき未来は、私達がいた現在の《学園》の方。

 

 

 勿論、この場所が本当に「過去の《学園》」ではないでしょう。

 あくまでそれを模しただけの異界だ。

 どちらにせよ、鏡の異界は引き込んだ者を「未来」としてその「過去」を写す。

 そして怪異は「過去」を自在に操る。

 テレサが以前の《爪》の姿になっていたのはそういう事だろう。

 

「良く考えるというか、ぶっちゃけ趣味悪いな」

「それは私も同感ね」

 

 レックスの率直な感想に私も頷く。

 これを用意したのが件の「学園長」だとすれば、相当に良い性格ね。

 

「問題はこの推論だと、怪異の停止法がまるで分からない事ね」

「そこはまぁ、強く当たって流れでどうにか?」

「流石に適当過ぎんだろ……」

 

 イーリスのツッコミは尤もだけど、現状ではレックスの言う通り。

 とりあえずマレウスを見つけ出す。

  それからこの学校にあるだろう「合わせ鏡」を探す。

 それでどうにかならなかったら――まぁ、その時はその時ね。

 私も大分適当な事を考えながら走る。

 間もなく、マレウスの反応があった場所に辿り着く。

 ここまで私に手間をかけさせて、先ずはどうしてくれようかしら――。

 

「……えっ?」

 

 踊り場に上がる階段前。

 其処に誰かが倒れていた。

 一瞬マレウスかと思ったけど、違う。

 赤黒い水たまりに半身が浸かった状態でいたのは。

 

「……ホーエンハイム……?」

 

 仰向けに倒れて事切れている、ホーエンハイムだった。


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