終章:災厄の出会い

350話:神と道化の邂逅


「――呆気ない幕切れに、退屈な結末。

 フン、見世物としては三流程度で片付いてしまったな」

 

 傲慢そのものを言葉にしたかのような。

 そんな呟きをこぼしたのは、驕り高ぶった旧き神。

 《秘神》と称される白装束の男は、心底つまらなそうに鼻を鳴らした。

 『地砕き』は滅んだ。

 その内に放り込んだ従者の魂も反応が消え失せた。

 《摂理》に還ったのか、或いは『地砕き』の存在強度に擦り潰されたか。

 どちらでも同じ事だった。

 故に《秘神》はすぐにその存在を記憶から消し去る。

 そうして後に残るのは、観劇に対する不満のみだ。


「結局、『地砕き』はあの汚らしい《国》とかいう場所にも届かずじまい。

 《裁神》の小娘が窮地に陥ったところは悪くなかった。

 が、それもあの異邦人どもが助けてしまった。

 何故だ? あのプライドの高い女が協力するという確信があったのか?

 そうでなくとも、自分たちを殺そうとした相手をどうして助ける?

 愚か過ぎて理解し難い。

 度し難すぎて意味が分からん」

 

 ブツブツと。

 他に誰もいない空の高みで、《秘神》は一人呟く。

 理解できない。

 敵は敵だ。

 男の理解する世界の範疇に「味方」などという単語はない。

 いるのは邪魔な敵か、すぐに殺す必要のない敵。

 後はどうでも良い大多数の有象無象。

 例えば、今はもう記憶にすら残っていない従者だった若者とか。


「……《粛清の剣》、やはりあの大権能は恐ろしいな。

 仮に戦って勝つのは私だが、あの力だけは侮れん。

 『地砕き』の巨体すら跡形もなく消し飛ばしてしまうとは……」

 

 微かな戦慄が呟く声に混じっていた。

 神は不死――《巨人》のような醜い在り方とは根本的に異なる。

 本当の意味で不滅の存在。

 万が一、肉体が砕かれたとしても決して死ぬ事はない。

 その魂は《摂理》に還らずとも、半永久的にその存在を維持できる。

 故に、《秘神》は肉体的な死は恐れていない。

 しかし裁きの神が振るう《粛清の剣》。

 神々が持つ力の中でも有数の大権能、それをまともに喰らえばどうなるか。

 少なくとも、それを試そうと思うほど《秘神》は勇猛ではなかった。

 

「…………」

 

 独り言を途切れさせて、男は彼方を見る。

 その眼が捉えるのは同胞と呼ぶべき神、アストレア。

 これほど離れた場所からでも、彼女がどうしようもなく消耗していると分かる。

 ――まぁ、当然と言えば当然か。

 神は不滅で最も偉大な存在だが、その力も決して無限ではない。

 あれだけ《神罰の剣》を振り回し、ダメ押しに《粛清の剣》の一撃だ。

 どれだけ強大な神であれ、とても戦える状態ではあるまい。

 

「……あのまま、醜い《巨人》の肉に呑まれてくれれば一番だったがなぁ」

 

 本当に。

 心から残念そうな声で、《秘神》はポツリと言い放つ。

 もしそうなっていたなら、煩わしい目の上のたんこぶが一つ消えると。

 旧き神である男は単純に考えていた。

 もし。

 もし万が一、《秘神》が思い描く通りの展開となった場合。

 真に最も旧き神である《星神》シャレム。

 アストレアを娘の如くに愛する彼の神が、どれほどの怒りを燃え上がらせるのか。

 「王権の代行」を権利として有する、《人界》の神々における最高位。

 そんな彼女の憤怒が自分に落ちてくるなど微塵も考えない。

 何なら今、この瞬間。


「……アレでは、もう《粛清の剣》は使えまい」


 弱った獲物を観察する蛇の双眸。

 何やら鬼の女に纏わりつかれている同胞を、《秘神》はじっと見ていた。


「何なら、ここで私手ずから消してしまおうか……?」


 呟く言葉に、口角が自然と笑みの形に釣り上がる。

 神々が争う事は、《人界》の法で固く禁じられている。

 禁じられてはいるが、ここは《星神》の眼が行き届いた《人界》の内側ではない。

 このタイミングであれば、誰にも見られず、邪魔をされる事もなく。

 煩わしい――煩わしい以外には特に排除する理由もない――あの年若い女神を。

 肉体を殺して、その神たる魂を奪ってしまえるのではないか?


「悪くないなぁ。

 嗚呼、実に悪くないぞ」


 笑う。

 《秘神》は欲望にギラつく笑みを浮かべる。

 誰も見ていないが、それでも申し訳程度に手のひらで口元を隠して。

 まったく隠れていない、醜悪な笑い声を空の上で垂れ流す。

 

「少々虫ケラがいるが、まぁ問題はあるまい」

 

 鬼も。

 《巨人の大盤》の外からやってきた異邦人たちも。

 そのどちらも《秘神》は脅威とは微塵も思っていなかった。

 《光輪》を纏う以上、鬼など物の数ではない。

 異邦人たち――人間と、それ以外も混じってはいるようだが。

 彼らに対しても、『地砕き』との戦いに生き残ったこと自体は評価していた。

 ただ、アレは所詮大きいだけの怪物。

 わざわざ神の力まで注いで放り込んだ魂も、結局はそう大した事もなかった。

 周りの獲物が小さすぎたのか、ロクに反撃もしないまま砕けただけ。

 故に、この結果を異邦人たちの戦果とは《秘神》は考えなかった。


「邪魔をするのなら潰せば良い。

 そう、私は十柱の神々で最も古く、最も強く、そして最も美しい者。

 何人も私には届かない。

 例え同じ神であれ、私には及ばない。

 ――あぁ、そうだ。

 陛下の娘という、ただそれだけの理由で。

 アレが私と同じ座に着いているのが、心底気に入らなかったのだ」

 

 本当に。

 今丁度思いついたみたいな風に呟いて。

 それこそ正当な理由だと、《秘神》は満面の笑みで頷いた。

 ――そうだ、アレは相応しくない。

 《人界》の支配者であり、偉大なる王に仕える十の神々。

 その席を埋めるのに、あんな小娘が相応しいはずもないではないか。

 故にコレは正しき行いだと。

 あっという間に《秘神》の中で、その理屈は揺るぎない正義となった。

 神の行いは全て正しい。

 完璧で完全たる《秘神》の行う事に誤りなどあるはずもない。

 僅かに理性が発していた警告もあっさり振り捨てて。

 空を渡る共通の権能にて、いざ彼方へと踏み込もうとした――その時。

 

「――流石にそれは短慮が過ぎるというものでしょう。

 お辞めになった方が宜しいかと」

「――――!?」

 

 軽薄なようで、どこか芯に重みを帯びた男の声。

 《秘神》は足を止め、弾かれるように背後を振り向いた。

 一瞬にして、その胸中には憤怒の炎が吹き上がる。

 不敬にも神を相手に気配を消して近づいた――事にではない。

 何者かは知らないが、神の眼すら誤魔化す隠形。

 その気になれば、まったく察知させる事なく肉薄できたはず。

 だが、相手は敢えてそれをしなかった。

 わざわざこちらが気付くよう、自ら気配を晒した事。

 それを《秘神》は「完璧なる神に対する侮辱の極み」と受け取っていた。

 

「何者だ、貴様っ!!」

「通りすがりの者です――と言ったら、信じて頂けます?」

 

 《秘神》が見せた表情は、牙を見せて唸る獣そのものの顔。

 対する声の主は、余裕すら漂わせる薄い笑み。

 その笑い方もまた神の逆鱗に触れる。

 殆ど反射的に攻撃を仕掛けそうになるが……それはギリギリで思い留まった。

 幾ら《裁神》に気取られぬよう距離を取っているとはいえ。

 怒り任せに力を振るえば、流石にどう足掻いても誤魔化しきれない。

 自らの保身。それが寸前で《秘神》の蛮行を思い留まらせた。

 

「おぉ、怖い怖い。

 止めてくださいよ、流石にそんな力で殴られてたら一溜りもない」

「…………」

 

 大いなる神への畏敬など微塵も感じられないその態度。

 再び怒りがぶり返しそうになるのを、《秘神》はどうにか抑え込んだ。

 その上で、改めて謎の人物の姿を観察する。

 背の高い男だった。

 目が痛くなる赤色の装束スーツ

 髪は綺麗に整えられているが、色は白と黒が入り混じっている。

 顔立ちは整っている方だろう。

 年齢については――良くわからない。

 《秘神》の目から見れば、人間などどれも大差ない幼子だ。

 ただ、この男に関しては……。

 

「……人間か? 貴様」

「人間ですよ、神様。まぁ、多少は特別だって自覚はありますがね」

 

 慇懃無礼。

 《秘神》がどれほど怒りと敵意をぶつけても、伊達男には柳に風。

 わざとらしいぐらいに丁寧な一礼は、逆に《秘神》の神経を逆撫でした。

 常人ならば、その視線だけで心が砕ける。

 そんな圧力を伴う眼で睨まれようが、男は変わらぬ笑みのまま。

 

「そう睨まないで頂きたい。

 こっちとしては親切心で忠告したんですから」

「親切? 親切だと?

 貴様は私が何であるのか知った上で、そんな世迷い言を口にしているのか?」

「偉大なる《人界ミッドガル》の神。

 不勉強な身じゃありますが、流石に無知ってわけでもないので」

「知っていて尚、その態度か。不敬が過ぎるぞ下等生物風情が」

「ええ、ええ。勿論、分際ってのは弁えていますよ。

 神様相手に喧嘩を売りたいワケじゃない。

 ただ、貴方もあまりあの連中を甘く見ない方が良い」

「何だと?」

 

 苛立つ。

 どうしようもなく《秘神》は苛立っていた。

 ただ、保身の思考が歯止めをかけている以上に。

 不思議と腹立たしく感じながらも、《秘神》は男の言葉に耳を傾ける。

 語る声、その一つ一つに惹きつける「何か」がある。

 それを自覚した辺りで、《秘神》の中で怒りよりも好奇心が勝った。

 

「……良いだろう。囀ってみると良い。

 面白ければこれまでの非礼は大目に見ようじゃないか」

「寛大な御心に感謝を。

 と言っても、別にそう面白い話でもありませんよ。

 あの連中――貴方側から見た異邦人の一行。

 

 貴方はさほど問題視していないようですがね」

「あの『地砕き』との戦いに生き残った事は評価しているよ」

「それ以前、彼らはあそこの女神様とも戦っていたはず。

 神とは《巨人の大盤》における絶対者。

 それと正面から戦い生き残った者を、貴方はたかが人間と侮りますか?」

「だとしても、私の眼から見れば等しく虫ケラだとも」

 

 侮るべきではない。

 その事実を認識しながらも、《秘神》の傲慢さは小動こゆるぎもしない。

 

「アレが侮りがたい力を持つ事は認めようじゃあないか。

 だが私は神だ、この地で最も完璧で完全な存在。

 それがどうして少々毒があるからと虫ケラを恐れねばならん?」

「……人間だけではないとしたら?」

「? どういう意味だ、ソレは」

「竜――と言っても、この外界に竜はいない。

 故にこれだけでは理解できないでしょう」

 

 酷く含みのある言い方に、《秘神》はまた少しだけ苛立った。

 構わず、伊達男は彼方を指差す。

 示された先にいるのは、鎧男の傍らに寄り添う金髪の少女。

 《秘神》の千里眼がその小柄な姿を捉える。

 

「……何だ、あの小娘がどうしたと?

 確かに、どこか妙な気配を纏っているようだが……?」

「鎖された彼の大地で、《造物主》を名乗った悪神が最初に創造した旧きモノ。

 もう一人、あの何故か全裸の女も同じ種の生き物です」

「――――」

 

 果たして、伊達男の話に何を思ったか。

 いきなり《秘神》はその表情を凍りつかせた。

 一切の感情が消え去った凪の顔。

 度し難い傲慢さも、不完全な全てに対する憤怒も。

 この一瞬だけは、一つ残らず《秘神》の中から消失していた。

 

「……《造物主》が。

 あの度し難き愚かな悪神が、鎖された地で創造したと。

 貴様は今、そう言ったのだな?」

「ええ。虚偽はなく、全て真実だと言っておきましょうか。

 お疑いになるのであれば――」

「良い。構わん。そう言われてみれば、微かにだが感じ取れるぞ。

 あの小娘から漂う腐れた臭いが!」

 

 そう応じる《秘神》の言葉は叫び声に近かった。

 続いて口の端から迸るのは嘲笑。

 ゲラゲラと嘲る笑い声は、果たして何に対して向けられたものか。

 伊達男は狂ったように笑う神を、変わらぬ表情で見ていた。

 やがて。

 

「……目的は何だ?」

「私もあの異邦人たちに、ちょっとした用事があるんですよ。

 しかし私はそう荒事に向いてるワケでも無し。

 主人に命じられたという立場上、手ぶらでは戻れない身でして。

 さてどうしたものかと途方に暮れてる時に、たまたま貴方を見つけた。

 この出会いは、互いにとって幸運なモノだと私は考えますが」

「ハンッ! 歯が浮くようなセリフじゃないか!

 あぁ、だが良い。許そう。

 これまでの不敬な言動も含めて慈悲をかけてやろう」

 

 あくまで自らを上位に置く傲慢さを見せながら。

 《秘神》は改めて男の方に視線を向ける。

 

「私は《人界》を支配する十の神々が一柱、《秘神》アベル。

 名乗ることを許そう、下等生物。

 必要がなくなるその時まで、その名を私の脳髄の片隅に刻んでやろう」

「感謝を、《秘神》アベル。それで――あぁ、私の名前でしたね」

 

 そうだな、と。

 小さく唇の中で言葉を転がす。

 それから見下す神に対し、男は恭しく一礼をして。

 

「私のことは、どうぞカーライルとお呼び下されば――」

 

 伊達男――カーライル。

 灰色の魔法使い、その片腕でもあるその男は。

 口の端に笑みを浮かべながら、仮初の名をさも真実であるかのように口にした。



 

 

 

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