471話:変わるもの、変わらぬもの


 ヤルダバオトの放つ光は、神殿を激しく揺さぶる。

 遠慮や容赦なんて一切無い。

 慈悲なんて言葉は、この《天秤狂い》には存在していなかった。

 遠い昔から、その在り方は変わっていない。

 天秤や正十字という、コイツの中だけにある秩序。

 それを美しく整えるために、無秩序に破壊をばら撒き続ける。

 変わらない。

 この古い竜は、悲しい程に何も変わっていなかった。


「ヤルダバオト……!!」


 胸の奥から湧き上がる衝動。

 如何なる感情に由来するかも分からないまま。

 私は、その名を叫んでいた。


『――――――』


 当然のように、ヤルダバオトはそれに応えない。

 応えず、背負った光を《吐息》の雨に変えて辺り一面に降り注がせた。

 レックスは剣を振るってそれを砕き、テレサは《分解》を放って迎撃する。

 私も防御魔法を展開し、落ちてくる《吐息》の一部を弾いた。

 ――《天秤狂い》、《均衡の竜王》、《正しき十字架の守護者》。

 多くの異名で呼ばれ、その異名のどれもヤルダバオトを正確には捉えていない。

 どれもこれも、アレを恐れた誰かが呼んだ通称に過ぎないから。

 誰にも理解されず、誰も必要としない。

 自分の中にだけある「理想」のために、自分以外のモノを排除する。

 ――嗚呼、本当に今更だけど。

 コイツは、あの愚かな父に良く似ている。

 独善的で他人を顧みず、ありえないものを追い求めてる。

 異なる点があるとすれば……ヤルダバオトは、純粋である事。

 自分が求めた理想が存在しないと知って、愚かな父は絶望した。

 絶望し、自ら命を断った後も、この地には呪いと怨念が消えずに渦巻いている。

 だけど。


『――均衡が乱れていますね』

「だから何度目だよソレ!!」

『排除します』


 レックスが吼え、ヤルダバオトは淡々とお決まりの文句を口にする。

 両腕に纏った《天墜》の光。

 叩きつけられたソレを、彼とウィリアムの二人が迎え撃つ。

 竜殺しの魔剣と、月の光を宿した大剣。

 二振りの刃が均衡の光を打ち砕き、返す刀でヤルダバオト自身の腕も斬り裂く。

 しかし、切断寸前の両腕は一瞬にして元通りに復元する。

 古竜としても異常なまでの高速再生。


『排除します』


 繰り返す。

 そこに父のような呪いは無い。

 無意味で、無駄で、不毛な繰り返し。

 それはヤルダバオト自身も、多分理解しているはず。

 《天秤狂い》が見ているものは、この世には存在しないものだと。

 アイツ自身の中にある天秤、その皿の上に載っているだけの夢幻に過ぎない。

 分かった上で、ヤルダバオトは揺るがない。

 絶望もしなければ、呪いや怨念を発する事もない。

 理解を誰かに求めることもなく、空を流れる星を追うような純粋さ。

 その在り方に、一切の曇りもなかった。


「……まったく、嫌になるわね……!」


 相変わらず、ヤルダバオトの事は理解できない。

 今のも、あくまで私が感じ取った私自身の考えに過ぎない。

 《天秤狂い》が、本当に何を考えてるのか。

 それはアイツにしか分からない事だ。

 けど、ヤルダバオトが純粋であるのは間違いないと思う。

 そして、あり得ない夢を追う姿には、今更ながら共感してしまった。


『……愚かだな、《最強最古》。

 今になって、アレに理解を求めるのか』


 笑う声。

 それは私の足元に崩れ落ちている、オーティヌスのものだった。

 語る言葉に混じるのは、重い諦観の念。

 古き魔法使いは、灰色に燃え尽きた諦めを語る。


『全てが今更に過ぎるだろう。

 例えお前が共感を示したところで、アレはそれを求めてはいまい。

 他者を理解せず、他者に理解を望まぬ怪物。

 故にこそ、誰もがアレを《天秤狂い》と呼んだのだから』

「分かってるわよ、そんなのは」


 それこそ、今更に過ぎる話だ。

 確かに、ヤルダバオトに共感めいたモノを感じたのは間違いない。

 感じはしたけど、アレを倒して止める事に変わりはない。

 ただ、その上で。


「ひたすら意味の分からない、《天秤狂い》の怪物を倒すよりも。

 少しぐらい、私たちと同じ部分もあるんだと。

 そう『理解』して倒した方が、何だかスッキリするじゃない」

『…………』


 笑って応える私に、オーティヌスは何も言わなかった。

 まぁ、我ながら何を言ってるのかと思うけどね。

 そんな私の言葉を横で聞きながら、レックスも声を出して笑っていた。


「まぁ、理解しても仲良くはなれそうにないけどな!」

『なに、向こうもお前には興味津々だったんだ。

 もしかしたら可能性はゼロではないかもしれんぞ?』

「ちょっと、レックスに変なこと吹き込まないで貰える??」

『排除します』


 ボレアスが余計な事を言ってるけど、当のヤルダバオトは平常運転。

 ……仮に、レックスに対して本当に興味を持っているとしても。

 それはあくまで、ヤルダバオトの中の「天秤」を通したもの。

 結局、他者を理解しようと望んでいるワケじゃない。

 どこまでも独善的で、どこまでも純粋――そして、愚か。

 本当に、ヤルダバオトは父に似ていた。


「で、マジでどうすんだよコイツ……!」


 テレサに守られながら、イーリスが唸った。

 幸いにも、神となったテレサには《光輪ハイロゥ》がある。

 ヤルダバオトの光で姉妹が死ぬ危険は少ない――けど、状況は厳しい。

 焦燥に駆られるのも、まぁ無理からぬ話よね。

 戦いそのものは、間違いなく私たちの方が押している。

 レックスたちの攻撃も、確実にヤルダバオトの身体を砕いていた。

 砕いて――けど、それらはあっという間に塞がってしまう。

 恐らくは、全ての竜王の中でも最高レベルの再生能力。

 防御を殆ど捨てた苛烈な攻撃も厄介だ。

 直撃だけは避けて、どうにか防いではいるけど。


「ジリ貧ですね、これは……!!」


 呟くテレサの言葉通り。

 天秤は揺るがない。

 小細工など存在せず、ヤルダバオトはその暴威で私たちを圧倒しつつあった。

 ……取れる手立てがあるとすれば。


「オーティヌス、まだ封印の術式はアイツと繋がってるの?」

『あぁ、接続自体は切れていない』

「だったら、何とかなるかしらね。手を貸しなさい」


 勿論、拒否権なんてない。

 私は一方的に告げると、膝をつくオーティヌスの肩を掴む。

 未だにヤルダバオトを縛っている、《始祖》の王が施した封印術式。

 今は向こうが拒否しているため、制御不能だとオーティヌス自身が語っていた。

 だったら、その抵抗を捻じ伏せて術式を正しく機能させる事ができれば……!


「ッ――――!?」

『貴女の考えは正しい、竜の長子よ』


 術式に干渉し、ヤルダバオトの魂に触れる。

 そこまでは何の問題もなかった。

 けれど、接触した瞬間に強烈な重圧を感じた。

 

 封印そのものが有効である事が、にわかには信じ難い。

 それほどまでに、ヤルダバオトの魂は強大だった。

 制御を試みようにも、こちらが逆に取り込まれそうな程に。


『正しくとも、それが実行可能であるかはまた別問題でしょう』

「お前が言うと、面白い皮肉ね……!!」


 笑う。

 この《最強最古》に綱引きを挑むなんて、良い度胸じゃない。

 私が封印への干渉を始めた、その瞬間。


「おい糞エルフ!」

「仕方あるまい!」


 レックスたちは、今までよりも深くヤルダバオトの間合いに踏み込んだ。

 物理的な攻撃を自分たちに集めた上で、相手の力を削る。

 呼吸がピッタリなのは、ちょっと気に入らないけど。


「あっちじゃ役に立たねェけど、こっちなら少しはマシだろ……!」

「無理はするなよ、イーリス!」


 イーリスは私の傍に来ると、その力で魂への干渉を手助けしてくれる。

 姉のテレサは、レックスたちと同じ前衛に加わる。

 ごく自然の流れとして、誰かが誰かの手を取るように戦っていた。

 その環の中に、私自身も加わっている。

 何ともおかしな話で、思わず声を出して笑ってしまった。


『…………』

「あら、なに? じっと見ちゃって」

『………お前は、本当に変わったのだな。

 私の知る頃は――もっとずっと、邪悪だったはずだ』

「……そんなに変わったつもりは無いのだけどね」


 別に、反省はしていない。

 かつての私も、「私」であることに違いはない。

 けど……そうね、変わったんでしょうね。

 変わらないモノは、絶対にある。

 ただ私自身は、決して「不変」ではなかったというだけの話。

 揺れない天秤が存在しないように。


「それで、いい加減に手伝って貰いたいんだけど?」

『……どうあれ、私は敗者だ。

 であれば、勝者の意思に従うのが道理か』

「面倒臭ェ理屈はいらねーから、とっとと助けてくれよ!」


 イーリスのツッコミは、ホントにいつも冴えてるわね。

 弱っているとはいえ、オーティヌスは封印術式を施した正しい術者。

 その手が加わった事で、ヤルダバオトへの拘束は明らかに強まっていく。

 ――けど、それでもまだ足りない。

 再生の速度は遅くなったし、振り回す光も目に見えて弱っている。

 でも、その程度でヤルダバオトは止まらない。


「きっついなマジで……!!」

『もうひと押し足りんな、コレは!』


 剣を振るうレックスから、ボレアスの声が響く。

 その言葉の通り。

 良い線まで押し込んでいるけど、もう少しだけ足りない。

 ヤルダバオトを止めるには――あの、不動の天秤を揺らすには。

 あと、もうひと押し。


「――――おじい様!!」


 声は、驚くほど間近から聞こえてきた。

 《転移》で現れたのは、大真竜であるはずの少女。

 イシュタルは、膝をついたオーティヌスの元へと飛び込んだ。

 現れたのは、彼女だけじゃない。


「手助けは必要かしら、姉さん?」

「……まぁ、私は直接何かできるワケじゃないけど」


 笑う声と、微妙に暗い声。

 傍らに降り立ったのが誰なのか、見るまでもなく理解できる。

 嗚呼――本当に、笑ってしまいそう。

 この私が、《最古の悪》とまで呼ばれた私が。

 こんな、使い古された英雄譚の筋書きみたいな流れに立つなんて。


「そうね、ホントは別にいらないのだけど」

「で、本音は?」

「――そうね。助けてくれるのなら、助けられて上げても良いわよ」

「もうちょっと、素直に言ってくれると嬉しかったわね」

「まぁ、コイツが素直に『助けて』とか言い出しても、それはそれで微妙だから」


 失礼なナメクジね。

 マレウスも笑うんじゃないわよ。

 ……けど、ありがたいと思うのは本心で。

 それを口にするのは、何となく癪だっただけ。


「……宜しいのですね、おじい様」

『あぁ。放っておけば、ヤルダバオトはこの神殿そのものを砕きかねん。

 止める必要がある』

「分かりました。……そういう事だから、手を貸してあげる」

「こっちもこっちで素直じゃねぇなぁ、オイ」


 イーリスも、笑いながら私の方を見ないで頂戴。

 そう言葉を交わしている間にも。

 マレウスは水を操作し、ブリーデは白く燃える騎士たちを顕現させる。

 彼女たちの攻撃には、全て封印の術式が込められていた。

 魂への干渉は、イシュタルが加わった事で制御の力が強まっていく。

 最前線で戦うレックスが、高く剣を振り上げた。


「――行けるな、これなら」


 彼は笑って、勝利を言葉にした。

 後はそれを実行するだけ。

 魂の天秤は揺れ、巨大な《竜体》は砕かれていく。

 力を大幅に制限された状態では、再生能力もロクに機能しない。

 崩れる。

 《天秤狂い》の均衡は、あり得ざるモノとして儚く崩れていく。

 普通ならば、絶望して然るべき状況でも。


『――均衡が、乱れていますね』


 ヤルダバオトは、何も変わらない。

 変わらず、自分の中だけの天秤を見ていた。


『――――』


 最後に、吐息のような声が漏れた。

 だけどそれを、私たちは言葉として聞き取ることはできなかった。

 ……天秤は最後まで理解せず、される事もなく。

 そこには最初から何もなかったかのように、塵も残さず崩れ去っていた。

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