470話:美しき均衡のために


 ――流石にマジで死ぬかもしれん。

 何度目になるか分からない絶命の予感。

 死神が首根っこを掴もうとするのを、ギリギリで回避する。

 衝撃。

 ヤルダバオトが放つ光が、鼻先辺りを掠めていた。

 更に《吐息》は連続し……そのどれもが、当たる直前で弾けて散る。

 丁度俺の前に立つ形で、その男――ウィリアムは笑っていた。


「いよいよ進退窮まって来たな、竜殺し!」

「他人事みたいに言うよなぁ糞エルフ!」

『そろそろしにそう』


 《吐息》を防いだねこは、唸る声で限界を訴えた。

 大変申し訳ないが、もうちょっとだけがんばって欲しい。

 走る。

 魔剣を手放し、ボレアスもそちらに移した。

 つまり、今の俺は殆ど生身に近い状態だった。

 出せる力にも当然限界があり。


「《跳躍ジャンプ》……!!」


 それに魔法を上乗せする事で、どうにか誤魔化す。

 ヤルダバオトは未だに健在。

 さっきの全力での撃ち合いの後だが、ロクに消耗した様子は見られない。

 流石は《五大》の一柱だ。

 ギリギリ過ぎて、アウローラの様子を見る余裕もなかった。

 あっちがオーティヌスに勝てば、ヤルダバオトが止まる――かもしれない。

 止まらずとも、分けた戦力を合流させる事はできる。

 だからここが正念場だ。

 アウローラなら絶対に勝てる。

 俺はそれまで、がんばって耐え続ければ良い。


「まぁ、その耐えるってのがキツいんだけどな!」

『排除します』


 お決まりの文句を口にして、ヤルダバオトが光を振り下ろす。

 それを紙一重で掻い潜り、手にした剣を叩き込む。

 ウィリアムから一時的に借りた、月の光を宿す大剣。

 《月鱗》の刃は、魔剣と変わらない手応えで竜王の装甲を斬り裂いた。

 うん、こっちはこっちで良い剣だ。

 俺は糞エルフみたく、コレの「技」までは扱えないが。


「ッ……!!」


 深く抉った装甲は、またたく間に再生を果たす。

 ほぼ同時に、背後でヤルダバオトの放った光が炸裂した。

 熱と衝撃。

 吹きつけてくる圧力に、敢えて逆らわずに吹き飛ばされる。

 瓦礫の上を転がり、即座に立ち上がってまた走る。

 身体のあっちこっちが軋んだ。

 鎧の下は大分ボロボロで、流れる血は熱く冷たい。

 走りながら、懐から賦活剤を取り出す。

 それを一息に飲み干せば、全身の傷は音を立てて塞がっていく。

 キツいが、これでまだ戦える。


「竜殺しばかり構ってはバランスが悪いんじゃないか、《天秤狂い》!」

『――――』


 剣がないので、ウィリアムは弓を構えて矢を放つ。

 狙いは相変わらず正確無比――だが、その殆どが装甲に弾かれていた。

 一応、矢じりはヤルダバオトに傷を与えてはいる。

 ただその傷が、一瞬後には全て塞がってしまっているだけで。

 いやホント、厄介過ぎるだろコイツ。


『くそっ、何か昔よりも強くなってないかこの均衡バカ……!!』

「オーティヌスが使役しているようだからな。

 従えた上で、魔法か何かで強化している可能性は十分あるだろう」

「いやーマジでキツいわ」


 笑いごとじゃないんだが、思わず笑ってしまった。

 限界は近い。

 賦活剤も使って誤魔化してはいるが、身体も大分ガタが来ている。

 対するヤルダバオトは、一向に力が衰える気配はない。

 うん、最強の《五大》ってのは伊達じゃないな。

 耐えることはできても、このままヤルダバオトを討つのは不可能に近いだろう。

 けど、特に絶望はしていなかった。


「頑張って耐えれば良いって、もう結論出てるからな」

『――――』


 呟く声に重なる形で、ヤルダバオトの視線が刺さる。

 背負う正十字の光が強く瞬いた。


『均衡が乱れていますね』

「ホント、ずっとそれだなお前」


 ブレないと感心するべきだろうか。

 光が収束する。

 《天墜》の構えを俺に向けながら、ウィリアムへの牽制も忘れない。

 ガチで仕留めに来てるな。

 回避か、防御か。

 どちらも望み薄だが、それを見極めるために構える。


『排除します』


 そして、裁きの光が解き放たれた。

 回避はキツいが、ねこ抜きでの防御も困難。

 一か八かで前に抜けるルートぐらいか。

 覚悟を決めて、俺は全力で駆け出す。

 いや、駆け出そうとした。


「レックス殿!!」


 響くのはテレサの声だった。

 瞬間、全身が浮き上がる感覚に包まれる。

 《転移》だ。

 再出現したのは、ヤルダバオトからは離れた位置。

 振り下ろされた光は、先ほどまでいた空間をごっそりと抉り取っていた。


「間に合って良かった……!」

「いや、マジで助かった。ありがとうな」


 傍らで息を乱すテレサに、軽く礼を言っておく。

 微笑んで頷く彼女。

 と、翼を羽ばたかせる音が頭上から下りてくる。


「やれやれ、本当に紙一重だったな」

「おう、ボレアスか」

「無茶苦茶な扱いをしおって。

 案の定、死にかけておるではないか」


 呆れ顔で言いながら、ボレアスは俺に向けて手にしたモノを放り投げる。

 魔剣だ。

 空いた手で受け止めて、柄を強く握る。

 うん、やっぱり慣れてるこっちが一番だな。

 しかし、これが戻ってきたっていう事は――。


「――そちらの負けよ、ヤルダバオト」


 朗々と響く勝利宣言。

 名指しされたヤルダバオトは、その声の方を見た。

 アウローラだ。

 彼女の傍らにはテレサが、そして少し離れた位置にはオーティヌスがいた。

 後者に関しては、半ば地面に跪いたような状態で。

 どうやら、あっちは無事に勝てたらしい。

 オーティヌスは死んでない……いや、死んでる……?

 見た目が先ず髑髏なせいで、ちょっと区別が付きづらいな。


「見ての通り、オーティヌスは無力化したわ。

 私たちの勝ちで、これ以上続ける意味はない。

 そのぐらいは理解できるでしょう?」

『なるほど。確かに、オーティヌスは敗北したようですね』

『…………』


 《始祖》の王は無言。

 ヤルダバオトは、特に動揺した様子は見せない。

 視界の端で、ウィリアムがジリジリと動いて位置を調整している。


『ですが、それで?』

「……理解できていないの?

 お前を封印術式で縛っている相手は、こうして私が抑えた。

 その気になれば、オーティヌスを介して封印の下に拘束する事ができる。

 これ以上はやるだけ無駄よ」

「…………」


 正論だった。

 間違いなく、アウローラの理屈が正しい。

 使役者であるオーティヌスを倒せば、従えてるヤルダバオトも抑えられる。

 こっちも、その可能性が高いと考えてアウローラが勝つ方に賭けた。

 だが、これは……。


『言っている意味を理解しかねますね、竜の長子よ』

「……ヤルダバオト?」

「オイ、何か雲行き怪しくねぇか」


 アウローラの背で、イーリスが不安げな声を漏らす。

 多分、その考えは正しい。

 付かず離れずの位置に来たウィリアムに、借りてた剣を投げ渡す。

 何か言わずともボレアスは炎に変わり、再び構えた魔剣の刃に宿った。

 戦場に流れる空気は、変わらない。


『均衡が乱れています。

 私は揺れる天秤の平衡と、正十字が整うことだけを望みます。

 オーティヌスが敗北した事は、それとは何の関係もありません』

「……状況を理解してないの?」

『理解していないのは貴女でしょう、長子よ。

 いえ、私は理解は求めませんが』


 言葉は通じている。

 だが、決定的に会話が噛み合っていない。

 価値観の断絶を改めて見せつけながら、ヤルダバオトは動く。


『天秤は釣り合い、正十字は整う。

 そのために、私は全てを排除します』

「ッ……この《天秤狂い》め……!!」


 全方位を巻き込む形で放たれる光の《吐息ブレス》。

 テレサを庇いながら、飛んできた矢を剣で叩き落とす。

 まぁ、こうなる可能性も考えてはいた。

 考えてはいたが、実際にそうなると言葉が出てこないな。


「すみません、レックス殿……!」

「いやいや、大丈夫だ」

『これで決着だと、ついさっきまで長子殿はドヤ顔だったんだがなぁ』


 とはいえ、こればかりは仕方ない。

 荒ぶるヤルダバオト。

 振り撒かれる《吐息》を、ウィリアムは構えたねこ盾で凌いでいた。

 あっちもいい加減に限界な気がするんだよな。

 で、アウローラの方は。


「オーティヌス……!」

『っ……』


 イーリスを守る片手間、動けない老魔法使いを締め上げていた。

 力を失った様子で、オーティヌスは抵抗する素振りも見せていない。


「今すぐにヤルダバオトを止めなさい!」

『……先ほどから、それを試みている』

「なら……!」

『だが、奴がそれを

「……は?」


 意味が分からない。

 戸惑うアウローラに、オーティヌスは乾いた声で笑う。


『私は大真竜として、確かにヤルダバオトを使役している。

 だが、それはあくまで奴の同意があった上での関係に過ぎん。

 封印術式は、竜の魂を封じるためだけのもの。

 術式そのものに、あの《天秤狂い》を支配する効果はないのだ。

 私が万全であれば、無理やり従えることもできるが――』

「……今、アンタは魔剣にぶち抜かれたせいで弱ってる。

 だから、ヤルダバオトは無理やり術式による制御を拒否してると?」

『そういう事だ』

「最悪……!!」


 イーリスの確認に、《始祖》の王は頷く。

 アウローラの声は半ば悲鳴に近かった。


『私は捨て置くが良い、今はもうまともに戦う力もない。

 ヤルダバオトは巻き添えなど気にはせんだろうが、元より死体と変わらぬ身だ。

 お前も、まさか私に情けをかけるつもりもあるまい?』

「……それはそうでしょうけどね」


 諦めの混じったオーティヌスの言葉。

 それを聞いて、アウローラは低く唸った。


「お前にはまだ利用価値があるわ。

 負かして言うこと聞かせるつもりだったのに。

 ここで死なれでもしたら、それこそ丸損じゃないの」

『…………』


 そう言うアウローラに、オーティヌスは何も応えなかった。

 彼女はそのまま、骨の首根っこを掴んで。


「レックス!」


 《天秤狂い》の放つ破滅の光が降り注ぐ中。

 イーリスと共に、俺たちの方へと一息に飛んできた。

 ハグの一つもしてやりたいが、流石に今は余裕がない。

 テレサと並び、飛んでくる《吐息》を片っ端から叩き落とす。


「ごめんなさい、これで片付くと思ったんだけど……!」

「いや、オーティヌスを抑えてくれただけでも十分過ぎるぐらいだ」


 申し訳なさそうにするアウローラに、俺は笑って応えた。

 片方の戦場が片付いた事で、残る戦場は一つだけ。

 それだけでも大戦果だ。

 後は、あのヤルダバオトをどうにかすれば良いだけだからな。


『――まぁ、あの《天秤狂い》を討つのが難事ではあるがな』

「そこはがんばるしかないからなぁ」


 いつものこと、いつものこと。

 少なくとも、戦力としてアウローラとテレサがこっちに加わってくれるんだ。

 それだけでも随分と勝機が見えてくる。


「……普通の殴り合いじゃ、オレは役立たずだからな」

「イーリスさんもがんばってくれるって信じてるから……」

「おめェ雑な無茶振りするのやめろよ……!」


 なんだかんだ言って、毎度無茶をこなしてくれてるしなぁ。

 そこはほんのり期待しつつ、こっちはこっちでがんばらねば。


『――天秤を揺らす者たち。

 私はただ、美しい均衡のみを求めています』


 温度のない声。

 冷たいのに、燃える炎のような熱を併せ持つ矛盾。

 永遠に水平を保つ天秤。

 ヤルダバオトは、結局何も変わること無く脅威として立ちはだかる。


『理解は求めません。

 私はあなた方を――いえ、全てを排除します』

「……自分基準で、身勝手に何もかもを無くそうとするところ。

 今更だけど、愚かな父にそっくりよね。お前」

『かもしれませんね』


 揶揄するような言葉に、大真面目に頷いた。

 認めながらも、決して揺らぐことはない。

 ヤルダバオトは変わらず、俺たちを排除するために動き出した。


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