374話:神を討つ


『これ、は……何故……!?』


 悲鳴に近い絶叫。

 傷から溢れ出す蒼い炎に焼かれながら、《秘神》は掠れた声で叫んだ。

 こんな事はあり得ないと。

 現実に対して幾らごねたところで状況は変わらない。

 悶絶する巨神に俺は剣を振り下ろす。

 蒼い炎はこっちを親切に避けてくれたりはしない。

 余波だけで鎧の表面が焦げ付く。

 熱は甲冑越しに肉も焼いてくるが、俺は構わずに刃を打ち込む。

 魂すらも焼き切る《蒼炎》。

 その青褪めた火を剣に焼き付け、黒金の装甲を斬り裂いた。

 さっきまでは継ぎ目を狙う必要があった《秘神》の外殻。

 しかし、《蒼炎》を喰らった一刀は装甲の強度を無視する。

 容易く下の肉ごと切断すれば、《秘神》は苦痛の叫びを上げた。


『何故、何故だ、何故……!?

 《鬼神》の魂は完全に、私の内に取り込んだはず……!

 なのに、何故こんな事が……!!』

「そりゃあお前が消耗してきたからだろうよ」


 意味が分からないと。

 無意味に繰り返す《秘神》に言葉を返す。

 別に何も難しいことはなかった。

 細かくは推測だが、《秘神》は打ち負かした《鬼神》の魂を呑んでいたんだろう。

 そうして黒金の装甲など、力の一部を自分のモノとして利用していた。

 ……神の魂は不死不滅。

 その性質は大陸における古竜と変わらないはずだ。

 或いは、その不滅性に関しては《古き王オールドキング》以上の可能性すらある。

 だから《秘神》の内で、《鬼神》の魂も変わらず存在してると考えた。

 《秘神》の力によって抑え込まれ、有する権能だけを利用されている状態。

 しかしもし、封じている《秘神》の力が弱まったら?

 不滅の神であっても、力を行使し続ければ疲弊も消耗もする。

 それはアストレアの戦いで目の当たりにしていた。

 《秘神》も例外ではないと、ここまで消耗させるための戦いを仕掛け続けた。

 その結果は今、目の前にある通りだ。


『ギ、ィ、ガアァアアアアァア!!』


 吼える。

 恐らく内側で暴れ出した《鬼神》を抑え込もうとしてるのか。

 炎が吹き出している傷の多くが、急速に塞がっていくのが見えた。

 勿論、それを黙って眺めてやる理由もない。

 切っ先に蒼い火の粉を散らす刃。

 塞がりかけた傷に剣を振り下ろし、無理やり切り開く。

 再び噴き出す蒼い炎。

 肉の焼け焦げる臭いが《秘神》の身体から漂ってきた。

 あれだけ頑丈だった黒金の外皮も、脆い土塊のようにボロボロと剥がれ出す。


「……無様な姿ね、《秘神》」


 蒼い炎を浴びながらも。

 《巨人殺し》は一切怯む様子を見せない。

 肉も骨も焼かれながら、崩れだした《秘神》の装甲を更に抉る。


『この、実験体風情が……!!』


 憤怒の声を上げ、《秘神》はどうにか少女を引き剥がそうとした。

 だが、彼女は決して屈する事はない。

 力場で吹き飛ばそうが、振り回した手足で叩き潰そうが。

 すぐに立ち上がり、ほんの僅かな間も置かずに即襲い掛かる。

 繰り返す。何度でもそれを繰り返す。

 その姿から感じられる執念。

 ――絶対に、お前はここで滅ぼす。

 《蒼炎》で燃やされている身体を、その絶大な精神力で強引に動かしていた。

 炎に包まれた拳を叩き込めば、黒金の外殻に容易く穴が開く。

 下等だと、虫ケラ風情と侮った者たち。

 それらに追い詰められているという事実に、《秘神》は酷く混乱しているようだ。


『ッ……馬鹿な、こんな、こんな事、あり得ん、あり得るはずが……!!』

「――お前は本当に愚かね、《秘神》アベル」


 そんな神様気取りを嘲笑う声。

 それはアウローラが発したものだった。

 抱える俺の腕に身を預けたまま。

 もがくように暴れている《秘神》の姿を見ていた。


「自分は完璧で完全だと誤認して。

 自分以外のモノを格下だと嘲り油断して。

 その果てが今のお前よ、アベル。

 愚鈍で浅薄、この世の誰よりも傲慢なその性。

 ――そっくりよ、本当に。

 《造物主》と名乗った哀れな父と、お前は本当に良く似てるわ」

『ッ…………!!』


 憐憫をたっぷりと含ませた嘲笑。

 それは《秘神》をブチギレさせるには十分過ぎるほどの威力があった。

 ただ、怒り任せに力を振り回す余裕は最早ないようで。

 アウローラに対し、憎悪で煮え滾る眼で睨むのが関の山のようだ。

 睨んで、それから《秘神》は大きく息を吸い込む。

 噴き出す《蒼炎》をまた身の内に取り込む形となっているが――。


『グ、ガアァアアアア――――!!』


 汚く響く咆哮。

 大きく開かれた《秘神》の顎から、大量の《蒼炎》が吐き出される。

 青褪めた炎が、まるで滝のように流れて荒れ地を焼き焦がす。

 こっちは変わらず《秘神》の上を飛び回っている。

 だから幸い、その炎の流れに呑まれずに済んだ。

 ただ、下で戦っていた《巨人殺し》はモロに呑み込まれてしまった。

 まぁ多分、大丈夫だとは思うが。


『が、ハッ……!! だが、これで――――!!』


 吐き出された蒼い炎。

 《秘神》がボロボロの腕を振るうと、力場が足元で渦巻く炎を薙ぎ払う。

 見れば、《秘神》が纏っていた黒金の装甲が全て剥がれていた。

 それとゲロみたいなノリで吐いて蹴散らした《蒼炎》。

 どうやら手に負えないと判断し、《鬼神》の魂を完全に吐き捨てたか。

 吹き飛ばされた《蒼炎》は消えはしないが、四方八方に細かく散ってしまった。

 その様を見た上で《秘神》はニヤリと笑う。


『ハハハッ、このまま……!』

「逃げれば良いと、そう考えているのか?」


 これで何度目になるのか。

 《秘神》が吐こうとした戯言を、アストレアの声が遮る。

 同時に、眩い輝きが世界を焼いた。

 立ち上る光の柱は、俺も見覚えがある。

 裁きの神が有する最大の権能。

 山よりも遥かにデカい《巨人》を消し飛ばした最強の一撃。

 余裕が戻りかけた《秘神》の顔が一気に強張った。


「逃がすワケがなかろうが、馬鹿め」


 《粛清の剣ケラウノス》。

 右腕を高く掲げて、アストレアは裁きの光を構えている。

 ――まともに喰らえば終わりだ。

 《秘神》も、今までコレだけは直撃しないよう立ち回っていたはずだ。

 だからこそ反応は素早かった。


『馬鹿はお前だ、小娘がァ!!』


 嘲りを吼えて、《秘神》は光を掲げるアストレアに腕を伸ばす。

 開いた指から放たれるのは圧縮した力場。

 それは小型の竜巻にも等しい。

 大技を構えていたアストレアには回避も防御も不可能。

 無防備に直撃し、細い身体が派手に吹き飛んだ。


「ッ……!?」


 それを受け止めたのは《飛行》で空にいたテレサだった。

 イーリスを抱えながら、派手に飛んできたアストレアを器用にキャッチする。

 衝撃に息を詰めてはいるが、ギリギリで耐えたようだ。


「おい、無事か!!」

「……あぁ、このぐらい、問題……ない」

「無理に喋らなくて良い」

『ハハハハハハハハ!!

 人間に救われるとは、《裁神》の名が泣くぞ!!』


 アストレアの姿を無様だと《秘神》は笑う。

 力の多くを失ったボロボロの身体。

 それをテレサやイーリスの手に預けたまま、アストレアは。


「……やはり、お前は馬鹿だよ。《秘神》アベル」


 笑っていた。

 侮蔑よりも憐憫を込めた笑み。

 その頭の悪さをアストレアは憐れんでいた。

 気付いていない。

 《秘神》はその瞬間まで気付いていなかった。

 アストレアに《粛清の剣》を放つだけの力なんて無かった事に。

 ただそのように見せかけただけで。

 あまりに単純過ぎるフェイントだったが、《秘神》は見事に引っ掛かった。

 愚かな神の眼は、放たれる事のない裁きの光に釘付けだ。

 こっちはただ、その死角を狙うだけで良かった。


「オラァ――!!」


 迫る直前までは呼吸を止めて。

 剣の間合いに踏み込んだと同時に、俺は気合いを吐き出した。

 一閃。

 狙うのは《秘神》の首だ。

 黒金の外殻が剥がれた下は、濃い銀色の装甲が現れる。

 これも竜の鱗程度には頑丈のようだ。

 そしてその程度であれば、この剣は容易く斬り裂くことができた。

 横薙ぎに振り抜いた刃が《秘神》の首を深く抉る。

 やはり血は流れない。

 だが手応えは間違いなくあった。


『ガ、ァ……!? き、さま――――』


 何か叫ぼうとしたが無視した。

 刻む。斬り裂く。

 《鬼神》を吐き出した影響か、再生の速度は上がっている。

 ただ、既に受けたダメージと消耗は確実に残っている。

 速度は上がっていても、それほど劇的なものではなかった。

 そして首は殆ど千切れかけてはいるが。


『オオオォオオオオオオォ――――!!』

「ッ……!?」


 死なない。

 《核》を破壊しない限り、《秘神》は止まらない。

 どれだけ消耗しても、振り回す力場のパワーは破壊的だ。

 甲冑ごと身体を粉砕しようとする圧力。

 内に宿るボレアスの炎を燃え上がらせ、それを強引に押し退けた。

 骨やら何やらが嫌な感じに軋む。

 死神の息遣いが首の辺りに触れるのが分かった。


『いい加減に諦めろ、人間が……!!』

「嫌だね!!」


 一言だけ返して、俺は剣を振るう。

 《核》が何処にあるのか。

 それは未だに見切っていない。

 とりあえず急所は頭かと、そのぐらいの思考で狙っているが。

 人間の心臓みたいに、胸に埋まってる可能性も考えられる。

 どちらかは分からないし、探っている暇もない。

 俺は兎に角、先ずは頭をぶった斬ろうと跳躍した。


「くたばれ――!!」


 《秘神》の振り回す力場を突破し。

 振り下ろした刃は、真っ直ぐに《秘神》の頭を貫いた。

 切っ先に感じる硬い感触。

 それは骨や外殻とはまた異なるものだ。

 残る力の全てを振り絞って、剣の柄を握る。

 竜の鱗よりも頑強な「ソレ」に、無理やり切っ先を捩じ込んだ。

 そして。


『―――――ハ、ハハ』


 笑ったのは《秘神》の方だった。

 深く突き刺さった刃は、確実にその奥にあるものを砕いた。

 それが《核》である事は間違いない。

 だが。


『分かっているだろう、《核》が一つとは限らないと……!!』


 勝ち誇った声で《秘神》は笑っていた。

 俺の剣は《核》を砕いた。

 そして、それだけでは足りなかった。

 全力を出し切った直後で、動けない俺に対して。

 《秘神》は嘲りながらその手を伸ばす。

 破壊的な力場が渦巻く指先。

 これで直接、俺とアウローラを纏めて握り潰す腹積もりか。


『さぁ無力を噛み締めながら死ねよ!!

 私の勝ちだ、虫ケラ――!!』


 俺もアウローラも。

 どちらも動けなかった。

 動かないまま、勝ち誇る《秘神》を見ていた。


「どう思うよ」

「さぁ、私から言えるのは一つだけね」


 アウローラは笑っていた。

 何も気付いていない《秘神》アベルの愚かさを笑う。

 そう、気付いていない。

 アストレアのフェイントに引っ掛かった時と同じ。

 もう排除すべき脅威は、俺たちだけだと決めつけていた。

 この場には、戦う者がもう一人。


、《秘神》アベル」

『な――――』


 憐れむように笑うアウローラに。

 《秘神》は何かを言い返そうとしたようだった。

 けれど、その言葉が続く事はない。

 目前まで迫っていた指からも、急速に力が失われていく。


『ぁ――――な、ぜ――――?』

「……さて」


 理解できないと。

 そう困惑したまま、《秘神》の声は完全に途切れた。

 その様を見届けてから、視線を下へと向ける。

 《秘神》の胴体辺り。

 細く白い手が、銀色の体表を内側から裂いていた。

 素手で肉を引き千切りながら、現れたのは《巨人殺し》だ。

 装備も何も失った、殆ど全裸の状態。

 首には相棒の黒蛇だけを巻いた姿で、彼女は《秘神》の体内から抜け出した。

 恐らく、アストレアに気を取られたタイミング。

 あの時点で《秘神》の胴体に刻まれた傷から潜り込んでいたのだろう。

 彼女の手には、砕けた赤い破片が握られているのが見えた。

 それを更に細かく握り潰しながら、一言。


「……《巨人》は、殺す」


 目的の完遂を告げるその言葉。

 こうして、《秘神》アベルとの戦いは終わりを迎えた。


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