375話:神殺しの後に


「しにそう」

「私もよ」

『まぁ生きてるだけで奇跡の類だろうよ』


 ぐったりと。

 俺とアウローラは、折り重なる形でぐったりと伸びていた。

 位置は当然、俺が下でアウローラが上だ。

 羽のように軽いので、胸に乗っかられてる状態でも特に苦ではない。

 とはいえ、もう全ての力を出し切った後だ。

 彼女がどれだけ軽くても、今は抱えて立ち上がるのは難しそうだった。

 と、見上げる視界に影が差す。


「……勝者とは思えん、無様な姿だな」


 それはアストレアだ。

 顔と声のどちらにも呆れを含ませて、ついでにため息も添えてくる。

 ただ、其処に嫌悪の感情は見られない。

 どこか労うような、そんな気配さえ感じられた。


「そっちもボロボロだなぁ」

「私は神だぞ、人間であるお前と一緒にするな」

「その人間に支えられながら言うこっちゃねェだろ神様」

「イーリス、止すんだ」


 そう。

 無様と言いつつも、アストレアも自力では立てない状態だった。

 腕をテレサとイーリスにそれぞれ支えられ、何とか倒れずに済んでいた。

 その事実を指摘されても、《裁神》様は特に気にしないようだ。

 まだ短い付き合いではあるが、微妙に図太くなったのかもしれない。


「ちなみに、《秘神》は倒したってことで良いんだよな?」

「……そうだな」


 アストレアに聞きながら、どうにか首だけ動かす。

 俺たちが上に乗っているモノ。

 ピクリとも動かなくなった《秘神》の残骸。

 《核》を失った影響か、あれだけ荒ぶっていた力は完全に消え失せていた。


「神の魂は不死不滅。

 あくまで、《核》を失った事で行動不能に陥っただけではあるだろう。

 それでも倒したと考えて間違いはあるまい」

「……そうね。当分、自力で動くのは不可能。

 後は念のため、残った肉体は砕いておきたいわね」


 アストレアの言葉に応じて、《巨人殺し》も姿を見せる。

 《秘神》がもう動けないのか念入りに確認をしていたようだ。

 相棒が出したボロい外套を、一糸まとわぬ身体に申し訳程度に羽織っていた。


『一時はどうなることかと思ったが、ホントに《秘神》に勝つとはな……』

「信じてなかったの、お前?」

『信じてたさ。信じてたが、驚くぐらいは当然だろ?

 どれだけ愚かで性根が腐っていても、《秘神》の力は強大だ。

 幾らかの偶然や、コイツ自身の油断があったとはいえ。

 それを神でもない者たちが討ち取ったんだ。

 《巨人の大盤ギガンテッサ》に流れた時の中でも、これほどの奇跡はそうないぞ』

「……そうね」


 やや興奮した様子で語る黒蛇に、《巨人殺し》は小さく肩を竦めた。

 奇跡、奇跡か。

 まぁみんな頑張ったからな。

 そのぐらいの事は起こせて当然だろう。

 などと考えていたら、目の前に細い手が差し出された。

 テレサだ。


「立てますか?」

「がんばる」

「私はこのまま寝てしまいたいぐらいよ」


 遠慮なくテレサの手を掴み、どうにかこうにか立ち上がった。

 アウローラはひっついて離れないので、そのまま剣を持った腕で抱えておく。

 一瞬ふらつきかけたが、どうにか踏ん張って。


「ふー……」

「おう、マジでしんどそうだな」

「いつもの事っちゃいつもの事だけどな。

 ホントに死ぬかと思ったわ」

「私も、こんなに一気に何度も死んだのは初めて」

「それ冗談のつもりで言ってるなら笑えねェんだけど」


 イーリスさんにツッコまれて、「そうかしら」と《巨人殺し》は首を傾げる。

 うん、どうやら本人なりには渾身のジョークのつもりだったらしい。

 無表情のはずが微妙にしょんぼりとした空気が漂っていた。

 まぁ、流石にちょっとブラック過ぎたから仕方ないね。

 で、それは兎も角として。


「コイツ、どうするんだ?

 神様は不死不滅って事だし、ぶっ殺すのは難しいんだよな」

「そうだな。遺憾だが、コレでも《人界》を統治する十の神々の一柱。

 この場で滅ぼす、というのは私であっても困難だ。

 どうあれ一度は《人界》に連行する必要はあるが……」

「……このデカブツを? どう持ってくの?」


 俺にひっついた状態で、アウローラが訝しげに呟く。

 《巨人》の本性を表したまま機能停止してしまった《秘神》。

 確かに、これをこの状態で運ぶのはしんどい気がする。

 「馬鹿を言うな」と、アストレアはその可能性を短く否定した上で。


「当然、この肉体から魂だけを隔離して運ぶに決まっているだろう。

 むしろ問題は、まだ《人界》までは距離がある事だ」

「あぁ、なるほどなぁ」


 アストレアからすれば、一刻も早く《秘神》を正式に裁きにかけたいはずだ。

 しかし、今の彼女は俺たちにとっての案内人。

 それに合わせて《人界》に向かうと、どうしても時間が必要になる。

 ではどうするべきかと悩んでいると。


「……なら、そっちは俺の方が引き受けよう」

「うん?」


 聞き覚えのある、若い男の声。

 青褪めた炎が一瞬だけ渦を巻き、その後には黒い影が俺たちの傍に降り立った。

 見慣れた――という程の間柄でもないか。

 兎も角、そこには《鬼神》バサラが佇んでいた。

 俺は軽く手を上げると、向こうも同じように手を上げて応えてくれた。


「おぉ、もう復活したのか? 流石は神様だな」

「復活した、というと少し語弊があるけどね。

 君たちのおかげで《秘神》の支配からは脱することができた。

 とても本調子とは言い難いが、とりあえず実体を作る程度はどうにかね」

「……バサラ」

「そんな申し訳無さそうな顔をしないでくれ、アストレア。

 あの大馬鹿を大人しくさせる事ができたんだ。

 ここは結果オーライと笑うところだろう」


 結果的に、囮として一人で戦わせてしまった事。

 アストレアはその事を悔いているようだ。

 当の《鬼神》は全く気にした様子もなく、軽い口調で笑ってみせた。

 同僚の肩を少し叩いてから、《鬼神》は横たわる残骸へと手を伸ばす。

 指先に蒼い火を灯し、手首から先までが一息に肉の中に沈んだ。

 何かを漁るように、暫く動かしてから。


「……よし、いたいた」


 ぐいっと。

 畑から野菜でも引っこ抜く気軽さで「何か」を引き抜いた。

 それは赤黒く揺らめく炎のようにも見えた。

 アウローラは目を細めて観察する。


「……《秘神》の魂ね。

 逃げてやしないかと、ちょっと心配だったけど」

「私も眼を光らせていた。

 この状況で逃げ出す事など不可能だ。

 《秘神》自身も、先の戦いで随分と消耗しているからな」

「うん、俺も隙を見て逃げ出されるかが気がかりだった。

 結果的には杞憂だったようだね」


 アストレアの言葉に頷きながら、《鬼神》は燃える魂を強く握り締める。

 暴れる大蛇を抑えてるような感じだな。

 その不可思議な様子を、イーリスは首を傾げながら眺めていた。


「……なんか、不思議な感じだな」

「まぁ、魂なんてものを物理的に見る機会はないだろうからな」

「つーか、魂って目に見えるモンなのか?」

「普通は見えん。単純に、《秘神》の魂が宿す熱量が強大なだけだ。

 そのせいで物理的に視認が可能なほど、空間に影響を及ぼしているんだ」

「なるほどなぁ……」


 イーリスとテレサ。

 二人の人間に、物珍しげに見られるのが気に障ったか。

 《鬼神》に掴まれた状態で、《秘神》の魂は激しくのたうつ。

 が、結局は無駄な抵抗に終わる。

 握る手の力を強めれば、あっさりと抑えられてしまった。


「さて、立ち話をする時間も勿体ないだろう。

 俺はこのまま、一足先に《人界》に戻らせて貰うよ」

「あぁ、済まないが頼む」

「良いさ。助けられた借りもある」

「……それは私よりも、あちらに言うべき事だな。

 神としては、不本意極まりない話だが」


 ホントに、心底不本意そうに言いながらも。

 アストレアは俺の方をチラリと見た。

 これは親指でも立てておくべき場面だろうか。

 やったら「剣」が飛んできそうな気がしたので、ギリギリで思い留まった。

 そんな俺の様子に、《鬼神》はほんの僅かに首を傾げている。


「や、悪い悪い。別に何でもないんだ」

「そうかい? アストレアの言う通り、君のおかげで助かったよ。

 ……俺に勝ったばかりか、本当に《秘神》にまで勝つとは。

 ここまで驚かされっぱなしだよ」

「俺一人で勝ったワケじゃないから、そんなエラそうにはできないけどな」

「謙虚なのは美徳だと思うね」


 笑う。

 俺と《鬼神》で互いに軽く笑い合って、それからすぐに離れた。


「少し遠いけれど、《人界》までもうすぐだ。

 向こうで待っているから、君らも早く来ると良いよ」

「そう軽く言うものではないぞ、バサラ」

「これは失礼。

 《秘神》は排除したけど、道中気を抜かないように」


 アストレアの苦言に笑って応えると。

 赤黒い魂を捕まえたまま、《鬼神》はふっと姿を消した。

 空間を渡ったか、それとも目に見えない速度で跳んだのか。

 どっちも有り得そうなのが怖いところだ。

 消える残像を見送ってから一息。


「よし、ちょっと休んでから行くか」

「賛成。ホント、私も流石に疲れちゃったわ」

「長子殿が口に出すとなるとよっぽどだな」


 俺の腕にしなだれるアウローラ。

 剣から実体化しつつ、ボレアスがその姿を見て笑った。

 笑われた方はその言葉を聞き流し、こっちに手を回して身を寄せる。

 その様子が愛らしくて、髪をそっと撫でてやった。

 嬉しそうに喉を鳴らす姿は殆ど猫だな。


「……できれば、こちらもすぐに《人界》に辿り着きたいが。

 確かに、この場の全員が疲弊し切っているのは事実だ。

 休むのなら異論を挟むつもりはない」

「もうちょっと素直な物言いしても良いと思うぞ、オレは」

「黙れ」

「そうそう、そんぐらい素直にな」

「イーリス」


 睨む神様に対して、イーリスは楽しげに笑い返した。

 テレサからしたらハラハラしっぱなしだろう。

 まぁ、アストレアの態度は口ほどには厳しくもない。

 何だかんだで打ち解けて来てるのか?

 言葉にしても否定されるのがオチだろうから、それは胸に秘めておく。


「……休むのは、またあの『隠れ家』?」

「ええ、そうね。

 《鬼神》との戦いで荒らされちゃったから、修復する必要はあるけど。

 一晩寝泊まりする分には困らないはずよ」

『ブラザーともども、またお世話になって問題ないかい?』

「そりゃ旅の仲間だしな、遠慮しなくていいぞ」


 頷けば、《巨人殺し》は少しだけ笑ってみせた。

 《秘神》の語った事が事実なら、アイツは彼女にとっては因縁の相手だ。

 それをぶっ飛ばしたからだろうか、表情は以前よりも明るい気がする。

 スッキリできたんなら何よりだ。

 《秘神》もしょっぴかれたようだし、これで――。


「……?」

「? レックス?」

「……どうした、イーリス?」

「ん。あー、いや」


 アウローラが俺に呼びかけたのと。

 テレサが妹のイーリスに声をかけたのは、殆ど同じタイミングだった。

 俺とイーリスは、魂を失った《秘神》の残骸を見ていた。

 何がどう、というワケじゃない。

 本当に何の根拠もなく、少し気になる感じがした。

 こっちは単なる勘だが……。


「イーリスは何かあったか?」

「……分かんね。ちょっと、嫌な感じがしただけだよ」

「そうか」


 ふーむ。

 正直、俺も何がどうと言えるワケじゃないんだが。


「この残骸、できる限り壊しておくか」

「こっちは最初からそのつもりだけど」

「コレを粉々とか、またエグい絵面になりそうだな……」


 げんなりするイーリスの肩を、《巨人殺し》が軽く叩いた。

 自分がやるから、離れた場所まで下がっていて構わない――とか。

 多分そんな意味合いだろうな。

 実際、《巨人殺し》は腕を回すなりして早速始めるつもりだ。


「ふむ、この状態でも《光輪》は有効か?」

「いや、魂が抜けた亡骸ならば権能は失われているはずだ」

「……正直嫌だけど、もうひと仕事しなきゃダメそうね」


 ボレアスの確認を聞きながら、アウローラは嘆くようにため息を吐いた。

 その頭をぽんぽんと撫でて。


「全員でやればすぐだ。あくまで念のためだしな」

「……ええ、そうね。

 貴方がやるなら、私ももう少し頑張るわ」

「助かるわ」


 クスクスと笑って、アウローラは兜の上からそっと口づけた。

 どれだけ疲弊していても、それだけでちょっと元気になる。

 我ながら現金な話だと自分で笑ってしまった。

 ……それから、俺たちは《秘神》の残骸を解体する作業に入った。

 だが結局、可能な限り粉々にしても特に変化はなく。

 余計に疲れた俺たちは、開かれた「隠れ家」の扉になだれ込むのだった。

 

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