309話:彼方の海
分かっちゃいたが、外は酷い有様だった。
空を覆い隠す分厚い黒雲。
風は渦を巻き、雨粒は降り注ぐ矢の勢いだ。
四方八方に稲妻が飛び交う地獄の光景。
《竜体》内部に突入した時よりも遥かに酷い。
そんな嵐に晒されて、海もまた凄まじい荒れ狂い方をしていた。
「いつの間にやら海まで移動してたんだな」
「……それは多分、あちらが頑張ったんでしょうね」
呟く俺に応えながら、アウローラは空を見上げる。
吹き荒れる嵐で視界が悪く、気付くのが遅れてしまったが。
強烈な風雨に逆らって飛び続ける、青い鱗を持つ竜がそこにいた。
見覚えのある姿だった。
「マレウス!」
『姉さん……!!』
アウローラがその名を叫ぶと、感極まった声が返って来た。
ボレアスの翼が風を裂き、マレウスの《竜体》に向かって一気に飛翔する。
背中の辺りに辿り着くと、そこにも見覚えのある姿があった。
「ほう、こんなところにいたか。ヴリトラ」
『もうちょっとこう、心配してくれても良いのよ?』
笑うボレアスに、猫はぐったりと寝転がりながら応えた。
成る程、マレウスとヴリトラの二人で頑張った感じか。
《竜体》の背に、俺たちはそれぞれ着地する。
と、足を付いた途端にふらつくイーリスを、テレサが素早く支えた。
「大丈夫か?」
「あぁ、悪い。まだどうにもフラフラして……」
「ついさっきまで死んでいたから、まだ身体が慣れてないのでしょうね。
テレサ、お守りは貴女に任せるわよ」
「ハッ、勿論です」
アウローラの言葉に、テレサは即座に頷いた。
そのやり取りを聞きながら、嵐の底を見下ろす。
海だ。遠い昔に一度だけ見た覚えがある。
その時と違って、今は酷く荒れ狂っているワケだが。
膨大な水のうねりの中に、鋼の鱗を纏った巨竜の姿がある。
大真竜ヘカーティア。
『――――――ッ!!』
“嵐の王”たる竜は、水に囚われたまま凄まじい咆哮を上げた。
その声に、吹き荒れる嵐はまた激しさを増した気がする。
加えて、半分以上が水に沈んでいた身体が徐々に浮き上がり始めていた。
「マレウス、これは貴女が?」
『ええ、どうにか海に沈めて動きを封じてるん、だけど……!』
『オレも頑張ってまーすチクショウ眠い!!』
猫の嘆きは置いとくとして。
今も《古き王》二柱は、ヘカーティアの《竜体》を抑え込んでいた。
確かマレウスは水を操る竜だったはず。
大量の水がある海まで押し出して、そこで封印していたと。
作戦は上手く行った様子だが、今まさに限界を迎えつつあった。
「……もう完全に理性を失っているな」
微かに憐れみを込めて、ボレアスは小さく呟いた。
自己を喪失し、狂える魔竜と化した“嵐の王”。
テレサに支えられながら、イーリスは強く奥歯を噛み締める。
その頭を、俺は軽く撫でておいた。
「……何だよ」
「任せろって、そう言っただろ?」
「分かってるよ。頼りにしてんだぞ、スケベ兜め」
「ハハハハ」
それだけ言えるなら大丈夫だろう。
軽く笑って、それから俺は剣を構えた。
「ヘカーティアの《竜体》を砕く。良いよな?」
「……それは問題ないけど、このまま戦うのは余り良くないわね」
そう言ったのはアウローラだった。
彼女は難しい顔で、水から這い出そうとするヘカーティアを見ていた。
何が問題なのかと首を傾げる俺に、アウローラは言葉を続ける。
「陸地がまだ近い。
今もヘカーティアの嵐は強力になり続けてる。
戦うのは良いけど、状況を見た他の大真竜に介入されるのは避けたいわ」
「まぁ、どう見ても大陸のピンチだもんなぁ」
指摘されて気付いたが、確かに風雨の向こうにうっすらと陸地が見える。
ここはまだ大陸の近海であるらしい。
『聞くの怖いけど、それならどうするんだ? 長兄殿』
「決まってるじゃない。もっと遠くの海まで押し出すのよ。
下手に横槍を入れられないぐらい、ずっと遠くへね」
『……それって、まさか』
マレウスの声は、緊張感からか少し硬い。
大陸から遠く離れた海。
俺は微かに、「海の向こう」の話を聞いた事を思い出していた。
「《断絶流域》。
――かつて《造物主》は、この大陸の内と外との行き来を永遠に遮った。
終わらない嵐と迷宮と化した海、そして空間そのものを切り離す壁によってね」
「ヘカーティアを、そこまで無理やり押し出そうと。
長子殿はそう言うのだな?」
「ええ、そうよ。
《断絶流域》まで押し込めば、大陸への影響なんて微々たるものでしょう?」
「とりあえず、そこまで戦場を押し込むって事か」
そこだけ理解できてれば問題なさそうだ。
《断絶流域》っていう場所については良く分からんが。
足下付近で伸びていた猫が、凄く嫌そうな声で唸っている。
『なぁオイ、長兄殿』
「あら、なにか文句でもあるの?」
『文句っつーか。その、戦う場所を《断絶流域》に移すのは良いけど。
暴れるヘカーティアを、そこまでどう移動させんの?』
まぁ、大事なのはそこだよな。
猫の質問に対して、アウローラはにっこりと微笑んだ。
何も考えなければ最高に可愛らしい笑顔で。
「がんばって?」
『クッソー! やっぱりそういう話かよぉ!!』
「こっちも手伝ってあげるから。問題ないでしょう、マレウス?」
『ええ、勿論よ。姉さん。私頑張るから!!』
「猫と違って貴女は良い子ね。
ほらヴリトラも、限界まで頑張って頂戴?」
マレウスさんが嬉しそうで何よりです。
実際、彼女や猫の協力は必要不可欠だろう。
それほどまでに、狂ったヘカーティアは強大だった。
「では、やるのか?」
「ええ。先ずはヘカーティアを《断絶流域》まで押し出す。
本番はそこからね」
「本番に辿り着くまでが大変そうだなぁ」
いやホントに。
マレウスは《竜体》の翼を広げ、猫は仕方なしと起き上がる。
俺はテレサとイーリスの二人を庇う位置に立った。
水に沈んでいるヘカーティアから一番近い場所にはアウローラが。
狂った鋼の巨竜を、彼女は見下ろしている。
「私が合図をしたら、水の拘束を解きなさい。
そうしたら全力で海の彼方までヘカーティアを押すわよ」
『ええ。任せて』
『任せて欲しくないけど頑張るわ』
「良いお返事ね」
そう笑いながら、アウローラ自身も魔力を練っているようだった。
今はまだ、俺自身にやれる事はない。
なので。
「ボレアス」
「あぁ」
「剣から力を持ってけるなら持っていけよ。
俺の事はとりあえず気にしなくて良い」
「後になって貴様の方が戦えぬでは困るからな。
問題ない範囲では使わせて貰おうか」
「あぁ、それで頼む」
頷くボレアスもまた、アウローラと並ぶ形で前に出た。
間もなく、最後の戦いが始まる。
その幕開けとなったのは、嵐に響くアウローラの声からだった。
「――今! 拘束を解きなさい!」
鋭く、風雨を切り裂くように。
力強いその言葉の直後に、巨竜が吼えた。
動きを封じていた水の縛鎖から解き放たれて。
狂える巨竜は、自由に
当然、そんな事を許すはずもない。
吹きつける風を払い、青い鱗の竜が動いた。
『さぁ、ヴリトラ!!』
『オレもう十分頑張ったと思うんですよ!!』
泣き言を言いつつも、猫は働き者である。
空へと舞い上がろうとするヘカーティアの《竜体》。
それを追いかけるように海面が持ち上がった。
まるで海そのものが竜と化したように。
猛烈な勢いで、莫大な量の海水が大真竜の身体を直撃した。
『――――――ッ!!?』
巨竜の叫びは、もう言葉になっていなかった。
自我を喪失した獣の咆哮。
それを聞いたイーリスは、痛みを堪える顔をしていた。
テレサはそんな妹の肩を抱いて、傍に寄り添う。
「まったく、心底哀れなザマよなぁヘカーティア……!!」
再び水に掴まった大真竜。
その姿を嘲りながら、ボレアスは大きく息を吸いこんだ。
剣を通して、相当な力がその身に流れ込む。
合わせてアウローラの唇からも、歌うような声が紡ぎ出される。
俺ぐらいじゃ理解も出来ない極めて高度な魔法。
分かったのは、アウローラの手にデカい稲妻の槍が握られた事ぐらいだ。
恐らく、ヘカーティアの嵐さえも利用した術式。
それを彼女自身の魔力で更に強化していた。
「合わせなさい!」
「応よ――!!」
炎と雷。
その二つが同時に解き放たれた。
風と雨を蹴散らし、嵐の壁を突き破って。
水に纏わりつかれたヘカーティアの《竜体》。
その正面に直撃する。
どっちも凄まじい破壊力だが……。
『ッ――――!!』
「ハハッ、殆ど通じないか! 腐ってもかつての《五大》よな!!」
その身を覆う鋼の鱗。
炎と雷は、それを一部焼き焦がしはした。
だがダメージとしてはその程度。
ボレアスは半ばヤケクソ気味に大笑いする。
アウローラの方も舌打ちでもしそうな顔をしながらも。
「問題ないわ!
今は兎に角、あのデカブツを海の向こうまで押し出すのよ!!」
そう叫んで、再びその手に稲妻の槍が握られる。
ボレアスも《
勢いを増す嵐の中心で、大真竜は狂気の侭に暴れている。
『もっと、もっと力を入れて!!』
『死ぬ死ぬ死ぬ!! 冗談抜きで死ぬから!!』
半ば悲鳴と化したマレウスと猫の声。
誰も彼もが頑張っている。
ヘカーティアの巨体も、確実に大陸から引き離されていた。
それでも大分キツい。
目的の場所までどのぐらい離れてるのかは分からないが。
このままだと――。
「……姉さん」
と、後ろでイーリスが口を開いた。
膝を付き、風に吹き飛ばされないよう身を低くしながら。
彼女は堅い意思を込めて、傍らの姉に。
「オレは良い、大丈夫だ。
それよりレックスの奴に手を貸してくれよ」
力強くそう言ったのだ。
一瞬、テレサの方は沈黙して。
「……本当に、大丈夫か?」
「身体がちょいとしんどいぐらいだ。
それよりこの嵐をとっととどうにかして欲しいね」
笑う。
イーリスは笑いながら、俺の方へと拳を向けた。
「お前だけじゃ、今は見てるぐらいが精一杯だろ?
姉さんを貸してやるから、すぐにでも働いて来いよ」
「悪いな、気を使わせたか」
「任せろって言ったのはどこのどいつだよ」
その言葉に、こちらも笑ってしまった。
まったくイーリスの言う通りだ。
だったら、期待に応えて頑張るとしますか。
突き出された拳に、こちらも拳を軽く合わせる。
それから改めてテレサの方を見た。
「テレサ、頼めるか?」
「勿論です。命を賭してお供を」
「命懸けは良いけど、絶対に帰って来いよ。
オレが生き返ったのに、そっちに死なれたら意味ねーからな」
「がんばるわ」
俺から答えられるのはそれぐらいだ。
そうして俺も、テレサと二人で最前線へと進み出る。
術式を操りながら、アウローラが呆れた顔でため息を吐いた。
「出来たら、貴方はもう少し温存して欲しかったんだけどね……!」
「出し惜しみしてられる状況じゃないだろ?」
「ええ、腹立たしいけどその通りね!」
言葉を交わしながら、正面の嵐を見る。
狂える大真竜。
暴れるばかりのその巨体は、少しずつ海の彼方へと移動している。
うん、もうひと踏ん張りだな。
「しくじってうっかり海に落ちてくれるなよ? 竜殺し」
『そうなったら私が助けてあげるから、大丈夫よ!』
『ねこですがねこの手も借りたいです、ねこです』
ヴリトラさん完全にバグってやしないかな?
若干心配になったが、まぁ猫だし大丈夫だろう。
今はそれよりも。
「行くか」
「ええ。妹に負けてはいられませんから。
全霊を尽くします」
「気楽にがんばる程度で良いんだぞ」
テレサの手が腕に触れる。
すぐに視界が切り替わり、竜の背から嵐の上へと。
《転移》による跳躍。
俺は剣を振り上げて、そのままヘカーティアの《竜体》へと落下した。
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