第六章:最果ての海へ

308話:少女の怒り


 異変は何の前触れもなく、突然起こった。

 大真竜ヘカーティアとの戦闘。

 正直かなりキツかったが、それでもどうにか戦えていた。

 アウローラの魔法による援護と、テレサの支援。

 剣に宿ったボレアスの炎を全力で燃やす。


「オラァッ!!」

「ッ――――……!!」

 

 気合いと共に振り下ろした一刀。

 刃は鋼の鱗を断ち、ヘカーティアの肉と骨を切り裂く。

 大真竜である相手からすれば掠り傷だ。

 けれどどんな傷でも、積み重ねていく事に意味はある。

 順調だ。間違いなく順調だった。

 ヘカーティアの攻撃も苛烈で、鎧も命もガリガリ削られていたが。

 それでも少しずつだが、勝ちの目は見えていた。

 だが。

 

「待て……っ!!」

「んんっ?」

 

 いきなり。

 本当にいきなり、ヘカーティアが弱々しくそう叫んだ。

 戦っている真っ最中の相手が吐いた制止の声。

 普通なら聞く必要はない。

 実際、アウローラは手を止める素振りも見せなかった。

 ただ俺は、反射的に剣を振るう手を止めていた。

 そうするべきだと、何となくそう感じたから。

 

「レックス!」

「いや、大丈夫だ」

 

 思わず警告を発するアウローラに、俺は短く応える。

 ヘカーティアもまた完全に動きを止めていた。

 明らかに、戦いで受けた負傷とは別の理由で苦しみながら。

 

「レックス殿、これは……?」

「分からん。何かあったっぽいが」

 

 突然の異常に戸惑いを見せるテレサ。

 ヘカーティアから意識は外さずに、こちらも首を傾げるしかない。

 

「……失敗した。僕にはもう、どうしようもない」

 

 苦痛に耐えながら、ヘカーティアは呻くように言った。

 震える手を伸ばした先には、テレサがいた。

 何かの攻撃をするつもりなら、すぐに割って入るつもりだったが。

 稲妻とは異なる淡い光。

 それがヘカーティアの指から生じ、そして離れた。

 

「君の、妹の魂だ。返すよ」

「ッ……イーリス……!?」

 

 その言葉に、テレサはすぐに駆け出した。

 ふわふわと漂う光を、その両手で包むように受け止める。

 

「イーリス、イーリス……!」

「テレサ、早くこっちへ!

 魂のままの状態じゃ長く持たないわよ!」

「はい……!」

 

 妹の魂を抱えて、テレサは急いでアウローラの元へ向かう。

 その姿を、ヘカーティアはその場で見送った。

 表情はどこか満足そうにも見える。

 

「イーリスと何かあった感じか?」

「あぁ。けど、悪いね。竜殺し。

 それを語ってる時間は、残念ながら残ってない」

「そうか。どうすればいい?」

「すぐ、此処から脱出を。

 間もなく、僕は千年前と同じ狂った獣になる」

 

 恐らく、こうして話している間も。

 抑えがたい衝動に襲われているのだろう。

 それを一秒でも長く抑えようと、ヘカーティアは歯を食いしばる。

 何が起こってそうなったのか。

 確認している暇はなさそうだった。

 

「そして可能なら、僕の《竜体》を砕いてくれ」

「此処でお前を介錯する、ってのじゃダメなのか?」

「ダメだ。既に《竜体》と、魂の総体の多くが乗っ取られてしまった。

 今は、此処に残っている僕が、ギリギリで抑えつけてる状態だ。

 だから、《竜体》そのものを、破壊して欲しい」

「そういう事ならがんばるわ」

 

 必ず、とは言えない。

 約束できるのは精々そこまでだ。

 そんな俺の答えに、ヘカーティアは笑った。

 

「……それと」

「ん?」

「ありがとう、『彼』を連れて来てくれて」

 

 彼。砕けてしまった機械の男。

 どうやら、ちゃんと望みは果たせたらしい。

 

「俺はちょっと手伝っただけだ、礼は良いさ」

「それでも、言っておきたかったんだ。

 きっと、これが最後だから」

「そうか」

 

 それなら素直に受け取っておこう。

 頷き、俺はそのままヘカーティアから離れた。

 彼女は動かず、その場に膝を付く。

 もう言葉を口にするだけでも苦痛を感じているようだった。

 長くは持たないだろう。

 

「じゃあな、ヘカーティア。

 こっちもがんばるから、お前もがんばってくれ」

「――――」

 

 返事はない。

 ただ、少しだけ微笑んで。

 そのままヘカーティアは、己の衝動を抑えるために蹲った。

 俺は振り向かず、アウローラたちの元へ。

 

『どうやら時間的な猶予はあまりなさそうだが。

 そちらはどんな具合だ、長子殿?』

「うるさいわね、すぐに済むから黙ってて」

 

 剣から響くボレアスの野次に、アウローラは不機嫌そうに唸る。

 別空間に隠されていたイーリスの肉体。

 それを床に横たえる。

 テレサはそのすぐ傍に跪いて、妹の魂を身体の上に放した。

 アウローラが「力ある言葉」を小さく呟いた。

 

「イーリス……!」

 

 未だ抜け殻の身体。

 その手を握り締めて、テレサは強く祈った。

 ふわふわと漂っていたイーリスの魂。

 やがてそれは、引っ張られるように肉体の側へと落ちていく。

 ゆっくりと、水が地面に染み込むみたいに。

 光は胸の辺りから、少しずつ身体の中へと入り込んで行く。

 そして。

 

「っ――――……」

 

 カッと、イーリスはその両目を開いた。

 どうやら無事に生き返れたようだ。

 俺もちょっと安堵の息が出た。

 テレサの方は、完全に感極まった様子で。

 

「イーリス! 良かった……!」

 

 そのまま蘇生した妹を抱き締めようとした、が。

 

「あんの糞野郎があぁぁぁっ!!」

「おう」

 

 開口一番、イーリスさんは怒りの絶叫を轟かせた。

 いやホントに。

 ビックリするぐらいのブチギレ具合だった。

 抱き着こうとした姿勢のままテレサは固まってるし。

 アウローラも突然の叫びに目を白黒させていた。

 

「クソッ、マジでタダじゃおかねぇ!!

 絶対にギタギタにぶちのめして奥歯ガタガタ言わせてやる……!」

「落ち着いて、イーリスさん落ち着いて」

「これが落ち着いて――」

 

 宥めようとしたところで、イーリスの視線が止まる。

 その先にいるのは蹲っているヘカーティアだ。

 イーリスは殆ど反射的に駆け出そうとした。

 その腕を、俺は掴んで止めた。

 

「っ、レックス……!」

「ダメだ、間に合わない。

 すぐにこの場を脱出する。良いか?」

「……分かった」

 

 まだまだブチ撒けたいものはあるだろう。

 けど、イーリスはそれらを一旦呑み込んだ。

 残された時間はそう多くない。

 ヘカーティアの言葉が正しいのは直感的に分かった。

 

「ボレアス、悪いがまたひとっ飛び頼めるか?」

『ふん、仕方あるまいな』

「勿体ぶってないで急いで頂戴」

 

 刃から炎が溢れ、ボレアスは人竜の形を取る。

 翼を大きく広げてから、先ず文句を言ってるアウローラを抱え上げた。

 

「ちょ、こらっ!?」

「そう暴れるでないわ長子殿。

 そら、《竜体》を取る余裕は流石にないのでな。

 適当にしがみ付いて、振り落とされんように気合いを入れろ」

「雑だけど贅沢は言えんなぁ」

 

 と、ボレアスの腕に捕まる前に。

 俺はこの場に残された、もう一つに目を向けた。

 あの男と同じ姿を持つ《爪》。

 さっきの戦いでも、手を出さずに見ているだけだった。

 動かなかった彼らだが、今は蹲るヘカーティアの元へと向かう。

 

「おい」

「気にせず行くがいい。

 私たちは、此処で彼女を抑え込む。

 恐らく薄紙のように破られるだろうが、無いよりはマシだろう」

「そうか」

 

 もう自分の末路は定めたらしい。

 だったら、俺から言うことは何もなかった。

 

「……私の、私たちの選択が過ちだったとは思わない。

 だが、嵐に向かった『彼』ほどに正しくはなかったのだろう。

 ならばせめて、最後は『正しい』と思える事をしよう。

 ――さらばだ。後の事は、宜しく頼む」

「がんばるわ」

 

 返事はそれで十分だと、アカツキではない《爪》の男は笑った。

 その後を見送る事はせずに、俺はボレアスの腕に掴まる。

 テレサとイーリスも、一緒に抱き着いた。

 これで準備は万端だな。

 

「よし、飛ぶぞ――!!」

「ちょっと、抱え方が雑過ぎない……!?」

 

 肩に負われた状態で、アウローラが足をバタバタさせる。

 スカートの中が丸見えなのは敢えて言わないでおこう。

 強烈な加速。

 全身に大気を押し退ける圧を感じながら、ボレアスは飛翔した。

 最初に開けた穴から心臓部を飛び出し、複雑に入り組んだ内部を駆け抜ける。

 

「……イーリス」

「うん?」

「一体、ヘカーティアと何があったんだ?」

 

 ふっ飛ばされそうな風圧。

 ジタバタ暴れるアウローラが、軽減する魔法を展開してくれた。

 おかげで多少の余裕が出来たか、テレサが妹に問いかける。

 その辺は俺も気にはなっていた。

 こちらの知らない間に、彼女が何をしたのか。

 

「ちょっと殴り合いの喧嘩したんだよ」

「……うん??」

「流石イーリスさんだなぁ」

 

 こっちの想像の斜め上を行かれてしまった。

 まぁ、何かしたとは思ってたけども。

 テレサなんて理解が追いつかずに、一瞬でフリーズしてしまっていた。

 アウローラの方も呆れ顔で。

 

「まさか、魂だけの状態でやり合ったの?

 確かにそれなら、精神力次第で物理的な力関係は覆せるでしょうけど……」

「で、殴り合ってどうなったんだ?」

「勝った」

「流石だなぁ」

 

 素直に称賛の言葉しか出て来ない。

 ただ、大真竜相手に白星を勝ち取った本人は浮かない表情だ。

 ヘカーティアと喧嘩をして、イーリスは勝利した。

 問題はその後に起こった事か。

 

「レックス」

「おう」

「どっからか湧いて来た糞野郎が、ヘカーティアを操ってる。

 おかしくして、暴れさせて、メチャクチャにしようとしてやがる」

「最悪だな」

「あぁ、最悪だ。心底むかっ腹が立ってる。

 出来るんだったら、今すぐ引きずり出してボコボコにしてやりたい」

 

 その最悪をやらかした何者か。

 それがどこの誰なのかも、多少気にはなった。

 だが、今はそれ以上に重要な事がある。

 

「どうしたいんだ、イーリス」

「ヘカーティアを止めたい。

 アイツはもう、愛した男と眠りたいだけなんだ」

「…………」

 

 それを聞いて、アウローラはほんの少しだけ痛みに耐える表情を見せる。

 愛した男と眠りたいだけ。

 本当に、切実な願いだった。

 

「オレが出来れば、それが一番だった。

 けど、オレだけじゃ無理だ。

 だから、レックス」

「任せろ」

 

 頷く。

 迷う余地も、躊躇う必要もない。

 

「何とかしてやる。だから、大丈夫だ」

「……あぁ、頼んだ」

 

 俺の言葉を聞いて、イーリスはようやく笑ってみせた。

 頭でも撫でてやりたいが、今はちょっと難しい。

 代わりに、アウローラの方が俺の兜を指で突いて来た。

 

「貴方は、ホントにもう」

「悪いけど、手伝って貰って良いかな?」

「そんなの頼まれるまでもないわよ」

「私も、微力ながらお供いたします」

「ハハハ、いよいよ決着の時だな。

 ――さて、そろそろ出るぞ。構えておけよ」

 

 この場にいる全員が、それぞれ覚悟を決めて。

 《竜体》の内と外とを隔てる最後の壁を、ボレアスの《吐息》が貫いた。

 途端に激しく吹きつける風雨。

 風が唸りを上げる中を、俺たちは飛び出した。

 

「すぐ楽にしてやるからな、待ってろよヘカーティア……!!」

 

 荒れ狂う嵐の海。

 イーリスの叫ぶ声は、その巨竜へと届いたのか。

 それは誰にも分からない事だった。

 

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