310話:断絶流域


 嵐が吼える。

 桁違いの魔力量は、空間そのものを軋ませていた。

 狂える大真竜ヘカーティア。

 そこに生身でぶつかるなんてのは、まるで正気の沙汰じゃない。

 だからこそ、俺はテレサと共にその狂気に挑む。

 暴れるばかりの嵐の竜は、まだ頭上に《転移》したこっちに気付いていない。


「レックス殿、私には構わずに……!」

「おう。けど、危なくなったら俺は放り捨てて良いからな」

 

 まぁ、危なくない瞬間なんてこの先あるとは思えんけども。

 一応それだけは言っておいた。

 テレサが空いた方の手を突き出し、その指先から青白い光が生じる。

 《分解》の輝きは、竜が纏う嵐の一部を削り取る。

 そこに滑り込む形で、俺は構えた剣を振り下ろした。

 

『ギィアアァアア――――ッ!?』

 

 一閃。

 巨体と比較すれば微々たる傷だ。

 鋼の鱗を断ち割り、その下の肉を刃で削る。

 切り裂かれた痛みに、“嵐の王”は苦悶の声を上げた。

 悲鳴の圧力だけで吹き飛ばされそうだが、それはどうにか堪える。

 

「テレサ!」

「っ、はい、何でしょうか……!?」

「悪いが、ちょっと我慢してくれ!」

「えっ、あ、はいっ!」

 

 返事は待たず、半ば強引にテレサの身体を片手で抱える。

 そうでもしないと、いつ風で分断されるか分かったもんじゃない。

 もう片方の手では剣の柄をしっかりと握り締めて。

 俺は嵐の中、巨竜の上を全力で走った。

 

『ア、アァアアァアアア――――!!』

 

 嵐が吼え猛る。

 その巨体には、今も無数の攻撃が突き刺さっている。

 マレウスと猫が操作する大量の海水。

 アウローラとボレアスが撃ち込み続ける《吐息》と攻撃魔法。

 確実に、大真竜は海の果てへと押し込まれている。

 抗う――というより、ただ狂うままに暴れる嵐の竜。

 その抵抗を少しでも削ぐために、俺は剣を鱗に突き立てた。

 

「っ、通じているんでしょうか……!?」

「通じてなくとも続けるんだよ」

 

 不安をこぼしたテレサに応える。

 剣を振るう手と、走り回る足は止めないまま。

 狂えるヘカーティアの意識は、まだ俺の方には向いていない。

 いやそもそも、標的をいちいち定めるような知性が残ってない可能性もある。

 目的もなくただ吹き荒れるばかりの大嵐。

 不明の干渉により狂い果ててしまった、哀れな竜の末路。

 狙いが散漫であるなら、俺としては好都合だ。

 

「鱗の一枚ぐらいじゃ大した事はないだろうけどな。

 兎に角、その一枚を重ねてく。

 一枚じゃ足りなくとも、それが百枚や千枚になれば。

 それを続けて行けば、最後は竜の命にも届く」

 

 相手がどれだけ恐ろしく、強大な嵐であろうと。

 それが竜であるのなら、俺のやる事は同じだ。

 抱えているテレサは、その表情に微かな畏怖を滲ませて。

 

「……それを当たり前にやれるからこそ、貴方は竜殺しなのですね」

 

 そんな言葉を口にした。

 竜殺し。

 頭が悪くて不器用な俺に出来る、数少ないことの一つ。

 別段、誇るつもりもなかった。

 ただそれが俺のやれる事で、やるべき事というだけだった。

 

「でもまぁ、流石に一人でやると死ぬんで。

 テレサさんも手伝ってくれると大変助かります」

「主やボレアス殿たちも頑張っていますからね……!」

「イーリスさんには負けてらんないよなぁ」

 

 俺たちの知らないところで、彼女はどんだけ無茶をしたのやら。

 分からんが、だからこそ気合いを入れてがんばるか。

 任されて、この嵐の渦中に飛び込んだんだ。

 

「オラ、大人しくしろよ……!!」

『――――――ッ!!』

 

 音として認識できない甲高い咆哮。

 流石に何度も鱗と肉を刻んだせいか、怒りの矛先が向いたのを感じる。

 その敵意を察すると、テレサは素早く動いた。

 

「跳びます!」

「頼む!」

 

 応答とほぼ同時に《転移》が発動した。

 視界が暗くなり、全身を浮遊感が包み込む。

 寸前に稲妻の光が見えていた。

 紙一重で応報の雷を回避し、俺とテレサは再度風に身を躍らせる。

 さっきは頭上の正面辺りだったが、今度の出現先は背面。

 本能すら狂気に冒された大真竜は俺たちを完全に見失っていた。

 

「これならまともだった時の方が手ごわかったな……!!」

「レックス殿、油断は禁物かと……!」

「ちょっと言ってみたかったんだよ!」

 

 フラグ的なものを危惧する気持ちは大変良く分かる。

 テレサは更に《飛行フライト》を発動させ、落下の軌道を調整。

 こっちを慮る余裕のない仲間たちの流れ弾。

 それにうっかり巻き込まれぬようフォローしてくれる。

 いや、本当に助かるわ。

 

「喰らえ――ッ!!」

 

 そうして、また竜の巨体に辿り着く。

 今度は無駄にデカい翼へと剣を叩き込んだ。

 鱗と肉を裂き、それと同時に傷口に捻じ込む形で《火球》を放つ。

 爆ぜた炎が傷を抉ったところで、また《転移》で跳ぶ。

 少しずつだが、確実に。

 嫌がらせのように細かいダメージを重ねて行く。

 このぐらいではヘカーティアの命にはまるで届いていないだろう。

 届かずとも、削れた分だけ“嵐の王”の力は弱まっていく。

 どれほど底無しで、終わりのない災厄に見えても。

 死なず諦めず、ついでに折れずに戦い続ければいつか限界が見えてくる。

 後は気合いの勝負だ。

 

「……レックス殿、海が……!」

 

 果たして、嵐に挑み出してどのぐらいが経ったか。

 一分一秒が永遠にも感じられる地獄の渦中。

 腕に抱えたテレサが、何かを遠くで見つけたようだった。

 荒れ狂うヘカーティアから意識は逸らさずに。

 俺は視線だけを、テレサが見ているのと同じ方へと向けた。

 

「アレが《断絶流域》って奴か?」

 

 思わず呟く。

 今も酷い嵐の中にいる状態だが。

 それとはまた「種類」の異なる嵐が、その海を鎖していた。

 黒い壁と見間違えそうな暗雲。

 僅かな隙間もなく降り注ぎ続ける雷の雨。

 海面には大小無数の渦が見え、流れのデタラメさを示している。

 《断絶流域》とはよく言ったもんだ。

 これだったら、地獄の方がまだ可愛げがありそうだ。

 

「あんなとこ飛び込んで大丈夫なのかね!」

「大丈夫ではないかと思いますが!

 確かに、あの場所なら盟約の横槍は気にする必要はないかと……!」

「まーそうだよなぁ!」

 

 無茶苦茶な嵐だが、これは大陸そのものには影響していない。

 加えて、《断絶流域》はヘカーティアの纏う嵐を吹き散らしている。

 “嵐の王”の力さえも、あの海を隔てる壁には容易くは届かないようだ。

 

『――あの《断絶流域》の手前まで! 何とかそこまで押し込むから……!』

「おう、分かった!」

 

 響いて来たマレウスの声に応じ、また鱗と肉を削る作業に集中する。

 あと少し――というには、まだ距離があるが。

 しかし限界は見えて来た。

 こっちも当然、余裕なんてものは欠片もないが。

 竜を殺すために鍛えられた剣。

 その内に取り込んだ炎と熱を燃やし続ける。

 未だ灰のままの俺の魂。

 それを焼き焦がすぐらいのつもりで剣を握り締める。

 あと少し――あと少しで。

 

『――――――ッ!!』

 

 荒れ狂う嵐。

 風と共に轟くのは大真竜の咆哮。

 苦痛を訴える声ではない。

 苛立ちや怒りを吐き出しているのとも違う。

 叫ぶ声が先ほどとは違う気がして、妙に嫌な予感がする。

 ――それが杞憂でない事は、すぐに現実として目の前に現れた。

 

「っ……嵐が……!?」

「マジかよ」

 

 最初、ヘカーティアが何をしようとしているか分からなかった。

 こっちの削りや、アウローラやマレウスたちの攻撃。

 それらを全て無視して、狂える大真竜は海と空を鎖す嵐に向けて吼えていた。

 強大な魔力を帯びた声で。

 嵐を支配する王たる竜は、《断絶流域》の嵐に命じていたのだ。

 狂乱しても尚、力の使い方は覚えているのか。

 それとも「誰か」がそのように操作しているのか。

 そのどちらかは不明だが……。

 

「……ヤバいな、こりゃ」

 

 《断絶流域》の一部である、空を覆い尽くす巨大な嵐。

 全体ではないが、それが少しずつヘカーティアの方に動きつつある。

 さっきまでは蹴散らされていた大真竜の嵐。

 異なる二つの嵐は、今や合流してより強力な大嵐へと変わろうとしていた。

 その上で、ヘカーティアは嵐を広げようとはしていない。

 むしろその逆だ。

 

『オイオイオイ、マジかよふざけんなよ。

 、《吐息》としてぶっ放す気か……!?』

 

 水を操り、ヘカーティアを抑え込もうと奮闘する猫。

 その悲鳴じみた声が、目の前の事象を正確に言い表していた。

 “嵐の王”と《断絶流域》。

 二つの嵐が一つとなり、更に一点へと集まって行く。

 咆哮を続ける大真竜の顎へと。

 一体どれだけのエネルギーが其処に収束しているのか、想像すらできない。

 まぁ、問題なのは。

 

「アレ、どこにぶっ放す気だ。

 俺たちを殺すだけなら流石に過剰過ぎるだろ」

「……まさか」

 

 多分、そのまさかだろう。

 風と雷と雨、それらを途方もない魔力で一つにしながら。

 ヘカーティアが狂気で濁った瞳で見るのは、遥か先。

 随分遠くに引き離されてしまった大陸の方だ。

 

「……あんなもん陸地目掛けて撃ち込まれたら、冗談抜きで大陸が割れるな」

「ッ……!」

 

 テレサも容易にその様が想像できたか。

 息を呑む彼女を落ち着かせようと、抱く腕に軽く力を込めた。

 状況は最悪に近かった。

 だが、まだギリギリ最悪じゃない。

 その一歩手前ぐらい、もう少しでデッドラインを飛び越えようってぐらいだ。

 だったらまだ、何とかなる。

 

「……レックス殿、何を考えてますか?」

「とりあえず、ギリギリまでは運んで欲しいってぐらいか」

「ギリギリと言わず、限界までお供しますよ」

 

 笑うテレサの表情は、自棄というワケではなかった。

 俺一人で行かせるよりも、自分が付き合った方が確率は上がると。

 そう判断した上で、彼女は笑っていた。

 若干、表情が引き攣ってるのばかりは仕方がない。

 うむ、そういう事ならもうちょっと付き合って貰おうか。

 

「アウローラ、聞こえるか!」

『――何? ちなみにヘカーティアの照準なら、完全に大陸に合わせてるわ。

 こっちの妨害無視で、あと何分かで発射体勢が整うでしょうね』

「笑っちゃうぐらい地獄だな」

 

 ダメ元で呼びかけたら、アウローラは《念話》でキッチリ応じてくれた。

 彼女から届く思念の声は冷静だが、微かに焦りも滲んでいる。

 このままでは阻止できないと理解しているからだ。

 なので。

 

「ちょっとテレサとアレ止めに行くから、援護頼めるか?」

『……………貴方は、ホントにもう……!』

 

 言いたい文句が百か二百、一気に溢れ出ましたと。

 言葉ではなく頭の中にダイレクトに怒りと呆れのイメージが伝わって来る。

 いや、ホント悪いなぁ。

 

『ボレアスをすぐそっちに行かせる。

 私も全力で補助するから、後はもうそっちは絶対死なないように!!』

「ありがとな」

『お礼よりも、愛してるの一言ぐらい欲しいわね……!』

「おう、愛してる」

 

 素直に言ったら、何故か《念話》に盛大なノイズが入って途切れた。

 横で聞いていたテレサが、苦笑いで俺を見ていた。

 

「主はどうなさいましたか?」

「多分転んだ気がするわ」

「でしょうね」

 

 まぁ、それはそれとしてだ。

 

「程なくボレアスも来る。アウローラも援護してくれると」

「なら、何とかなりそうですか?」

「何とかしに行くんだ」

 

 やれるだけの事はやる。

 諦めるのは死ぬ時にでもすれば良い。

 だから俺は躊躇わず、大真竜の上を駆けて行く。

 目指す先は嵐を集めるヘカーティアの首の上。

 

「覚悟は良いか?」

「問題ありません、行きましょう……!」

「よし」

 

 テレサの言葉に頷いて、俺は全力で走る。

 大陸を打ち砕く嵐の《吐息》が放たれるまで、あと僅か。

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