311話:嵐の終わり


 恐らく、まともに生きてたら絶対に拝めない光景だ。

 まぁ、その「まともな人生」ってのが良く分からんワケだが。

 兎も角、俺はテレサと走りながら「ソレ」を見ていた。

 空を覆い尽くすほどの巨大な嵐。

 それが今、空間の一点を目指して収束していく。

 吹き荒ぶ風雨も、荒れ狂っていた稲妻も。

 残さず一つの「塊」と化し、尚も凝縮され続ける。

 天災なんて言葉じゃまるで足りない。

 解き放たれたが最後、大陸そのものを滅ぼす大災厄がそこにあった。

 

「――ハハハハっ!!

 長子殿がひっくり返っていたぞ、竜殺し!!」

 

 強烈な風も物ともせず、ボレアスが翼を広げて飛んできた。

 やっぱりアウローラはスッ転んでたか。

 

「大丈夫そうか?」

「本人の頭の中以外は問題あるまいよ。

 それよりどうする気だ?」

「出かかりを潰そうかなって」

 

 超圧縮された大嵐の《吐息ブレス》。

 防ぐのは不可能で、避けようにも放った余波だけで十分死ねる。

 そうなっては、思い付くのは一つぐらいしかない。

 

「奴が嵐を集めてんのは自分の顎の内側だ。

 限界まで出力を上げて、そっから《吐息》として放つんだろう」

「道理よな。それで?」

「ぶっ放す直前に、顔面叩いて口を無理やり閉じさせる。

 で、そのまま自爆狙い」

「ハッハッハッハッハッハ!」

 

 うん、我ながらガバガバな作戦なのは承知してる。

 テレサも「えっ、それ本気でやる気ですか?」って顔だな。

 やらなくても死ぬなら、何でもやってみるもんだ。

 実際、他に手も思いつかないし。

 

「成る程、成る程。相変わらず馬鹿な男で安心するわ」

「そういう性分なもんでね。で、何か意見あるか?」

「どの道、力の規模が違い過ぎて防ぎようもない。

 であれば、馬鹿な考えに乗ってやるのも一興だろうよ」

「頼もしい言葉だなぁ」

 

 何をどう考えても、俺一人じゃ絶対に無理だしな。

 協力してくれるのは大変ありがたい。

 

「長子殿にも《念話》で伝えておく。

 我は剣に戻るゆえ、力は好きに使うといい」

「おう、助かるわ」

 

 言いながら、ボレアスの身体が炎の形に解ける。

 それが剣に戻ると、五体に竜の力が流れ込むのを感じた。

 俺自身も、ここまでの戦いで大分ボロボロだ。

 四肢が上げる悲鳴を黙殺し、今は全力で走り抜ける。

 圧縮された嵐を呑もうとする大真竜の姿が、風の向こうにハッキリと見えた。

 

「テレサ、タイミングを見て《跳躍》で運んでくれ」

「分かりました」

「で、飛んだ後は離れてくれていい。

 俺はそのまま、アレの上顎に剣をぶち込むから」

「限界までお供すると、そう言ったはずですよ?」

 

 笑うテレサの顔には、間違いなく恐怖があった。

 震える心を抑え込んで、彼女は俺と一緒に行くと言う。

 なら、こっちも止める理由はなかった。

 

「分かった。けど、マジでヤバかったら逃げて良いからな?」

「この位置では逃げても間に合いませんよ」

「……それもそうだな」

 

 最初っから止める意味がなかったか。

 うん、覚悟を決めますか。

 

『――貴方がアレの顎を潰したら、こっちは全力で抑えるから。

 ホントは、すぐにでも離れて欲しいんだけど』

「向こうが自滅すんのを確認しない事にはなぁ」

『まったく、笑えるほどに捨て身よな。我は嫌いではないが』

『私もヴリトラも気合い入れるから、レックスも頑張って』

『はやくねかせて』

 

 色々と《念話》が飛んでくるが、ねこはとりあえずがんばれ。

 既に、周囲に感じる風の影響は少なくなってきている。

 だからよりハッキリと、目の前の地獄が見えた。

 一つの塊となって、力の全てを内へ内へと凝縮していく《嵐の吐息》。

 それにより、“嵐の王”の周りは逆に嵐が消えていた。

 大陸と「外」とを隔絶する《断絶流域》の直上。

 恐らく、殆どの人間が訪れた事のないだろう最果ての海にて。

 もう間もなく、決定的な破局が訪れる。

 

「――レックス殿、飛びます!」

「頼む!」

 

 テレサが鋭く叫び、身体を浮遊感が包む。

 《転移》は一瞬で完了し、俺たちは物質世界に再出現する。

 出た場所は、ヘカーティアと呼ばれた大真竜の目の前。

 狂気に濁った瞳がすぐ傍に見える位置に、俺とテレサは落下していく。

 相手に目立った反応はない。

 彼方の大陸を粉砕するだけの膨大な量の「力」。

 これを制御する事に心血を注いでいるのか。

 どうあれ、俺はやるべき事を実行した。

 

「――――――ッ!!」

 

 自分がどんな声で吼えたのか。

 俺自身の耳にも良く聞こえなかった。

 ただ、その瞬間は轟々と風が唸る音だけが響いて。

 身体ごとぶつかるように、竜の顎を剣の切っ先で貫いた。

 

「チッ……!」

 

 いや、まだ完全には貫いていない。

 鱗は散々削り取ったが、顔周りの鱗の鎧はまだ健在。

 加えて巨体相応に骨も肉も分厚く、そう簡単にぶち抜けない。

 《吐息》の発射を阻むには、まだ至っていなかった。

 コイツは拙いな……!

 

『間に合わんぞ、竜殺し!』

「がんばってるよ……!!」

 

 剣を握り締め、身体の内で炎を燃やす。

 遠隔だが、アウローラからの身体強化の魔法も届いている。

 その状態で打ち込んでも、大真竜の顎はまだ閉じないままだ。

 ボレアスが警告する通りに、発射まで時間がない。

 更に追撃を仕掛けようと――。

 

「レックス殿、少し私にお任せを!」

 

 したところでテレサの方が動いた。

 剣を構えている腕に、彼女の手が触れる。

 

「切っ先を下に向けて、そのまま力を入れて構えていて下さい!」

「分かった!」

 

 何をする気なのか、この時点では分からなかったが。

 とりあえず言われた通り、刃を下に向けてぐっと構えてみる。

 それと同時に。

 

「絶対に、力は抜いたりしないよう……!」

 

 テレサが《転移》を発動した。

 但し、再出現したのも同じ大真竜の顎の上だった。

 一見すれば何も動いてないように見える。

 しかし、実際は違った。

 

「うぉッ……!?」

 

 凄まじい衝撃が腕から全身へと響いた。

 それは俺だけでなく、大真竜の方も似た状態だった。

 

『ッ――――……!!』

 

 《吐息》を放つ寸前に受けた謎の衝撃。

 大真竜の顎が大きく揺れたのがハッキリと確認できた。

 これは、まさか。

 

「連続で行きます……!」

 

 その言葉と共に、再度発動する《転移》。

 出現先の位置は変わらず、ただ凄まじい衝撃が俺と大真竜の間で爆ぜる。

 テレサが度々使う、《転移》からの浸透打撃か!

 それを自分ではなく、俺と構えた剣を使ってブチ当てている。

 まさかこんな事が出来るとは。

 

「凄いな……!」

「失敗したら大分悲惨ですし、今も結構ギリギリですけどね……!」

「がんばれ!」

 

 いや本当にお願いします。

 こっちもこっちで、裸で高空から岩肌に叩きのめされてる感じだ。

 それを何度も何度も往復し続けるような。

 剣だけは絶対に手放さないように、全身に力を燃やす。

 内側ではボレアスも大笑いをしていた。

 

『ハハハハハ、無茶苦茶しよるな!

 だが良いぞ、このままぶち込み続けろ!』

「言われるまでもありません……!

 限界までやりますから、レックス殿もお覚悟を……!」

「がんばる!」

 

 そうだ、頑張れば何とかなる。

 休まず何度も叩き込まれる衝撃に、大真竜の顎がズレていく。

 向こうは既に、超々大威力である《嵐の吐息》をぶっ放す体勢に入っていた。

 それを打ち放つ寸前まで維持せねばならず、抵抗はロクに出来ていない。

 だから俺たちは、その隙に何度も剣を打ち付ける。

 何度も、何度も、何度も、何度も。

 高速で瞬きでもしているみたいに、視界は絶え間なく途切れ続ける。

 その数だけ、俺たちは大真竜に刃をぶち込んだ。

 《転移》の回数が何十と重なり、そして。

 

『ッ―――――――!?』

 

 とうとう耐え切れず、“嵐の王”の顎が閉じた。

 超圧縮された大嵐を呑み込む形で。

 当然、それはあくまで瞬間的な事だったが。

 

『今……!!』

 

 アウローラの念が号令を飛ばす。

 大量の海水がうねり、巨竜の五体を封じる。

 そして魔法で形作られた光の杭が、幾つも竜の顎に突き刺さった。

 俺もまた、鱗を貫いた刃を可能な限り押し込む。

 絶対に開かせねぇ……!!

 剣の柄を握る手に、テレサの指も重なった。

 

「微力ですが……!」

「十分、助かる!」

 

 押し込む。押し込み続ける。

 分厚い鱗と肉の向こうで、力が荒れ狂っているのが伝わって来た。

 解き放つ寸前だった全ての嵐。

 機会を失った事で、それは竜の内側で破裂したのだ。

 

『ッッ――――ッ――――――……!!』

 

 顎を無理やり閉じさせているため、絶叫は声にならない。

 無理やり身体を動かそうとするのは、マレウスとヴリトラの水が許さない。

 抑えつけて、縛り付けて、決して離さぬように。

 

『いやーもうホントに死ぬ死ぬ!!

 何でこんな無茶してんだよバカじゃないの人間!!』

「泣き言ばっか言ってないで気合い入れろよねこ……!!」

『アハハハ、イーリスの言う通りね! さぁ、後ひと踏ん張りだから……!』

『そのひと踏ん張りが長いんだってば!!』

 

 なんて、騒がしいやり取りも耳に届く。

 嵐を上から抑えてるってのに、随分穏やかな気持ちだ。

 力を尽くした。今も尽くしている。

 その上で。

 

「もうちょいと、がんばるか……!」

『――ヘカーティアの《竜体》が崩れ出してる。

 ええ、もう少しだから……!』

「おうよ」

 

 アウローラも全力で頑張ってくれている。

 彼女が魔法で拘束してくれなきゃ、腕力だけじゃとても無理だった。

 ヘカーティアであったはずの大真竜は、今も足掻いている。

 この場にいる全員の力が、それを許さない。

 そうして、巨大な《竜体》は内側から崩壊しつつあった。

 自ら呑み込んだ嵐に、自分自身が砕かれていく。

 

「レックス殿……! 正直、しんどいです……!」

「分かるわ、俺もだわ……!」

『今、全員同じ事を考えてるだろうなぁ!』

 

 そういうボレアスも、剣の内側でジャンジャン燃えてるもんな。

 漏れてしまったテレサの泣き言に笑いつつ、最後の力を振り絞る。

 それが尽きたら、また次の「最後の力」だ。

 諦めるのは、死ぬ瞬間までは早過ぎる。

 永遠と一瞬を同時に体感できる、地獄にも等しい時間。

 限界のラインを何度も超えた、その果てに。

 

『――――――……ァ』

 

 微かに、泣くような声が聞こえた。

 女の泣いた声のようだったが、良く分からない。

 それをハッキリと認識するよりも早く。

 

「うぉ……ッ!?」

 

 嵐が爆ぜた。

 内側で暴れ回る莫大なエネルギーに耐え切れずに。

 とうとう、巨大な《竜体》が砕けたのだ。

 解き放たれる風と稲妻は、これまでで一番の力を伴って荒れ狂う。

 とりあえず、すぐ傍にいるテレサは片腕で抱きかかえた。

 剣を持った方の手なので、刃が当たらないようにだけは気を付けて。

 

「レックス殿……!」

「大丈夫……じゃあ、ないだろうけどな……!

 助けがすぐに――」

「レックス!!」

 

 言い終わるより早く、救いの手が物理的に飛んできた。

 アウローラだ。

 片手にイーリスを引っ掴んだ状態で、彼女は手を伸ばす。

 こっちもテレサを抱えたまま、その手を迷わず掴み取った。

 離れないよう、しっかりと握る。

 

「助かった……!」

「助かったかどうかは、正直微妙だけどね……!」

 

 応えるアウローラの声には強い焦りがあった。

 それ程までに、ヘカーティアの《竜体》に渦巻く力は絶大だった。

 

『このまま《断絶流域》の底まで沈めるわ!

 それで少しぐらいはマシに……!』

『……いや、ダメだ。ヤバいヤバいヤバい。

 《竜体》が呑んだ嵐がどんどんデカくなって来てる!』

 

 破裂寸前の“嵐の王”。

 マレウスとヴリトラが協力して海へと沈めようとしている。

 が、これは間に合いそうにない奴だな。

 今さらながら、剣は一度鞘の方に納めておく。

 その上で、アウローラを掴んでるイーリスごと抱え込んだ。

 

「ちょ、流石にコレは苦しいんだけど……!?」

「悪いが少し我慢してくれ。

 アウローラ、防御は頼めるか?」

「勿論頑張るけど、正直期待はしないでね」

「運が良い事を祈るさ」

 

 イーリスの頭をわしゃりと撫でてから、後は備える。

 沈む《竜体》からは、アウローラの魔法の力で空へと逃げる。

 テレサも何度か《転移》を使って距離を稼ぐが、こっちも限界だ。

 

「マレウスたちは大丈夫か?」

『なに、腐っても不滅の古竜よ。器が砕ける分には問題あるまい。

 他人の心配より、こちらの心配をするべきだろうよ』

 

 まぁ、それは確かにその通りだな。

 などと、ボレアスと言葉を交わしていると――。

 

「ッ……!!」

 

 とうとう弾けた。

 今まで抑えられていた反動を撒き散らすように。

 《竜体》が崩壊し始めた時の比じゃない。

 海を、空を、何もかもを押し退ける爆発と衝撃。

 抱える腕に持てる力の全てを込めた上で、俺たちは破滅に呑み込まれる。

 意識をしっかりと保てていたのは、ほんの数秒ほど。

 ――嵐と共に始まった戦いの終わり。

 その結果は、全てが嵐の中へと消え去った。

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