467話:古き因縁


 火花。

 大小無数の、色とりどりの星。

 弾けて、消えて、また新しく花が咲く。

 その繰り返し。

 既に数百は同じやり取りを繰り返した。

 背後で動こうとする気配。

 振り向く余裕はないけど、先ず間違いなくテレサでしょう。

 今は余り良くないから、片手でそれを制する。

 瞬間。


『――余裕だな、《最強最古》』


 老いて掠れた声。

 それが耳に届くと、小さな痛みが走った。

 ほんの一瞬だけ、視線を自分の身体に向ける。

 痛みを感じたのは右腕。

 皮膚の一部が裂けて、赤い血が滲んでいた。

 掠り傷――ではない。

 感じる痛みは傷ではなく、その傷から染み込む呪いのモノ。

 即座に魔力を集中させ、進行を抑え込んだ。


『かつてのお前なら、こうも容易くは掛からなかっただろうな』

「かもしれないわね」


 笑う。

 相対するのは、白い法衣を纏った髑髏。

 《十三始祖》の王であり、恐らく大陸における魔法使いの頂点。

 大真竜オーティヌスに、私はあくまで余裕の笑みを見せる。


「そういう貴方こそ、やっぱり耄碌したの?

 こんな『小技』ばかり。

 この状態を後百年続けるのなら、私はそれで構わないけど」

『私も最初からその覚悟だ』


 声に込められたのは、私に対する敵意と憤怒。

 後は、それ以上の決意と覚悟。

 絶対に、自らの手で私を討ち滅ぼそうという断固たる意思。

 まったく、良い迷惑よね。


『油断はしないし、お前のように慢心をするつもりもない。

 ――現時点での単純な力関係なら、恐らく私の方が上回っているだろう。

 だが、その程度で討てるのならお前は《最強最古》とは呼ばれていまい』

「過分な評価ね、あんまり褒めると照れるから止めて貰えない?」

『戯言をほざくだけの余裕があるのが、何よりの証明だな。

 確実に、付け入る隙など与えずに殺してくれる』


 軽口にも、オーティヌスは酷く真面目に応える。

 ホント、そういうところは昔から変わらない。

 他者には寛容でも、自身には常に厳格で。

 そうと決めた事は必ず貫徹する強固な精神性。

 強く、硬くて、けれど何処か脆さも併せ持っている。

 その脆さは弱みではあるけど、時に強さに変わる事もあるから侮れない。

 ――コイツがもっと、完璧で隙がない男なら。

 私たちの因縁は、もうとっくの昔に終わっていたでしょうね。


「おい、マジで大丈夫かっ?」

「あんまり大丈夫ではないけど、大人しくしてなさい」


 後ろから、私を気遣う声が聞こえる。

 イーリスだ。

 口は悪いけど、この状況で何より私を心配してくれている。

 ホント、良い子過ぎて偶にむず痒くなるぐらい。

 まぁありがたくはあるけど、今は動かないで貰うのが最善だ。


「辺り一面、オーティヌスの攻撃術式で溢れてるから。

 ……どうやら、貴女のことを狙うつもりはないみたいだけどね。

 けど、下手に動いたら流れ弾が怖いわ。

 だから今は、テレサと一緒に大人しくしてて頂戴。

 良いわね?」

「……分かったけど、良いのかよ」

「あら、心配してくれるの?」

「ンな口が聞けるんなら大丈夫だよな」


 クスリと笑えば、イーリスは小さく鼻を鳴らした。

 そう言葉を交わしている間も、私の意識は常にオーティヌスに向いていた。

 短い会話の最中でも、更に数十回。

 発動しようとした術式が、その寸前に解体される。

 物理的な現象となり損ねた魔力が、また儚い火花となって散った。

 パチッ、パチッ、パチッ。

 砕けた魔力の残滓は美しく、様々な色の星のように輝いては消えていく。

 ド派手に破壊を撒き散らしている、別の戦いとは対照的に。

 私とオーティヌスの戦いは、静かに深く続いている。


「ペットが随分な暴れ方をしてるけど、大丈夫なの?」

『お前が心配するような事があるのか?』

「別にそっちの家がどれだけ壊れようが、知った事じゃないけどね。

 後ろの子たちの流れ弾ぐらい、心配するのは当然でしょう?」

『…………』


 素直に本音を口にしたら、何故か押し黙られてしまった。

 私、そんなにおかしなことを言ったかしら?


『……我々の周囲は、ヤルダバオトの力は遮断する結界を施してある。

 同様の範囲に、無機物への「保護」の術式も発動させている。

 故に、奴の攻撃がこちらに影響を及ぼす事はない』

「至れり尽くせりね。

 そんなものを気にしなければ、もっと簡単に私を葬れたんじゃなくて?」

『戯言をほざくな、耳が腐る』

「腐る耳なんて無いじゃないの、貴方」


 最高の冗句だと思ったけど、残念ながらおじいちゃんはウケなかったらしい。

 むしろ醸し出される嫌悪とか敵意とか、より一層強くなった気がする。

 まったく、随分と気が短くなったものね?


『……この期に及んで何を企む、《最古の悪》よ』

「それを直接聞いちゃうの?」

『お前は戯れを好む。

 直に探りを入れるのも、決して無駄ではあるまい』

「まぁ、否定はしませんけど」


 微かな痛みが、今度は頬を掠めた。

 今度は呪いではなく、単純な攻撃呪文だ。

 完全には解体し切れず、切れ端程度の余波が小さな傷を刻んでいた。

 数十……いえ、概ね百に一つ。

 それが、私がオーティヌスの術式を防御し損ねる数。

 防戦に回れば全て弾けるかもしれない。

 けど、それでは「余裕がない」と公言するようなもの。

 だから私は、敢えて攻撃術式を仕掛けるのを優先し続けていた。

 私をより大きな脅威と信じ、決して油断しない男に慎重さを強いるために。


「――じゃあ、もし。

 もしもの話だけど、私が無策で貴方に挑んでる……なんて言ったら。

 貴方はそれを信じるかしら?」

『戯言をほざくなと、そう言ったはずだが』

「さて、何処まで本気で、どこまで戯れかしら?

 それが分からないからこそ、貴方はこんなにも手こずってるんじゃない」

『……まったく、口の減らん竜め』


 奥歯を噛み締める、軋んだ音。

 怒らせはしても、激昂しない程度に。

 逆に自らに冷静さを強いる必要がある、そんなギリギリの激情。

 煽れば煽っただけ、オーティヌスは私に集中せざるを得なくなる。

 ――まぁ、まさか本気とは思わないでしょうね。

 今の私自身、実際に殆ど勝算のない状態で戦ってるなんて。

 勿論、侮っているつもりは毛頭なかった。

 ただ実際に術式の応酬をした事で、力関係を正確に測れてしまっただけ。

 このまま戦いを続ければ、順調にこっちが負けるだろう。

 そしてそれを打開する術は、私の中には存在していなかった。


「主よ」

「ダメよ。妹と一緒に、もう暫く大人しくしてなさい」


 助力が必要ではないかと。

 今度は声を出して訴えるテレサ。

 それに対して、イーリスと同じように釘を刺しておく。

 確かに、テレサが動けば戦況は多少有利になるでしょう。

 けどそうなれば、オーティヌスも慎重さをかなぐり捨ててしまうはず。

 形振り構わず全力で術式を叩きつけられたら、今の私では防ぎ切れない。

 結局、意図的に作った膠着状態を引き伸ばすのが最善。

 無数の細かい穴に、連続して糸を通し続けるような感覚。

 一度のミスも許されない精密作業を、私は延々とこなし続けていた。


『…………』

「……今度はだんまり?

 そんなじっと見られても困るのだけど」

『……口数が多いな。

 本当に無策で挑んだと、戯言が真実などとは言うまい』

「さて、どう思うかは貴方次第じゃなくて?」


 笑う。

 余裕はないけど、余裕であるかのように笑ってみせる。

 読心や虚偽感知に意味はない。

 その手の術式は、文字通り息をするように阻むことができる。

 勝手に猜疑心を募らせ、あと一歩を踏み込めない。

 そんな《始祖》の王に向けて、私は本心からの嘲りを送る。

 嘲り、侮り、お前など取るに足らないと。

 オーティヌスが記憶しているだろう、暴君そのままの振る舞いを見せてやる。

 問題は、いつまで騙しと誤魔化しが通じるかだけど――。


「…………」


 ふと、視線を感じた。

 術式への集中は途切れさせず、私は自然とそちらを見た。

 離れた場所で、今も荒ぶり続けるヤルダバオト。

 全てを排除する《天秤狂い》の災厄。

 その地獄に挑み続けている、見慣れた甲冑姿。

 レックスだ。

 彼は、地獄の渦中で私を見ていた。

 目が合ったのは、それこそ刹那にも満たない時間。

 視線が交わった瞬間に、私は理解していた。

 理解した上で、口元に浮かべた笑みをより深いものにした。

 術式では見通せない思考に、オーティヌスは不気味なものを感じたようで。


『……理解できんな、《最強最古》』

「? 何の話?」

『昔の貴様は恐ろしく、どんな謀を企んでいるかも不明瞭。

 だが同時に、その在り方としては分かりやすい存在ではあった。

 野心や欲望、他者に向ける容赦の無さは明白。

 信じる者は己のみ、己以外の多くに価値は無し。

 それこそが《最強最古》、それこそが《最古の悪》。

 全ての竜族の頂点であり、《造物主》が始まりに創造した竜の長子。

 邪悪なる神の現身こそがお前だったはず。

 だが、今のお前は――』

「愛に目覚めて丸くなった?」

『……他者を慮り、その生命を気にかける。

 一人の男を愛し、それを他の何より信じている。

 それこそ《最強最古》であるはずの己よりも。

 あり得ぬ事だ、故に理解が及ばん。

 豹変などという単純な言葉では、到底片付けられる話ではない。

 今のお前は一体何を思い、何を考えている?』

「……仕方のない話なんでしょうけど、酷い言われようね」


 自然と苦笑いがこぼれた。

 遠い昔の私を良く知ってるからこそ、余計に違和感があるんでしょうね。

 笑う私の腕や脚が、また小さく爆ぜた。

 オーティヌスの術式。

 徐々に威力が強まってきて、防ぐのがより難しくなってきている。

 さて、いい加減にこっちの余裕の無さがバレてきたわね。


『私の中の冷静な部分が、「あり得ぬ」と警戒し続けている。

 お前は無謀な戦いはせぬし、無策で挑むような愚は犯さない。

 策謀に秀でて、血を流さずとも敵を追い詰め、必要ならば最強の暴力で叩き潰す。

 それが《最強最古》であったはずだ』

「懐かしい話よね」

「……あの、竜殺しの男。

 彼の者がお前に対して抱いてる想い、そこに偽りがあるとは思っていない。

 だが私の知るお前は、数々の称号に相応しい邪悪のはずだ。

 人並みの愛を得て、変わったなどと。

 そう簡単に信じられる話ではない。

 少なくとも、私にとってはな』

「そうでしょうね」


 パチリ。

 火花が散った。

 その熱が私の指先を焦がす。

 少し前までは、星や火が散るのは私とオーティヌスの中間ほどの空間だった。

 けど今は、主に私の近辺で何度も爆ぜている。

 ……こういうのは、確か「背水の陣」なんて言うのだったかしら。


『――このまま新たな手を打つ気が無いと言うなら私の勝ちだぞ、《最強最古》』

「流石に勝利宣言は気が早すぎないかしら、おじいさん?」

『戯言を口にするぐらいなら、早々に手札を開け。

 本当に何もないと言うのなら、今の言葉が現実になるだけだぞ』

「…………」


 あくまで最大限の警戒を保ちながら、オーティヌスは私を追い詰めてくる。

 少しずつ、けれど確実に。

 私の手筋は変わらない。

 防御よりも攻撃に比重を置いて、あくまで攻防の維持に専念した。

 それでは遠からずに詰むと、理解した上でだ。


「主……!」

「おい、アウローラ!!」


 後ろがうるさいわね。

 貴女たちに心配されるほど落ちぶれてはいないわよ。

 ……いえ、ちょっと前に姉妹に助けられたばかりではあるけど。

 それはそれ、これはこれよ。

 私は余裕ぶった構えを崩さない。

 無策であるのは事実だから、オーティヌスは私からは何も読み取れないだろう。

 来るかも分からないその時を、私は待ち続けた。

 ――そして。


「――――!!」


 光が爆ぜた。

 姉妹が立っている場所よりも、更に後方。

 レックスたちとヤルダバオトの戦い。

 其処で何が起こったのかまでは、私には分からない。


「今……!!」


 分からないまま、私は動いた。

 来ると信じた勝機を掴み取るために。

 オーティヌスの反応も迅速だ。


『こんな事で隙を突けると思ったか――!!』


 魔力が膨れ上がる。

 無数の術式が、同時多重に起爆しようとしていた。

 焦る姉妹の声が聞こえた気がするけど、音として認識できない。

 ――しくじったら後が無くなる。

 《最強最古》たる者が、こんな賭けに興じるなんて。

 自分で自分を笑い飛ばしながら。

 その刹那の瞬間に、私は全霊で挑んでいた。

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