468話:矛盾
『――――』
天秤は揺るがない。
ただ黙々と破滅的な攻撃を放ち続ける。
背に負った正十字の輝きと、光を収束させた刃。
手段としては主にその二つ。
離れれば《吐息》が雨となって降り注ぎ、近づけば剣が煌めく。
そして万が一にも隙を見せれば、容赦なく《天墜》の一撃が叩き込まれる。
苛烈なんて言葉じゃ足りない。
攻め手が凄まじい分だけ、こっちが反撃できる機会も多くはあった。
が、向こうは鱗も肉体も頑強極まりない。
その上で、多少斬り裂いたり砕いたりしても超高速の再生能力がある。
「ホントに厄介だなコイツ……!!」
『故にこそ、竜の時代では最も忌み嫌われた存在よ!
悪評ではかつての長子殿と良い勝負だぞ!』
「それはまた不名誉な話だな」
『お前だって負けてないと思うよ??』
猫が刺々しく口にする抗議を、糞エルフはさらっと聞き流した。
身体の内で燃える炎。
ボレアスと、剣から汲み上げた熱量。
それを全身に流し込む事で、無理やり力を引き出す。
血肉や骨がギシギシと軋むが、それは全部無視して動く。
《吐息》を刃で蹴散らし、一気に距離を詰める。
それに合わせ、迎え撃つ形で振り下ろされる光の剣。
俺は避けなかった。
避けずに、逆に踏み込む脚に全力を込めた。
「オラァッ!!」
一撃。
刃に刃を正面から激突させ、これを粉砕する。
砕けた熱量は、その余波だけでも肉を焦がすには十分だった。
甲冑で防ぐに任せ、防ぎ切れずに焼かれる分は我慢した。
斬り裂く。
大上段から叩き込んだ剣が、《天秤狂い》の腕を切断する。
もう少し深ければ、完全に千切れる程度の太刀傷。
だが。
『この程度ですか』
無感動な声が響く。
当たり前のように、両断寸前の腕があっという間に復元する。
治るのとほぼ同じタイミングで、その手が光り輝く。
さながら、地上に落ちた小さな太陽のように。
《天墜》――の、微妙に威力が低いバージョンだ。
こっちが踏み込んで来たのに合わせて、無理やりぶっ放すつもりか。
『おい、竜殺し!!』
「分かってるよ……!」
直撃したら死ぬ――どころか、塵も残らん。
だからまともに食らうワケにはいかなかった。
『――――』
叫びも、死を告げる言葉もなく。
ヤルダバオトは小型の《天墜》を放った。
歯を食いしばる。
柄を握る手に力を込め、身体の内で炎を燃やす。
迷っている時間はない。
躊躇えばそれで死ぬ。
一気に視界を埋め尽くす絶滅の光。
それに向けて、俺は。
「おおおぉぉぉぉぉぉッ!!」
剣を振るった。
上から下へ、弾く形で。
できるとは思わなかったが、できないとも微塵も思わなかった。
やるしかない。
ただその一心だけを剣に込めて。
叩きつけた刃は、墜ちる星を頭上へとかち上げた。
爆発と、目を焼くような閃光。
弾いた《天墜》は、天井の一部を派手に消し飛ばしていた。
これまでで一番の衝撃が、神殿全体を激しく揺さぶる。
「やれやれ、どちらも呆れるような化け物ぶりだな」
などと言いながら、余裕で笑うウィリアム。
こっちは俺とは違って、無理にヤルダバオトの間合いには踏み込まない。
今も距離を取り、爆発の衝撃や余波からは逃れていた。
矢ではなく、斬撃を飛ばすことでちまちまと削ってはいるが。
『ちょっと、何かサボってない??』
「見ての通りだが」
『さっきから彼氏殿の方が無茶しっぱなしじゃない??』
「それは一面的に物を見すぎだな」
見たまんまじゃないかなぁ。
いや、別に良いけども。
予想通りであれば、大体何を考えてるかは分かってる。
……あんまり分かりたくないな、糞エルフの考え。
俺がまるで同類みたいに思われそうで、微妙に困るな。
『何か馬鹿なことを考えていないか、竜殺しよ』
「聡いっすねぇ北の王様は!」
頭上を掠める光の刃を躱しながら、ボレアスのツッコミに笑う。
笑って、その間も止まらずに動き続ける。
《吐息》を弾き、回避し、刃を砕いては反撃を打ち込む。
結果は見るまでもなく変わらないので、また直ぐにその場から離れる。
止まらない、足を止めたら死ぬからだ。
只管止まらない俺を、ヤルダバオトは追いかけて来る。
ブレない天秤のように。
《均衡の竜王》は、常にこっちを捉えていた。
「…………」
『――――』
互いに互いを見ているから、自然と目線が合う。
ヤルダバオトの眼は、最初からずっと変わらないまま。
無機質だが、無感情とは違う。
人の理解には及ばない「何か」を燃やす眼差し。
凍てついた炎みたいな矛盾だ。
そんな眼で俺を見て、《天秤狂い》は何を思うのか。
『――均衡と、不均衡。
酷く不安定であるはずなのに、何故か崩れる事はない。
最初に目にした時から、酷く不思議に思っていましたが』
「うん?」
急に何を言い出すやら。
攻撃の手は止まっていないので、こちらも足を止めない。
死の光を捌いて、避けて、偶に斬る。
その繰り返し。
ちなみにウィリアムも、相手の動きを制限するように斬撃を仕掛けていた。
気休めに等しいが、無いよりはずっと良い。
『私の目から見ても、貴方は酷く不可解だ。竜殺し』
『オイ、この世で一番不可解な輩に「良く分からん扱い」されてるぞ』
「それを俺に言われても困るんだよなぁ!」
いやホントに。
しかしまぁ、変な興味の持たれ方をしたみたいだな。
俺の方ばっか狙ってたのは、その辺も原因か。
『――それで、ヤルダバオトよ。
《天秤狂い》のお前が、この男に関心を持ってどうする?
均衡の何たるかを説きでもするのか?』
『私は誰に対しても理解を求めてはいません、かつての《北の王》よ』
剣の内から響くボレアスの声。
それに対するヤルダバオトの返答は、やはりブレない天秤そのものだった。
視線と意識はその天秤に向け、俺は瓦礫の上を駆ける。
――さて、こっから全部綱渡りだ。
何せ事前の打ち合わせは無し、完全に俺自身の思い付きのみ。
上手く行くかどうか、全てがぶっつけ本番だ。
こっちの思惑を、《天秤狂い》は果たして見抜いているか。
『理解は求めていません――が、この不可解さは如何ともし難い。
天秤は揺れ、均衡は損なわれている。
だというのに、その不均衡の中に揺るぎない均衡も同時に感じられる。
不可解に過ぎる矛盾。
それは私も初めて見るものだ』
声も、視線も。
変わらない。
変わらず、理解の及ばない冷たく熱い感情が突き刺さる。
ちょっと俺一人に集中しまくってるだけで。
『よくよく竜に好かれる気質のようだな、お前は』
「これ好かれてるって言って良い奴??」
「……ふむ、巻き込まれんようもう少し距離を取っておくか」
『ねこもそう思います』
糞エルフと猫は薄情な奴らだった。
不意に、空間が軋んだ。
膨れ上がる魔力の圧に、大気が押し退けられていく。
これまでも大概だったが、ヤルダバオトの力は更に臨界へと達する。
まぁ、全力で来てくれる分には予定通りだが……!
『貴方の在り方は、私の知る均衡とは異なる。
故に、私の全能力を用いて排除します』
「興味を持ってくれたんじゃないのか??」
『興味深くはあります。
だが、その在り方は私の求めるところではない。
不可解ですが、理解は望んでいません。
貴方を私の力で排除することが出来れば、天秤は揺るがない。
美しい均衡の下、正十字は完璧に整えられる』
……うん、何を言ってるか分からん。
分からんが、俺を本気で殺す気なのだけは理解できた。
背負った正十字の光が、一際強く輝く。
《天墜》の前段階と同じで、そのまま光を収束させていく。
違うのは、さっきとは真逆で威力が桁違いにデカい事。
あと、片腕ではなく両腕に光が集まっていた。
合わせたらどんな破壊力になるやら。
最悪、この神殿そのものをぶっ壊しかねない。
そんなヤバい力を膨れ上がらせるヤルダバオトを、俺は黙って見ていた。
相手も、
互いの視線だけはズラさず、立ち位置を少し変えた。
――さて、悪くはない展開だ。
『何かを狙っているようですね』
「まーな」
『どうあれ、私には関係がありませんが』
「言うと思ったよ」
笑う。
行動原理はサッパリだが、動き自体は分かりやすい。
自分が見えている基準が絶対で、そこから決してブレない。
揺れない理由は不明でも、天秤はあくまで天秤だ。
――今のヤルダバオトにとって、最優先は俺を排除すること。
それ以外は些事で、仮に気付いていても興味がないのだ。
こっちとしては好都合。
後は、これから飛んでくる一撃をどう凌ぐかだな。
『……均衡が乱れていますね』
「そうかい」
お決まりの文句に、とりあえず相槌を打ってみた。
当然ながら、ヤルダバオトが乗ってくることはない。
それに続く言葉も、やはり最初から決められたものだった。
『排除します』
「おう、来いよ!!」
破滅の光が墜ちる。
両腕の輝きを重ねた上で、それを叩き込んでくる。
人間では到底抗えないはずの、最強の竜が放つ最大の一撃。
ヤルダバオトは俺だけを見ていた。
俺もヤルダバオトだけを見て、剣を構える。
竜殺しの魔剣であっても、これを防ぐのは不可能だと。
そう理解して、俺は片手で柄を握っていた。
空いた方の手は、虚空へと伸ばす。
其処には何もなく、《天墜》の輝きは間近まで迫っている。
何も掴めないはずの手。
その指の中に、何かが風を切って飛び込んできた。
――剣だ。
一振りの、月の光を宿した大剣。
敢えて距離を離し、見えやすい位置に移動していたウィリアム。
ヤルダバオトがぶっ放すのに合わせて、《月鱗》の一振りをブン投げたのだ。
「一つでは無理でも、二つならどうにか出来るだろう?」
《天墜》が空間を震わせているので、音は届かない。
けど、そんな糞エルフの言葉が聞こえた気がした。
アイツなら、何か良い感じにこっちに合わせてくれるとは期待していた。
期待していたが、実際にその通りにキメられると驚きはする。
ホント、何処まで読んで動いてるんだか……!
月の刃と、竜殺しの刃。
二つを重ねて、天から墜ちる光に挑む。
間違いなくヤルダバオト側にとっても全力の攻撃だ。
「ッ…………!!」
『ハハハ、正念場よな!!』
歯を食いしばる。
ボレアスも笑いながら、内なる炎を燃え上がらせた。
加えて二振りの剣に、最高の防御が施された甲冑。
それらがなければ、俺の身体はとっくに消し飛んでいただろう。
ギリギリだった。
アウローラとの一戦と比べても、負けず劣らずの綱渡り。
剣と光がせめぎ合い、余波だけで空気が沸騰する。
気を抜けば塵も残さずに死ぬ。
持てる力、いやそれ以上を強引に絞り出す。
『――――』
それは、ヤルダバオトもまた同じだった。
全霊を叩きつけた上で、その眼は俺を見ていた。
真っ直ぐ射抜くように。
そこには、ただ結果を確かめたいという欲求だけがあった。
……まぁしかし。
「そんな熱い目で見られても困るんだよな……!!」
思わず笑ってしまいながら、俺は二つの剣を振り抜いた。
破滅の光が砕け散る。
砕けても尚、その破片と熱が周りを吹き飛ばす。
再び歯を食いしばり、荒れ狂う衝撃の中を気合いで耐えた。
剣の柄を握りしめる。
月の刃と、竜殺しの剣。
全力の一撃を放ち、それを粉砕された事でヤルダバオトは一瞬止まっている。
ほんの刹那に見えた勝機。
それを狙うために、俺は前へと――踏み込まず。
逆に、思いっきり背を向けた。
この瞬間だけは、《天秤狂い》から視線も意識も外した。
戦いながら位置を調整した事で、向こうの姿が良く見える。
――オーティヌスと対峙しているアウローラの姿が。
俺は彼女へと、手にしたモノを思いっきり投げ付けた。
つい先ほど、ウィリアムの奴が俺にそうしたように。
「アウローラ!!」
届くかは分からない。
それでも彼女の名を叫んだ。
光と熱に照らされて、銀色の刃が煌めく。
古き竜を殺すために鍛えられた、魂砕きの剣。
それは真っ直ぐ、《始祖》の王へと駆け出したアウローラの元に飛んでいった。
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