第三章:《始祖》の王との戦い

466話:揺るがぬ天秤


 光が荒れ狂う。

 触れただけで鋼を溶かす、死の光。

 正十字の輝きを背負ったその姿は、いっそ神々しささえ感じられた。

 《均衡の竜王》――《天秤狂い》のヤルダバオト。

 大昔、噂程度にこの竜を「神」と呼んで跪いた者もいたと聞いた事がある。

 その頃は、ソイツが何を考えていたのか良く分からなかった。

 が、今なら何となく理解できる。

 古き竜――その中でも、特に《五大》と呼ばれるような連中。

 それが本気で力を振るう様は、天変地異そのものだ。

 畏怖と恐怖が過ぎて跪くしか無いって考えも、とりあえず分かる。


「――まぁ、こっちはそんなつもりサラサラないけどな……!!」


 振り下ろされる光に、真っ向から剣を合わせた。

 正十字から放たれる《吐息》の乱射――ではない。

 ヤルダバオトは、背負った光を右手へ収束させていた。

 あの《天墜》って技かと思ったが、相手はそれを剣のような形に変化させる。

 光の剣。

 巨体が悪夢じみた速度で動く、手にした刃を叩きつけてくる。

 意外にも、その動きは酷く滑らかだった。

 剣の達人を彷彿とさせる鋭い一閃。

 こっちもギリギリ剣で防いだが、今のは結構危なかったな。


「ハッ、まさか剣の心得まであるとはな!」

『――――』


 こっちが光の刃を受けた瞬間、死角でウィリアムが動いた。

 ブリーデの所有物であるはずの、《森の王》を宿した月の大剣。

 それを我が物のように構え、糞エルフはヤルダバオトに斬り掛かる。

 こっちもこっちで、剣の腕前に関しても達人級だ。

 魂さえ斬り裂く剣は、殆ど抵抗もなく竜の右腕を切断した。

 ……そう、切断した。

 半ばから断ち切られて、手にしていた光の刃も力を失う。

 同時に、俺は動いていた。

 踏み込むのではなく、後ろへと動く形で。

 刹那。


「っと……!?」


 先ほどまで俺がいた場所を、死の光が穿った。

 衝撃と熱風を浴びながら、視線はヤルダバオトから離さない。

 「右腕から」光の《吐息》を放った竜もまた、回避する俺の事を見ていた。

 ……ウィリアムが切り落としたはずの右腕。

 ほんの一秒前に受けた傷が、完全な形で修復されている。

 これと同じ現象を、戦い始めてからもう何度も目にしていた。


「どういう仕掛けだコレ!?」

『何の仕掛けもありはしない』


 内から響くボレアスの声。

 そこには、微かな戦慄も混じっている。


『ヤルダバオトは強大な王だ。

 《五大》の一柱であり、単純な力の規模なら最も強いと言っていい。

 だが奴の真の脅威は、事にある』

「? 壊され慣れてる?」


 言ってる意味がイマイチ分からない。

 ボレアスの言葉を聞きながら、俺は全力で走る。

 正十字がばら撒く《吐息》の雨は、一瞬でも途切れる事はない。

 無差別に辺りを光で焼きながら、更にヤルダバオト本体も直接殴りに来る。

 うん、コイツはなかなかの地獄だ。


『古き時代、竜の中でも最も激しく戦い続けたのがヤルダバオトだ。

 まぁ、大体はあの《天秤狂い》側から仕掛けたのだが……。

 それは兎も角、如何に強大な王であれ、戦いの中で肉体が砕かれる事もある。

 他の竜王が戦に参じる事も、別に珍しくはなかったからな。

 最強の《五大》と呼ばれた奴も、幾度となく肉体――器を破壊されてきた』

「だから『壊され慣れてる』と」

『そうだ。壊されれば当然、器は修復せねばならない。

 壊されて、治して、壊されて、治して。

 ヤルダバオトは何千年と、その作業を繰り返し続けた。

 ――その果てが、アレだ』

「…………」


 ヤルダバオトの攻撃は、どちらかと言えば俺の方に偏っている。

 天秤なら、そこは均等かつ平等にお願いしたいところだが。

 その偏りを突いて、ウィリアムは度々致命的な一撃を与えていた。

 今も、振り抜いた刃が《天秤狂い》の脚を斬り裂いた。

 切断――とまでは行かないが、半ばまで抉るような深手だ。

 斬り裂いて、それが見てる間にあっさりと塞がった。

 最早、悪夢を通り越して冗談じみた光景だった。


『アレこそが《天秤狂い》の最も厄介な点だ。

 器を壊されるのも、治すのも慣れ切ったが故の超高速再生。

 全体を一瞬で粉微塵にするか、奴の膨大な魔力が底をつくか。

 そのどちらか以外に対処する術はないぞ』

「ホント最悪だなマジで」


 クソ強いゴリラな上に、不死身めいた再生能力持ちとか。

 ここまでシンプルな地獄も逆に珍しいな。


「オイ、何か手立てはないか竜殺し!!」

「むしろこっちが聞くことじゃないですかねぇ!

 糞エルフさんなら勝算の一つや二つあるんじゃないのか!?」

「竜を殺す事に関しては、お前の方が得意分野だろうが!」


 得意分野というか、これぐらいしか能がないというか。

 馬鹿なことを言ってる間も、ヤルダバオトの攻勢は淡々と続く。

 無尽蔵の力を、ただ黙々と叩きつける。

 そのクセ、剣や体術に関しては達人めいた動きをするから気が抜けない。


『……恐らくだが。

 長らく戦場を見てきたせいで、剣の扱いなどの戦い方も吸収したのだろうな』

「ここまで来ると、純粋にすげェって気持ちになってくるな……!」


 強大無比な竜の王であれば、そんな技術は必要ないはずだ。

 必要がなくとも、それを見続けている間に自分のモノとしていた。

 そして使えば手足のように自在に扱えるとか、マジで洒落にならない脅威だった。

 大きく避けた直後を狙って、光の剣が振り下ろされる。

 強引に身体を捻って、その致命的な一刀もギリギリで回避した。


『――天秤が揺れ、均衡が乱れていますね』


 囁くような声。

 もう何度となく聞いた、ヤルダバオトのお決まりの文句。

 俺たちに向けられた言葉じゃない。

 ヤルダバオトの眼は、どこか別のモノを見ていた。

 ……その状態でも戦い方に隙が出来ないとか、ホントに酷いが。


『排除します』

「まー結局それだよなお前……!」


 何を考えて、どういう過程でその結論に至ったのか。

 まったく不明でまるで分からんが、こっちのやる事は変わらない。


「《火球ファイアーボール》――!!」


 《力ある言葉》を叫び、生み出した火の球を即座に投げつける。

 狙いはヤルダバオトの顔面辺り。

 当たり前だが、竜にこの程度の火が通じるはずもない。


『――――』


 即座に叩き落され、真っ赤な炎が撒き散らされる。

 ダメージは与えられないが、一瞬でも視界を遮る役には立つ。

 剣の奥底、燃え続ける竜の魂から力を引き出す。

 宿ったボレアスの炎と合わせて、一時的にだが身体能力を大幅に増強する。

 走る。

 こっちを見失ったヤルダバオトの足元を抜け、同時に斬り裂く。

 両足を抉った事で、巨体のバランスが崩れた。


「糞エルフ!」

「言われるまでもない!」


 強引にこじ開けた隙。

 ウィリアムと合わせる形で更に押し込む。

 放たれ続ける《吐息》を打ち払い、一気に間合いの内側へと踏み込んだ。

 竜殺しの剣は、強固な装甲も容易く切断する。

 糞エルフの持つ月の刃も同様に。

 こちらを見失っている数秒で、ヤルダバオトの身体を何度も刻む。

 こんだけやれば、普通は少しぐらい怯むんだが。


『――排除します』


 一切の苦痛を感じていない声。

 まるで、揺れない天秤のように。

 その一言が聞こえると、俺もウィリアムも全力で離脱を試みた。

 死神の吐息が鼻先を掠める。

 同時に、光が爆ぜた。


「ッ……!!」


 凄まじい熱と衝撃は、鎧の上からでも容易く肉を焼く。

 下手に踏ん張らず、俺は素直に吹き飛ばされる事にした。

 瓦礫に埋もれた床を転がる。

 止まったと感じると、即両足に力を込めた。

 跳ねた直後、光がつま先を掠める。

 背負った正十字から、全方位に向けて放った極大の《吐息》。

 それでふっ飛ばした上で、着地を狩る形で狙ってくるとか。


「容赦ねぇな、まったく……!」

『むしろ良く今のを凌いだと、感心を通り越して呆れるな』


 そりゃあどうも。

 今のぐらいで死んでたら、命が三つ四つじゃ足りなくなる。


「――ふん、あくまで俺より竜殺しか。

 戦力分析としては妥当な判断だな、《天秤狂い》」


 そして、ウィリアム。

 あっちもどうやったか知らんが、さっきの全体攻撃を耐えたらしい。

 ……いや、ちょっと訂正。

 アイツが耐えたのは、猫シールドのおかげか。

 左手でこんがり焦げたヴリトラが、ぶらぶらと揺れていた。


『できればこっちも下で居眠りしたかったんだよなぁ!』

「我慢しろ。お前がいないと俺が死ぬ」

『そういうとこだぞ糞エルフぅ!』

『――どうやら完璧な均衡を得たようですね、ヴリトラ。喜ばしいことです』

『完璧な均衡じゃなくて完璧な惰眠が欲しいんだよこっちはよぉ!』


 状況と何ら関係のない賞賛に、猫が悲しい鳴き声を上げた。

 頑張っちゃいるが、猫シールドも大分キツそうだな。


『で、勝ち目は見えたか?』

「お前と戦った時ぐらいにはな」

『相討ち覚悟では長子殿が泣くぞ?』

「流石にそれは困るからなぁ」


 笑う。

 笑ってられるような窮地ピンチじゃないが、ここは笑っておいた。

 応えて、内側のボレアスも笑った気がした。

 意識はヤルダバオトに向けたまま、ほんの一瞬だけ視線を余所に向ける。

 ――《始祖》の王オーティヌス。

 それと相対しているアウローラたち。

 あっちはあっちで、相当にキツい戦いだろうな。


「……勝ち目があるかは分からんが」

『が?』

「しくじったら死ぬだけだからな。

 だったら、しくじらずに勝つしかないだろ」

『……お前もお前で、そればかりだな』


 苦笑い。

 どうしようもない奴め、とボレアスは小さく呟いた。


『どうあれ、お前の好きにすれば良い。

 だが負けてくれるなよ?

 お前と相討ったのは我だけだと、まだ暫く長子殿に言ってやりたいからな』

「別に良いけど、程々にしてやってくれよ……!!」


 あんまりやり過ぎるとブチギレそうだしな、ウン。

 勝機と呼べるほどのモノは、まだ見えていない。

 頭を回しながら、身体は経験と本能に任せて走り続ける。

 光が舞う、天秤の裁きが降り注ぐ。

 ヤルダバオトは、ただ無機質な殺意で辺りを薙ぎ払う。

 ――さて、こっちの狙いに気付くか?

 その時はその時だが、ギリギリまでは引っ張りたいところだ。

 俺と同じく走って光を避けてる糞エルフが、軽く視線を向けてきた。

 「何か策があるんだろう?」とか、多分そんな感じで。

 とりあえず何も応えない。

 それで向こうは大体察するだろう。

 予想通り、一度の視線だけでウィリアムは理解したようだった。

 後はこっちには見向きもせず、ヤルダバオトとの戦いに専念し始める。

 放って置いても、アイツなら良い感じに動いてくれるだろう。


『相変わらず奴とは息がピッタリだな、竜殺し?』

「風評被害は止めて欲しいんだよなぁ」


 いやホントに。

 こういう状況だとありがたいのは否定せんけども。

 ともあれだ。


「もうちょいがんばるか」


 呟いて、俺は剣を振るった。

 砕ける光の《吐息》。

 散って消えるその断片の向こう、《天秤狂い》が俺を見ていた。

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