終章:舞台裏の思惑
148話:立ち去る影
焼け焦げた瓦礫と破壊され放置された兵器。
あとは「残機」を使わずに死んだ参加者の死体が幾つか。
今や戦場だった都市中層に残されているのはそれだけだった。
他には誰もいない。
《闘神》を討ち取った勝利者も、五本首の大公閣下も。
奇跡的に生き残ったそれ以外の雑多な参加者達も。
一人残らず立ち去って、後には何もない。
何もない――はずだった。
「……よいしょ、っと」
炎で焼けた瓦礫の一つが音を立てて動く。
その下から這い出したのは一人の女だった。
濃い銀色の髪に緑の瞳。
森人の血が流れる顔立ちは残る傷痕も含めて美しい。
焼け焦げて、身体に引っ掛かった状態の外套を払い落とす。
その下の衣服や薄手の皮鎧もあちこち焦げてはいる。
それ以外に目立った外傷は殆ど無かった。
炎の地獄に放り込まれながらも、
ただ薄い色の唇から満足気な吐息を漏らす。
「いやぁ、負けた負けた。
まさか最後はあんな手で来るなんてね。
思ったよりもずっと楽しめたし、テレサには感謝しないと」
独り言を呟きながら、視線を足下で彷徨わせる。
少しして、ドロシアは瓦礫の隙間へと手を伸ばした。
苦労しながら探ると、やがて埋まっていた一本の剣を掘り出す。
愛剣――とまでは行かないが、それなりに手に馴染んでいる代物だ。
簡単に無くすには惜しいと、ドロシアは少し安堵した。
奇跡的に無事だった鞘に剣を納める。
それから改めて、残された戦場に視線を向けた。
全てが過ぎ去った戦いの跡。
ドロシアは楽しそうにそれを見ていた。
「……さて、あんまりサボってちゃいけないな」
そう言って、ドロシアは自分の胸元に手を伸ばす。
薄い胸の辺りを指で探り、取り出したのは小さな四角い箱。
炎で多少焦げているが、その程度で壊れる代物ではない。
通信端末だが、彼女はそれが少々苦手だった。
どちらかというと機械音痴なのだ。
一応「呆けた老人でも使えるよう設定してある」との事だが。
「それでも苦手なものは苦手なんだよなぁ。
いや、勿論便利なのは認めるけど」
ちょっとぶちぶち言いながら、指先で何度か端末の表面をなぞる。
呆けた老人でも使える設定に苦戦すること数分。
ようやく端末は正しく機能し、僅かに
『……ドロシアか。
遅かったな、遂に死んだのかと思ったが』
「ハハハ、心配してくれたかな?」
『いや、お前はそう簡単に死ぬほどやわではあるまい』
「死んだと思ってたのか死んでないと思ってたのか、一体どっちなのさ」
口調は真面目ぶっているが、それは「相手」なりの冗談だ。
その辺りを理解しているのでドロシアは素直に笑っておいた。
『それで、首尾は?』
「問題が幾つか。《闘神》が死んだよ」
『…………それは事実か?」
「目の前で見たから間違いないよ。良い戦いだった」
ドロシアの言葉に「相手」は低く唸る。
――流石に、彼にとってもこれは予想外の事態か。
恐らくは誰も《闘神》の敗北など想定していなかっただろう。
実際、ドロシアも少なからず驚いてはいた。
「僕の任務はあくまでゲマトリアの動向を探る事。
だから《闘神》が死んだこと自体は、まぁちょっとしたアクシデントだけどさ」
『そのゲマトリアは?』
「《闘神》を仕留めた戦士を自分の根城に連れ込んだようだね。
さて、一体何を企んでいるのやら」
『それを探るのがお前の役目だったと思うが、ドロシア』
「悪いね、一応探りは入れてたんだけど詳しい事はサッパリ」
それは任務を果たせなかったと公言しているも同然だが。
ドロシアは悪びれた様子もなく笑う。
「相手」もそれを咎める事はせず、ただ疲労を感じさせるため息を吐き出した。
『お前はそういう女だ、ドロシア。それは私も分かっている。
……分かっているが、もう少し何とかならんのか?』
「一応真面目にやったんだよ?」
『実際のところは?』
「その《闘神》殺しの彼とか、あとその彼に惚れ込んでる女従者とか。
そっちに目移りしちゃって趣味に没頭してました」
『それは真面目とは言わんぞ』
ツッコまれてしまった。
しかし「相手」はそれ以上ドロシアを咎める気はないらしい。
ただもう一度だけ深いため息をこぼす。
大変だなぁ、とドロシアは他人事のように思った。
「まぁ過ぎた事は置いといて」
『余り置いておきたくはないがな』
「まぁまぁ。それで、これからどうする?
ゲマトリアが何を企んでるかは未だ不明だけど」
『…………アレが戦争都市を中心に、盟約には秘密裏で何かを企んでいる。
其処までは分かっている』
「尻尾の先っちょを掴んだ程度だけどね」
そして具体的にその
詳細を探る為に都市に入り込んだのがドロシアだ。
結局、自分の趣味に熱中し過ぎた為に仕事が半端になってしまったワケだが。
その辺りは過ぎた過去として、ドロシアは未来について思考を巡らせる。
「しかし、怪しいと分かってるならこんな面倒をする必要があるのかい?」
『ゲマトリアに盟約に対する叛意はない。それは確実だ』
「そうと言い切れる根拠は?」
『アレは慎重かつ小心で、臆病で愚かな知恵者だ。
自分の利益の為なら幾らでもあくどい事を考えるだろう。
逆に言えば、利益を損なう程の危険を冒す事はない』
「言い切るねぇ」
「相手」の言葉にドロシアは思わず苦笑した。
それに対してただ「事実だ」と巌の如き男の声が応える。
『故に今回も言ってしまえば「念の為」だ。
アレは慎重かつ小心で、臆病で愚かで小賢しい。
その上で調子に乗り過ぎる場合もある。
お前に探りを入れさせたのも、その備えの為だ』
「成る程ねぇ」
『……ただ、その《闘神》を殺した戦士については気になるな』
真竜殺し。
永遠不滅であるはずの竜を殺した者。
ドロシアも「相手」が何を言いたいのかは分かっていた。
最近も似たような話が彼女の耳にも入って来たばかりだった。
「バンダースナッチを仕留めた相手と同じって、そう考えてる?」
『可能性はある。当然考慮すべきだ。
不死の竜を殺すなど、道理に合わん話がそう起こるとは思えん』
「竜殺しの大英雄殿がそれを言っても説得力に欠けるんじゃないかなぁ?」
『何事も例外はある』
真面目くさった返答に、ドロシアはついつい噴き出してしまった。
けれど「相手」は気を悪くした様子もなく、ただ淡々と言葉を続ける。
『一度帰還しろ、ドロシア。任務は完了したものとする』
「おや、良いのかい? 気になるんだろう?」
『気にはなるが、これ以上お前に任せてもまた遊びが過ぎるだろう』
「そう言われると弱いなぁ。
ハイハイ、御命令には従いますよ」
『それで良い、ドロシア。我が《魔星》よ』
《魔星》と呼ばれ、ドロシアは笑みの形に目を細める。
それからこの場にはいない相手に向け恭しく一礼してみせた。
いつもふざけている印象の強いドロシア。
そんな彼女だが、その時ばかりは普段と様子が違っていた。
動作の一つ一つから滲む敬意と畏怖。
揺るぎない忠誠を示すようにドロシアは応える。
「仰せの侭に、偉大なる《主星》。
――盟約の礎たる大真竜ウラノス」
『一先ずはご苦労だった。後の事は私が取り計らおう』
「ええ、こっちは程ほどで帰りますよ」
その言葉を最後に通信は途切れる。
ドロシアは暫くの間はその場に佇み続けた。
己の主に頭を垂れたまま、時間は静かに流れる。
その行為に深い意味はなかった。
或いは「余韻に浸りたかった」のかもしれない。
激しい戦いの爪痕だけが残る戦場跡。
最早何も残らぬ荒野に立っているのは死神のみ。
どれほどそうしていたか。
風の一つも流れぬその場所でドロシアは顔を上げる。
それから猫のように身体を大きく伸ばした。
「さて――とりあえずは仕事も終わりのようだし、大人しく戻るかな。
考えると、それは大変魅力的な思い付きだった。
しかし羽目を外し過ぎて後でお叱りを受けるのも面倒だ。
此処はぐっと自重するべきだろう。
ゲマトリアに関してはこれ以上探る必要もなくなった。
《主星》たるウラノスが「後はこちらでやる」と言ったのだ。
大公閣下が何を企んでいるかは知らないが、これで収まるべき処に収まるだろう。
その点についてはドロシアは何も心配していなかった。
気になる事があるとするならば。
「……レックス、か」
その男についてドロシアは思い返す。
なかなかに不可思議な男だった。
剣は我流で洗練された技術は一切存在しない。
印象としては棍棒に近い。
夢中で振り回している内に無駄が削れて、硬く粘る強い芯が残った。
乱雑でありながら繊細で、正確のようで適当な。
矛盾した要素が自然と同居している。
それなりに長い戦歴を持つドロシアでも初めて出会うタイプだ。
結論としては、本当に不可思議な男だと言う他ない。
彼とその仲間達は、全員が《大公》の手で《天空城塞》に連れていかれた。
ゲマトリアの目的は知らない。
けれど無事に城から出られるとも到底思えない。
《大公》主催の会合ですら、時に主催者の手で無惨な最期を遂げる者もいる。
――けれど、あの男なら。
不可能と思っていた《闘神》の完全撃破。
それを成し遂げたレックスなら、或いは定まった未来を覆すかもしれない。
賽の目はまだ壺の中だ。
果たしてその結果はどうなるのか。
「――ふふっ。
これは当分退屈しなくて済みそうかな?
此処まで僕を熱くしたんだから、ちゃんと責任は取って貰わないとね」
クスクスと死神は愉快そうに笑う。
それは熱く蕩けるような危険な毒を孕んでいた。
もう一度伸びをしてから、ドロシアは小さく息を吐く。
今は空に消えた男を想いながら踵を返す。
――《主星》は、大いなるウラノスは考えもしていないはず。
盟約の礎たる七柱、その一つが崩れる可能性を。
あり得ない事だとドロシアも思う。
けれどあり得ない事は既に起きているのも事実。
それならこの世であり得ぬ事など存在しないのではないか。
そんなものは理屈以前の戯言だが。
戯言だからこそドロシアは笑っていた。
「仮に礎の一つが失われる事になったら――どうなるのかな、この大陸は」
真竜たちを頂点に築かれた歪な秩序。
歪んではいるが、それでも秩序は秩序だ。
竜の時代は終わらず、けれど人類は滅びず今も生き続けている。
家畜のように生きる事の善し悪しをドロシアも語る気は無い。
そんなものは人それぞれに答えがある話だ。
自分は御免だが、そんな生き方が楽な人間もいるはず。
なんにせよ、遠からず結果を見る事になるだろう。
あの男が堅牢たる盟約に罅を入れるのか。
それとも無力なまま時代の流れに消えてしまうのか。
「――ふふっ」
ドロシアは笑う。
酷く楽しそうに笑っていた。
風が吹く。吹くはずのない風が。
何もない戦場跡を、風は静かに吹き抜ける。
その後には――やはり、何もなかった。
死神の姿さえ消え去って、後には影も残ってはいなかった。
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