147話:大公閣下からの招待


 ――

 それが大真竜を名乗る小娘を見た瞬間に抱いた第一印象。

 竜王の長子たる私は対峙する相手を正しく見定める。

 瓦礫の山の上でお道化ている姿。

 何気ない動作から漏れだす竜としての気配。

 真竜なんて名乗っているけど、コイツは間違いなく古竜だ。

 見たところ千年程度。

 どれだけ多く見ても齢二千は数えていないだろう。

 激戦を超えた為、動く事もままならない状態のレックスとテレサ。

 私は二人を背に庇う形で立つ。

 ボレアスはその後方、イーリスを保護する位置を取る。

 ……何だかんだで、お互いにこういうのが身に沁みついてしまったわね。

 それを敢えて口に出す事はしないけれど。

 

「大公閣下、ね」

 

 相手の名乗りを、私は小さく繰り返す。

 小娘――いえ、大真竜ゲマトリアはニコニコと笑っていた。

 ……古竜とは永遠不滅の存在。

 生物としての寿命は無く、肉体の死さえも仮初のモノに過ぎない。

 しかし最初からその形で「完成」していたのは二十の《古き王》のみ。

 世に「古竜」と呼ばれた者の多くは、古の王たる太母ティアマトから生まれた。

 彼らもまた竜には違いないが、最初から永遠不滅というワケではない。

 生まれたばかりの頃は知性も低く、本能だけで生きる獣も同然。

 それが早ければ十数年、遅くとも数十年から百年程度で高度な知性を得る。

 この段階を「成竜アダルト」、それ以前を「幼竜ヤング」と呼んで区別する。

 「成竜」に至る事でようやく竜と呼んでも差し支えない。

 しかしその時点ではまだ永遠不滅ではない。それはもう一つ上の段階だ。

 才ある者で数百年、そうでなければ千年以上。

 それだけの年月を経る事でようやく竜は永遠不滅の階梯に至る。

 其処で初めて竜は「古竜エルダー」と呼ばれる。

 そう、其処に至ってようやくだ。

 千年以上を生きた古竜から、更に強大な力を持つ者は「王」の名で呼ばれる。

 偉大なる二十の《古き王》、それに迫る程の格を得たのだと。

 しかし「迫る」事は出来ても、《古き王》とそれ以外は文字通り別格だ。

 私も昔はその辺を勘違いした身の程知らずを何度か叩き潰した覚えがある。

 今目の前に立っているゲマトリア。

 この小娘から感じる印象は、その時の愚か者に近い。

 たかだか千年と少し。

 或いは才能もあり、もっと早くから古竜の段階に至ったのかもしれない。

 その上で「王」と名乗る程の力を得たが故に増長した。

 そんな「思い上がり」を全身から漂わせている。

 確かに相当強い魔力を帯びているようだけど……。

 

「それで、わざわざ出て来て何の御用かしら?」

「いやぁボクはこれでも一応この都市の支配者ですからねぇ。

 本来なら《闘神武祭》もボクが主催するものなんで。

 今回は部下の《闘神》が勝手に始めちゃったんですけどね!」

 

 困ったもんです、と無駄に大仰な仕草で肩を竦める。

 本当に言動は道化者の類にしか見えない。

 これが本当に大真竜なんていう、真竜どもの中核なの?

 疑念を込めた私の視線を受けながら、ゲマトリアは気にした様子もない。

 ただ無意味にその場でクルクルと回ってみせながら。

 

「ま、もう終わった事はどうでも宜しい!

 大真竜であるボクはこう見えても多忙ですから!

 さっさと本題に入っちゃいましょうか」

「そうして貰えると助かるわね。

 こっちも見ての通り、疲れて……」

?」

「…………は?」

 

 コイツはいきなり何を言っているのか。

 表情も声の調子も相変わらずお道化たまま。

 ゲマトリアは一方的に告げてくる。

 思わず怒気が滲むけれど、ゲマトリアは何処吹く風だ。

 

「いやホント、ビックリしたんですよ?

 まさかあの状態の《闘神》に勝っちゃうなんて!

 ボクだって首一本の状態じゃあどうなるか分かんないのに。

 ええ、まったく期待以上の予想以上!

 待ちかねた超英雄スーパーヒーローのご登場って気分ですね!」

「そいつぁドーモ」

 

 身動きの取れない状態で、レックスは呻くように応じる。

 元より、私達の狙いは大真竜であるゲマトリアの首。

 面倒な要素を排除して近付く為に、この戦争都市で戦って来たけれど。

 向こうからやってきた上に、レックスを「貰って行く」とか!

 正直予定外だし、ふざけているとしか思えない。

 思わず睨んでしまうと、ゲマトリアは不思議そうに首を傾げた。

 

「おや、どうしました? もしかして怒っちゃってます?」

「…………いいえ、別に。

 ただ見ての通り、彼を含めて私達も疲れてるわ。

 戦功に報いるのはありたがいけれど、少し日を改めて貰えないかしら」

「おっと! 確かに皆さん超スーパーお疲れって感じですね!

 これは気が回らずにスイマセン!」

 

 ハッハッハ、とわざとらしい声で笑うゲマトリア。

 笑って、笑いながら、声の調子は少しも変えず。

 

「けど大公であるボクの決定なんで!

 別に死んじゃいませんし、動かす分には問題ないでしょう?

 だから何にも気にする事ないですよ!

 なんたって大公であるボクの決定ですから!」

 

 傲慢、不遜、その他すべての悪徳を詰め込んだかのような声。

 一方的に言いながら、ゲマトリアは瓦礫の山から軽い足取りで降りてくる。

 その時も無意味にポーズなど決めているが、一体何の意味があるのか。

 何がそんなに面白いのか、顔には笑みを張り付けてゲマトリアが近付いて来る。

 ……レックスは今、戦える状態じゃない。

 無防備に接近してくる大真竜を見ながら、私は思考を巡らせる。

 普段ならレックスに任せるし、私も可能なら目立つ真似は避けたい。

 けれど今は選り好みをしていられる状況じゃないわね。

 ゲマトリアは警戒している様子もない。

 本当に、散歩にでも行くような。

 そんな気軽い空気だけを纏っている。

 周辺に配下を伏せている気配も感じられない。

 であれば、多少の危険リスクは呑み込むべきだ。

 一歩ずつ、ゲマトリアは私の方に近付く。

 正確にはこちらが背に庇っているレックスの方へと。

 ゲマトリアは何も言わない。

 もう口にするべき事は口にしたと、そう言わんばかりだ。

 ――コイツは若造で、小娘だ。

 疑いようもなく私は確信していた。

 《古き王》ではなく、ティアマトから生まれた第二世代以降の竜王。

 齢は千年を超える程度の、古竜としては若輩も若輩。

 侮っていたつもりはなかった。

 ただ事実として、《古き王》とそれ以外には埋めがたい格差がある。

 だから私は躊躇わなかった。

 ゲマトリアが私の脇を過ぎようとした瞬間に動く。

 先ずは腕力で抑えつけて、それから改めて術式で拘束する。

 相手が古竜である以上、「殺す」にはレックスの《一つの剣》が必要だ。

 肉体を砕いても構わないけど、今の状況で余り威力の高い術式は使いたくない。

 ゲマトリアは私の方を全く見ていない。

 苛立ちはするけどむしろ好都合。

 躊躇うことなく、私はその首に向けて手を伸ばす。

 

「――まぁ、このぐらいは予想の範疇でしたけど」

 

 ゲマトリアは笑っていた。

 身の程知らずを嘲る上位者の笑みで。

 抑えようとした私の手を、ゲマトリアは逆に片手で抑え込む。

 目の前で起こる現実。

 私にとってそれは信じ難いものだった。

 確かに今は私も万全じゃない。

 《闘神》――いえ、バアルとの戦いで相応に消耗していた。

 それでも並の竜王程度に遅れは取らない。

 仮にゲマトリアに搦め手の仕込みがあろうと対処できる自負があった。

 けれど。

 けれど、これは……!

 

「おや、そんなに不思議ですか?

 ?」

 

 本当に楽しそうに笑うわね、この小娘!

 認めるのは癪だけど、ゲマトリアの言葉が全てだった。

 掴まれた手にどれだけ力を入れても動かない。

 発動寸前の拘束術式も同様に、上から強い魔力で封じ込められていた。

 あり得ないと否定しても事実は覆らない。

 初見からただの竜王程度としか思っていなかった。

 しかしその相手が今や《古き王》に匹敵する圧を放っている。

 軽々と私の手を掴みながらゲマトリアは嘲笑う。

 まるで私を身の程知らずの愚か者と見下しながら。

 

「なんだ、存外大した事ないじゃないですか。

 ねぇ、《最強最古》?」

「…………!」

 

 嘲りと共にゲマトリアはその名を口にする。

 既に此方の素性は把握していたか……!

 その上でこっちに手を出させるようわざと隙を見せて来たワケね。

 道化は私の方だったかと歯噛みする。

 ゲマトリアは片手一本で私を封じ、余裕の表情でジロジロと見てくる。

 それから軽くため息を吐き出した。

 

「はてさて、他の皆さんは一体何をビビってたんでしょうかねぇ。

 まー確かになかなか強そうですけど、そんな警戒する程じゃありませんね」

 

 語っている内容は完全に此方を舐め切ったものだ。

 けれど流石に私も気付いていた。

 言葉や態度で侮りながらも、ゲマトリアは私の挙動を注意深く観察している。

 ――やっぱりコイツは道化者だ。

 お道化てふざけて油断を誘い、己の真実を覆い隠す。

 私も余り記憶にないタイプの相手だ。

 今はこっちが他に手札を持っていないか警戒しているようだ。

 仮に危険リスクが無いと踏めば、恐らくその時点で噛み殺しに来る。

 勿論私も隠している札はある。

 けれどそれを切ったとして、果たしてコイツをどうにか出来るか……?

 

「オイ、無茶をするなよ竜殺し」

「っ、レックス……?」

 

 背後で動く気配。

 同時に聞こえて来たボレアスの声には、僅かな焦りがある。

 ゆっくりと、もう僅かな力も残っていないはずの手足で。

 レックスは魔剣を支えにしながら立ち上がる。

 テレサはまだ動けず、イーリスは動けるが状況に干渉する手段がない。

 私と、私を抑えるゲマトリアを見ながら。

 手にした剣の切っ先を、レックスは僅かに持ち上げる。

 今の状態ではそれが限度だと直ぐに分かった。

 当然ゲマトリアも理解していた。

 

「おや、おやおやおやおや。

 まさかとは思いますけど、そんな状態でボクに挑む気ですか?」

「いいや」

 

 表面上は小馬鹿にした態度で発せられるゲマトリアの問いかけ。

 それに対してレックスは軽く首を横に振った。

 否定した上で、ロクに動かない身体で彼はハッキリと宣言する。

 兜の隙間から見える眼は真っ直ぐ「獲物」を見ていた。

 

「挑む気じゃなくて、殺す気だな」

「――――ハッ」

 

 戯言だとゲマトリアは笑い飛ばす。

 しかし漏らした笑みには獰猛さが滲んでいた。

 大型の獣が牙を剥いた時の感覚。

 不意に強い重圧が私を圧し潰そうと全身に圧し掛かって来た。

 原因はゲマトリアの放っている気配が変わった事だ。

 道化者の表情から、絶対的な支配者の相へ。

 明らかにこのままでは拙い事になる。

 私がそう強く危機感を抱いた、まさにその瞬間。

 

「ぐっ……!?」

 

 小さく呻きながら、レックスはその場に膝を付く。

 見れば彼の脚には一本の矢が刺さっていた。

 そう、矢だ。

 見覚えのある森人仕立ての矢。

 誰が撃ったかなんて考えるまでもない。

 

「ウィリアム……!」

「そう怒るなよ、重要な血管は避けている」

 

 怒りに煮え滾る私の言葉に対して。

 この男は鋼のように冷ややかな声で応じた。

 これ見よがしに弓を構えながら、ウィリアムはゲマトリアの背後に現れる。

 森人の手には既に何本かの矢が握られていた。

 番えてはいなくとも、その気なら風より疾く走るやじりが私達を穿つだろう。

 狙い定める狩人ウィリアムの眼がその事実を告げていた。

 

「よう、何をしてるのかと思ったが」

「すまんな、こっちもこっちの予定があってな」

「そりゃ別に構わんけどなぁ」

「感謝するならしてくれても構わんぞ?」

「ぬかしよるわ」

 

 こんな状態にも関わらず、レックスもウィリアムも普段通りに言葉を交わす。

 聞いているこっちは逆に何も言えなくなってしまう。

 それはゲマトリアも同じようだった。

 絶妙な横槍――横矢?――に毒気を抜かれてしまったらしい。

 ゲマトリアはまたお道化た仕草を見せてから、ウィリアムへと視線を向ける。

 

「ちょっとー、こっちも盛り上がってたのに邪魔しないでくれます?」

「それは悪かったな。

 しかし窮鼠は猫を噛むとはいえ、瀕死の鼠にムキになっては沽券に関わろう」

「むっ……!」

 

 ウィリアムの諫言めいた言葉に、ゲマトリアは小さく唸る。

 それから首を傾げて、深く思案しているポーズを見せた。

 身に着けた装束ドレスの愛らしさを強調するのも忘れない。

 

「――まっ、確かに貴方の言う通りですねっ。

 つい興奮し過ぎましたが、偶には頂点として余裕ぐらい見せるべきですよね!

 いやはや無礼を働いて申し訳ありませんでした!』

 

 言いながらゲマトリアは私の手を離す。

 また来ても幾らでも同じように出来ると、言外にそう語っている。

 私は何も言わなかった。

 今の状況で、この大真竜を仕留めるのは難しい。

 先ずはそれを認めた。

 私の沈黙を屈服と理解したか、ゲマトリアは機嫌良さげに喉を鳴らす。

 

「ええ、ついつい欲求が先走りましたが。

 ボクが主催者である以上、先ずは武祭の勝者を労うべきでしたね。

 あぁ特別に、他の方達の参加も認めて上げますよ?」

 

 明るく弾むゲマトリアの言葉に応える者は誰もいない。

 ウィリアムは下手な事を言うまいと口を閉ざす。

 他の者も大半が似た様子で黙っている。

 その沈黙すら楽しむように、ゲマトリアは両の手を広げた。

 

「沈黙は肯定として受け取りましょう!

 いやぁ地味に初めてなんですよね、今まで誰も《闘神》には勝てませんでしたし!

 アイツはアイツで直接の配下ですし!

 いちいち招いて褒美を取らせるなんてのも手間過ぎますからね!」

 

 一方的な言葉を語りながら、大真竜は天を指差す。

 此処からでは見えない何かを誇るように。

 

「竜殺し御一行、皆さま全員をご案内致しましょう。

 このボク、大真竜ゲマトリアの玉座である《天空城塞》へ。

 ――ほら、泣いて喜んでくれても構わないんですよ?」

 

 ただ只管にふてぶてしい態度で語るゲマトリア。

 その言葉に抗える者は、この場には誰もいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る