83話:迷宮からの脱出


 地下墓地の崩壊はいよいよ本格化してきた。

 あちらこちらから石が砕けて土砂が落ちる音が響いて来る。

 あっという間に生き埋めとはならんだろうが、油断すると埋葬されそうだ。

 どの道、そうゆっくりとはしていられない。

 

「――流石ね、レックス」

 

 そう囁きながら、アウローラが抱き着いて来た。

 首辺りに腕を回して、汚れるのも構わずに身を寄せる。

 俺は彼女の頭を一度軽く撫でてから。

 

「かなりギリギリだったけどな。

 それより、イーリス達は? ぼちぼち脱出せんとヤバそうだ」

「貴方が勝った事は《念話》でもう伝えたから。

 多分、直ぐに来ると思うわ」

 

 流石に仕事が速い。

 言葉通り、低く鳴動を続ける中をイーリス達が直ぐに走って来た。

 ブリーデが転ばないか若干心配だったが、テレサが支えて上手い事対処していた。

 あっちもあっちで怪我人だろうに。

 そして、イーリスに手を引かれる形でもう一人。

 

「……大丈夫か、ルミエル」

「うん。心配してくれてありがとう、お姉ちゃん」

 

 俺は初めて見る、ルミエルと呼ばれた少女。

 彼女は既に動かないバンダースナッチの傍で足を止める。

 少しだけ泣きそうな目でその様子を見てから、俺の方に向き直った。

 そして。

 

「――おじさんも、ありがとう。

 ママの事を止めてくれ」

「おじさん」

 

 いやまぁ確かに、全身甲冑こんな格好じゃ見た目で年齢とか分からんだろうし。

 流石に「お兄さん」と呼ばれる程に若いつもりもないけども。

 そういや三千年ぐらい死んでたけど、その場合は歳は幾つって答えるのが正解だ?

 

「年齢なんて、そんな些末な事を気にする必要ないわよ。

 貴方は貴方なんだから。ね?」

「そうか? いや、別にショックを受けてるわけじゃないぞ、ウン」

 

 フォローしてくれたアウローラに、俺はとりあえず頷く。

 まぁ年齢とか言い出すと、それこそアウローラなんてとんでもない数字になりそうだしな。

 我ながらアホな事を考えていると、剣の中からボレアスが囁いて来る。

 

『――《戦王》の魂は、まだ完全には喰えてはいないぞ?』

「…………」

 

 バンダースナッチを斬った剣からは、新たな熱が脈打っているのが感じられる。

 けれどそれは、真竜の強さに比べれば小さかった。

 ふと見れば、ルミエルの足下にはあの白いウサギの姿があった。

 一体いつの間に出て来たのやら。

 足下にすり寄る小さい身体を、ルミエルはごく自然に抱き上げる。

 ブリーデが言うのは、あのウサギも「竜王の魂の残滓」なんだったか。

 

「レックス?」

「そうだなぁ」

 

 問いかけるアウローラに、俺はほんの少しだけ考えて。

 

「とりあえず真竜は斬ったし、一先ずそれで良いんじゃないかと」

「……貴方がそう言うなら、私は別に構わないけど」

『竜殺し殿は実にお優しい事だ』

 

 後まぁ、どうもイーリスやテレサとは仲も良いっぽいし。

 俺は俺のやる事は済ませたから、後はお任せでいい気がする。

 こっちが剣を鞘に戻すと、ルミエルはまた一度頭を下げて来た。

 それから顔を上げて、イーリス達の方を見る。

 

「お姉ちゃん達は、急いで此処から離れて。

 出口の場所は分かるようにするから、迷う事もないよ」

「……お前は、どうするんだ?」

「大丈夫。もう悪い夢は終わったから」

 

 やや硬い声で確認するイーリスに、ルミエルは微笑んだ。

 それは泣きそうだが、喜びにも満ちていた。

 

「ママはようやく眠れたの。パパも、此処にいてくれる。

 ……だからあたしは、二人と一緒に行くわ」

「……そっか」

 

 ウサギを胸に抱くルミエルの頭を、イーリスはくしゃりと撫でる。

 

「何処に行くとか、そういうのわかんねェけど。

 お前がそれで幸せなら、それで良い」

「うん、本当にありがとう。イーリスお姉ちゃん」

「……短い間だったが、イーリスはとても楽しそうだった。

 私からも礼を言わせて欲しい。どうか安らかに」

「うん、テレサお姉ちゃんもありがとう」

 

 短く別れを済ませる姉妹。

 その様子を、少し離れてブリーデが見ていた。

 複雑な表情を浮かべて、掛ける言葉に迷っているような様子だった。

 ルミエルはそんな彼女の方にも、最後に微笑みかけた。

 

「……ありがとう」

「私は――何も、お礼を言われるような事なんて、してないわ」

 

 短く伝えられた想いに、ブリーデは酷く戸惑った様子だった。

 どういう関係なのか不明だが、多分突っ込んだら金鎚で殴られそうだ。

 もう一度だけルミエルは頭を下げて、それから倒れた女の傍に膝を付いた。

 薄く開いた瞼をそっと閉じて、その頬に唇を寄せる。

 ぽたりと、一滴の涙が零れ落ちた。

 

「おやすみなさい、ママ。

 『私』はいないけど――あたしとパパは、此処にいるから。

 もう、寂しくないよ」

 

 ルミエル……いや、『親子』三人を淡い光が包み込む。

 それは一瞬強く明滅し――後には、何も残っていなかった。

 倒れた女も、首の無い竜も、ルミエルと呼ばれた少女の姿も。

 いや、ただ一つ。

 先程までルミエルがいた場所に、小さな何かが落ちていた。

 イーリスは手を伸ばし、それを拾い上げる。

 全体的に汚れてしまっているが、それは白いウサギのぬいぐるみだった。

 多分、手縫いで作った物なんだろう。

 ちょっと不格好だが、それが逆に子供が喜びそうな印象を受けた。

 

「……糞」

 

 イーリスは小さく呟いて、そのウサギを胸に抱いた。

 そんな彼女の肩を、ブリーデは軽く叩いて。

 

「それは、貴女が預かって頂戴。

 ……あの子もきっと、それを望んでるだろうから」

「……こんなの趣味じゃねェけど、預けられたンなら仕方ないよな」

 

 頷きながら、イーリスは自分の目元を乱暴に拭った。

 落ち込むかとも思ったが、どうやらちゃんと切り替えたらしい。

 まぁそうでないと困るが。

 地下墓地さんもそろそろ限界だと全力でアピールして来てるし。

 

「終わった? なら早く脱出しましょう。出口は分かるとか言ってたわよね?」

「ええ、ルミエルから私達が聞いています。此方へ」

 

 アウローラの確認に頷いて、テレサが先を進む。

 崩れる音は激しさを増し、全体の揺れもかなりの大きさになって来た。

 これはブリーデはまともに走れるか怪しいな。

 そう考えて、そっちに手を貸そうと思ったわけだが――。

 

「――ホント、相変わらずドン臭いわよね。貴女って」

「……うっさいわね。

 そんな事、いちいち言われなくても分かってるわよ」

 

 いつの間にやら俺から離れていたアウローラが、ブリーデの手を掴んでいた。

 それから半ば引き摺るように、俺の方へと寄って来た。

 気のせいか、浮かべる笑みはいつにも増して上機嫌だった。

 

「ほら、行きましょうレックス?」

「おう」

 

 とりあえず頷き、俺達は先導するテレサの後を付いて行く。

 イーリスも《金剛鬼》の腕に抱えられ、特に問題は無さそうだった。

 崩れる。全てが崩れて行く。

 度重なる破壊に耐えかねて、地下の墓地は自らを埋葬していく。

 名前も分からない石の棺が次々と土に呑まれる。

 俺達は生き埋めとならないよう、兎に角気合いで駆け抜ける。

 しかしまぁ本気で広いな此処。

 割とボロボロなんで、ぶっちゃけかなりしんどい。

 

「あと少し……いえ、見えてきました!」

 

 崩落の音に負けないよう、先頭でテレサが大きく声を上げた。

 見れば、未だに土砂に閉ざされていない地下墓地の奥。

 其処には祭壇のような場所と、彫刻の施された大きめな石棺。

 その棺の上辺りに渦巻く、黒い「穴」のような物があった。

 

「アレよ! アレが《ポータル》!」

 

 アウローラに引っ張られながら、ブリーデもそれを指差す。

 此処まで随分苦労したが、やっとゴールが見えたか。

 後は無心で走る。直ぐ後ろはもう土と砂で埋まりつつあった。

 走って、走って、走って。

 最初にテレサが、次に《金剛鬼》と共にイーリスが「穴」に突っ込んで行く。

 残っているのは俺達だけだ。

 殆ど反射的に、傍にいたアウローラとブリーデを腕に抱え込んだ。

 

「はっ!? あ、ちょっと――」

 

 ブリーデの抗議は無視して、俺はそのまま黒い「穴」へと飛び込む。

 一瞬で視界が闇に染まる。

 転移した時に起こる、特有の浮遊感。

 俺は天地を僅かに見失い――。

 

「とっ」

 

 不意に足の裏に地面を感じた。

 そのままバランスを崩し、思わず尻餅をついてしまった。

 抱えた二人は落としてしまわぬようにして。

 そうして、目に映ったのは夜空だった。

 暗闇ではなく、淡く輝く星を散りばめた天幕。

 思わず息を呑むくらいに、それは美しい光景だった。

 乾いた地面に背を預ける形でそれを見上げる。

 どうやら無事に外へ出られたらしい。

 

「……ちょっと、いい加減に離して貰える?」

「おう、悪い」

 

 ブリーデが流石に文句を付けて来たので手を離す。

 倒れ込む俺の傍で立ち上がると、またブツブツ言いながら乱れた服を整える。

 そしてもう一人、アウローラの方だが。

 

「アウローラも、怪我とか大丈――」

 

 言い切る前に口を塞がれた。

 一瞬の早業で兜を剥ぎ取られ、唇に噛み付く勢いで口付ける。

 乾き切った身体が水を求めるみたいに、兎に角貪られた。

 

「まぁ長子殿も、此処まで随分と溜まっておられただろうしなぁ」

 

 などと笑いながら、ボレアスが剣からぬるっと出て来た。

 最近かなり自由になってません??

 なんてツッコミは当然口に出す余裕はない。

 今完全に塞がれているしな。

 

「……姉さん、オレもそうガキじゃねぇんだけど」

「余り見ると、後々主がどう拗らせるか分からないからな。

 自衛は大事だぞ、イーリス」

 

 姉妹はどうやら、姉が妹に目隠しをしているらしい。

 アウローラは完全に余所が見えてない状態だし、賢明な判断だと思う。

 で、まぁやられっぱなしも性に合わない。

 彼女がそのつもりなら、こっちも出来るだけ応える事にした。

 抱き締めた細い身体が小さく震えて、重ねた唇の隙間から熱い吐息が漏れる。

 出来るだけ深く深く口付けて、他に互いの顔が見えないように。

 

「…………まさか、ホントに……」

 

 視界の片隅で、やや茫然としたブリーデの姿が見えた。

 本当に、心底驚いたって顔だ。

 単純に驚愕しただけでなく、色々複雑な感情も見え隠れしている。

 それを確認する事は出来ないが。

 

「……は」

 

 どれだけそうしていたか。

 満足したというより、息が続かなくなったので自然と離れた。

 アウローラは頬を染めて、熱に浮かされた顔でぎゅっと抱き着いて来る。

 俺はその背を撫でて、出来るだけ強く抱き返した。

 身を寄せたまま、アウローラは器用に兜を俺の頭に被せる。

 

「落ち着いたか?」

「ええ。……本当に、心配したんだから」

「無茶して悪かった」

「仕方ないから、許して上げる」

 

 寛大な言葉に少し笑って、またゆっくりと髪を撫でた。

 そのまま起き上がろうとして……失敗した。

 緊張の糸が切れたせいか、諸々限界が来てしまったらしい。

 

「ちょ、レックスっ??」

「やばい、しにそう」

「まぁ生きてるのが完全に奇跡よね……」

 

 呆れ顔のブリーデの横で、ボレアスは何故か愉快そうに笑っていた。

 

「ハハハ、どうした竜殺し。

 これで死んだら我の時の二の舞だぞ?」

「いやまだ大丈夫、いや大丈夫じゃないかも」

「お前は変な煽り方するな!!

 待ってレックス、直ぐに治療するから……!」

 

 そういうアウローラ自身も、結構ボロボロだろうに。

 ともあれヤバめなのは事実なので、先ずは大人しくしておく。

 呪いの鎧を一部緩めて貰ったり、新しい賦活剤を呑ませて貰ったりと。

 アウローラに身を任せて暫し休む。

 ふと、それを傍らで見ていたブリーデと目が合った。

 彼女はやっぱり複雑そうな顔で様子を見ていた。

 

「どうした?」

「別にどうもしないけど」

「そうか?」

「……まぁ、ホントに何で生きてるんだろうとはちょっと思うけど」

 

 それは自分でもそう思う。

 今回は過去の記憶も含めて五指に入るヤバさだった。

 生きてるのは奇跡だと言われたら頷くしかない。

 そんな言葉に、アウローラはちょっと不機嫌そうに唸った。

 

「ちょっと、縁起でもない事言わないで。

 私がこうして治療しているんだから、万が一も無いわ」

「それは、その通りでしょうね」

 

 ブリーデは、やはり曖昧な表情で頷いた。

 気のせいか、アウローラからは距離を取っているように見える。

 まぁ、俺が聞いた範囲でも仲の良い姉妹ってわけでも無さそうだしな。

 色々と難しい部分もあるんだろう。

 アウローラの方もブリーデの様子には気付いているようだった。

 ただ今は、俺の治療に専念しているだけで。

 

「ねぇ、ちょっと」

「……悪いけど、話なら後にして。

 私は私で、あっちの姉妹の様子を見るから。

 向こうも怪我してるんでしょ?」

「そりゃ良いが、治せるのか?」

 

 俺が聞くと、ブリーデは小さく肩を竦める。

 

「私を何だと思ってるわけ?」

「白子のナメクジじゃないの?」

「うっさい。今アンタと話して無いから」

 

 ごく自然と割り込んで来たアウローラ。

 しかしブリーデは、それをやや辛辣にあしらった。

 

「簡単な応急処置よ、出来てもね。あんまり期待しないで」

「いや、助かるよ。ありがとうな、ブリーデ」

「……本音は、アンタ達を邪魔したくないってのが大きいけどね」

 

 そんな言葉と共に、苦笑いを浮かべて。

 ブリーデはそのままイーリスとテレサの方へ向かう。

 俺の治療で手が離せないアウローラは、それを不満げに見送った。

 

「大丈夫か?」

「……別に、何でも無いわ。平気よ」

「姉上に思った以上に雑にあしらわれてショックなんだろう?

 素直でないなぁ長子殿は」

「だからお前はうるさいってば」

 

 ケラケラ笑うボレアスを、アウローラはギロリと睨みつけた。

 まぁ当然、それぐらいで怯むタマじゃないが。

 ククッと喉で笑いつつ、戯れるノリで動けない俺を爪で突いて来る。

 抵抗出来ないし、とりあえず好きにさせておく。

 見上げた夜の空は、思いの外静かだ。

 

「……今回は一段としんどかったな」

「ええ、ずっと肝が冷えっぱなしだったわ」

「昔も確か、ヤバい敵や難所を越えた後とか。

 焚き火に当たって、こんな風に星を眺めたりしたよな」

「それは……」

 

 何気なく応えようとして、アウローラの声が止まった。

 さて、何と言えば良いだろうな。

 

「まぁ色々あって、ある程度は思い出した気がする」

「……それは、ホントに?」

「あぁ、まだ全部じゃないがな」

 

 手を伸ばし、アウローラの頬に触れる。

 指先で何度か肌をなぞると、火照った熱を感じた。

 それが心地良くて、また少しだけ笑った。

 

「次、どうするかも考えないとな」

「……先ずは傷を治してから。

 そうしたら、一緒に考えましょうか」

 

 そう言って、アウローラも微笑んだ。

 全くその通りだったので、俺は一先ず身体の力を抜く事にした。

 

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